5 脱出か、死か
倒れたまま、冥の体はぴくりとも動かなかった。
「ははははは、こいつ本当に勇者を撃ちやがった! いいねぇ! 人間、いざとなると自分の命が惜しくなるもんだ」
ドルトンが勝ち誇ったように笑う。
「約束……ですよ」
ユナは苦しげにうめいた。
「おう、約束は守るぜ」
へらへらと笑いながら魔族が近づいてくる。
「ううっ……」
不意に、その場に崩れ落ちるユナ。
うずくまったまま体を震わせている。
「なんだよ、泣いてんのか? 今ごろになって後悔してんのかよ。まあ、お前の命は助けてやるさ。面白いもんを見せてくれた礼だ」
「後悔?」
ユナがゆっくりと顔を上げる。
振り返ったその顔に、涙はなかった。
「私は今の行動に──微塵も後悔などありません」
「……お前」
ドルトンがようやく異変を悟ったのか、表情をこわばらせた。
だが──遅い。
銃や魔法といった遠距離武器の戦いにおいて、攻撃のタイミングは命だ。
そのタイミングで、魔族は一瞬後れを取る。
そしてその一瞬こそ、ユナが狙っていたものだった。
「すべては──魔族を倒すためのお芝居ですから!」
銃を放り捨て、右手を突き出すユナ。
「風魔縛錠!」
呪文とともに突風が吹き荒れた。
風は気流の渦となり、魔族の四肢にまとわりつく。
そのまま中空五メートルほどまで浮かび上がらせ、拘束した。
「て、てめぇ!? ど畜生、動けねぇ……」
ドルトンは風の拘束から逃れようともがいている。
が、四肢を縛る気流はびくともしなかった。
「どういうつもりだ……」
呆然とユナを見つめ、それから視線を彼女の手に移した。
気づいたのだろう。
そこから流れ出る、血に。
「さっきの銃撃は──自分の、手を」
「私が命惜しさに勇者を見捨てるとでも?」
ユナは顔を苦痛に歪ませながら、それでも敢然と言い放った。
「さっきも言った通り、すべてはあなたを騙すための芝居です」
手の甲からは、赤い血がとめどなく滴っている。
そう、先ほどユナが撃ったのは冥ではない。
自分自身の手の甲を撃ち抜いたのだ。
ドルトンの位置からは彼女の背中が邪魔になり、状況を確認しづらかったはず。
しかも、それに合わせて冥も撃たれたような演技で倒れた。
(一瞬のアイコンタクトだったな)
死んだふりをしたまま一部始終を見ていた冥が、ゆっくりと体を起こす。
だけどそれは──ユナを信じていたからこそ、できたことだ。
今回の魔族は策を弄する性格だ。正々堂々の戦いより、罠にはめて確実に相手を仕留める方を選ぶ。
そんな魔族なら、勝負には万全と慎重を期すはずだった。
冥が死んだかどうかを確認するために、必ず近づいてくる。
ユナの、魔法の間合いに入ってくる──。
(全部、ユナの目論見通りに……)
あのときの幼女が、本当に強く、たくましく成長した。
冥は感慨に耽る。
「勇者さま、シエラ、ルイーズ、今助けますね」
ユナがもう一方の手を冥たちに向けた。
ふたたび風の呪文が発動し、気流が吹き荒れる。
冥たちはその風に乗って、流砂から引きずり出された。
「助かったよ、ありがとう」
礼を言う冥。
体中が砂でじゃりじゃりとしていた。
「本当に勇者さまを撃つのかと思って、びっくりしちゃった。さっすが姫さまだね」
シエラがはしゃぐ。
その頬からひと筋の血が流れ出ているのが、痛ましい。
(ひどい……!)
少女の顔を躊躇なく撃った魔族に対する怒りが、あらためて込み上げる。
「シエラ、すぐに治しますわね」
ユナが歩み寄った。
「え、いいよ。それより姫さまの手を──」
「それは後回しで結構です。あなたの綺麗な顔に傷でも残ったら一大事ですもの」
ユナは左手の傷を意にも介さず、治癒魔法でシエラの顔の傷を治し始めた。
もともと見た目に比べて傷は浅かったらしく、またたく間に血が止まり、傷も完全に塞がる。
「……跡は残ってませんね。よかった」
ユナはシエラの顔を見つめ、ホッと安堵したようにつぶやいた。
「ありがと、ユナちゃん」
「姫さま、でしょう?」
王女の顔でたしなめるユナ。
「王立アカデミー時代とは違うのですよ」
「あ、ごめんごめん。嬉しくて、つい」
シエラは苦笑混じりに頭をかいた。
「手駒だなんて言って、冷たいふりをしてもやっぱり、ユナはユナだ」
冥は微笑を浮かべた。
ホッと安堵するような気持ちが全身に広がっていた。
「シエラの傷のことを本気で心配してたし。それにさっきも、僕らを命がけで助けてくれた」
「……私は最善の手を選んだだけです」
ユナがツンとそっぽを向いた。
「必要ならあなたを撃っていました。シエラやルイーズのことも見捨てていました」
「ユナ……」
冥が笑みを強くする。
それが彼女の本心からの言葉とはとても思えなかった。
やっぱりユナは、優しい心を無くしてなんていなかった。
仲間を思いやる気持ちを失ってなんかいなかった。
表面上、それを見せなくなっても、心の芯に秘めているのだ。
「……ほ、本気ですからね、私はっ」
照れたようにそっぽを向くユナ。
「があああああっ」
ふいに、魔族が咆哮した。
中空から地面に降り立つ。
体を拘束する風の魔法を、自身の魔力で強引に吹き散らしたのだ。
「テメェら……もう許さねえからな。龍王機で全員撃ち殺す!」
ぱちん、と指を鳴らす。
「来やがれ、『銃鋼射手』!」
背後に控えていたガンマン型の龍王機が、砂の上を滑るようにしてドルトンの元までやって来る。
「よし、こっちも──」
冥は後方に走りだした。
エルシオンに向かって一直線に駆ける。
ユナが魔法で敵機をけん制している間に、愛機の元までたどり着いた。
「下がってて、ユナ。シエラとルイーズも」
操縦席に座った冥が、凛と告げる。
「奴は僕とエルシオンが倒す」
今度は僕が──皆を守る番だ。