8 覚醒と予兆
その感覚は突然訪れた。
力が、欲しい。
冥が願った刹那のことだ。
(これは──)
視界が、そして感覚すべてが異常なほど鮮明になった感覚。
両手で握るレバーを通じて、両足で踏むフットペダルを通じて、エルシオンの状態はもちろん、床の起伏や空気の流れまでもが感じ取れる。
煉獄阿修羅の周辺の空気がわずかに揺らいだ。
六本の腕による斬撃が、これから放たれる。
その、予兆。
壁際まで追いつめられたエルシオンに、それを避けるスペースはなかった。
(いや、違う)
六本の腕が振り下ろされる瞬間に生じる絶対的な死角。
攻撃直後の硬直。
人間の反射神経では決して見切ることなどできないほどの、わずかな隙。
冥の双眸はそれを察知する。
単なる予測をはるかに超えた、未来予知に限りなく近い先読みで。
──右。
回避行動は、冥の思考と等速だった。
壁際に追いつめられたエルシオンが六本の剣をかいくぐる。
その勢いで懐に飛びこみ、煉獄阿修羅の胴体部に体当たりする。
「う、お……っ!?」
アッシュヴァルトが狼狽の声を上げた。
カウンター気味にエルシオンの体当たりを受けて、煉獄阿修羅がわずかによろける。
いくら圧倒的なパワーの差があろうと、攻撃直後の無防備な胴を押されては踏ん張ることは難しい。
「上手く避けたが、しかし──」
アッシュヴァルトもさるもの、すぐに自機を反転させてエルシオンを追撃する。
「見える──」
つぶやく冥。
──左。
──軌道を少し、ずらす。
──直進。
──旋回と同時に牽制の斬撃。
流れるような思考と、相手の行動の完璧な先読み。
「な、なんだと、当たらない!?」
歴戦の猛者であるアッシュヴァルトも、さすがに驚きの声を上げていた。
「反応や反射ではない! 予測ですらない! お前の動きは──いったい、なんだ」
「見えている。すべて」
冥は静かにつぶやいた。
煉獄阿修羅の攻撃の軌道がはっきりと分かる。
数秒後に訪れるであろう、未来の攻撃の軌道が。
どれほど強大なパワーも、スピードも。
事前に狙いや軌道が分かっていれば、対処のしようはある。
避けることも。
防ぐことも。
捌くことも。
凌ぐことも。
「君の攻撃も。動きも。防御も。回避も」
告げて、冥は自機を前進させる。
煉獄阿修羅の攻撃はことごとく空を切り、衝撃波ですら避け切り──その合間を縫って、エルシオンが双剣を繰り出した。
攻撃直後の無防備な胴をふたたび突かれ、敵機の体勢が大きく崩れた。
「お、おのれ……っ!」
さすがの煉獄阿修羅も、動くたびに態勢を崩されては万全の威力での攻撃など放ちようがない。
さらに三度、四度。
煉獄阿修羅の行動を完全に読み切った冥は、相手の体勢を崩し、制しつつ、ふたたび部屋の中央まで自機を移動させた。
位置取りの不利は、完全に消えた。
とはいえ、まだ相手の攻撃を封じただけ。
こちらも相手に致命の一撃を与える方策は見つけられていない。
「さあ、ここからだ」
冥はモニターに映る敵機を見据えた。
本当の勝負は、まだこれからだった。
※
「目覚め始めたようだね、勇者様──」
魔王の居城──その最深部で、少年は笑った。
魔王だ。
冥とそっくりの顔。
目元を覆うゴーグルをゆっくりと外す。
冥とは違う、赤い双眸が爛々とした光を宿していた。
「さあ、もっと覚醒するんだ。たとえアッシュヴァルトと煉獄阿修羅でも、覚醒した君は止められない。力を見せてよ。僕を楽しませられるだけの力を──」
胸が疼く。
真の力を目覚めさせた勇者と、いずれ雌雄を決することができる予感が。
自身の存在意義を賭けて、冥と戦うことができる予兆が。
魔王を歓喜させていた。
「早くここまで上がってきなよ、竜ヶ崎冥。僕と戦うために」
玉座の後ろで、咆哮にも似た起動音が鳴る。
そこには、一体の龍王機のシルエットがあった。
魔王専用の機体は、来たるべき決戦の日に備えるように、赤いカメラアイを輝かせている──。