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29話 濡れた笑顔

※引き続きシリアス展開です。




「これは毒ですね」


 一通り診察を終えたゲオルグという青年医師は断言した。


「そんな筈はございません! 万全を期して若様のお食事は毎回毒見を行っておりました!」

「毒見で発見出来るのは通常、摂取してすぐに効果の現れる毒だけですよ」



 赤くなったり、蒼くなったり、セバスチャンさんは忙しい。

彼にとって、ゲオルグさんの言葉は無情なものだった。


 大切な主人たちを守る為にとこれまでやってきた事が不完全で無意味だったと告げられたに等しい。



「ああ、別に貴方を批判する意図はありませんよ。判らなくて当然ですから」


 激しく落ち込む家令を慰めようとしたのか、ゲオルグが付け加えるように言ったがあまりフォローにはなっていない。

お医者様と云っても、研究者に雰囲気が似ているからだろうか。

オブラートに包むといった気遣いが苦手なのかもしれない。



「遅効性の毒……」

「その通り。世の中にはじっくりと時間をかけて身体を、精神を蝕んでいく毒が存在するのですよ。……それにしても、シックザール家のご子息がご存知とは意外ですね」

「何でも無い、御本で読んだだけ」


 ぽつりと自覚無く口に出していたのをゲオルグさんに聞き咎められて、慌てて首を振った。


 言い訳が少々苦しい。

子供向けで『遅効性の毒』なんて単語が出てくるなんて、どんな児童文学だ。



「シックザールの……?」


 幸いにも、セバスチャンさんが別の名詞で引っ掛かりを覚えて反応してくれたおかげで、深く詮索される前に話題が逸れた。


「そういえばまだ名乗っておりませんでしたわね。失礼致しました。六大家の末席を預かっております、シックザール侯爵が妻・マレーネと申します」

「アルフレート・シックザールです」

「余はレオンハルト・アイヒベルガーであるぞ!」


 母親に続いて名乗る。



「いや、レオンは別に名乗らなくてもいいからな」

「むっ、そうなのか?」

「レオンは有名人だからな。顔パスだ」

「そうかそうか! どうだ凄いだろう」


 流れに乗って尊大に名乗ったレオンは俺に名乗らなくて良いと言われてつまらないと今にも言い出しそうな顔をしていたが、おだてると非常に判りやすく喜んだ。

簡単に乗せられ過ぎだろう!



「シックザール侯爵夫人とご子息様でしたか。寡聞にしてお顔を存じませず、先程は失礼致しました」

「いいえ、どうか楽になさって下さい。このような状況ですから」


 気丈に振る舞おうとする家令に母上はお気遣い無くと言った。


 このような状況、という言葉に改めて辺りを見回す。


 酷い有り様だった。

続きの間程では無いけれど、サイドテーブルの上の照明は割れて壊れているし、絨毯もところどころ捲れ上がっている。

公爵家に強盗が入ったと言ったところで、誰も嘘を疑わないだろう。



「絶対的上位者である王家を除けば、六大家の間の多少の身分差など何の意味も持たない事は、ここにいる者は皆承知しているでしょう」


 マヤさんの言葉に皆が頷く。


 王子、元近衛騎士団長にして王子のお目付け役女官、ブロックマイアー公爵家の家令、シックザール侯爵夫人と子息。

見事に関係者ばかりだ。


 そして意識の無いブロックマイアー家の二人を除いてももう一人、この場にVIPがいる。



「説明を続けても宜しいでしょうか?」



 ゲオルグ・アイゼンフートその人だ。

お医者様にして、毒見役。

そしてもう一つの顔が東に広大な領地を持つアイゼンフート公爵家の系譜に名前を連ねる人間だ。


 彼は『運命の二人』の攻略対象キャラでは無い。

それどころか、名前すら登場しなかった。

アイゼンフート家の変人な攻略対象とはどういう関係なのだろう?



「今回ルーカス様に盛られたのは、国内東部に位置する我がアイゼンフート領でごく最近開発された、『偽りの白』と呼ばれる毒薬です」



 この国は東西南北の地方がそれぞれ四大公爵の領地となっており、アイゼンフート家の治める東方の地域といえば、非常に質の良い紅茶の産地として名高い。


 そしてもう一つの特産物として挙げられるのが、薬だった。

薬と云っても病気や怪我の治療に使うものから、人を害する為の毒まで様々だ。


 紅茶と薬。

同じ植物由来と考えれば、呑み込めない話でも無い。

お茶の品種改良の過程で薬となったものもきっと存在するだろう。


 ゲオルグさんが医者をしているのも、この辺りの事情が関連しているのかもしれない。



「偽りの白、ですか?」

「ええ。無味無臭の上、無色透明で発見が非常に困難な事と、この薬によって亡くなったものが皆、肌が真っ白になる事からそう呼ばれています」


 母上の問いに答えるゲオルグさんの説明は皆に嫌なものを連想させた。

今ここでその毒に侵されているルーカスはもともと肌が抜けるように白い。


 これ以上白くなれば、肌の下に流れる血が透けて見えるんじゃないか。

不穏な想像をしてしまう。


 悪しきもの、心身を害するものというと多くの人が黒い何かを思い起こすだろうが、皮肉にもこの毒薬が冠するのはイメージと真逆の白だ。



「偽りの白は数日から数週間、場合によっては数ヵ月かけてじわじわと食い散らかすように生命力を奪っていきます」

「そんなものよく判ったな?」

「これでも薬に関しては最先端を自負していますからね」


 素直に称賛するレオンにゲオルグさんは詳細は語らずにこのくらいは当然ですとただ首を振った。

公言はしないが何か判別方法があるのかもしれない。



「若様は回復なされるのですよね?」

「それは……」


 誰もが一番気になっていて、それでも口にしなかった質問を痺れを切らしたようにセバスチャンさんが吐き出した。

しかしここで初めてお医者様が言い淀む。


「お元気になられるのですよね?」


二度目のそれはセバスチャンさんの願いだった。



「残念ですが……」



――バタンッ。


 言い掛けるゲオルグさんの声に重なるように、部屋の入り口付近で大きな物音がした。

振り向けば、ルーカスのお母さんが蒼白な顔をして立っている。


 その姿にさっと身構えたが、再び取り押さえようとしたマヤさんをゲオルグさんが制止する。


「彼女もまた被害者ですよ。精神に作用する類いのものです。公爵夫人には先程、解毒薬を投与致しましたので心配は要りません」



 マヤさんが絞め落とした公爵夫人の口に流し込んでいたのは、解毒薬だったのか。

もう少し他にやり方があったのではとも思うが、暴れる人の口に適量の薬を流し込むのは至難の業かもしれない。

して時間に猶予の無い状況だったのだ、あまり責められない。



「そんな……」


 獣のような光を灯していた公爵夫人の瞳には、正気の輝きが戻っている。

しかし、その顔は絶望に彩られていた。



「どうして! 毒薬が原因と判ったのでしょう!?」

「先程も申し上げましたが、偽りの白は生まれて間も無いのです。特効薬はおろか、治療法すら確立されていないのですよ」


 ゲオルグさんに掴み掛かる勢いで詰め寄った公爵夫人が力無く押し黙る。

否、全員がショックを受けていた。


 何か無いか、何か方法は無いか?

考えるが答えは見つからず、ただ時間だけがすり減っていく。



「かあ、さま……?」


 弱々しく掠れた声が沈黙を破った。



「ルーク!」


 一番に反応したのは呼ばれた母親だった。

愛称を叫んで弾かれたように我が子に駆け寄る。


 ルーカスの紫水晶アメジストのような瞳は、ぼんやりと曇って見えた。



「母様……」

「ここよ、ここにいるわ。私の可愛いルーク……!」


 公爵夫人の両手が、小さくて柔らかなルーカスの手を包み込むと、熱い吐息が苦しげだったルーカスの表情が安堵したように弛む。



「母様の手だ……」

「そうよ、貴方のお母さんよ」

「元気に生まれて来れなくて、ごめん、なさい……」

「母様の方こそ、ごめんなさい。私が……私の心が弱かったばかりに……」



 見ていられなかった。

今にも途切れてしまいそうなルーカスの声を、一音も洩らすまいと皆が耳を傾けている。


 応える夫人の声は上擦り、震えていた。

こちらから夫人の顔は見えないけれど、きっと涙に濡れているだろう。


 こんな悲しい母子の会話があるだろうか。

親子で互いに懺悔ざんげし合うなんて。



「母様、大好き……」

「母様もルークの事が大好きよ」


 御母堂につられたように、ルーカスの熱く潤んだ瞳から雫が零れ落ちた。

頬を伝った雫が、しとりと音も無く枕に染みを作る。

儚く濡れた笑顔をルーカスは浮かべた。



「そうだ、ルーク。元気になったら、母様と一緒にお出掛けしましょう」

「おでかけ……?」



 語らうのは小さな願いだった。

虚ろな目をした我が子を、必死に繋ぎ止めようとしているのが判る。



「そうよ。ルークは暑さに弱いから、涼しい湖なんていいかしらね。何か食べたいものはある?」

「ませき……。甘くて、優しいお味なの……」

「魔石……?」


 思いもよらなかった息子の願いに、公爵夫人が聞き返す。

そこで俺はハッとした。


 魔石には疲労回復の効果がある。

実際に魔石を舐めたルーカスは顔色が良くなっていた。


 魔力とはすなわち生命力そのものである。

魔石とはそれを圧縮して具現化し、触れられる形にしたものだ。


 毒が身体を弱らせ、生命力を奪うものなら、魔石は……?

それに母上の魔法適性は、治癒に優れた水と光だ。


 ポケットの中のものを握り締める。



「ルーカス!」


 縺れる脚でよろめく様に天蓋付ベッドに駆け寄った。



「アル、ト……?」


 ルーカスがたどたどしく俺の名前を呼ぶ。

近くで見ると、彼の目の焦点が合っていないのに気付く。


 見えない、のか?

紫色の瞳は虚空の先の何かに囚われていた。



「今日俺が見つけた魔石、ルーカスにあげるからさ。また元気になったら、どっちが早く見つけられるか、競争しようよ」


 ルーカスの母上と頷き合って、震えながら自分の手の中の包みを小さな白い手に握らせる。

が、すぐにそれは彼の手をすり抜け、ベッドの淵に当たってカツンと硬質な音をさせた後、足元を転がった。


 部屋中から息を呑む気配がした。 



 力が入らないのか。

まだだ、俺はまだ諦めない。


 アラベスク模様の描かれた絨毯の上の青い包みを摘まみ上げようとした俺より先に、誰かがそれを拾った。



「余も共に競争してやらぬでも無いぞ」



 レオンだ。

勝ち気な物言いとは裏腹に目は充血していて、泣いていた事が判る。


 それでも小さな王子は俺の支えとなってくれた。

レオンが拾い上げ、俺に渡してくれた魔石を見つめる。



 自分で食べられないというのなら、俺が。


 じりじりと首筋をひりつかせるような緊張感の中、震えて自由にならない手をもどかしく思いながら、包みを開いて透明な魔石を剥き出しにする。



「ルーカス、口を開けて」


 もはや俺の声が聞こえているかどうかも怪しかった。

ただ、力が抜けたように血色の悪い唇を薄く開く。



 頼む、死なないでくれ。


 祈りながらころりと、小さく開いた口の中に手の内の魔石を落とし込んだ瞬間、夕暮れ時を告げる鐘の音が空から聞こえた。




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