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24話 一寸先は闇


 その日は嬉しくて、ちょっぴりブロークンハートな日だった。


 もう一度言おう。

嬉しくて、でも少しブロークンハートな日だった。



 期待感に胸を高鳴らせ、母上と馬車の御者を急かしていつもより早めにいつもの部屋についた。


 逸る気持ちそのままに弾丸のように部屋へ飛び込むと、急旋回し立ち止まった。



「あれっ?」


部屋を間違えたのだろうか?

いつもと様子の違う室内に戸惑いを覚えた。

トコトコと出戻って、廊下を見渡すが何も目印になるものは無い。


 どこかで道を間違えたのだろうか?

母上を置き去りに走って来た事を後悔する。


 確かめようにも早く来過ぎてしまった為に、守衛さんもいない。

この辺りは人通りも少なかった。


 オロオロうろうろ、扉のあっちとこっちを行ったり来たり。

不安から落ち着かず、不審な挙動を繰り返す。

幼児の自分にその喩えを適用するのは何だかおかしな気もするが、さながら妻の初産を待つ夫のような動きだった。



 寂しさからだんだんと気分までふさぎ始めた頃、漸く聞こえてきた声に駆け寄った。



「アルちゃん?」

「母上!」


たたっと駆け寄って抱き着き、ブルーのドレスの膝頭辺りに額をグリグリと押し付ける。

そうすると不思議と胸の内でつかえているような嫌な感じがスッととけて無くなった。



「あらあら。どうしたの?」

「お部屋の様子がいつもと違う」

「ああ、そういう事なのね」


 さわさわと髪を撫でてくれる指の感触に目を瞑りながら説明すると、得心がいったというように母上は首肯した。


「そういう事って、どういう事?」


 真下から見上げる。

すると母上は俺の手を引いて、室内に足を踏み入れた。



「うん、注文通りね」

「注文通り?」



 母上の言葉が不可解だった。

注文とは何の注文なのか?


 話の流れから判断するのなら、この部屋の変革に母上が関わっている?

いや、待て。

そもそもこの部屋はいつもの部屋なのだろうか?



「ああ、この部屋は昨日使ってた部屋と同じよ」


右へ左へ首を傾げていると、母上はサッと白いレースのカーテンを払った。


遮るものの無くなった明かりが窓から射し込む。

光の先に見えたその景色に俺はハッとした。


 そうだ、ここであの池を覗き込むルーカスを見たのだった。

あの時はそれが彼だとは思わなかったけれど、小さくて頼り無い背中を見て、池に落ちやしないだろうかと気が気じゃ無かった。


 そうか、建て物の中だけ見てたらよく判らなかったけれど、窓を開けて外を覗いてみれば良かったのか。

迷子になったかもしれないと慌てて、そんな簡単な事にも気付けなかった自分が恥ずかしい……。



「納得出来たかしら?」

「あい……」


こくんと頷いて、視野を広く持たねばと胸に誓った。



 改めて室内を見回すとやはり昨日の今日でよくもまあここまで、というのが最初の感想だった。

絨毯から壁から調度品までそっくり入れ替わっている。


 前はもっとこう、品が良過ぎて格式張った感じだった。

それに比べて今は温かみがある気がする。

そうさせるのは色調か、素材か。


 濃緑色のふかふかの絨毯が草原を思わせる。

自然的で妙に居心地の良い空間へと変化を遂げていた。


 そんな中でも一番嬉しかったのはマホガニーのテーブルセットだった。

なんと、お子様に合わせた寸法になっている。


 授業中にノートやメモを取る事はまだ無いが、やはり身体からテーブル遠いと気になる。

毎回俺の隣をキープするレオンが、椅子から身を乗り出してくるのを見て度々ひやひやしたものだった。



「気に入ってくれたかしら?」

「うん、でもお金大丈夫?」


 さっそく定位置の椅子に腰掛け、すべらかな木製のひじ掛けを撫でていると、母上が問うてくる。

問いに問いで返すと苦笑された。


「子供がお金の事なんて気にするんじゃありません。心配しなくても大丈夫よ。母様はこう見えてけっこうお金持ちなんだから」

「でも無駄遣いはダメ」

「無駄なんかじゃないわ。長く使うことになるのだから、愛着が湧くように改造したっていいじゃない。それにアルちゃんにはまだ難しいかもしれないけど、たまに馬鹿馬鹿しく思える事にお金を注ぎ込むのも貴族の務めなのよ?」



 無駄遣いをする親とそれを諌める子供。

親子の関係性が普通と逆だ。


 しかし、心配するなと言う母上に釘を刺すつもりが、反対に唸らされてしまった。


 お金を持っている人が溜め込んでしまうと、国は潤わない、か。

貴族社会って奥が深いな。



「それから、あまりお金に小うるさいと女の子に嫌われるわよ?」

「うっ……?」


 次いでの一言は俺の胸に突き刺さるどころか、抉って塩を塗り込むものだった。

大ダメージを食らう痛恨の一撃だったと云って相違無い。



「あら……?」


 座ったまま打ちひしがれていると、入り口の方で可愛らしい声がした。

振り向けば俺が胸を高鳴らせる原因がそこにあった。


 ワインレッドのうすぎぬを重ねたフリフリのゴージャスドレスを身に纏ったイルメラが立っていた。


 シルクのグローブを嵌めた小さな手にはこれまた真っ赤なお子様サイズの扇が握られており、口元を覆っている。

そんな彼女を俺の脳内ではアドレナリンが大放出されていた。

一秒前に落ち込んでいた事など、何処へやら。


 扇の端からちらりと覗く口元と左目の下のほくろの色っぽさと幼さの窺える小さな白い手首のアンバランスさがいい。

額と首筋に掛かるうねった黒い髪が肌の白さを強調している。


 絨毯が濃緑のお陰で真紅のドレスが余計に映えて見えた。


 何故ドレスなのかという思考など完全に抜け落ちて、阿呆のように見とれていた。



「可愛い……」


 思わず口から素直な感想が零れ落ちる。

普段着の彼女も十分に可愛いが、今日は格別だ。

それを聞き咎めたイルメラがこちらをキッとめ付けた。



「いったい、あれは何なのですか?」

「えっ……?」


 初めてイルメラから話し掛けられた。

それもドレス姿の、なんて胸をときめかせたのはほんの束の間の事だった。



「だから、昨日のあれは何なのですか!?」


 淑やかに振る舞うのをかなぐり捨てて彼女は俺に詰め寄った。

昨日の、と言われてピンと来る。



「おから揚げの事?」

「いいえ、あれの名前などどうでも良いのです。問題はあれの味ですわ!」



 味が問題と言われて俺は途端に不安になった。

彼女の様子から見て、何かに怒っているのはまず間違い無い。

そこで味が問題だと言った。


 もしかして口に合わなかったのだろうか?

だからこんなに怒っている?


 味付けに使った塩。

あれは西方のクラウゼヴィッツ家の領地で採れた岩塩だ。


 塩味が一番スタンダードで受け入れられ安いだろうという理由と、郷里の味であれば少なくとも二人は喜んでくれるだろうと思ってそうしたのだが、失敗だったのだろうか?

だとしたら、自信があっただけにショックだ。


 仮説を立て、落ち込む。

しかし、続く彼女の言葉は俺の想定を越えていた。



「一口だけのつもりが全部食べてしまったじゃない! どうしてくれるのよ!」


ポカンと口を開けたまま呆けた。


 全部食べてしまった。

という事は……。



「美味しかったって事?」

「私はそんな事言ってませんわ」


 確認する俺の言葉は即座に否定される。

だが、扇の上の赤みがかった黒の瞳は泳いでいた。



 ……ツンデレだ。

高飛車お嬢様系のツンデレがいる!


 上げて落とす作戦というのはよく聞くが、これは落として上げて有頂天だ。

俺の脳内はアドレナリン祭である。



「ふっ、ふんっ……」


 分が悪いと感じたのか、イルメラはつんとそっぽを向いた。


 判り易い。

そんな仕草にも胸を掻き立てられてしまう。

何この可愛い生き物。



 さて、そんなイルメラにどう声を掛けるべきか?


 食べてくれてありがとう?

……駄目だ、普通過ぎる。


 君の笑顔が見れて何よりだ?

……気障な呪い路線直行じゃないか!


 ああでも無い、こうでも無いと散々迷っていると目の前を何かが通り過ぎた。



「美味しかった……」

「えっ?」

「お兄様!?」



 すれ違い様に一言。

彼、ディートリヒは確かに言った。

『美味しかった』と。


 寝起きなのか、アンニュイモードの掠れた妙に色っぽい声はたしかに美味しかったと俺に告げた。



「そんなお兄様が……!?」


 目の前でその妹が激しく動揺している。

ぽとり、と絨毯の上を扇が跳ねた。


 イルメラの兄にして、次期クラウゼヴィッツ公爵のディートリヒはそれが人であれ、物であれ、何事にも無関心の筈だった。

明日の空が青かろうが、極彩色だろうがどうでも良い。

ヒロインが現れるまでのゲーム彼と、これまでの彼はそんな人なのだ。


……いや、だったと言うべきか。


 そんな彼が誰に言わされるでも無く、自発的に美味しいと俺に言ってきた。

これを異常事態と呼ばずして何と呼ぼう?


 イルメラにしてもディートリヒにしても、殻に閉じ籠もりがちだった。

ルーカスもその嫌いがあるが、あの子の場合は良くも悪くも素直な為にまだ接しやすい。


 しかし、クラウゼヴィッツ兄妹は方や無関心、方や猛反発で人を寄せ付けない。

どう接して良いのか、親しくなりたいのにその切欠が掴めずにいた。

でも今日はそれを掴みかけているんじゃないだろうか?



 いける、と考えた俺はここで畳み掛けてしまおうと思った。

しかし、立ち上がって一歩ディートリヒの方へと動かした足はたたらを踏む事になる。


 ディートリヒとの間に、イルメラが立ちはだかった。



「絶対にお兄様は渡しませんわ」


 挑戦状を叩きつけられた俺は、やはり甘味の方が良かったのだろうかと思案しつつ、途方に暮れる。



 女心って難しい。

一歩前進しつつも迷宮に足を踏み入れた今日という日は俺にとって喜ばしくも、失恋にも似た痛手をこうむった悲劇的とも云える日となった。




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