37話 黒vs.金
「実は失くしものをしたんスよ」
「それがキーファの大事なもので」
俺に問い詰められた三人衆は、信じてもらえるかどうか判らないが、と前置きをして語り始めた。
キーファというと、三人の中では比較的穏やかな性格の、細身の男だ。
彼の長い黒髪は後ろで無造作に束ねられているが、伸ばしたのではなく、放っておいたら伸びましたという、いかにもだらしなげな印象だ。
だがよく見ると切れ長の細い目や鼻筋は涼やかで、意外にも整った顔立ちをしているのが判る。
目付きの悪いヘビ顔系のイケメンだ。
土埃やら何やらで薄汚れていて、大減点だけれども。
「大事なもの?」
いったい何だろうかと首を傾げながら、先を促す。
見つかったら、また女王様が降臨するのを覚悟で忍び込んでいたのだから、よほど大切なものなのだろう。
「俺は別にいいと言ったんですけどね」
「良くねえだろうがよ!」
「あれが無いとお前、困るだろうが!」
落とした本人より、他の二人の方が冷静さを欠いているのは性格の差だろうか。
ゴーロとツァハリスが声を荒げるのを、キーファが何処か他人事のように宥めている。
無いと困るもの。
財布……はこいつらのは酒代ですっからかんだろうし、何だろう?
「ええい、じれったい! 勿体ぶるで無いぞ」
そこまで黙って聞いていたレオンが痺れを切らせて、三人衆を急かす。
気の短さではレオンとゴーロはいい勝負かもしれない。
「眼鏡だよ」
失くし物の正体を明らかにしたのは、ゴーロだった。
はて、眼鏡か。
最初に見かけた時、カーヤさんに縛り上げ、叱り飛ばし、吊し上げられていた時から既に掛けていなかったように思うが……。
「こいつ、すげえ目が悪いから今も見えてないんだぜ」
「今朝気が付いたら、世界が滲んでいた」
「いや、滲んでいるのは世界じゃなくて、貴方の視界だから! っていうか、もっと早く気付こうよ!」
さらっと天変地異でも起きたかのように言うキーファに俺は突っ込まずにはいられなかった。
そこだけ聞いたらまるで壮大なファンタジーの主人公のようだが、相手は目付きと視力の悪い、ただのごろつきだ。
がっくりと来るものがあったが、これで謎が解けたと俺は喜ぶべきなのだろうか?
いくら何でも、大人三人が揃いも揃って間抜け過ぎると思っていた。
頭隠して尻隠さずだなんて、普通はまずやらかさない。
中でもまともに話が出来て、理解力がある印象だったごろつきCもとい、キーファまでもが何故と疑問に思っていた。
またとんでもないドジッ子属性なのだろうかと考えていた矢先にこれである。
何の事は無い。
彼には見えていなかったのだ。
目付きが悪いのは目を凝らしているせいだ。
「これは何本だ?」
「一本」
「なんだ、見えているではないか!」
「目の前なら本数はわかるんだ、ぼやけるだけで」
自分の指を立ててキーファに本数を聞いたレオンは、三本とか四本とか答えるのを期待していたのか、酷く憤慨した。
嘘つき呼ばわりされたキーファは困った顔をしている。
いや、さっきは本当に嘘をついていたんだけどな。
「昨日の夜には既に無かったよね?」
「薄らぼんやりした視界も楽しいよ」
駄目だ、この人は変な人だ。
薄らぼんやりって……。
そこは普通、見えなくて不安になるところじゃないのか?
彼は不安がるどころか、境界線の曖昧な世界の神秘と素晴らしさを俺に切々と説いてくる。
芸術家気質なのだろうか?
あいにくと高尚な芸術論は俺には理解出来ないので、サクッと無視する事にする。
自然物と人の融合だとか言われても、疑問符しか浮かばないからな。
本人がこの調子でマイペースなので、諦めて他の二人に目を向けた。
「この調子で何度か失くしているんだ」
「それ本当に大事なものなの?」
「俺も詳しくは知らないんスけど、キーファはこう見えてもともと金持ちの家の出なんスよ。眼鏡はその頃からの持ち物で、新しく買い替えたくても、今の俺達には手が出ねえぜ」
ツァハリスによるとこの世界の眼鏡は相当高価なものらしい。
それこそ、眼鏡一つで自分達が優に数ヵ月は暮らしていける価値があるそうだ。
そんな高級品をごろつきが持っているのは誰の目にも違和感しかないようで、盗品扱いを受けたり、眼鏡欲しさに他のごろつき集団に襲撃された事も一度や二度じゃないらしい。
恐ろしいな、眼鏡。
当の本人が頭を掻きながら舌を出している時点で悲壮感の欠片も無いが。
いつの間にか演説は終わっていたようだ。
眼鏡キャラというと何となく秀才だとか、腹黒だとかを想像するけれど、キーファはよく判らない。
いや、現実に眼鏡を掛けている全人類が腹黒だったら、渡る世間は鬼ばかりで嫌だけれど。
俺の知り合いで他に眼鏡を掛けている人というと、ゲオルグさんがいるが、あの人は秀才そのものだと思う。
「うん、事情は分かった。じゃあ一緒に探そうか」
「いいんスか!?」
「放っておけないからね」
放置して、カーヤさんにまた見つかりでもしたら今度こそ酷い目に遭うかもしれない。
さすがにそれは目覚めが悪い。
「ありがとうございやす!」
三人衆の声がハモった。
「アルトはあっちだぞ?」
完璧なタイミングで三人揃ってお辞儀をしたのにもかかわらず、本気で見えていないらしいキーファが一人、見当違いな方向に頭を下げているのをレオンが指摘して、どっと笑いが起こった。
「これっ!」
首が痛くなりそうなくらい、限界まで上を見上げたレオンが空に向かって一喝する。
ええ、眼鏡は意外と簡単に見つかりました。
見つかったけれど……。
「アホー、アホー」
「むっ、なんたる無礼だ! 余を誰と心得……むぐっ」
馬鹿にされたレオンが名乗りを上げようとしたところで、マヤさんが小さな口を塞ぐ。
邪魔されたレオンはイヤイヤをしながら、頬を風船のように膨らませていた。
そんな様子をヤツは黒々とした目で見つめている。
見つけるのが一足遅かったようだ。
キーファの眼鏡は鴉に拾われていた。
「やい、鴉! キーファの眼鏡を返しやがれ!」
「そうだそうだ!」
「アホー」
「何だと、貴様!」
ゴーロとツァハリスがレオンに続いて攻勢に出るも、鴉は高い木の枝の上で嘲笑うばかりである。
返す気はさらさら無いようだ。
人を小馬鹿にした感じの鳴き声に、気の短いゴーロは本気で腹を立てていた。
キーファの話では昨夜、強制転位させられる前には視界がぼやけていたとの事なので、庭のどこかにはあるだろうと探し回っていたのだが、まさか鴉が拾っているとは誰一人思っていなかった。
最初に見つけたのはレオンで、茂みの中の何かを嘴で啄んでいるのを、そっと近付いて捕まえようとしたところ、鴉は木の上に飛び上がった。
わざわざ紙一重のところでヒラリと避けて飛び上がる鴉は実に憎たらしかった。
完全に見切られている。
前世の小さい頃、公園の鳩を捕まえようとして追い駆け回した記憶があるから、逃げられたレオンの悔しい気持ちはよく判る。
地団駄を踏んで悔しがったレオンは説教をかまそうとしたようだが、鴉は聞く耳を持たなかった。
そりゃあまあ、鴉だからな。
言葉が通じないのも道理だ。
「くそ、腹立つな、お前の顔!」
ゴーロが本気で怒っていても、鴉はどこ吹く風である。
片翼を広げて悠々と毛繕いなんぞ始めている。
ゴーロ、お前は子供か。
大人が鴉相手に本気で喧嘩を挑んでどうする?
自分より動揺しているゴーロを見て我に返ったのか、ツァハリスが身体を張って止めている。
そのまま逃げられてしまっては元も子も無いからな。
「さてはて、どうしたものか……」
見えないキーファはやはり三人衆の中では一番落ち着いて見えた。
そう見えるだけで、内心では激しく困惑しているというのも有り得るが。
一方、黒々とした羽根を自慢げに見せびらかしながら下界を見下ろす鴉は何だか幻想的に見えた。
よく見ると、水浴びでもした後なのか羽根が湿っている。
これが本当の鴉の濡れ羽色というやつか。
うん、光沢があって綺麗だ。
鴉といえばゴミ棄て場の荒らし屋として、多くの人に忌み嫌われているが、俺はそんな鴉たちの事が嫌いじゃない。
考えてもみろ。
同じく生ゴミハンターの猫の方は多少不吉な迷信はあれど愛玩動物として可愛がられているのに、鴉だけ徹底的に嫌われるなんて不公平だ。
鴉にだって魅力はある。
黒くて綺麗な羽根だろう、円らな瞳だろう……。
我が家の家紋であるペガサスの、青みがかった白い翼も立派だが、然りとてこの見事な艶の黒い翼も捨て難い。
それから鴉の魅力といえば何と言っても知的なところだ。
どのくらいかというと、気に入ったものはとことん弄り倒すという、ドSな習性を持ち合わせている程だ。
特に光り物を好んで巣に持ち帰っては、心行くまで突いているらしい。
そこまで考えたところで俺はハタと手を打った。
そうか、あの鴉はキーファの眼鏡を気に入ってしまったのか。
だったら俺にも考えがある。
「どうしたのだ?」
「虫にでも刺されましたか?」
「ううん」
急にモゾモゾと左の袖を捲り始めた俺を、レオンとマヤさんが怪訝な顔つきで見つめる。
虫刺されを掻き毟る為などでは無い。
無器用な手でどうにかこうにか二の腕まで袖を捲り上げると、例の物が顕になった。
「これが目に入らぬか?」
ちなみに桜吹雪では無い。
見ろと言うまでもなく、全員の視線が釘付けになっていた。
「何だ、それは!?」
「まあ」
「金目の物!!」
「何日分の酒代だ?」
「おお、目映い光が……」
「カァッ!」
各々意味合いは違えど皆が目を輝かせている。
レオンとマヤさんは、まあ良しとして。
ゴーロ、育ちがさもしいのが丸判りの台詞はやめろ。
そしてツァハリスよ、具体的な金額でなく酒代で換算するところがブレないな。
キーファに至っては、何が見えているんだ?
まあいい、狙い通り鴉はこっちに釘付けになってくれたようだ。
俺の左袖の下から現れたのは、金ピカの腕輪だった。
例の、父上に嵌められた御守りのあれだ。
眼鏡を返してもらうには、鴉の気を眼鏡から逸らす必要がある。
だったら次のお気に入りになりそうなものを目の前にちらつかせるのが手っ取り早いだろう。
光り物には光り物で対抗だ。
まさか、こんな形で腕輪が役に立つとは俺自身も思っていなかった。
最初の用途がこれとか、絶対使い方を間違っていると自分でも思う。
ご先祖様に怒られたりしませんように。
鴉から見えやすい位置に立ち、右へ左へと小刻みに左腕を動かすとそれを追うように鴉の頭も動く。
次第に振れ幅を大きくしていき、仕上げにピタッと正面で動きを止めた。
無言のままの睨み合いが続く事数秒、僅かに身動ぎしたかと思うと、パッと漆黒の翼を広げて鴉は宙に舞った。