6 神域の心眼、超越の機動
まもなく決着のときが訪れる──。
エルナ・シファーはアプサラスのコクピットの中で、高揚感に包まれていた。
魔界最強の乗り手である彼女には、長らく好敵手と呼べる存在がいなかった。
唯一、自分に匹敵するレベルにいるのはアッシュヴァルトくらいだろう。
だが、しょせん彼は味方である。
何度か模擬戦をしたが、心の底から昂ぶることはなかった。
自分を倒そうと──あるいは、殺そうとする『敵』とギリギリの命のやり取りがしたい。
それがエルナの、武人としての願いだった。
そして今、ついに現れた。
彼女に匹敵する乗り手が。
もしかしたら、彼女を打ち倒すかもしれない敵が。
「嬉しいよ、勇者さま」
エルナは微笑んでいた。
邪気はない。
殺意もない。
純粋な──一点の曇りもないまでに純粋化された、闘志。
「さあ、次で仕留めてあげるっ」
喜色に満ちた声とともに、エルナはフットペダルを踏みこみ、アプサラスを前進させた。
翼の形をしたバインダーを広げ、バーニアの出力を全開。
アプサラスの推進力を最大にして突進する。
ごうっ!
一瞬で音速の壁を越え、衝撃波をまき散らしながら、黄金の機体が純白の機体に肉薄する。
「──虚空跳」
エルナは呪文を唱えた。
超短距離を空間転移する魔法だ。
覇王の領域を使いこなし、機体性能を限界まで引き出すエルナの操縦技術。
最強レベルのパワーとスピードを備えたアプサラスの動き。
それに加えて、空間転移によって相手を幻惑し、予測不可能な機動を繰り出す──。
これこそがエルナとアプサラスの真骨頂だった。
その動きに反応できる者はいない。
たとえ、超絶的な先読み能力を持つという勇者であっても、空間転移まで予測することはできまい。
そう、今も。
アプサラスはエルシオンの背後へと出現した。
当然、相手は反応できていない。
「ボクの勝ちだね」
斧槍を振りかぶり、敵機の頭部に振り下ろした。
今度は、エルシオンの姿が消えた。
「えっ……!?」
呆然とした時間は、一秒の何分の一かに満たない時間。
次の瞬間、横手から痛撃を受けてアプサラスは大きく吹き飛ばされた。
「そんな……!?」
エルナはモニターに映る白い騎士を見つめる。
「ありえない──」
信じられない思いで、見つめる。
混乱する頭の中を必死で整理した。
自分が絶対の自信を持って放った攻撃は、エルシオンに回避され──。
こちらの死角に回りこむことで、モニターから消えたように錯覚させた。
すさまじいまでの高速機動。
単なる機体性能によるものではない。
そもそもエルシオンの性能など、最低レベルである。
「これが……勇者の力」
エルナがうめいた。
機体性能を限界まで引き出す操縦技術と、予知に等しい予測能力。
さらにこちらが攻撃した直後の隙をつくことで、容易に死角に回りこんだ。
今のやり取りは、完全に勇者がエルナを上回っていた。
彼女はあらためてモニターを見つめ直す。
エルシオンは左右の手に剣を構え、アプサラスを待ち受ける構えだ。
攻めてこい、と挑発しているのか。
「ふふ、面白いね」
エルナは笑った。
誘いかもしれないし、罠かもしれない。
だが、あえてそれに乗ることにした。
魔界最強の乗り手、というプライドにかけて。
負けっぱなしでは終われない。
「だから、ボクは──」
フットペダルをふたたび踏みこむ。
ごうううんっ!
先ほど以上の速度でアプサラスが駆けた。
覇王の領域で愛機の性能を限界まで引き出す。
さらに空間転移を併用し、エルシオンの側面から不意をついて襲いかかる。
「これなら──っ!」
裂帛の気合を込めて繰り出した斧槍は、しかし空を切った。
さらに上段から、中段から、下段から。
打ち下ろし、薙ぎ払い、突き上げ。
嵐のような連撃に次ぐ連撃。
そのすべてが──まるで当たらない。
エルナとアプサラスの何もかもを予知されているようだ。
彼女がどう動くのか、どこから攻撃するのか……そのすべてを前もって知っているかのようだ。
「まさか……単純な予測だけでなく、空間の揺らぎさえも読んでいる……!?」
信じられないほどの精度で──もはや、神の領域とさえいえる予測で。
エルナは戦慄した。
「くっ……まだだぁっ!」
限界まで魔力を振り絞り、ピンポイントでの空間移動を連発する。
大気が激しく揺らぎ、黄金の機体がエルシオンの死角から、あるいは不意をついて正面から、側面から、頭上から、足元から──あらゆる角度で打ちかかる。
そのすべてが、易々と防がれた。
「仕組みさえ分かれば、見える──覇王の領域と龍心眼を併用すれば」
勇者の声は静かで、澄み切っていた。
「僕が見切るのは、単純な機動じゃない。乗り手の思考と感情。機体の能力と癖。そのすべては戦いを通じて伝わってくる」
エルナは急加速でアプサラスを後退させた。
次の瞬間には、背後にエルシオンが回りこんでいる。
離脱して、今度は前進。
やはり、結果は同じ。
スピードでは圧倒的に勝っているはずのアプサラスが、旧式のエルシオンを振り払えない──。
「そして、唯一分からなかった仕組み──空間跳躍も種が割れた。データがそろった今、もう君の機動は僕には通用しない」
「くっ……!」
エルナは空間転移を併用した機動で仕掛ける。
だが、それも無駄だった。
こちらが動くより早く、こちらが動く場所にエルシオンがいる。
「見えている。すべて」
「こ、このぉっ!」
エルナの心に初めて焦りが生じた。
反射的に突き出した斧槍は、エルシオンのカウンター斬撃で切り飛ばされてしまう。
さらに返す刀で、胸部装甲を大きく切り裂かれた。
「きゃぁぁっ……」
小爆発と火花を散らしながら吹き飛ばされるアプサラス。
「強い……」
機体を必死で立て直しつつ、エルナはうめいた。
これではどんなパワーもスピードも無意味だ。
龍王機の性能でどれほど上回っていても、無意味だ。
やられる──。
ただ一方的に。
魔界最強と称された自分が。
これが、勇者の力──。
アッシュヴァルトと戦ったときよりも、さらに成長している、ということか。
エルナの予想すら超えて。
「これが、勇者の──いや、『人間』の成長速度……か……!」
エルナは、生まれて初めて絶望した。
生まれて初めて味わう、敗北感だった。
しかしその敗北感は、どこか甘美な味がした。
「ああ……」
うっとりとした心地で、彼女は喘いだ。
いつしか心地よい快感が全身を満たしている。
「強いね、勇者さま……」
微笑み、つぶやいた次の瞬間。
エルシオンの左右の剣が閃き、アプサラスの四肢を断ち切っていた──。
※
「時は、来た」
クレスティアの第八層、魔王城。
玉座に腰を下ろしている魔王──竜ヶ崎冥そっくりの姿をした少年が微笑んだ。
「やっと僕の目的を果たせる」
少年は玉座から立ち上がり、まっすぐに進んだ。
「行くか。彼に、会いに」
目指す先は、勇者が戦っている場所──。
第七層だ。