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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

お昼の供 ~昼飯時に読まない方がいい話~

作者: セキムラ
掲載日:2015/07/31

「ねえ、なんか面白い話……ないのかしらん」


 砂糖(フレッシュ)抜きの冷珈琲(れーこ)をストローでかき回しながら、安っぽい気泡が入った角氷とこれまた安物のアクリルガラスのグラスが奏でる音楽よりは楽しめる話が聞ければいい、その程度の期待を込めて後輩の顔を見やる。


「いや、先輩……急に言われましても」


 そこには目に見えて狼狽する四つ年下の男の子の顔があり、お冷のグラスに付着した結露もかくやというほどに汗だくになっていた。相手が中年のおじさんならその汗だけでも閉口してしまうところだが、後輩君はジュノンボーイだと言っても信じてしまうくらいの可愛らしい顔立ちをしている。彼の困った様子をもっと見たくて、「じゃあ、事前に言っておけば準備してきたわけ?」などと言おうかと思ってニヤッとした。


 まあ、面白いという基準は人それぞれだし、ジャンルによって得られる面白さの種類も違うわけだから、今までも人生を振り返ればだれでも一つくらい面白い話があると思うんだけど。

後輩君は「笑わさなければいけない」とでも思っているのだろう。私が黙っているのでさらに焦りを募らせ、必死で何かを考えている様子が手に取るようにわかる。社会人になって初めての夏を迎えた彼は、まだ自分の感情を素直に出せる初々しさを十二分に残しているのだ。


 日々の職務に忙殺され、行き交う人が皆病気に見える。いつしか世間を斜めに見ることしかできなくなり、気の利いたことを言う親切心すらなくしてしまった私の友人たちならきっと、「ない」と言って会話を打ち切るか、最悪黙ってスマホをいじくり始めることだろう。


 しかし彼らの言うことにも一理ある。先にも言ったように喜怒哀楽の感じ方は十人十色だ。私だって自分にとっては楽しくて仕方がないエピソードを面白おかしく語っても、「ふぅん」などと返されたら落ち込んでしまう。下手なことを話すよりも、スマホでネットの世界にアクセスした方が、アイスコーヒーを飲むよりは面白い記事に出会えるはずだし、そこから会話に繋がるかもしれない。


 コミュニケーションの取り方は時代と共に複雑化の一途を辿っているが、システムの進化によってそれはマスクされ、利用者にとってはひどく簡便なものになっている。誰でもいつでもどこででも、誰かと繋がれる。くっつくのも離れるのも自由自在、別人に成りすますのも、怪人二十面相を気取るのも簡単な事らしい。世界は秒単位で変化していく。


 他人とお友達になるのも、その“友達リスト”から削除するのもワンタッチだ。思春期に「絶交よ!」と面と向かって宣言した経験など今の若い世代の連中はないんじゃなかろうか。小さな画面を操作して、一言メールを送信するだけでそれは済む。その後いかに仲直りするかを考え悶々とし、翌日学校で顔を突き合わせたときのあの気まずさ。


 放課後に連絡を取り合う手段がないからこそ生まれる葛藤を、今の子たちは多分知らない。

 液晶画面のリストから名前が消えたらもうおしまい。

 光の速度でイジメの包囲網が広がる。


 まあ、私にしても注文した食事が届くまでの短い時間、後輩を楽しませてあげるだけの話術も持ち合わせていないのだ。なんでも時代のせいにするのは悪いくせだな。


「あ、あの……面白い、かどうかわからないんですけど」


 おずおずというかもじもじというか、こんな時代――ああ、また時代と言ってしまった――だからこそ、彼のような男が求められるのかもしれない。ベジータといえば、私の青春時代には強さと悪の象徴――誇り高き「俺様」だった。


 あ、いちおう言っておくが、私は男だ。そろそろ正体を明かさないと勘違いされそうだから言っておく。


 きちんと異性が好きで、晩のおかずにBLものを選んだりしないんだから。


「こないだ、外科の研修に行っている同期から聞いた話なんですけどね……」

 

 私が先を促すと、後輩君は腕時計をチラリと見ながら話し始めた。なんだ、この野郎。俺とお茶する時間がそんなに惜しいのか。


 いや、違う。病棟の患者さんの天敵の時間を気にしているんだな。


 うちみたいな小さな病院の当直なんて急患が来なければ暇なものだ。翌朝まで泊まり込んで待機していても、仕事のほとんどは入院患者のケアと明日の準備で日常業務の延長でしかない。私のように惰性で仕事をしている人間と違い、彼にとって一つ一つの業務が勉強であり、そうした姿勢で学んだ彼の手が未来の医療業界を担っていくのだ。


 私はテーブルに届いたナポリタンに大量のタバスコを振りかけながら目を細めた。昼飯を病院のレストランでケチってしまった。夕食は寿司でも奢ってやるとしよう。


「当直と交替になるギリギリの時間に、急患の受け入れ要請があったらしいんです」

「へえ」


 それは嫌な話だ。

 我が病院は夕方四時まで患者を受け付けてはいるが、午後の診療は緊急性のあるもの以外は予約のみ、としている。というのも、三キロほど北へ行けば国立大学の附属病院が居を構えているのだ。医師、スタッフ、ベッドの数どれをとっても比較にならない。


 彼らが診るのは命の危機が迫っているものたちで、私たちが診させていただくのは命に別条がなく、精いっぱい暴れたりごねたりする力を保っている割と「元気な」患者たちだ。


 もうすぐ帰れる――そんな希望に満ちた想いで時計の針を見ていただろう後輩君の同期の気持ちを慮りつつ、私は彼の話に耳を傾けた。

 タバスコ、もうちょい追加しよう。


 後輩君の同期――A先生は、その日外科のベテランB先生とペアを組んで外来診療にあたっていた。

 終業間際になって受け入れ要請があったのは「消化管出血の疑い」がある患者だった。消化管すなわち食道から胃、腸を経由する身長の四倍程度の管は口腔を入り口、肛門を出口とする。

 食事中に何の話を、と思うかもしれないが、私たちにとっては日常会話だ。昼食中に院内用PHSの着信に出れば、


「先生、畑中さんの下痢が朝から止まらなくて」

「そう。何回目?」

「もう七回です。腹痛は酷くないんですけど」

「うーん。どんな感じの? 色は?」

「あの、二階のソバ屋のカレー丼くらいです。粘性もちょうどあの感じで、未消化物は含まれてませんでした」

「おっけー。一応便培取ってね。あと便潜血もお願い。お昼食べたら見に行くから」

「はい、お願いします」


 などという会話が展開される可能性が常にあるのだ。これに不快感を覚えているようではこの仕事は務まらない。その時二階のソバ屋でカレー丼を食べていたのだとしても、私はなんら気にすることはない。

 そういうわけで、私は後輩君が身振り手振りを交えて話すことに再び注意を戻した。


 さて、消化管出血の疑いと言われ、まず我々が気にするのは下血か吐血かということだ。大学付属病院に回されなかった時点で、大量に出血して意識を失っていたり、吐いた血で窒息しかかっているような状態ではないことは明らかだ。


 彼が言うにはその患者はその日の昼から排便の度に鮮血が便に付着しており、夕方になっても止まらないために診察を「強く」希望されているとのことだった。


 鮮血とはすなわち新鮮な赤い血だ。出血部位が胃や十二指腸ではなく肛門に近い部分で起きていることを示す。数日前のものや胃の出血が便に反映される場合は黒色タール状の便となる。


 便に血液が付着する理由などいくらでもあるが、代表的なものは切れ痔、出血性のポリープや、重病を挙げれば癌だろう。

 性交渉が原因の場合もあるが、患者は七十歳の女性だというのでそれは除外されるべきだろう。もう一度言おう。「除外されるべき」だ。

 さて後輩君と同期のA先生と外科のベテランB先生の判断も私と相違ないものだったようだ。

 聞けば患者は長年大腸ポリープの経過観察でB先生にかかっているCさん(七十歳女性、個人情報ダダ漏れだが、休日の病院食堂には医師しかいない。ウェイターさえ耳を塞いでいれば、この程度の漏えいが問題になることはない)とのこと。むげに断るわけにもいかないし、A先生の勉強にもなるだろうと診察を承諾したのだった。


 救急隊が到着するやいなや、喚き散らす患者の声が病院の急患受付ホールに響き渡った。


 B先生の名を叫び、死ぬ、死ぬと繰り返す患者をなだめる役にはA先生がチャレンジした。


「Cさん、落ち着いて話をしてくださいね。まずお名前は――」マニュアル通り本人確認から入るA先生。


「さっきからCだって言っているじゃありませんか!? あたしはB先生が診てくれるっていうから来たんだ! B先生を出しなさい!」

「Bも後から参りますが、まずは問診に応じて頂かないと。最初に出血を自覚したのは――」


 A先生とCさんの押し問答ならぬ医療情報聴取が始まってから十五分。名前以外ほとんどわからない状態でB先生がやって来た。


「ああ、先生、助けてください。お尻から血が出るし、痛いんです! ポリープですか? 切らなきゃダメですか? あたしはもう、癌なんじゃないかって心配で……」

「まあまあ、Cさん。まずは調べてみないと」

「ああ、お願いします! はやく、はやくやってください!」

「うんうん。でもいきなり触るわけにもいかないでしょ。そこが原因だったら余計血が出てしまうから。まずはどのくらい血が減ってるのか知りたいから、採血しよう。採ったらCTね」

「そんな、あたしは先生に触ってもらえると思って来たのに! ああ、もう早く触って確かめてくださいよ! あたし、先生の指しか嫌ですからね!?」


 A先生はCさんにキッ! と音でも出そうな勢いで睨まれて、慌てて嵌めていたグローブとキシロカイン(表面麻酔薬入り)ゼリーを放り出したそうだ。




「以上、ですけど……」


 語り終わった後輩君は上目使いに私を見ていた。


「うん? ああ、そう」


 ナポリタンを食べ終えた私は、ピリピリとした唇の痛みで生きていることを実感しながら頷いた。


「それで、けっきょくその人は何の病気だったわけ」


 肛門の痛みと出血を伴うなんて痔だろうが、私は消化器、肛門は専門外だ。後学のために話のオチよりもB先生の診断に興味があった。


「いやそれが、刺激物の過剰摂取による粘膜反応だそうです」

「は?」

「二日前に激辛ラーメンを食べたんだそうです」

「あっ……そう」


 すいません。つまんない話でしたよね。

 後輩君はしょんぼりと俯いてしまった。

 話としては可もなく不可もなかったと思う。


「いや面白い話だったよ。お礼に晩御飯はお寿司でもとろう」

「え! ホントですか!?」

「ああ」

「やった! ごちそうさまです!」


 サンドイッチの残りを平らげながら、パッと顔を輝かせる後輩君。


 言っとくけど、お前は泪巻きオンリーだから。


 私はタバスコの瓶の蓋をきつく締め、店員さんにお冷のお替りを頼んだ。


 了


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