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73話 耳を擽る幸福




 目を覚ますと、いきなりどアップでイルメラちゃんの顔が見えた。

うわっと叫び掛けた俺はどうにか言葉を飲み込む。


 花のかんばせというのはこの事を言うのだろうか?

白磁の肌にはシミ一つ無く、目元には長い睫が影を落とし、薄く開かれた唇は化粧などまったくしていないというのに紅い。

惜しむらくは、瞼が閉じられていて意志の強い瞳が見えない事と、目の下が赤く腫れている事だ。


 指先に小さく魔力を灯すと俺は迷い無く呪文を唱えた。


「清廉なる禊ぎの水よ、彼の者の癒しとなれ」


 イルメラの目元を俺の魔力が覆うと、みるみるうちに腫れは引いていった。


「これでよし、と……」


 一人でうんうんと頷きながら、手当がうまくいった事に満足の声を洩らす。

万が一、痕が残ったら大変だからな。

泣き腫らしたくらいで大袈裟なと言われようが、ここは譲れない。


 起き抜けに得をした気分になって、よく眠っているイルメラの寝息をBGMに彼女の姿を自分の目に焼き付けながら、起こしてしまわないようにふふっと含み笑いをした。


 俺の傍にずっとついていて、体力的に限界が来たのだろう。

椅子に座ったまま、俺の横に上半身を投げ出して眠っている。

おかしな体勢で寝て、身体が痛くなってないかな?


 さて、十分にイルメラの可愛い寝顔と穏やかな時を堪能したところで、状況の確認をする事にした。


 確か俺はイルメラを連れて転位後、砂漠で気を失った筈だ。

それがこうして柔らかなベッドに横になっているという事は、その後誰かに救出されたのだろう。

それはいいとして、前に魔力を暴発させかけて昏倒した時よりだいぶ身体が軽い気がするのはどういう事だろう?

まさか数日寝過ごしてしまったのだろうか?


 部屋の中を見回すと、家具や調度品のデザインは古風ながら品良く纏まっている様子が見受けられた。

基調は落ち着いたワインレッド。


 シンボルカラーは赤、我が家や城のものに劣らぬ高価な調度品、西領とくればここがどこかという問いの答えは一つしかない。

ここはクラウゼヴィッツ家本邸だ。


 気を失う直前、ほとんど耳が聞こえなくなっていた筈の俺だが、イルメラの声を聞いた気がする。

あれはきっと念話だったのだろう。

イルメラが助けを呼んでくれたに違いない。


 あの時の彼女の泣き顔とその切羽詰まった懇願するような声は酷く印象的だった。

ついでに、何か重要な事を言われたような気がする。


 さてはて、何だっただろうか?

確か、起きてとか、目を開けてだとか言われた。

一人にするなとも言われた。

その後は……。


「んんっ……」


 思い出し掛けたところで隣から聞こえてきたくぐもった声に、俺は首を動かして振り向いた。


「ごめん、起こしちゃったね。おはよう」


 朝の挨拶を口にした俺は、当然いつものように『ごきげんよう』と返ってくるものと思っていた。

だが、イルメラはどうしたことか口をあわあわと開いたり閉じたりするのみで、いっこうに挨拶を返さない。

驚いたようにも、感極まったようにも見える。


「イルメラちゃん?」

「無事に、無事に目を覚まされたのですね……」

「うん。この通りほら」

「これは夢ではありませんわよね?」


 何度も確認するように俺に問うてくるイルメラの瞳は大きく見開かれ、熱く潤んでいる。

それを見てもしかして、と思った。


「もしかして、俺の事を心配してくれてるの?」

「そ、そんな訳ありませんわ! どうして私が貴方の心配など……」


 ふいと顔を逸らしながら彼女が口にする否定は、肯定の意味だ。

やばい、顔がにやける。


「ありがとう、イルメラちゃん。俺の心配をしてくれて」

「だから、それは違うと言って……!」

「夢じゃないよ。ほら、ね?」


 そっと手を伸ばしてイルメラの頬に触れると、燃えるように熱かった。

ついでに零れ落ちていた涙を人差し指で拭ってやる。


 そうだ、あの時俺はイルメラの涙を拭ってやれなくて後悔したんだ。

そしたらイルメラが俺に……。



「あーっ!」


 またも重要な記憶を思い出し掛けたところをイルメラの声が遮った。

俺の手を振り払う勢いで彼女はがばりとベッドサイドに立ち上がる。


 記憶の方も気になるが、仕方ない。

今は目の前のイルメラだな。


「どうしたの?」

「どうして? どうして頬の腫れが引いているのかしら? 昨夜はあんなにひりひりと痛んでいたのに……」

「ああ、俺が治療したんだ。痛そうだったから」


 酷く取り乱した様子で自分の頬や目元にパタパタと触れるイルメラに、事の顛末を正直に話してそれがどうしたのと問えば、彼女はまたも顔色を変えた。


「ダメよ! 絶対ダメ! 貴方はしばらく魔法を使ってはダメなのっ!」


 猛反対だった。


「どうして? 傷は治しておいた方がいいだろう?」

「貴方は魔法を使い過ぎて倒れたのよ!? お医者様だって、最低三日は大人しくしているようにと仰っていたわ!」

「大丈夫だよ。確かにちょっと身体はだるいけど」

「だからダメと言ったらダメなの。お医者様が許しても、私が許さないんだからっ」


 腰に手を当て、反対の腕をびしっと前に突き出してイルメラは俺を指差す。

どうやら俺は叱られたようだ。


 イルメラは真面目に俺を心配してくれているのだ。

ここはこちらも謹厳実直に応えるべきだ。

だというのに俺の表情筋は、にへらと残念な表情を形作る。

謹厳どころか、非常に締まりの無い笑顔だ。


 だって好きな子に身体の事を心配されたら、舞い上がるのも無理ないよね?


 この可愛い子をどうしてくれようか?

俺が何も言わないものだから、イルメラは決めポーズのまま固まる事を強いられている。

よく見ると体勢の維持が難しいようで、ほっそりとした腕がプルプルと小刻みに震えているのがまた、生まれたばかりの小鹿のように思えて可愛い。


 今すぐベッドから飛び上がって抱きしめてやりたい。

もちろんいやらしい意味ではなく、だ。

だけどそれをやるとイルメラは怒るかな?

怒るよね。


 じゃあ抱き締めるのはもう少し大きくなってからにするとして、せめて頭を撫でるのはダメだろうか?


 何も言わずに物欲しげな目で見つめるとイルメラはたじろぎ、後ずさった。

その拍子にイルメラの手から何かが零れ落ちる。

キラリと一瞬光ったように見えたそれは、俺の胸元に飛び込んできた。


「あっ……」


 人差し指だけ突き出した形で握っていた手を開き、前傾姿勢になってそれの軌道をなぞったイルメラはすぐに拾おうとした。

だけど彼女の指先が届く前に俺が拾い上げる。


「これって……。俺が贈ったブローチだよね?」


 俺がそう呟くと同時にイルメラはさっと顔を曇らせた。

見られてはまずいものを見られてしまったという態度だ。


 首を傾げて手の中のブローチに視線を落とすと、すぐに原因は見つかった。


「花の部分が欠けているね」

「それは……その、うっかり落としてしまったのですわ……」

「そうなの?」

「ええ。取り外す時にうっかりと……」


 つっかえながら早口でイルメラは言う。

それに冷静に切り返せば、彼女はさらに困ったように眉根を寄せた。


「……それは嘘だよね?」


 俺の言葉にイルメラは何も答えない。

しない否定は肯定と同じだ。


 最初は壊してしまったのが言い出しにくくて動揺しているのかと思ったけれど、どうもそれにしては俺にバレた後の様子がおかしい。

本当に知られたくなくて隠しているのはブローチが壊れた事では無く、どうやら壊れた原因のようだ。


 口に含むと飴玉のようにゆっくりと溶けていく魔石だが、石と名に付くだけあってそこそこ硬度は高い。

それにあのブローチの魔石はそこらの魔石よりは頑丈に出来ているから、子供の身長の高さから落としたくらいではこんなふうに破損するなんてあり得ない。

壊れるとしたら、誰かが魔力の結束を解きながらわざと壊した、とか?


「……誰かに壊されたの?」

「いいえ」


 他に言いにくい理由が思い当たらなくて、確認するもイルメラは左右に首を振る。


 別に壊れてしまった事を責めるつもりは無い。

言いたくなさそうな雰囲気を汲み取ってそれ以上追及するのはよそうかとも考えたが、どうしてもイルメラの様子が気になった。


「いったいどうして?」

「私が……、私が自分で壊したの」


 ついに観念したように胸の内に秘めていた事実を述べるイルメラに、俺は我が耳を疑った。


「イルメラちゃんが、自分で?」


 これ以上は無いというくらいに目を見開いて、手元の壊れたブローチとイルメラの顔とを交互に見比べる。

鳩が豆鉄砲をくらったように、今の俺は相当間抜けな顔をしている事だろう。

まさかまさかの事実であった。


 これまでのイルメラの行動を見る限り、彼女はこのブローチをとても気に入ってくれていた筈だ。

こうして今、ここにこれがあるという事は常に肌身離さずお守りのように持っていてくれたという事で、その点からも彼女が大切にしてくれていたのが窺える。


 それならどうして彼女は自らの手でこれを壊したのだろう?

何かよほどの事情があったに違いない。


 そういえば欠けた方の破片が見当たらないな。

それだけでも、食べればそれなりに魔力を回復出来た筈……。


「あ……」


 そこまで考えてようやく気付いた俺は間の抜けた声を出した。

目覚めた時、あれだけ派手に卒倒した割には平気なものだなと思った。

前の時よりも身体が軽い気がしたのだ。

あれはつまり……。


「もしかして、俺の為に……?」

「べ、別に貴方の為なんかじゃないんだから!」


 バツが悪くなったイルメラがツンと顔を逸らす。


 どうやら、俺が魔力を枯渇させて気絶し、いつまで経っても目を覚まさないものだから、心配した彼女は泣く泣く自分の大事なブローチを自らの手で破壊し、破片を俺に食べさせた、で間違い無いらしい。

イルメラは俺が気に病まないで済むように、黙っていようとしてくれたのだ。


「ごめんね、イルメラちゃん」


 心配をかけた事、結果として彼女に苦渋の選択を強いてしまった事、そしてそれを察する事が出来ずにしつこく訊ねるなんて無粋な真似をしてしまった事を謝る。


「謝って欲しいわけじゃないわ……」

「うん、でもごめん。それから、ありがとう」


 いつも強がる彼女の声に湿り気が混じる。

ゆっくりと起き上がって手を伸ばし、彼女が嫌がっていない事を確認すると小さな身体をそっと抱き寄せた。

じっとしたままのイルメラのうなじ辺りで深く息を吸い込むと、子供特有の甘い匂いに混じって花のような香りがする。


「本当はすぐにでも直してあげたいんだけど……」

「それはダメ、ですわ」

「うん。だから早く元気になる。早く元気になって絶対に直すから」


 もっと綺麗な新しい物を、と言わないのはすでにこのブローチに思い入れが出来てしまっているからだ。

大人になってきっと懐かしく思うであろう思い出の中に、このブローチはある。


「絶対、ですわよ?」

「うん、約束するよ」


 間近に聞こえる愛しい声に耳元を擽られて、俺は暫し幸福に酔いしれる。

手中の青いブローチをそっと握りしめながら、イルメラも同じように感じてくれていたらいいなと思った。




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