1 竜ヶ崎冥の日常
気が付くと教室の中だった。
「えっ……? あれ……?」
冥は驚いて周囲を見つめる。
「どうした、竜ヶ崎」
中年の教師が怪訝そうにこちらを向いた。
「ここは──」
窓から差し込む春の日差し。
規則正しく並んだ机と椅子。
そこに座る生徒たち。
「元の……世界?」
自分の体を見下ろすと、さっきまで着ていたパーティの正装ではなく、通い慣れた高校のブレザー姿だ。
「何を言ってるんだ、お前は」
教師がますます訝しげに眉をひそめる。
「具合でも悪いのか?」
「い、いえ、すみません。なんでもないです」
「……じゃあ、授業を続けるぞ。えー、ここの助動詞の働きは──」
英語の授業が再開されたようだが、冥はそれどころではなかった。
(なんだ? 僕、どうなったんだっけ?)
必死で記憶をたどる。
確かユナに、冥が先代の勇者と同一人物だと知られてしまったのだった。
そのことで糾弾され、魔法で攻撃され──。
(そうだ、崖から落ちたんだ。僕は)
落ちたら確実に助からない、断崖絶壁。
なのに、なぜか元の世界にいる。
(実は夢の中とか、現世に見えるけど死後の世界とか……そういうオチじゃないよね?)
冥はもう一度、周囲を見回した。
退屈そうに授業を聞く生徒たちの姿。
教科書を単調に読みながら説明をする教師の声。
どことなく澱んだような空気感。
そのすべてが、あまりにもリアルだ。
クレスティアに召喚されるまで、冥が毎日体感していた普通の日常。
どこまでも現実感のある風景だった。
(やっぱり、帰ってきたってことか。理由は分からないけど)
釈然としないまま、冥はその事実を受け入れる。
──その後、何事もなく普通に授業が終わった。
戦いもなく、平和そのもの。
それが尊いものだということは分かるし、素晴らしいことだとも思う。
侵略を受け、故郷を奪われ、あるいは滅ぼされ──。
そして奪い返すために戦う。
戦って、戦って、戦って、戦って──。
でも、ここにはそんなものは一切ない。
もちろん世界のどこかでは今も紛争が起きていたりもするけれど。
穏やかで、静かな時間がただ過ぎていく。
冥は帰宅部だ。
登校するのも下校するのも一人っきりだった。
これが学園ラブコメなら、声をかけてくる悪友なり幼なじみの美少女なり、あるいはツンデレの転校生とか生徒会長が関わってくるのかもしれないが──。
現実には、そんな人間は周囲に誰もいない。
「帰って……きたんだよね」
声に出すことで、ここがクレスティアではなく現世なのだと無理やり自分自身に実感させる。
未だに現実感がなかった。
しばらくクレスティアにいたせいか、こっちの世界のほうが冥には異世界に見えた。
いや、実際にクレスティアで戦っているほうが、『生きている』ことを強く実感できる。
現世にいる間は、特別な目的もなく、ただなんとなく日々を過ごしているだけだった。
だがクレスティアでは『世界を救う勇者』という明確な目的や使命感を持って、日々を過ごしていた。
「もしかして、全部夢だったのか? 日常が退屈だっていう僕の気持ちが見せていた、長い夢……?」
だとしたら、どこからが現実で。
どこからが、夢や幻だったのか。
──最初の魔王との戦いは?
──そこで出会った幼女のユナや四英雄の少女たちは?
──二度目の召喚と冒険は?
──新たに出会ったシエラやルイーズたちは?
──そして、再会した十年後のユナは?
「ああ、もう」
冥は頭をがりがりとかいた。
だんだん分からなくなってきた。
「そうだ、ゲーセンにでも寄ろうかな、久しぶりに」
冥はロボット対戦格闘ゲーム『デュエルブレイク』で全国大会優勝を果たしたこともある。
その練習は、主に駅前にある小さなゲームセンター『ティアラ』で行っていた。
冥にとっては、数年来通っている遊び場だ。
──なのだが。
「なくなってる……?」
以前はゲームセンターがあった跡地は、コンビニに変わっていた。
どうやら潰れてしまったようだ。
「そういえば、ゲーセンってどんどん潰れてるってネットの記事で読んだ気がする……」
時流なのかもしれないが、お気に入りの場所がなくなってしまったのは、やはり悲しかった。
「しょうがない、家に帰るか」
冥は自宅に一人暮らしだ。
高校に入って間もないころ、両親が仕事の関係で遠くの県に行ってしまい、冥一人がここに残ったのだった。
「……何しよ、僕」
自室のベッドに寝転がり、ため息をつく。
退屈だった。
何もやることがない。
何もやりたいことがない。
何をすればいいのか分からない。
「もう一回、異世界に行けないかなぁ」
二度目のため息をつきながら、つぶやく。
「……って、駄目か。ユナ、怒ってたもんな」
冷徹に自分を糾弾した彼女の姿を思い出した。
「騙された、心を踏みにじられた──って」
胸の芯が強烈に痛む。
寝転がったまま、ベッドサイドの小さなテレビをつけた。
夕方にやっているアニメを見るともなしに見ていると──。
『突然ですが、臨時ニュースです』
特別報道番組にいきなり切り替わった。
「ん、なんだ?」
アナウンサーの顔は青ざめている。
震える声で、告げた。
『先ほど北アメリカ大陸が消滅しました』