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56話 北領へ行こう!




 時は夏真っ盛り。


「ねえ、本当に大丈夫かな?」

「大丈夫だよ」

「本当?」

「本当だよ」


 幾度となく念押しするように尋ねてくるルーカスに、俺はもう何度目か分からない返事をした。

それでも心配なのか、ルーカスは白い眉をぎゅっと寄せて、俺の服の裾を握り込んでいる。


 ルーカスが不安がっているもの。

それは空間転位だった。


 真夏の避暑地といえば日本では北海道あたりを思い浮かべるだろうが、ここアイヒベルガー皇国では北領がそれにあたる。

今回俺とルーカス、それにブロックマイアー公爵はその北領の、ヘルゲン高原まで俺の転位魔法で跳躍する事になったのだ。


 通常、転位魔法を使うには色々条件があるが、せっかく使えるようになった魔法なのだから時間短縮の為にもガンガン使っていこうという訳だ。

最初のうちは授業の一環で鬼ごっこをしていた時に、近距離の転位を繰り返す事で訓練していた。

その回数たるや千に及ぶ。


 感覚を掴めないうちは何度かとんでもない場所に転位してしまったが、五百回も越えるとよく知っている場所限定ではあるものの、数センチ単位で座標指定が可能となった。

ただ遊ばせているようで実は授業の内容はよく考えられていて、跳べなければ捕まってしまうというスリルも集中力を高めるのに一役買った。

転位魔法を自在に使えるようになってからの俺は、鬼ごっこでは無敗を誇っている。



「ははっ、ルークは心配性だな」


 怖がる息子の横でブロックマイアー公爵は朗らかに笑んでいた。

現在の彼は、二年ほど前まで疎んでいたのが嘘のように息子を溺愛している。

……いや、溺愛しているのは息子と娘か。


 もともと好奇心旺盛で子供のようなところのあるブロックマイアー公爵は初めての経験に胸を躍らせていた。

空間転位自体は魔法陣で経験済みだそうだが、生身の人に跳ばしてもらうのは初めてだそうだ。

それだけ転位魔法は使い手が少ないのだ。


 光系統の適正者がそもそも少ない上に、そこに属する転位魔法を使えるだけの魔力を保有し、かつ制御する技術のある人がなかなかいない。

その証拠に、レオンは光系統の適正者でそれなりの魔力を保有しているが、少なくとも現時点では転位魔法は使えない。

さらに魔力消費が激しいので滅多な事では誰も使いたがらないのが普通だった。

僅かな段差でも跳び越えるかのように気軽に使えるのは、規格外の魔力を持つ人間、つまり母上や俺みたいな人間に限られる。


「だって怖いんだもん……」

「まずは公爵からですね」

「悪いね、こちらの事情でアルトくんに無理をさせてしまって」

「豆腐屋の件で随分助けていただきましたから。それに、これから一週間あちらでお世話になるのでこのくらいは」


 怯えた様子のルーカスを気遣って、何も怖い事はないと示す為にまずは公爵と一緒にあちらへ転位する事にした。

それから俺一人でこちらに戻ってきて、ルーカスと共にもう一度北領に跳ぶ。

質量・物量的には一度に三人で跳ぶ事も可能だし、そちらの方が効率的なのにわざわざ二度に分けて跳ぶのは、何かあった時の事を考えて、だ。


 転位魔法を使う上で一番無防備になるのは、目的地に到着したその瞬間だ。

もし、転位先が運悪く事件の渦中だった場合、三人同時に跳んでしまえばブロックマイアー親子二代の命が危険に晒されてしまう。

それを避ける為、何かあっても血を途絶えさせない為にリスクを分散させ、親子が別々に移動するというのは古くからの慣習だった。


 まあ、自分以外の人間も一緒に転位させる事の出来る人がそもそも少ないので専らこの慣習は馬車などの乗り物に乗る際に適用されるらしいが。


 いったんルーカスに手を離してもらい、公爵の手に触れる。

身体的接触が絶対的な条件ではないけれど、その方がイメージしやすいので誰かを一緒に転位させる時にはいつもそうしている。


「孤高なる光よ、我をかの地へ運び給え!」


 言い終わると視界がぐにゃりと歪む。

しかしすぐにそれは回復して、のどかな草原地帯に俺と公爵は立っていた。

草の匂いがする。


「お帰りなさいませ、旦那様」


 今日ここに来る事は通信用の魔道具を使って事前に知らせてあったので、待機していたブロックマイアー家の使用人が駆け寄ってくる。


「問題なく転位出来たようだね、さすが我が家の恩人だ」

「いえ。じゃあルーカスくんを連れてきます」


 絶賛されて照れくさいのもあり、キョロキョロとあたりを見回す公爵を使用人さんに任せて、俺は続けざまに転位した。


「アルトくんっ!」

「うわっ……!」


 戻った瞬間、俺はバランスを崩して盛大に転んだ。

転位座標の指定に失敗したのではない、ルーカスが飛びついてきたのだ。


「父上は? 無事に向こうについた?」

「うん、大丈夫だよ」


 開口一番に尋ねるのは父親である公爵の事。

父子の溝はしっかりと埋まっているようだ。


 そわそわと落ち着かない様子ながらも、賢明に恐怖を抑えようとするルーカスに対して俺はゆっくりと言い聞かせるように語った。



「いいか、ルーカス。三つ数えたらもう北領のお家だからな」

「うん……」

「怖いなら俺が開けて大丈夫だと言うまで目を瞑っていればいい」

「そうする」

「まずは大きく息を吸ってー……吐いてー……。いくぞ。いちっ、にいっ、さんっ!」


 三度みたび呪文を唱えたと同時に、俺の手を握るルーカスの小さな手にぎゅっと力が込められたのを感じた。



「ルーカス、もう目を開けてもいいよ」


 今度も問題なく転位が完了したのを確認して合図をすると、ルーカスはおそるおそるといった様子でゆっくりと瞼を持ち上げた。

その間も俺の手は痺れるくらいにしっかりと握られたままだ。


「牛さんだ!」


 二、三度ぱちくりと瞬きを繰り返したルーカスは無事北領に着いたと理解するや否や叫んだ。

さっきまでの不安や疑心といった感情が抜け落ちている。


「あっちに馬もいるぞ」

「うん! すごい、アルトくんは天才だね」


 繋いでいるのとは反対側の手で、遠くに見える牛やら馬やら羊の方を指差して俺の方を振り向いたり、前を向いたりして忙しい。

目がキラキラと輝いていて、今にも駆け出しそうだ。

ルーカスがこんなに落ち着きがないのは珍しい。

魔法教室のメンバーなら、そういうのはお城に置いてきたレオンの専売特許だろう。

ルーカスはどうやら俺と同じで動物が好きらしい。


 今回俺が北領のブロックマイアー家本邸にお邪魔するのも、それが目的だった。

北領といえば、農耕・牧畜が盛んだ。

ここはまさに動物パラダイスである。


「コラコラ、外に出たらすぐに帽子を被る約束だろう?」


 息子の様子に苦笑しながら公爵は俺とルーカスの二人に鍔広の帽子を差し出した。


「すみません、忘れてました」

「ごめんなさい……」


 叱られちゃったと舌を出しながら、受け取ったそれをもぞもぞと被る。

お揃いだ。


 俺は少しの間くらいならどうという事は無いが、アルビノであるルーカスは日射しに弱い。

吸血鬼みたいにすぐに失神したり、煤のようになったりはしないけれど、長時間日光の直接晒されれば具合が悪くなったり、皮膚が火傷をしたように熱をもって真っ赤になったりする。


 それはもともと内向的でインドア派だったルーカスをよりいっそう内に篭もらせた要因でもあった。

今度日焼け止めのようなものは無いのか、眼鏡の兄弟に聞いてみようかな。


「お屋敷までまだ少しありますので、お車をご用意しております。こちらへどうぞ」


 迎えに来た使用人さんの案内に従って、俺たちは馬車に乗り込んだ。



「お帰りなさいませ」


 馬車に揺られる事、十分。

到着したブロックマイアー公爵家本邸に一歩足を踏み入れると、たくさんの声に出迎えられた。


 ずらっと玄関ホールに並ぶメイドさんや執事さん。

見れば正面階段の横の、中二階のようになっている場所にも手すりに沿うようにメイドさんたちが並んでいた。

ざっと見積もっても百人近くいる。


 人見知りしがちのルーカスは驚いたようで、自分の家だというのにそっと後ずさって俺と公爵の後ろに隠れてしまった。


「ハハッ、ルークはどうやら少し緊張しているようだな」


 自分の足下でくっつき虫をしている息子を公爵は笑いながら見下ろしている。

心温まる親子の姿を見てあの頃の小さな若様が、と涙ぐむ声がどこからか聞こえてきた。


「ルーク、ここはお前が生まれた家だよ」

「ここが……?」


 公爵の言葉にルーカスは首を捻る。

あちらこちらに視線を這わせるも、見覚えが無いようだ。


「覚えていなくても無理は無いか」


 ゲームの設定にもあったが、公爵の話によるとルーカスが一歳になって間も無い頃に王城の別邸に仕事の都合で転居したらしい。

病弱な身体に馬車での長旅は堪えるというのもあって、それ以降ルーカスは本邸を訪れた事は無かった。


 今ではすっかり、別邸の方を自分の家として認識しているようだ。

領地の自分の家に行くというのは事前に聞かされていたものの、馴染みの無い顔ぶれ、馴染みの無い建物に後込みしてしまっている。



「シックザールの若君もようこそお越し下さいました。本邸にて使用人頭を務めております、ドミニクと申します。道中は当家の都合で大変なご面倒をお掛けしたようで……」


 公爵とルーカスのやりとりを微笑ましく眺めていると、一人の男性が近付いてきた。

白髪まじりの頭の高齢のその男性はドミニクさんと言って、この家で使用人たちを取り仕切っているらしい。

公爵から話が通っているようで、ここに来るまでに面倒を掛けてしまったと丁寧に謝罪をしてきた。


「ううん、結界は家を守る大事なものだからね。仕方ないよ。それより頭を上げて、ドミニクさん」


 『爺や』なんて呼ばれるのが似合いそうなご老人に頭を下げさせるなんて気が引ける。

彼が謝罪しているのは、転位の二度手間の事だけでは無く、転位先からの馬車での移動の事も含めてだろうと解釈した俺は慌てて胸の前で手を振った。


 転位魔法の欠点に、結界内部への外部からの転位が出来ないというものがある。

また、結界の内側から外側への転位も出来ない。


 それゆえ、今回は結界の張られている邸から少し離れた場所、結界の外をわざわざ選んで転位し、そこから馬車で邸まで移動しなければならなかった。


 しかし、この結界は外部からの敵の侵入を防ぐ為の大事な仕掛けだ。

たとえ今現在、転位魔法の使い手が少なくてその危険性が低いとはいえ、ゼロではない。

それに旧家というのは、ことさら古い慣習を気にするものだ。

先祖代々守られてきた結界とあっては、ぞんざいな扱いは出来ない。


「ご配慮、傷み入ります。私のことはドミニクさんではなく、どうぞドミニクとお呼びつけ下さい」

「わかりました、ドミニクさん」

「ドミニクにございます」

「ドミニク……爺やで」

「爺やにございますか……ふむ。では、今後は爺やとお呼び下さいませ。若様は良きご友人を得られたようですな」


 使用人頭の年を重ねた笑顔に何となく有無を言わさぬ雰囲気を感じた俺は、し崩しのように彼を爺やと親しみを込めて呼ぶ事になった。

怖くないのに逆らえないのは何故だ……?


「自分の家と思ってくれていいからね」

「はい」


 相変わらず足元にルーカスをくっつけたままの公爵に微笑まれて、俺は神妙に頷いたのだった。




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