52話 蜂蜜色
次第に暑さを増してきた午後。
「じゃあ休憩に行ってくるね」
「お気をつけて」
ゴーロらにひと声掛けると背中見送られ、カーヤさんと共に屋台を離れた。
全員でワイワイというシチュエーションにも胸が踊るけれど、なかなかそういう訳にもいかないので、こうして交代で休憩を取っている。
俺はこの時間を数日前から待ちわびていた。
お昼時を中心に街には色んな出店が溢れている。
街を見て回ったのは新年祭の時以来。
屋台で買い食いに至ってはこっちで生まれてから初めてだ。
「カーヤさん、あっち!」
「はい、アルト様」
はしゃぐ俺の横でカーヤさんは上機嫌に微笑んでいる。
はぐれないように手はしっかりと繋がれていた。
屋台の食べ物でランチを提案した当初、カーヤさんに危ないからともの凄く反対された。
人混みではぐれる危険性、誘拐される可能性。
食べ物が口に合わなかったら?
外出中のお目付役を父上と母上から任命された彼女が切々と語るそれらに一つひとつ対策を述べていき、最後はこれも豆腐屋の繁盛の為だと説得した。
敵情視察というやつである。
そうしてカーヤさんと手を繋ぐ事を条件にようやく許可をもらったのだった。
「何になさいますか?」
俺に訊ねるカーヤさんはお店をやっている時は何だか疲れているように見えたけれど、休憩時間になって急に元気になったように思う。
休憩って大事だよね。
改めて見回すと、美味しそうな料理がたくさん並んでいた。
腸詰めのお肉やバケットサンド、キラキラとした宝石のような砂糖菓子など様々だ。
どれを食べるか迷うな。
子供の俺はそんなにたくさんは食べられない。
だからこそ厳選しないといけないのだが、実際に選ぼうとするとこれがなかなか目移りして決められない。
あっちへフラフラ、こっちへフラフラと店先を冷やかすように移動しているとどこからか食欲をそそる芳ばしい香りが漂ってきた。
「いらっしゃいませ」
引き寄せられるように匂いのする方へと移動すると、串焼きのお店へと行き当たった。
匂いの正体はこれかと、お肉にかかっているソースを見つめる。
「うちの串焼きは南領産のフルーツをたっぷり使ったソースがかかっているからね。甘辛くて美味しいよ」
棒立ちのようになって、お店の前で立ちすくんでいると店主のおばさんが説明してくれた。
じゅるり。
非常に生々しい音がしたが、気に止める余裕すら腹ぺこ男児には無い。
レオンではないけれど、涎が出そうになるのは必定だった。
溢さなかったので許してほしい。
「串焼き二本ください」
「はいよ」
慎重にと言っているそばから衝動買いをしてしまった。
だけどこれもソースの研究の内だと、誰に言うでもない言い訳を頭の中で並べ立てる。
「カーヤさんのも勝手に買っちゃったけど良かった?」
「ええ。苦手なものは特にございませんので」
繋いでいるのとは反対側の手で串焼きを持ってほくほく顔でお伺いを立てると、太陽をバックに背負った満面の笑顔で返された。
いつもメイド服にヘッドドレスなのに、今日は豆腐屋のお揃いの制服を着ているから、その姿が俺の目には珍しくうつる。
「カーヤさんってこういうところによく来るの?」
「そうですね……。そう頻繁ではありませんが、たまに来ますよ?」
「じゃあ、オススメとかある?」
好き嫌いがないと聞いて軽く目を見張りつつ訊ねると、カーヤさんは少し考えるそぶりを見せた。
「一番人気はやっぱりバケッドサンドでしょうか? 間に挟む具が色々選べるんですよ。それからデザートは個人的にはあそこのお店のカットフルーツがオススメです。南領の新鮮なフルーツですので、アルト様もきっとお気に召されると思います」
ややあって返された答えはカーヤさんにしては珍しく、個人の考えを交えたものだった。
いつもはトレンドだとか、どこで調べたのかデータを元に回答してくれるのだ。
統計データでも何処からか引っ張ってきたのかな。
「カーヤさんって、フルーツ好きなの?」
そう聞き返しながら、今までカーヤさんの趣味だとか嗜好の話をあまり聞いた事がなかった事に気付いた。
俺とした事が不覚だ。
自分の話ばかりするなんて、女の人に嫌われる男の言動の典型じゃないか。
何をやっていたんだ、俺は。
「ええ、好きですよ。私は南領出身ですので、フルーツを口にすると何だか懐かしい感じがするんです」
「じゃあ、カットフルーツは外せないね」
「はい」
南領の特産は魚とフルーツ。
だからフルーツを食べると故郷を思い出すって事か。
ここ、シックザール領は国の中央部に位置している為、東西南北全ての特産品が集まる。
それでも辺境の地方の食べ物となるとなかなか出回らないし、南領沿岸部の魚とて特殊な魔法技術を使わないと生は厳しいけれど。
そもそもうちの領地には魚の生食文化がないらしく、わざわざ生魚を持ち込む人は皆無だった。
刺身への道は険しいようだ。
こんなところでカーヤさん情報が聞けて何だか得した気分になった俺は、意気揚々と果物屋さんに突撃した。
お腹も膨れて、後半戦。
「きゃー、なんて可愛いの!」
「紺色の髪と金色の瞳が神秘的だわ」
「ウチの子にしたい!」
高く青い空の下で俺は相変わらず女性たちの相手をしていた。
そう言うと俺が女たらしみたいに聞こえるけれど、実際は違う。
女性とは皆繊細で傷つきやすいものだと、前世で刷り込み教育されてきた俺は、並み居る女性たちの魔手をすんでのところで躱すので精一杯だ。
本来なら、俺は領主の息子にして侯爵子息だから、一般市民がこんなに気安く触れられるような存在ではないが、お店をする都合上、そして俺自身の身の安全を考えて身分を隠していた。
さいわい、社交界デビュー前の俺の顔は貴族にもあまり知られていない。
身分を声高に叫んでガチガチに守りを固めるというのも一つの手ではあるけれど、それはここぞという場面でこそするべき事だと思う。
この状況ならば、一般人のふりをする方が得策だろう。
自ら正式に名乗ったりしなければ俺の顔を見て、アルフレート・シックザールだと判る人は皆無に等しい。
逆に言えば今、害意を持って近づいてくる者が居たならばそれは身内の仕業か、『シナリオ』を知る者である可能性が高い。
勿論、自ら囮のような真似をするつもりは無いが、まず大丈夫だろうと踏んでいた。
姿は見えないけれど、ずっとこちらを見守っている人がいるのを魔力の気配で知覚している。
敵意や害意、殺気を感じないのでおそらく、父上の手の者だろう。
母上関連だったらもっと完璧に魔力を遮断している筈だから、多分その線は無い。
最初の説得が大変だった割には、その後全く口を挟んで来ないと思ったら、父上は陰ながら応援という名の監視をしてくれているようで、内密に護衛を寄越して来ているみたいだ。
母上が頼んだのか、父上の独断専行か知らないがフランクに判りやすく心配しているとは言ってくれない時点で父上は捻くれ者だと思った。
捻くれていなければ一国の宰相なんて勤まらないのかもしれないが。
初めて父上の親らしい面を見て、こそばゆい思いをしたけれど、一応感謝しておこうと思う。
その他、どこまで役に立つのかは未知数のお守りもとい、家宝の腕輪が袖の下にあった。
これについては外れないのでいつも一緒だ。
ふと額にうっすらと浮かぶ汗を拭って、何を見るとは無しに顔を上げた。
お昼時を過ぎたからか、だいぶ人波がまばらになっている。
そこに目がいったのは偶然だった。
ちょうど日が陰る中、向かいの焼き菓子店の前に白いフードを目深に被った子供が一人佇んでいる。
最初は、ただ背丈から自分と同じくらいの年頃の子供がいるなぁとぼんやりとした感想を抱いただけだった。
けれど俺はすぐに異様な雰囲気を感じ取り、目が離せなくなる。
雑踏の中でそこだけ、その子供の周りだけ極端に人が少ない。
あちらこちらから俺に呼びかける女性客の声が遠いものに思えた。
全神経を視覚に注ぎ込むようにして、フードの子の一挙手一投足をも見逃してなるものかともの凄い集中力で見つめている。
その子は通りの先を見ているようで横顔、しかもフードに遮られて鼻の辺りと口元しか見えない。
きっちり結ばれた小さな口元が僅かに緩んだと思った時だった。
風が吹く。
音もなくやってきたそれは、白いフードの布地を揺らした。
「……っ!!」
その向こう側からちらりと、蜂蜜色の髪が顔を覗かせた。