9 溶けゆく氷と乙女心
「笑う……?」
ユナはじろりと冥をにらんだ。
「なんでにらむの!?」
「笑うのは、またの機会にしておきます」
ふうっとため息をつくユナ。
「クレスティアの八層すべてを魔族から奪い返したときに」
「だから張り詰めすぎだってば」
「勇者さまこそ現状認識が甘くありませんか?」
ユナの表情は険しいままだ。
「かつての勇者は魔王となり、かつての勇者とともに戦った四英雄も全員が行方知れず。中には魔王軍に引き入れられた者もいる、という噂さえあります。彼女たちはいずれも手練れ中の手練れ。敵に回れば、これほど厄介な存在もないでしょう」
「あの子たちが、敵に──」
冥は息を呑んだ。
「対してこちらの戦力はエルシオン一機。もうしばらくすればサラマンドラの修理が終わって戦線復帰するでしょうけど、それでもたったの二機です」
「……あ、そうだ。魔族の機体を使うっていうのはどうかな」
冥が提案する。
「ほら、今回も出てきた魔族の量産機があるでしょ。幹部の専用機はたぶん独自の構造をしていて改修が難しいかもしれないけど、量産機なら技術者たちで解析すれば、なんとか──」
「無理です」
あっさり却下された。
「龍王機の動力部にはコア魔導石が使われていて、乗り手の魔力とシンクロすることで、龍王機が起動する──これは勇者さまもご存知ですね?」
「う、うん」
「逆に言えば、魔導石とシンクロできなければ、その龍王機は動かないということです。そして魔族の龍王機は魔族としかシンクロしません。人間が乗る龍王機に使われている魔導石と魔族用の龍王機に使われているそれは、まったく質が違うのです」
「え、そうなの」
「ですから、結局のところ私たちの戦力はエルシオンのみ。サラマンドラが加わっても、二機だけで魔王軍に挑む必要があります」
ユナがもう一度ため息をついた。
「ユナ……」
限界ギリギリの状況だということは理解できた。
だが、今の彼女はそれをたった一人で背負いこんでいるように見える。
「もっと気楽に行こう……とまでは言わないけど、少し肩の力を抜いてもいいんじゃないかな。皆で戦うからこその組織なんだし」
冥はにっこりと笑って、ユナの頭に手を置いた。
ぽん、ぽん、と軽く撫でてやる。
かつて幼女だったユナと一緒に戦っていたときは、よくこうしたものだ。
(さすがにあのときとは感じが違うな……)
三年前に戦ったとき、幼女のユナは胸の高さまでしかなかった。
だが今のユナの身長は、冥とあまり変わらない。
「ゆ、勇者さま……?」
驚いたように目を瞬かせるユナ。
「あ、ごめん、つい」
反射的に、以前の癖が出てしまった。
だが今はお互いに同い年である。
こういうことをするのは、そぐわない年齢だろう。
「もう少し、皆に気を許してほしいな」
照れつつも、冥は本題を口にする。
先ほどの行軍でも、なごやかな雰囲気の中でユナだけはクールだった。
まるで心を閉ざし、皆に溶けこむのを拒むように。
「……私たちが体験しているのは魔族との戦争です。誰かに──何かに気を許す余裕はありません」
ユナの態度は頑なだった。
まるで溶けない氷だ。
「何が起きるか分かりませんもの。前の勇者が人類を裏切り、魔王になったように──」
桃色の髪を軽くかき上げ、ため息をつく。
「私は誰も信じません。先ほども言いましたよね? ただ部下たちを駒として操り、世界を人類の手に奪い返す」
その瞳も氷のように冷たい。
「それだけを──考えています」
「嘘だ」
冥は即座に首を振った。
「あなたは私のことをよく知らないだけです。勝利のためなら冷徹に部下を切り捨てる私の姿を──」
「知ってるよ」
冥がもう一度首を振る。
「ユナが本当は優しい女の子だっていうことを」
たとえ、この世界では十年が経とうとも。
あの優しく健気だったユナが、変わるはずがない。
そう信じているし、そう願っていた。
「……私たちは出会ったばかりですよ」
「あ、いや、それは」
訝るユナに、思わず口ごもった。
「それでも──今日一日で分かったことがある。
シエラやルイーズと普通の女の子みたいに笑って話したり、顔に怪我したシエラを気遣ったり、僕らを命懸けで守ってくれたり。僕にはユナが冷たい女の子だなんて思えない」
言って、冥は一呼吸を置く。
「私は……」
ユナは何かを反論しようとして、やめた。
口ごもったまま、冥を見つめている。
「さっき誰も信じてないって言ったけど──僕のことも信じてないの?」
「勇者……さま……」
ユナの表情がわずかにこわばった。
「友だちのシエラのことも? 一緒に戦ってくれるルイーズたち兵士のことも?」
「わ、私は……」
切れ長の瞳が、かすかに揺れる。
それを見て、冥は確信を深めた。
ユナはクールなんかじゃない。
クールであろうとしているだけだ、と。
「すぐに信じてくれとは言わない。裏切られたショックはきっとまだ癒えてないんだと思う。でも、少しずつ──一歩ずつでも前向きになってくれたら嬉しい」
冥は決意を込めて、告げる。
そう、一歩ずつ。
ユナが氷のように心を閉ざしてしまったなら、少しずつ溶かしていけばいい。
「僕も、ユナに信じてもらえるように頑張るから」
※ ※ ※
(この胸の高鳴りは一体、何かしら……?)
冥が去った後も、ユナの心臓の鼓動は速まりっぱなしだった。
胸が締めつけられるようだ。
だが、それは決して不快な感覚ではなかった。
甘酸っぱい疼きが全身を蕩かせている。
(勇者さま、凛々しかった)
本人の前では言えないが、今日の戦いぶりは見事だった。
ガンナーを駆る魔族とて、決して弱くはない。
専用機を任された猛者のはず。
しかし、冥の強さはそのさらに上をいっていた。
今日だけではない。
サラマンドラとの模擬戦こそ最新鋭のディーヴァに乗っていたが、先日のセイレーンの急襲では旧型のエルシオンで撃退して見せた。
相手との圧倒的な性能差をものともしない──まさしく、無双無敵の勇者。
「それに優しかった。私を気遣ってくれて……」
優しい微笑み。
温かな言葉。
それらを思い出すと、胸が熱くなる。
「勇者さま……」
口に出して、つぶやいてみる。
たちまち、胸の奥が焦げるように熱くなった。
「ああ……」
この感覚は覚えがある。
そう。十年前、先代の勇者とともに戦ったときの甘い疼き──。
(余計なことを考えていては駄目。明日も早いのですから。少しでも寝て、体力を蓄えなければ)
なおも高鳴る鼓動を無理やり押さえつけ、ユナは寝所に移った。
下着姿になり、ベッドに入る。
ゆっくりと目を閉じた。
「ああ、勇者さま……」
ほとんど無意識に、つぶやきが漏れる。
心臓の鼓動がふたたび高鳴っていく。
今夜は、眠れそうになかった。
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