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117話 ペア決めはミルクの香りとともに



 偽キーガン・アイゼンフートの葬儀から一カ月。


 バルトロメウスにかけられた疑いもすっかり晴れ、学生たちの関心は他の話題に移っていった。


「すっかり騙された……。キーファが偽名だったなんて……」

「そうか……? キーガンと洗礼名のフランシスを組み合わせてキーファ。実にわかり易いと思うが?」


 歯噛みする俺の正面で、器用にも頭上にスペルを浮かび上がらせて解説してみせるバルトロメウスは、何が難しいのかわからないという顔をしている。


「わかりにくいだろ! だいたい、他人の洗礼名なんてそう聞くもんじゃないだろう? 結婚式か葬儀の時くらいしか使わないんだから」


 自分が身内ゆえに、そもそも洗礼名を知っている方が珍しいということにバルトロメウスは気付いていない。


 今回の騒動は蓋を開けて見れば最初から最後まで情報に踊らされてばかりだった。


 亡くなったとされた人物がまさか人違いだとは誰も思いつかなかったらしい。


 まさしくそこが犯人の狙いだった。犯人が遺体の顔を焼いたのは、遺体の身元を偽装するためだったのだ。


 今にして思えば、現場の状況は不自然なことだらけだった。


 治安が良いとは言い難い区域で発見されたにしては遺体に荒らされた形跡はなく、顔のみが無惨に焼かれていた。


 身元を隠したいのなら、顔を潰すのみでなく身包みを剥がした上で転がしておくべきなのは誰でも簡単に思い至ったはずだ。


 あたかも故人の持ち物であったかのように現場に残された眼鏡。


 そして極めつけは毒薬入りの薬瓶だ。バルトロメウスを疑えと言わんばかりに薬瓶の中は『偽りの白』で満たされていた。


 おそらく、犯人にとってはキーガン・アイゼンフートの安否などどうでも良かったのだろう。


 犯人の狙いは最初からバルトロメウスだった。そう考えればいくつかの不審な点にも得心が行く。


 行方不明なことにかこつけてそれらしい遺体をでっちあげ、バルトロメウスに世間の疑いの目を向けさせる。


 そうすれば自ら手を下さずとも、バルトロメウスは貴族社会の闇の中に沈んでしまうのだから。



 これがルルの言っていた試練なのだろう。



 有罪判決を免れてすら、疑われることそのものが不名誉とされるのが貴族社会の常で、キーファが自らの葬儀に乗り込んで名乗り出なければ、今もバルトロメウスは厳しい目に晒されたままだったはずだ。


 それだけ、貴族にとって名誉の価値は重い。


「しかし、君がキー兄上と交誼を結んでいるとは思いもしなかったよ。いったい、何処で出会ったんだ?」

「いや、何処でって俺の家だけど……」


 まさか、夜な夜な屋敷に忍び込んで来たごろつきの中に混じっていたなんて言えるわけもなく、途中で口を噤む。


 今回の騒動で本来の身分が明らかになったキーファは、暫くの間アイゼンフート公爵家に滞在していたものの、三日と置かずにまた家出をした。


 家督相続の権利を放棄するとの書き置きを残して。


 バルトロメウスの兄は、公爵家より豆腐屋を自分の居場所として選んだらしい。


 これによってアイゼンフート公爵家の中でまたひと騒動あったものの、『居場所がわかっていなかった以前の状態よりまし』という結論に達したようだ。


 どこまでも人騒がせな兄弟だ。


 また、聴聞会での評決について、誰が有罪に票を投じたのか聞き出そうとしたものの、父上は頑なに首を振って教えてくれなかった。


 陪審員の評決の様子について語ってはならないと決められているそうだ。


 クラウゼヴィッツ公爵の反応から見るに、有罪の二票のうちいずれもクラウゼヴィッツ公爵のものではなく、他の誰かのものなのだろう。


 もしかしたらそこからルルと彼女を操る何者かの正体を掴めるかもしれないと思っていたのだが、現実はそう甘くはないらしい。



 そんなこんなで、進級早々に降って湧いた『キーガン・アイゼンフート毒殺騒動』は幕を閉じたが、学園は次なる話題で賑わいを見せつつあった。


 一部庶民の出の学生もいるものの、基本的に貴族社会の縮図のような学園。


 第四学年に進級した俺たちは、今年から本格的にダンスの練習を初めることになっている。


 ダンスは貴族の社交とは切っても切れない関係だ。


 どんなに容姿と学業に優れ、どんなに高貴な家柄の男性であっても、ダンスが下手とあっては大恥をかいてしまう。


 今年始まる講義の中で、最重要視されていると言っても過言ではない。



 このダンスについて、俺はとある不安を抱えていた。


 問題はダンスの腕前ではない。身長だ。



「最近、アルトはよくミルクを飲むのだな? ミルクは嫌いではなかったのか?」

「いや、それはお前のせいだから!」


 なみなみとミルクの入ったマグを一気に呷る俺をレオンが物珍しそうに見つめている。


 そう、俺はミルクにトラウマがある。それは城で起きた『ミルクでお腹チャプチャプ事件』だ。


 無限にミルクが出てくる魔道具のポットを面白がったレオンにとんでもない量のミルクを注がれ、飲まされた俺は、それ以来ミルクに対して苦手意識を持つようになった。


 しかし、今はそんなことも言っていられない。何しろ、一日でも早く、一ミリでも大きく身長を伸ばさなければいけないのだから。


 今年の必修科目となっているダンスの講義では、まず最初の一ヶ月は基本の姿勢を学び、その後は男女でペアを組んで練習することになっている。


 このペア決めが俺にとって心配の種となっていた。


 講義の際のペアの希望があれば通してもらえることになっており、俺はそれを聞くや否やイルメラにペアを申し込んだ時のことだ。


「し、仕方ないから貴方のペアになって差し上げますわ。ですが、貴方は殿方ならもう少し身長が必要なのではなくて……?」


 いつものツンデレ節と言われればそれまでなのだろうか?


 つんと顔を逸らしながら一応、承諾はいただけたものの、身長について触れられた俺は大きな衝撃を受けていた。


 通常、男女でダンスのペアを組む際は当然の事ながら、リードする必要のある男性の方がある程度身長が高い方が良いとされている。


 一方、俺とイルメラの身長はというとほぼ横並びだ。


 ほんのわずかの差で俺の頭の方が高い位置にあるものの、これが逆転されてしまえばペアを組むのが難しくなる。



 なまじ前世で経験があり、ダンスに自信のあった俺は自分の身長という最大の弱点をこの時初めて自覚した。



 俺自身の成長速度が遅いわけではないが、この世界においても女性の方が男性より早く成長期が到来する傾向にあるとされている。


 それに加えて、同級生たちの中でも俺は誕生日が遅く、小柄な方だった。



 このままでは、イルメラに恥をかかせてしまい、最悪の場合、嫌われてしまうかもしれない。


 そんな最悪の可能性に思い至った俺は毎朝毎夕、暇さえあればグビグビとミルクをがぶ飲みしている。


 身長を伸ばしたいなら、まずは牛乳だろう。



「そんなにたくさん飲んだら、お腹壊しちゃうよ?」

「フハハハハ! 今宵はミルクパーティーといこうではないか!」

「余と早飲み競争をするそ!」

「……可哀想に」



 心配そうに見つめてくるルーカスに、悪ノリを始めるバルトロメウスとレオン。


 非常に気の毒なものを見るような目でディーに見られたのには、気付かなかったことにした。



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