4 勇者と少女
町にはすっかり人気がなくなっていた。
ある者は遠く離れた町に避難し。
ある者は家に閉じこもったまま恐怖に震え。
またある者は普段通りに仕事に通う。
日常から逃げる者、心を閉ざす者、最後まで日常を貫くもの。
さまざまな人が自分なりの行動を取る中で──冥は一人、どこへ行くともなく歩いていた。
やがて住宅地の真ん中にある小さな公園にたどり着く。
「あれは……」
滑り台の下の砂場に、小さな子どもが座っていた。
幼稚園児くらいだろうか。
長い髪の可愛らしい女の子だ。
ちょうど逆光になり、顔がよく見えない。
だが、その容姿はある少女によく似ていた。
「君は……」
冥は呆然と彼女を見つめる。
「ユナ……?」
心臓の鼓動が一気に跳ね上がる。
なぜ彼女がここにいるのか分からない。
だけど、話したいことは山ほどある。
誤解のまま終わらせたくないことが──。
「ユナ──」
反射的に駆け寄ろうとして、もう一度目を凝らした。
「……違う」
再会の喜びは、すぐに落胆へと変わった。
そもそも黒髪だし、顔立ちも別人だ。
ただ幼女だったユナに面影が似ている女の子だった。
「おにーちゃん、どうしたの?」
幼女がこちらに気づいたのか、不思議そうに首をかしげる。
「えっと……知り合いの女の子に似ていたから、つい見つめちゃって」
冥は苦笑いをする。
それから、女の子が一人ぼっちであることに気づいた。
「あれ、お父さんやお母さんはどうしたの?」
周囲には誰もいない。親らしき人さえも。
「一人でこんなところにいたら危ないよ?」
「んー、おとうさんいない」
「いない?」
「おかあさんしかいないよ」
母子家庭ということだろうか。
「じゃあ、お母さんのところに帰ろう。家まで送ろうか?」
「おかあさん、どこかにいっちゃった」
「えっ?」
「あたしはいらないこだって」
「いらない子……?」
冥はもう一度、幼い女の子を見つめた。
ハッと顔をこわばらせる。
「この子──」
半袖からのぞく二の腕に、青あざのようなものが見えた。
よく見ると頬が少しこけているし、満足に食べさせてもらっていないのかもしれない。
幼児虐待、という言葉を反射的に連想した。
(いらない子って言ってたのは、つまりそういうことなのか?)
家庭の複雑な事情でもあるのか、冥には分からない。
分かるのは──彼女は今、頼るものがなくて一人だということだ。
「でも、ゆうしゃさまがいるから」
彼女の言葉にギョッとなった。
「ゆ、勇者さまって……?」
この世界に、冥が異世界で勇者をだったことを知る者はいない。
いない──はずだ。
「おほんにでてきたの。わるいやつらをやっつけてくれるって」
「おほん……ああ、本か」
冥はようやく納得した。
おとき話の絵本の話らしい。
「せかいはおわりだ、っていって、おかあさんでていっちゃったの。いえにいてもひとりぼっとだから、あたし……ゆうしゃさまにおいのりしてる」
幼女が続ける。
「せかいをすくってくれたら、きっとおかあさんももどってくるよね?」
「…………」
冥は言葉を返せなかった。
きっと彼女にはすがることしかできない。
祈ることしかできない。
(じゃあ、僕は?)
何ができるんだろうか。
まがりなりにも『勇者』として──。
(大陸を消してしまうような奴に、生身の僕が勝てるはずがない)
冥は幼い女の子を見つめる。
不安そうに揺れる瞳。
(僕にできることは──なんだ)
そして──僕がしたいことは、なんだ。
翌日。世界の運命が決まる日。
『みなさん、おはようございます。もしかしたら、これが最後の放送になるかもしれません。世界中の大陸が消滅し、残されたのは日本だけです』
アナウンサーの絶望的な声が、テレビ画面から響く。
「こんなときでも仕事を続けてるっていうのも、すごいな」
冥は感心して画面を見つめた。
勇者であることを否定され、自分のすべきこともやりたいことも見失い、そして今はただ諦めて日々をぼんやりと過ごしている。
そんな自分よりも、世界の終わりかもしれない日にも、自分の職務をまっとうしているアナウンサーのほうがずっとすごい気がした。
「なんだか自分が情けなくなるな……」
ここ数日、自分に何ができるのかを自問自答し、結局その答えも出ず、何をするでもなく家で過ごしたり、気まぐれに外へ出たり。
「勇者の資格なんて、最初からなかったのかもな……」
「君ってけっこう自虐的だよね」
「うわ、びっくりした!?」
声とともに、床から黒い影が湧きあがった。
魔王だ。
……といっても、世界を脅かしているヴァルザーガではなく、冥そっくりの少年のほうだが。
「お待たせ。ようやく準備が整ったよ」