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90話 東の伯爵令嬢




「あの……!」

「お待ち下さい!」

「アルフレート様ですよね? ……シックザール侯爵家の」


 イルメラの背中を見送り、マナーの講座が開かれる教室に向かおうとしたところを知らない声に呼び止められた。


 ゆっくりと顔を上げると俺の姿を見下ろしている女の子が三人いた。

三人とも恐らく上級生だ。


「何でしょうか?」


 イルメラと別行動になるのが名残惜しくて、だいぶ教室の前での立ち話に時間を費やしてしまった俺は、あと休憩時間はどのくらい残っているだろうかと頭の隅で考えながら、俺を取り囲む少女たちに問いかけた。


 表面上は穏やかに。

けれど、貼り付けた笑顔の下で俺は表情を強ばらせていた。


 年頃の女性と接するのは地味にこれが初めてだ。


 もちろんイルメラに俺はぞっこんだけれど、年頃の娘さんと呼ぶにはかなり幼いし、カーヤさんはまだ十代後半くらいに見えるけれど、年齢不詳気味なので判断が難しい。


 その点、目の前の彼女らはどう見ても十代前半とわかりやすく思春期の女の子たちだった。


 問題は俺に掛けられた呪いだ。

女神だの、妖精だのといった単語をうっかり口走ってしまわないように俺は全神経を尖らせていた。

入学早々、変人として名を馳せるのは御免被りたい。


 可愛いねだとか、綺麗だねくらいの無難な誉め言葉は、前世でいうところの欧米風の文化圏のこの国では一般的な社交辞令として受け止めてもらえるが、天使だの、傾国の美姫だのはさすがにアウトらしい。


 生前と比べれば随分と変人認定基準が甘いのは俺にとって好都合だったが、ここで油断してはならない。


「あの、私、ハイデルベルク伯爵家のナターリエと申します」


 応じる俺の声に少女たちはきゃいきゃいと顔を見合わせながら、盛り上がっていた。


 どうもこういう女の子特有のテンションというかノリは苦手だ。

一対一でなく、友達を連れて乗り込んでくるのを好む意味が解らないと、悶々と考える俺に名乗ったのは真ん中に立つ女の子たっだ。


 赤みの強い金髪を綺麗に結わえられたナターリエというその子の容姿は、まあ可愛らしい部類に入るのだろう。


 両脇に控えている女の子たちは、栗毛の髪のつり目がちな子と、同じく栗毛の切れ長の瞳で、特に美人でも不美人でも無いいわゆる普通の子だから余計に整って見えるのだろうか?

十人に聞いたら、八人は可愛いと答える、そんな子だった。


「ハイデルベルク家といえば、確か東領の……?」

「まあ、覚えて下さっているのですね! 光栄ですわ!」


 名前を聞いた俺はう~んと首を捻りながら、確かめるように呟く。

それを聞いたナターリエさんは破顔すると、感極まったように叫んで俺の手を取ってきた。


「ええと、確か何代か前のご当主が魔石を摂取して魔力を回復する方法を発見なさったんじゃなかったかな?」

「まあ! アルフレート様はそのお年で大変博識でいらっしゃいますのね。そうですわ。私の曾曾曾お爺様が偶然にも発見致しまして、当時のアイゼンフート公爵様と皇王様に褒章を頂きましたの」


 至近距離にナターリエさんの顔が迫った事に俺は内心でもの凄くビビっていた。

というか、もはや急に手を掴まれた事にすら気後れをしていた。


 俺のイメージする貴族のご令嬢はもっとこうしっとりというか、動作が緩慢でのんびりしている感じなのに、ナターリエさんは急に飛びついてきたり、早口で捲くし立てたりと忙しい。


 随分と積極的だなあと思う。

パッと見の、わりと落ち着いた感じの小動物チックな可愛らしい容姿からは想像もつかないが、肉食系だ。


 それとも俺がまだ子供だから、恋愛対象外と見て気にしていないのだろうか?

……いや、それにしてはきゃいきゃいと仲間内で騒ぐ感じや、向けられた視線の印象がおかしい。


 俺が彼女の家名に覚えがあったのは、家で読み漁っていた本の中に出てきたからだ。

それは当時としては大発見で、東の大領主、そして当時のこの国のトップにして世界のトップでもある皇王から直々に表彰されたらしい。


 当時のここ、アイヒベルガー皇国は皇帝と国王を同じ人物が兼任し、名実共にこの国は大陸で一番の権力を有しており、今よりももっと栄えていた。

だが、ここ百年程の間に制度が変わり、皇帝と国王を分け、権威的には世界最高位ながらも皇帝は単なる象徴となり、政治には一切関与しない事になった。

実権を握り、政治を行うのは国王だ。


 その措置は一人の人物に権力と権威が集まり過ぎるのを恐れた為だ。

そして現在、皇帝位は空席となっている。


 それもまあ、今を生きる人にとっては実感などまるで無い話なわけで、従って彼女のご先祖様が世紀の大発見をしたのも、当時としてはかなりセンセーショナルなニュースながらも、今や少しでも魔法の心得がある者の間では常識であった。


 知識自体は常識であっても、天然の魔石は小さな粒でもものすごく高価なので、実践する機会のある人は限られてくるのだが。


 母上や俺がわりと気軽に魔石を作るから忘れられがちだが、人工的に魔石を形成出来る人間も国中を探しても両手で十分数えられる程しかいない。


 この辺りの事情は実は師匠、俺が見つけたあの魔導書の作者の思惑が深く絡んでおり、ハイデルベルク家が発見するよりも随分と前に師匠によって魔石による魔力回復方法も、魔石の生成技術も発見されていた。


 けれど、その両方の情報を手にした人間が悪用するのではと恐れ、両方の情報を隠蔽したのだ。

馬鹿な人間が、魔石を自分で過剰に摂取して己が身を滅ぼすだけならまだいい。

問題となるのは軍事的な利用だ。


 例えば魔石生成技術を国中に広め、大量生産し、それを魔法師に何度も投与したらどうなるか?

そんなものは想像するだけで恐ろしい。


 背景を知った後、母上がどうしてそんな超レアな情報を両方とも握っているのかと疑問に思ったのは言うまでもないが、訊いても母上は教えてくれなかった。

聞き出せないばかりか、『じゃあどうしてアルちゃんは知っているの?』と逆に訊ねられる始末だ。


 柔軟そうに見えて、信念の強い母上に口で勝てる気がしないので、その時の俺は早々に白旗を上げて降参し、逃げ出した。



「曾曾曾お爺様は我が一族の誇りですわ」


 そう言って微笑む彼女は言葉通り、鼻高々なといった様子だ。

何代も前の話の、それも会った事も無いご先祖様の話でそこまで盛り上がれるものなのだろうかと、俺には今ひとつ解せない。


「アルフレート様は魔石にご興味がおありなのですか?」

「ええ、まあ……」

「でしたら、一度我が家にお越しいただけませんか? アルフレート様にお越しいただけるなら父も母も喜びますわ」


 ハイデルベルクに来るようにとナターリエさんは俺を誘う。

その瞬間、彼女は女の子ではなく、女の顔をしていた。

完璧な角度で首を傾げ、腰を屈めて俺を下から上目遣いに見上げてくる。


 これに落ちない男はいないと確信しているのだろう。

だけど、俺は少しも心を動かされなかった。

同じ事をイルメラにされたら鼻血ものだけれど、目の前にいる彼女はイルメラではない。



「……アルトくん?」

「ああ、悪い。レオンを連れて先に行っててくれ」


 心配そうな顔をして俺の制服の袖を引くルーカスを振り返り、先に行くように告げると俺はナターリエさんに向き直る。

それをどう勘違いしたのか、彼女は笑みを深める。


「アルト様も大変ですわね。心中お察し致しますわ」

「まあ……」


 いかにも訳知り顔で、彼女は見当違いの事を言う。


「特にイルメラ様は、たまたま近い年頃の女の子が他にいないのを良い事に、ご自分がまるで女王様にでもなったかのように振る舞われて……。先程だって、アルト様がご好意で優しくして下さったのに、それを無碍にするだなんて」

「大事な友達の事を悪く言われるのは不愉快です。それに、私は貴女にその呼び名を許した覚えはありませんが?」


 丁寧な言葉は拒絶の証だ。

わらいさんざめく彼女の表情は、俺の目には酷く歪んで見えた。

大切なものを悪く言われるのは許せない。


 互いに相手の大事なものを大切に出来ない関係なんて、最初から終わっていると思う。

イルメラを貶された瞬間、自分でも驚く程に冷たい感情が俺の中に生まれた。


 俺の怒りを買うには十分過ぎる言葉だった。


「あ……あら、急にお声を掛けさせていただいたから、人見知りなされているのですわね。私も次の講義に遅れてしまいますので、当家へのご招待の件はまたの機会に致しましょう。それでは、ごきげんよう」


 色目を遣いながら媚びてくる言葉を一刀両断すると、ナターリエさんはさっと蒼褪める。

いや、彼女だけでは無く、彼女の両脇に控える二人も血相を変えていた。


 それでもナターリエさんはなかなかしつこい性格のようで、目を泳がせながらもまた来るとの旨の発言を残し、仲間の栗毛の子二人を連れて去っていった。




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