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20話 ヒヨコとひよこ豆



『魔法はその性質によって、幾つかの系統に分類される。諸説あるが、火・水・風・土・光・闇・無の七系統に分類するのが現在最も広く認知された有力な説である。また、七系統のうち火・水・風・土の四系統を四大系統と呼ぶ事もある』



 紅の日。

俺は書庫で師匠の魔導書を読み進めていた。


 魔法の勉強を認めて貰ったのだから、書庫でのこの特訓も秘密にする必要は無いのかもしれない。

だが、俺は敢えてこっそりと部屋を抜け出していた。


潜入捜査は男のロマンだからな。

勉強にも楽しみは出来るだけ多い方がいい。



 天井のガラス張り部分から射し込む明かりを頼りに、古めかしい文字を辿っていた。


 魔法の系統の話は例の乙女ゲームでも出て来た。

……というか、属性同士の相性くらいは覚えていないとアルフレートルートの後半が悲惨だった。


『運命の二人』には教養というパラメータが存在する。

これはプレイヤーキャラのお勉強の出来を数値化したものなのだが、前半のストーリーを進行させるには何ら留意する必要の無いステータスである。


 しかし、後半のRPG部分に入った瞬間、それは途端に存在感を増すのだ。


 多くの乙女ゲームは、取り敢えず攻略したいキャラの元に一途にせっせと押し掛けるが如く通っていれば、なんとなく恋愛エンドに行き着けるものだが、『運命の二人』は違った。


 限られたターンの中でどれだけ好感度を上げていくかが勝負という点は他と変わらないが、教養パラメータをないがしろにして勉強をしないままでいると、後半で殆ど詰んだ状態になってしまうのだ。


 具体例を上げれば、教養が低いと戦闘で選べる魔法が極端に少なくなってしまう。


プレイヤーキャラ、つまりヒロインが全体を見て各キャラに指示を飛ばしているという設定で、各キャラの戦闘行動をコマンド入力するのだが、それこそアルトのレベルは上がれど、初級魔法しか使えないという状況に陥るのだ。


 現実に則していえば、恋愛に現を抜かして勉学を疎かにした子の成績が芳しくないのは当たり前である。

また、幾ら有能なキャラでも指揮系統がポンコツであれば、十分に実力を発揮出来よう筈も無い。


 適度にお相手キャラのもとに通いつつ、勉強もして教養を上げていく。

この匙加減が難しいと言われていた。



『各系統には相性があり、火は風に強く、水に弱い。水は火に強く、土に弱い。土は水に強く、風に弱い。風は土に強く、火に弱い。また光と闇は互いの打ち消し合う。故に、光に優位なのは闇、闇に優位なのは光である』



 師匠の記述と頭の中の記憶を照らし合わせるように、口の中で言葉を反芻する。


ここまでの内容に記憶との相違は無い。

しかし、次の一行で妙な引っ掛かりを覚えた。



『また、前述の七系統に加えて第八の系統の存在を

主張する異説もあるが、その詳細は不明であり、第八の系統がどのような魔法なのかも分かっていない』



 第八の系統。

ゲームではついぞ覚えの無い言葉だ。


 俺が知らないだけという線は多分無い。

魔法を主に使うのはアルトだが、アルトの台詞なら前世の英才教育の影響で全てそらんじる事が出来る。


暗記させるならもっと役に立つ事を暗記させろという突っ込みは今更だ。

同じ無意味ならせめて円周率くらいにしとけというのも無しだ。


 オークションで競り落としたという電話帳並の分厚さの台本は凶器として優れていると思う。

人の精神力を削いで、物理的には鈍器として使えるなんて最高峰じゃないか。



 ゲームと現実の細かな違い。

これまでも全く無かったかといえば、そうではなかった。


それらの殆どは取るに足らないほんの些細な事だが、足を掬われやしないかと疑心暗鬼にもなる。

裏設定として存在していたのか、それとも何か変格が起きているのか、判断するには材料が少な過ぎる。


勿論、俺自身がゲーム通りの人生を避けるべく行動しているのだから、そういった細かな違いはこれからも発生していくのだろうが。



 その続きには初級魔法が載っていた。


無系統以外の各系統の玉を打ち出すものだ。

体内の魔力を上手く操れるようになった次の段階は、これをイメージ通りに作り出せるようになるのが目標だ。


 試したい。

早く魔法を試してみたい。


そんな子供じみた好奇心が疼くのに同調するように、体内の魔粒子がうねったのが分かった。

まるで抑圧された力が早く外に出たがっているようだ。


 だがここで試すのは危険だ。

火が本に燃え移ったり、部屋の中が水浸しになったりしては困る。


開けた場所がいい。

それも人目につかない場所である事が大前提だ。


 真っ先に思い浮かんだのは屋敷の外れにある森の前だった。

しかしそこに移動して試すには少し時間が足りない。



――ぐーぎゅるぎゅる……。


俺の腹時計がもう少しでおやつの時間だと告げていた。



「続きは明日、か……」


ふっと息を吐いて胸のざわめきを落ち着かせる。

少し早めだが今日は切り上げて自分からおやつをおねだりに行ってみよう。


今は寝ていたふりをする気分じゃなかった。




「これは、坊ちゃま」


 厨房へ赴くと、初老の男性の声に迎えられた。


 少し突き出たお腹をした中背の、白い口髭を蓄えたお爺さん。

人の良さそうな笑みを浮かべる彼は我が家のコック長だ。


「どうされましたか? ビスケットでしたらじきに……」


 今は昼下がり。

厨房が一番忙しい時間ではない。

その証拠に、他のお料理番の使用人さんは出払っているようだ。


 しかし夕食の仕込みもあるだろうにわざわざ俺の前まで来て、目線を合わせる為に屈み込んで話し掛けてくれるその行動が、彼はいい人だと告げている。


俺はフルフルと左右に首を振った。


「美味しいもの作るところ、見てみたかっただけ」


邪魔をするつもりはない。

そう告げたつもりだった。


だが、俺の意思に反してお腹が抗議の声を上げる。



――ぐーぎゅ。



 顔が火照るのが分かった。

否、顔だけじゃない、耳の先まで熱い。


「これは……」


俺を正面から見つめる目は丸い。


 穴があったら入りたい。

そう思って一歩後ずさった瞬間、高めの天井に彼の笑い声が響きわたった。


 ひとしきり笑った彼は俺を洗い場に連れていき、抱き上げてしっかりと手を洗わせた後、部屋の片隅の簡素な椅子に座らせた。


「奥様には内緒ですぞ」


そう言って彼が差し出してきたのはブリオッシュだった。


「こんなに食べられないよ」


かごに盛られた美味しそうなブリオッシュに思わず目を奪われながらも、かぶりを振った。


すると彼は大きめのブリオッシュを篭から一つ取ると、ダルマの頭のようにプクッと膨らんで丸く突き出た部分を千切って差し出してきた。



 ごくり。

唾を嚥下した俺にもう迷いは無かった。


「いただきます」


あぐりと大きく口を開けてかぶり付く。


 まず最初に鼻の奥へと突き抜けて来たのは、芳ばしい香りだった。

続いて、良質なバターの風味が口の中に広がる。


 ふんわり、もっちり。

そんな表現がぴったりくる生地を夢中で噛み締めれば、ほんのりと優しい甘みが訪れる。


 俺が最初の一口で余りの美味しさにうっとりとしている間にコック長は千切った片割れのブリオッシュを二、三口でぺろりと平らげてしまった。


 席を立った彼が量を少なめに淹れてくれた濃い目の紅茶がまた合う。

俺がミルクより紅茶好きという幼児にしては小生意気な嗜好をしている事を覚えてくれているらしい。


「ご馳走さまでした……むふ~」

「本当に美味しそうに召し上がるんですね」


 最後の一口まで美味しく頂いて、満足のため息をつくとコック長さんがくつくつと笑った。


いけない、夢中になりすぎてしまった。



 小腹が満たされてようやく周辺を見る余裕が出来る。

前世で見慣れたキッチンとは少し雰囲気が違っていた。


 そもそも一般家庭のそれと、上流貴族の家のそれとを比べるのも烏滸おこがましい気がするが、それを差し引いても設置されている器具が微妙に違う。

それでもどれが何に使う道具かくらいは推測出来た。


電子レンジが無いのは残念だ。


 その他、部屋の隅にクリーム色の大きなずた袋が置かれているのが目についた。


ピョンっと椅子から飛び降りて駆け寄り、袋の中を覗き込んだ俺は次の瞬間に瞳を輝かせた。



「ひよこ!」

「おや、ご存知でしたか」


嬉々として後ろを振り返れば、コック長さんが頷きを返してくれる。


そう、ずた袋いっぱいにぎっしりと詰められていたのはひよこ豆だった。


 豆といえば日本人に一番馴染みのある豆は大豆だろうか。

ひよこ豆はといえば、時折サラダに混ぜるなどして食べられるようになったくらいか。


だが俺にはひよこ豆がとても好ましく思えた。


もちろん、ひよこに似ていて可愛いからだとか、ファンシーな理由からではない。



「一粒お持ちになりますか? どうせ食べきれずに捨ててしまうだけですから」

「捨てる?」


くれるというなら一粒といわず、抱えられるだけ持って帰ります。

いや、引き摺ってでも!


などと、さもしさ全開の発言をどうにか呑み込む。


 聞き捨てならなかった。

捨てるなんて、何があったのか?


小首を傾げてオウム返しに訊ねるとコック長は語り始めた。


「いえ、実はこの間入ったばかりの新人が誤って大量に注文してしまいまして。お恥ずかしいばかりです」


そう言われてみれば、俺の身長よりも高さのあるずだ袋が六つも壁際に並んでいる。


 前世の世界でいうヨーロッパと違って、豆中心の食文化では無いから、確かにこの量の消費は厳しいかもしれない。

スープの具としても見掛けた事は無かった。

この国では豆は炒っておやつ感覚で食べるくらいである。


でも豆って確か保存のきく食材じゃなかったか?

毎日少しずつでも料理に混ぜて消費していけば、捨てるなんて事はしなくても……。


そう告げようとした俺だったが、その提案は発せられず終いとなった。


「実は、その新人が慌てて運んだせいで、袋から溢れ落ちた豆に足を取られて転んでしまいまして……。かなりの量の豆が水浸しになってしまったのですよ」



 先程のコック長の話には続きがあったのだ。


 なるほど、水浸しにとなれば通常通りの炒って食べるという調理法は難しそうだ。

しかも濡らしてしまえば腐敗しやすくなる。


 それにしてもその新人はドジッ子属性か何かか?

バナナの皮でも滑って転んでくれそうな気がする。


 びしょ濡れのひよこ豆を前に、コック長は狼狽していた。

額に深い皺が刻まれている。


 料理人である彼は食材を無駄にするという罪悪感に責めさいなまれているに違いない。


だけど俺にとってはひよこ豆がびしょ濡れである事は好都合だった。


 俺に美味しいブリオッシュをくれたコック長さん。

ちょうど利害も一致するし、助けてあげればいいよね?



「びしょびしょの方を貰ってもいい?」

「構いませんが、いったいどうされるのですか?」

「それは出来てからのお楽しみっ」


 白いものの混じった眉を潜めたコック長さんの顔の前で人差し指を左右に振って、にやっと笑った。



 久しぶりにアレが食べられる。

俺の胃袋は先程満たされたばかりだというのに、その貪欲さは留まるところを知らなかった。


 コック長さんの料理は確かに美味しい。

その手によって生み出された料理はもはや芸術の域に達しているかもしれない。


さっきのブリオッシュだって、シンプルな見た目ながら頬っぺたが落ちる程の美味しさだった。

そこにケチをつけるつもりは無い。


だけど、贅沢な俺はたった一つだけ彼の料理に不満があった。



 懐かしい味覚への期待か、目の前の老人を驚かせてやろうという子供らしい悪戯心か。

意識せずして口角がつり上がる。



「手伝ってほしい事があるんだ」



 お願いを口にする俺を前に、白髪混じりの老人はひどく困惑した表情を浮かべていた。




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