1 メリーベル、逆襲の策動
熱い水滴が、白い裸身を流れ落ちていく。
一糸まとわぬ姿で、メリーベルはシャワーを浴びていた。
小ぶりだが形のよい乳房。キュッと引き締まった尻。
しなやかな裸体は、さながら磨き上げられた剣だ。
(この私が、人間ごときに……)
メリーベルが歯噛みする。
先日、勇者に敗れた戦いのことは、一日たりとも忘れたことはない。
天才。
神童。
選ばれし者。
聖なる階層世界クレスティアとは対になる闇の階層世界──『魔界』の第六層で純魔族として生まれたメリーベルは、幼いころから賞賛をほしいままにしていた。
剣の勝負では、同年代はもちろん、大人の一流剣士を相手にしても後れを取ったことは一度もない。
そして龍王機の操縦に関しても、その天分を存分に発揮した。
魔界兵の養成所では、初めて乗った龍王機をまるで手足のように動かしたものだ。
またたく間に、魔界の正規兵ですら束になっても叶わない、超一流の乗り手へと成長した。
同期で彼女にかろうじてついていけたのは、シフォン・ディグラムくらいだろう。
養成所を首席で卒業したメリーベルは、すぐに魔王軍の幹部の一人となった。
そんな彼女が、生涯でただ一人、どうしても勝てない相手がいる。
実の姉、エルナである。
魔王軍四天王の一角であり、魔族最強と称される彼女とは、公式非公式を問わず何百回と模擬戦を繰り返した。
そして、そのすべての戦いで、ただの一撃すら当てることができずに敗北した。
姉にだけは勝てない──。
憧れと、賞賛と、尊敬と、そして劣等感と。
いくつもの感情が入り混じった複雑な思いを、メリーベルは二つ年上の姉に対して抱き続けてきた。
だが──だからこそ、姉以外の相手には絶対に負けない。
魔族の正規兵だろうと、幹部だろうと負けてはならない。
最強は姉のエルナで、二番はこの私。
メリーベルにとって、その思いは信念を超えて、信仰に近かった。
しかしその思いは、先日あっさりと崩れた。
崩された。
しかもその相手は、彼女が蔑む『たかが人間』だった──。
「ふうっ」
熱いシャワーを浴び終えて、メリーベルは息をついた。
「もうすぐ姉さまがこちらへ来るというのに、今のままでは合わせる顔がない」
唇を噛みしめる。
「再会の前に、必ず奴を超える力を手に入れる……」
そのための手はすでに打ってある。
今ごろは謁見の間に到着しているころだろう。
備え付けのタオルで無造作に体を拭くと、メリーベルは手早く鎧をまとい、大浴場を後にした。
メリーベルが支配する東エリアは、エメラルドグリーンの海と無数の島が連なる一帯だ。
その中でももっとも大きな島の中心部に、彼女の魔城はあった。
「わざわざ呼び立ててすまない」
訪問者に対し、メリーベルは軽く礼をした。
「あたしに何の用だ?」
きらびやかな装飾に照らされた謁見の前で、魔族の少女が傲然とこちらをにらむ。
赤に近いオレンジ色の髪をショートヘアにした、美しい少女。
髪と同色の帽子やドレスが可憐な容姿によく似合う。
大きく開いた胸元は深い谷間を形作っており、少女らしからぬ妖艶さを醸し出していた。
シフォン・ディグラム。
魔族兵養成所の同期であり、ライバルでもある少女。
「お前に頼みたいことがある」
「あたしに?」
「私は勇者に負けた。だが──負けっぱなしでは終われない。今度は勝つ」
メリーベルが力強く告げた。
「そのための訓練に、付き合ってほしい」
「訓練だと」
「戦っていて気づかなかったか? 奴は奇妙な動きをする。まるでこちらの動きが事前に分かるような──」
眉を寄せるシフォンにメリーベルがうめく。
あの戦いは、まるで悪夢だった。
自分の動きがすべて読まれてしまう。
どれだけパワーを込めた斬撃を放っても、どれだけスピードでかき回しても──。
勇者の機体は、すべて先回りして防ぎ、あるいは避けてしまう。
「もしかしたら、奴には未来が見えるのかもしれん」
「連合の王女みたいに卓越した魔法使いってことか?」
シフォンが訝る。
「けど未来を予知するって、時間干渉系の魔法だろ? そんなの、魔族にも扱える奴はいねーぞ?」
「いや、未来が見えるというのは単なる比喩表現だ。その正体はおそらく──卓越した洞察力。そして、それによる未来の予測能力だ」
「なるほど……な」
うなるシフォン。
「こっちの動きが事前に分かっていれば、簡単に対応されちまうからな。どうしようもねぇよ」
「それを克服するための訓練だ。具体的にはお前が量産機のファングに乗り、私はセイレーンに乗る。そして模擬戦を繰り返す。これだけだ」
「なんだよ、それ。あたしが量産機でテメェが専用機? そんなの、テメェが圧倒的に有利だろうが」
「ただし──私は事前にどう動くかをすべてお前に伝える」
メリーベルの言葉に、シフォンはハッとした顔をする。
「つまり、あの勇者との戦いを再現するのさ。そして奴の未来予測を上回る動きを体得できれば」
メリーベルの瞳が強烈な光を放つ。
「今度こそ、奴に勝てる」
「…………」
「だから、頼む。シフォン」
メリーベルが頭を下げた。
床に額がつかんばかりの勢いで、深々と。
プライドの高い彼女にとって、屈辱といってもいい行動だ。
それでも──今度こそ勇者に勝ちたかった。
「相手を頼めるのは、お前だけだ。第一層の他の二人では……悪いが実力不足だからな」
「……あたしはテメェが嫌いだ」
シフォンの言葉はストレートだった。
竹を割ったような性格の、彼女らしい言葉。
「やたらとプライドばかり高くて、鼻持ちならない。『純魔族』って出自を鼻にかけて、あたしみたいな『堕心』を見下しているのが透けて見える」
そう、魔界生まれの生粋の魔族であるメリーベルに対し、シフォンは元は人間だ。
魔王の魔力と紋章の力で魔族に生まれ変わった存在──『堕心』。
そして魔王軍の中でも純魔族と堕心の関係は、決して良好とはいえない。
軋轢もあるし、派閥も当然ある。
「無理な頼みだったか」
メリーベルが唇をかむ。
(簡単に協力してくれるとは思っていなかったが……やはり駄目か)
二人の間に沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのは、シフォンの笑みだった。
「そんなテメェに頭下げられちゃ、嫌とは言えないだろ」
「シフォン、お前──」
「断ったら、それこそ女がすたる」
シフォンがうなずいた。
ライバルの、頼もしい笑顔。
「協力してやるよ。ただし、これっきりだからな」