31話 投げられた賽
「やった! 僕が一番!」
「むぅ、小癪な! もう一回だ!」
「ルーカスには敵わないな……」
ルーカスが左手を天井に向かって突き上げ、喜色満面で勝利宣言をする。
その傍らではレオンが勝負はこれからだと息巻いていた。
……いや、今日はもう終わりなんですけどね。
それでも負けを認めたく無いらしい。
このところの魔石探しの競争は、三週連続でルーカスが一等賞、俺が二位、レオンがビリという膠着状態だった。
そんな状況だからこそ、俺はルーカスに素直な賞賛の言葉を贈ったのだ。
俺の魔石が来い方式は限り無く不正に近いグレーゾーンな方法だと思う。
それを使っても勝てないのだから、ルーカスの魔石探しの腕前は見事だと云わざるを得ないだろう。
俺ももっと精進せねば……。
「何故だ! なにゆえ、余は勝てぬのだ?」
癇癪を起こすかと思いきや、芝居がかった仕草で項垂れ、うちひしがれるレオンは見ていて可笑しかった。
笑ったり、怒ったり、悲しんだり、本当に表情が多彩な子だと思う。
本人は至って真面目にしているつもりなところがまたいいんだよな。
ちょっと意地悪な俺が何も言わずに見守っていると、優しいルーカスが少し考え込んだ後に口を開いた。
「うーんとね、コツがあるよ」
「コツ?」
レオンへのフォローのつもりだったのだろうその言葉に真っ先に食いついたのは俺だった。
魔石探しの極意なんてものがあるなら、聞いてみたい。
「うん。目を瞑って、魔石の事を思い出すの。どんな形で、どんな味がするのか。それから、強く強く魔石がほしいって思うの」
「願う、か……」
半信半疑だった。
それでも何か手懸かりが掴めるのならと、ルーカスの説明に従い、目を瞑る。
丸くて小さな魔石。
手の内でコロコロと転がる魔石。
ふわっと優しくて、懐かしい甘さの魔石。
ルーカスを救ってくれた魔石。
ぼうっと瞼の裏側で何かが発光した気がした。
――来い!
「むむむっ!」
ころりと掌でそれが転がるのと、レオンが奇声を上げたのがほぼ同時だった。
ゆっくりと目を開けると、俺の手に二つ魔石があるのが見える。
「やっぱりアルトはすごいね」
「本当に出来た……」
にこりと童子らしい丸みを帯びた頬を赤らめたルーカスは俺をすごいと言う。
意志の力、か。
何となく、ルーカスの魔石探しが得意な理由がわかった気がする。
彼はこの中の誰よりも魔石を必要としていたのだ。
そして恐らく、ルーカス自身がそれを本能的に悟っていたのだろう。
意志とは魔法に通じるものがある。
強く思ったから、それが彼の生きる力になった。
「余の魔石を返せ、アルト!」
一人で考えて一人で唸っていたところに、レオンの怒号が響き渡った。
ハッと我に返って、レオンを見ると碧い瞳にじわっと涙を滲ませている。
ダムは決壊寸前だ。
返せって……そうか!
俺がさっき引き寄せたのは、レオンの魔石だったのか。
「ごめん、取り上げるつもりは無かったんだ」
「……本当か?」
慌てて返すと、懐疑的な目を向けられる。
子供に疑われるってつらい。
「アルト?」
便乗して詰め寄るのは止めて、ルーカス!
子供の澄んだ目で見詰められると、自分の荒んだ心が浮き彫りになって、ダメージが二乗に膨れ上がるのだ。
二倍でも辛いのに、二乗だ。
「ほ、本当だよ」
目を泳がせながら返すのは嘘じゃない。
嘘じゃないのに、何故か気まずくて噛んでしまった。
俺の中の大和魂が荒ぶっている。
え、何か違う?
日本人といえば、白黒はっきりさせるのが苦手な人種だろう!
「むー、アルトがそういうのなら信じる」
「良かった……」
不承不承ながらも俺を信じるという王子の有り難いお言葉に胸を撫で下ろし掛ける俺だったが、それは早計であったとすぐに思い知らされる事になる。
「が、しかし! お詫びの印に今度の授業でカリカリを二回分持ってくるのだぞ」
王子の言葉には続きがあったのだ。
お詫びの印を要求するだなんて、子供の遣う手じゃないだろう。
誰の入れ知恵だ……マヤさんか?
「いや、それは食べ過ぎなんじゃ……」
「持ってくるのだぞ」
「あっ、ハイ……」
頼まれたらノーと言えないのが大和男子ですよね。
いつの間にか押し切られてしまいました。
恐るべし、ロイヤルパワー!
「まったく、あちらの殿方三人はまだまだお子様ですわね、お兄様」
「そうかな?」
そんなこんなでルーカスとレオンと騒いでいると、少し離れた位置からやれやれと呆れたような女の子の声が聞こえた。
イルメラだ。
今日の装いはダックブルーの生地で出来た膝丈のワンピースと落ち着いた色合いながら、子供らしさと女の子らしさを併せ持つ素敵ファッションだ。
うん、今日も可愛い。
一方のお兄様はというと、妹とお揃いの色合いのスカーフを胸元にあしらった、他所行きコーデだった。
妹の話を聞いていたのか聞いていなかったのかイマイチ判然としないけれど、今日も彼の色気は絶好調だった。
吐息が、目付きが、表情筋が気だるそうで艶かしい。
ぐんっと隣で不穏な気配がした。
元に戻った王子のご機嫌が急降下を始めたのが判った。
「余はお子様では無いぞ!」
子供と言われて、子供じゃないとムキになって返す人はたいてい、精神的にはお子様だ。
『子供』を本来の意味で捉えたルーカスが『僕たち全員子供だよね?』と首を傾げる。
「いいえ、子供ですわ」
「なにゆえだ?」
「大人の殿方はそう簡単に泣いたり致しませんもの。……お兄様のように」
得意気にイルメラはなおも言い募った。
言われたレオンはガーンと効果音が聞こえてきそうな程にショックを受けている。
レオンの頭の上に大岩の幻が見えた。
自分では本気で大人の男のつもりだったらしい。
「確かに大人の男は人前で泣かないけど、ディーの場合はちょっと違うんじゃないかな?」
彼は人前で泣かないというよりも、そもそも喜怒哀楽の変化に乏しく判りにくい。
実際はどうあれ、哀から楽辺りをふよふよと漂って……いや、彷徨っているように見える。
それを大人と言うのなら、真逆をいくレオンはイルメラにとってはこれ以上ないお子様という事になるけれど、この場合は大人になるって必ずしも良い事だとは言いきれないな。
遠回しにそれらを伝えると、ついさっきまであれだけ睨んできていたレオンには縋られ、イルメラにはつんとそっぽを向かれてしまった。
「お兄様の素晴らしさが解らないなんて信じられませんわ」
「そういう考え方もあるかもしれないね」
仲良くなりたいのにままならないものである。
イルメラがお兄さん以外の人にきちんと目を向ける日は来るのだろうか?
もし来るのなら、それは自分であってほしいと思う。
自分の事だというのに、ディー自身はどこか他人事のような感想を述べるだけだった。
懐が深いのか何なのかよく判らない。
掴みどころが無くて、風に揺れる柳の葉のような子って、何なのでしょうね。
豆腐の一件で愛称で呼ぶ事を許してもらえるくらいには仲良くなれたけれど、和食以外の何が彼の琴線に触れるのかがよく判らない。
貶す意図は一切無く、人間によく似た別の生き物なんじゃないかと思う事すらあった。
直接イルメラ本人に近寄りにくいなら、お兄さんという外堀から埋めてしまえという邪な考えありきで近付いたせいだろうか?
豆腐といえば、消化器官が弱っているだろうと思ってルーカスにひよこ豆腐を差し入れたところ、みるみる回復して元よりも元気になり、ルーカスのご両親とセバスチャンさん、それからルーカス本人にいたく感謝されてしまった。
たまにルーカスに誘われてブロックマイアー家に遊びに行くと、下にも置かない歓待ぶりである。
その際、御尊父は息子を冷遇していたのではと一旦は首を傾げたが、初めての我が子が病弱でどう接して良いか判らなかったと懺悔されてしまっては、それ以上責める気にはなれなかった。
幼児を相手に大人が人生相談する光景は、さぞかしシュールな事だろう。
俺とブロックマイアー家が親交を深めている間、裏で動いていた人もいた。
ゲオルグさんだ。
ルーカス毒殺未遂事件は余計な混乱と醜聞を招き兼ねないという理由で内々に処理される事となったが、ゲオルグさんもといアイゼンフート家と城の諜報部隊の精鋭に毒の足跡を調べよと王命が下されたのだ。
ブロックマイアー公爵夫人の証言を元に神殿に探りを入れた結果、一人の修道女の失踪事件が浮かび上がった。
俺の誕生日の翌日、つまりちょうどルーカスが峠を越えたあの日に彼女は神殿から失踪し、その三日後に城の諜報部隊によって遺体で発見された。
その修道女からは公爵夫人に盛られていたのと同じ毒物が検出されたという。
しかしここで調査は暗礁に乗り上げてしまった。
調査によると、偽りの白が表裏含めて市場に出回った形跡は無いという。
先日ゲオルグさんも言っていた通り、もともと偽りの白は発明されて間もない毒の為、その存在や精製法を知る者はごく僅かで、簡単に足がつくものと思われていた。
だが、知っている人物と可能性のある人物の身辺を洗っても何も出てこなかったのだ。
清々しい程に誰も真っ白だったという。
なお、修道女の薬物服用についてはヴァールサーガー教団側からは一切感知していないと回答があったそうだ。
もう一つ明らかとなったのは、母上の魔石が偽りの白以外の毒物にも一定以上の効果があるという事実だった。
母上が半端なく凄い。
以上の調査結果を俺は何故かゲオルグさんや母上からでは無く、カーヤさんから聞かされた。
子供にそんな機密情報を教えてもいいのかという疑問も然る事ながら、何故それを母上の信頼が厚いとはいえ使用人であるカーヤさんが聞き及んでいて、俺に伝えてくるのだろうか。
こんな子供が調査結果を聞いても良いのかという疑問には、『知らない方が良い情報なんて一つもありませんよ。アルト様も関係者な以上、聞く権利があります』と答えてくれたが、彼女自身が知っている理由は適当にはぐらかして頑として教えてくれなかった。
カーヤさんにはそれまで無敗を誇っていた上目遣いも通用しなかったのだから、相当意思は堅いと思われる。
口元というか鼻を片手で押さえて、苦しむように反対側の拳でテーブルを叩き始めた時はちょっと怖かった。
カーヤさんも変な薬を盛られているとか無いよな?
俺自身もただぼんやりと能天気に過ごしていた訳では無い。
誰にも告げていないが、俺しか預かり知らぬ重要な情報があった。
神殿で会ったあの少女の事だ。
『おやすみ、ルーカス』と彼女は言っていたのだ。
あのタイミングであの発言は、今回の件になんらかの形で関与している可能性が高い。
彼女の年齢を考えれば、誰かにこの事を告げたところで一笑に付されてしまいそうだけれど、俺自身のケースを考えれば有り得ないとも言い切れない。
彼女もゲームのプレイヤーだったとしたら?
そう考えてゾッとした。
ゲームシナリオに対する脅威は感じていたものの、シナリオ開始が十年以上先の為、油断していた。
シナリオ、バッドエンド及びアルトルートへの警戒はしていても、自分以外にシナリオを引っ掻き回そうとする人物が現れるのは想定していなかった。
認識が甘かった。
今回は思い付きと反則級のアイテム・母上の魔石のお陰で何とかなったが、次もそうとは限らない。
猛省した俺はかの少女を仮想ルルとし、動く事にした。
情報収集については俺の現在の行動範囲では限りがあるが、出来ない事を悔やんでいたところで何の役にも立たない。
ルルの行動の目的によっては、平和を願う俺と完全に対立する構造すら有り得る。
来るべき日に備えるべく、攻略対象キャラとその関係者との交流を深め、自分の側に引き込んでおく事、彼らが狙われる可能性も視野に入れて個々の能力をアップさせる事。
そして、単なる興味本意だった魔法の腕をゲームシナリオ第二部のアルトのレベルまで上昇させる事。
これが俺の当面の目標だ。
「次の授業では皆お待ちかねの適性系統を調べるわよ」
賽は投げられた。
母上の予告に沸き立つ子供たちを見守りながら、俺はぐっと拳を握り締めるのだった。