1 勇者と姫
気が付くと、冷たい石造りの広間にいた。
中央に巨大な祭壇がそびえ、四隅には荘厳な燭台が設置されている。
その祭壇の前で、冥は呆然と立ち尽くしていた。
三年ぶりに覚える、強烈な既視感。
目の前には、白い肌もあらわな美しい少女がたたずんで──。
「……って、うわぁぁぁぁぁぁっ!?」
冥は大慌てで後ずさり、目を逸らした。
が、今の一瞬で彼女の肢体はあまさず網膜に焼きついている。
腰まで届く美しい桃色の髪、花のように可憐な美貌、凹凸の少ないなだらかな裸身。
そう、彼女は全裸だったのだ。
「ご、ごめん、見るつもりはなかったんだけど、いきなり君が現れて、あの、その」
直前まで、冥は学校から自宅へ続く道を歩いていたはず。
それが何の前触れもなく、ここへ来てしまった。
なぜかは分からないが、何が起こったのかは分かった。
(これは──召喚魔法だ)
現実世界から、異世界であるクレスティアに召喚されたのだ。
あのときと、同じように。
急激に血が沸き立つ。
魔王を倒して現世に戻ってから三年、ずっと退屈していた。
平凡な学生生活に飽き飽きしていた。
それが今、ようやく解消されるのか──。
高鳴る期待感で胸が甘く疼く。
「ゆ、勇者さまもっ! 何かお召しになってくださいっ」
少女が狼狽したような声を出した。
ちらっと視線を戻すと、すでに彼女は白いローブのようなもので肌を隠している。
……残念。
健全な男子としての本能が、内心でぼやく。
「ん? 何かお召しに、って……?」
鸚鵡返しにつぶやく冥。
違和感を覚えて、自分の体を見下ろす。
しなやかで細身の体つき。
すらりとした両足。
その付け根で揺れる剥き出しの──。
「うわわっ、ぼ、僕も裸じゃないかっ!?」
たちまち顔が熱くなった。慌ててしゃがみこむ。
確か、召喚魔法は一糸まとわぬ全裸で行い、召喚されるほうも身一つでこの世界へと呼び出されるはずだ。
早い話、召喚した者とされた者が対面するときは、全裸同士になってしまう。
初めてこの世界に召喚されたとき、召喚魔法を使ったのはユナという名の年端もいかない少女だった。冥の世界でいうなら幼稚園児くらいの年齢だろう。
もちろん呼び出された冥も素っ裸で、全裸同士での初体面。
とはいえ、しょせん相手は子どもだ。
だけど今回、召喚魔法の使い手は自分と同じ年ごろの少女。一瞬とはいえ、美しい全裸姿を目にしてしまい、しかも自分の裸も見られてしまった。
(見ちゃったし、見られちゃったし……うわわぁ……恥ずかしいぃ、ううう)
心臓が爆発しそうなほど鼓動を速めていた。
黒い短衣の上に、驚くほど軽い材質でできた白い鎧をまとう。
背中に背負ったのは黄金の剣──といっても、冥は剣など使えないが。
渡された衣服は、あのときと同じ勇者の衣装だった。
ますます血が沸き立つ。
平凡な日常から、非日常へと身を投じる興奮。期待感。胸の高鳴り。
(僕はずっと──)
三年間ずっと、これを求めていたのかもしれない。
「よく似合いますわ、勇者さま」
召喚者の少女が微笑んだ。
すでに白いドレス風の衣装に着替えている。
「本当は、勇者の装束には仮面も含まれているのですが、前の戦いの後に失われてしまって」
「あ、いいよ別に。あの仮面、けっこう息苦しいんだよね」
「? 勇者の仮面のことをご存じなのですか?」
「いや、えっと……」
「ともあれ本題に入りますね。魔王を討ってほしいのです、勇者さま」
彼女は単刀直入に切り出した。
「え、えっと……」
目の前の少女をあらためて見つめる。
可憐な顔立ちに桃色のロングヘアがこの上なく似合っている。
可愛い。
それも抜群に。絶世の美少女といってよかった。
「異世界から来たりし者、龍を操り、勇者として魔王を討つ──私たちの世界の古い伝承です」
少女が厳かに告げる。
「事実、十年前に現れた魔王は、異世界から召喚した勇者さまの手によって滅ぼされました。そして今、新たに現れた魔王に立ち向かうため、私たちは新たな勇者を呼び寄せたのです。それが──」
「僕……ってことだよね」
自分を指差す冥に、少女はうなずいた。
要するに──。
三年ぶりに勇者としてふたたび呼び出されたわけだ、この世界に。
「非常に不躾な願いだと分かっております。ですが、私たちの希望は今や、あなた様だけなのです──」
彼女はいきなりその場に跪いた。
床に額を擦りつけ、懇願する。
「どうか、世界を救ってくださいませ、勇者さま」
既視感が、さらに強まった。
そうだ、初めてこの世界に呼ばれたときも、同じように土下座されて、頼まれた。
必死に、涙ながらに──それは冥にとって、生まれて初めて誰かに期待され、信頼され、必要とされた瞬間だった。
その気持ちに応えたい一心で龍王機に乗り、魔王を倒した。
「やるよ、僕」
以前も圧倒的な強さで魔王を倒したのだ。
今回だって、そう手こずることはないだろう。
「ほ、本当ですかっ」
がばっと起き上がる少女。
すぐ間近に顔を寄せ、キラキラと目を輝かせて冥を見つめる。
(うわっ!? 顔近い近い近い近いっ)
可憐な美貌がほとんどキスしそうなほどの距離にあった。
ドギマギが爆発的に高まる。呼吸が詰まる。
「あ……嬉しくて、つい」
少女は照れたような笑みを浮かべ、一歩後ずさった。
それから、あらためて優雅に一礼する。
「申し遅れました。私はユナ・プリムロード。クレスティア第八層王国の王女にして、この汎人類連合『奪還機関』の長を務めております」
「僕は竜ヶ崎冥──」
自己紹介をしかけたところで、
「……って、君、ユナ!? あのちっちゃかった!?」
目の前の美少女は、先の戦いでともに戦った幼女とは明らかに別人だ。
(ん? 待てよ──)
よく見れば面影がある。
ちょうどあの幼女が十年くらい成長すれば、目の前にいる彼女のような姿になるのではないだろうか。
「まさか、あのユナが……成長して……?」
「? あなたとは初対面のはずですが」
きょとんと首をかしげるユナ。
「いや、だから僕は先代の勇者と同じ──」
「その汚らわしい名を口にしないでください」
ユナの表情が一変した。
「彼は確かに魔王を討ちました。ですが、その後、私たちを裏切ったのです」
「う、裏切った?」
僕、そんなことしてないけど──。
冥は戸惑うばかりだった。
そもそも魔王を倒した後、間を置かずに元の世界に戻ってしまったため、その後、この世界がどうなったのかは分からずじまいだったのだ。
「先代の勇者など、私にとっては憎しみの対象でしかありません」
忌々しげに顔をしかめるユナを見て、胸の奥がズキンと痛んだ。
──だいすきです、ゆうしゃさま。まおうをたおして、ユナをはなよめにしてください──
幼い告白は、今も冥の心に甘酸っぱい思い出となって生き続けている。
「勇者さまの花嫁になるって、言ってたのに……」
「そ、それは私にとって忌まわしい歴史ですわ!」
ユナが顔を真っ赤に染めた。
照れとも、怒りともつかない、微妙な表情だ。
「……なぜ、そのことを知っているのですか?」
ふいにユナが鋭い目で冥をにらんだ。
「え、いや、あの……」
ぎくりとして口ごもる。
自分がその先代勇者だと言いだせる雰囲気ではない。
「ああ、我ながら情けない。あんな男に初めての恋心を捧げたなんて」
幸いにもユナはそれ以上追及してこなかった。
「そっか、やっぱりあれってユナの初恋なんだ」
「何を嬉しそうな顔をしているのです」
ユナがふたたびジト目でにらむ。
「い、いや、その……」
「私は男なんて信じない。二度と恋なんてしない。あなただって、もしも勇者と偽って私たちの世界を脅かす存在なら、この私の手で地獄に送って差し上げますわ」
怖い顔でぶつぶつとつぶやくユナ。
あどけなかった幼女時代とは、あまりにも違う。
「……申し訳ありません、少し話が脱線してしまいましたね。どうぞこちらへ。勇者さまの専用機体をお渡しします」
ユナに促されて、冥は石作りの広間を後にした。
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