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幕間6 降って湧いた災難(クラウゼヴィッツ公爵視点)

遅くなりました!




「ああ。来たな、堅物」

「卿の口は本日も無駄によく回ることだな」


 聴聞会の会場に足を踏み入れてすぐに近寄ってきた古い付き合いの知人の陰に、私は顔を顰めた。


 法曹界のトップに立つ者として、誰よりも早く到着することで時間厳守と規則を重視する姿勢を示す。


 それは私のポリシーであり、誇りでもあった。


 そんな私の矜恃を奴は打ち砕いたのだ。

 


「貴君はもう少し、親交や友誼を大切にした方がいいと思うがな。政治や外交、とくにこのような場においては、話術は武器になり得るだろう?」



 爵位としては奴より自分の方が上だが、そんなものは何の意味も持たない。


 現在の四つの公爵家と同じく建国の功臣で、国内最古の歴史を持ち、代々当主が数々の輝かしい功績を打ち立てながら、(かたく)なに陞爵(しょうしゃく)を拒んできた一族。それがシックザール侯爵家だ。


 彼らが収める土地は王の直轄地を除く中央区域で、他国との国境こそないものの、要所が点在している。


 だからこそ彼らは陞爵を拒んでいるのだ。


 己が栄誉より、国の平穏を願ったと古参の貴族たちの間では美談のように語り継がれている。


 シックザール家は別格。そして、認めたくはないが奴自身の手腕も優れており、宰相として存分に辣腕ぶりを発揮している。それが己との違いを見せつけられているようで腹立たしい。



「ふん、余計なお世話だ。用が無いのならさっさと自分の席につけ」

「ああ、そうだ。貴君への手紙を預かっているのだが?」



 苛立ち紛れに顔の前で手を振って、羽虫のように追い払おうとしたところで、さも今思い出したというように奴は懐を探り始めた。


 実に意地の悪いタイミングで本題を切り出してくるものだ。



「何故、卿が私宛の手紙を?」

「息子から、聴聞会が始まる前に必ずクラウゼヴィッツ公爵閣下に渡して欲しいと頼まれてな」

「……卿の子息が?」



 シックザール侯爵の息子の手紙。


 そう聞いて、半ば無意識に奥歯を噛み締めた。



 遡ること数年。あの出来事は忘れもしない。


 アルフレート・シックザールはディートリヒの手紙に便乗して、私に慇懃で小生意気な手紙を送りつけてきたのだ。



 あの早熟な子どもが娘に懸想していることは、おおよそ察しがついていた。


 あの目つきは絶対に娘を狙う獣の目だ。


 私としてはあんないけすかない男の家に娘をやってなるものかと思っていたのに、彼の子はあろうことか私の日頃の悩みとその原因及び解決方法を手紙に(したた)めて送ってきた。


 敵に塩を送られる。これほど屈辱的なことはない。



 助言に従うべきか、従わざるべきか?


 迷いに迷った挙句、助言を受け入れ禁煙を決行したところ、確かに愛娘から露骨に避けられることは減った。彼の言葉が正しかったのだ。


 しかし、それがまた自分より彼の方がイルメラを理解していると鼻先でせせら笑われているように感じられて、癪に障った。



「何故私が卿の息子の手紙を受け取らねばならんのだ!?」



 当時の苦々しい記憶を思い起こして、思わず声を荒らげながら差し出された手紙を押し返す。


 すると、眼前の男は何故かわざとらしいくらいに大きな溜め息をつくと、思案顔をしながら手紙を持っているのとは反対の手で己の顎をさすり始めた。



「受け取らぬと? これは困りましたな。貴君のご子息とご息女からの手紙も一緒に預かっていたのだが、これも受け取らないと……?」

「何? それを早く言わぬか!」



 やはりこの侯爵は意地が悪い。


 私が手紙を突き返した後で、隠し持っていた二通の手紙を合わせて提示してきたのだ。


 今度はそれらをひったくるような勢いで受け取ると、侯爵に背を向けるとその場で一通目の封を切った。



 背後から、何やらくつくつと押し殺したような笑い声が聞こえるが無視だ。



 便箋を拡げると、少し丸みを帯びた可愛らしい文字が飛び込んでくる。


 イルメラの手紙のようだ。



『尊敬するお父様へーー』



 まず、書き出しの部分に視線を走らせて感涙に胸を詰まらせた。


『尊敬するお父様』だ。イルメラが自ら書いて寄越した手紙に『尊敬するお父様』と書かれている!


 なかなか視線を合わせてくれないことの多い娘が、私を尊敬していると言ってくれている!


 まさに、天にでも登るような心地だ。



 しかし、この時の私はまだ知らなかった。


 天から、一気に地の底へと叩き落とされる未来が待ち受けているということを――。



『尊敬するお父様へ。身勝手ながらお父様にお願いがあってお手紙を書きました。どうかお願いです。この度、聴聞会にかけられることになっているバルトロメウス・アイゼンフート様を有罪にしないで下さい。私がお父様に愛されていないという事は理解しています。ですが、生涯にたった一度きりのお願いだと思って聞き届けて下さいませんか? 心より、心よりお願い申し上げます。イルメラ』



 読み終えると同時にはらりと便箋が私の手から滑り落ちる。


 いったい、何がどうなっている?


 私が娘をーーイルメラを愛していないだと?


 有り得ない。目の中に入れても痛くないと思っているくらいだ!


 どうしてあの子は私に愛されていないなどという勘違いをしているんだ?



 激しい動悸に襲われながら、とりあえず二通目の手紙の封を切る。


 今度はディートリヒだ。



『お父様へ。バルトロメウスを有罪にしたら、爵位は継ぎません。ディー』



 宛名と署名を含めて三行しか使われていない簡素な手紙。


 しかし、その手紙はイルメラのものに勝るとも劣らない衝撃を与えた。



 いつも何を考えているかよくわからないあの子が、初めて私にした意思表示が『友人を断頭台送りにしたら、爵位は繋がない』だ。


 急に降って湧いた厄災のようだ。


 またも便箋が私の手をすり抜けて足元に転がった。



「どうした? 何かあったのか?」



 サッと顔色を失くした私の前にわざわざ回り込んで訊ねてきたシックザール侯爵は、尋常でない私の様子を面白がるでもなく、至って真面目に平静な表情を顔面に貼り付け、こちらを気遣っているかのような振る舞いを見せる。


 それが妙に憎たらしい。



 手紙は二通とも、この手で開けるまで封はきっちりと閉じられていた。


 それなのに侯爵の表情がどこか訳知り顔のようにも見えるのは、何故なのか?



 そこまで考えた私はある一つの可能性に思い当たった。


 手紙そのものは読んでいなくても、きっと奴の息子から内容について何か聞かされていたに違いない。


 ならば、この状況を打開する方法はアルフレート・シックザールの手紙に書かれているのかもしれない。



 そうして私は三通目、もともと読む気のなかった手紙を広げた。



『親愛なる公爵様。突然のご無礼をお許しください。クラウゼヴィッツ公爵様は、“疑わしきは罰せず”という言葉をご存知でしょうか? これは罪を犯したことに合理的な疑いが残る場合には、有罪判決をしてはならないという考えを示した言葉です。公爵様がこれとは正反対のお考えを持たれているのは承知しております。ですが、今回だけ、この度だけはそのお考えを曲げて頂けませんでしょうか? 犯罪抑止のため、また国民を納得させて国や為政者の威信を保つために、一応の結末が必要なのは事実です。ですが、誤って罪のない命を奪ってしまう可能性とそれが隣り合わせであることもまた紛れもない事実です。バルトロメウス・アイゼンフートを、私の友人の命をどうか救って下さい。アルフレート・シックザール』



 相変わらず子どものものとは思えない綺麗にととのった文字で紡がれた文章はまさしく嘆願のようだ。


 本日見た中で一番長いその手紙は、憎らしいほど理路整然と自分の考えの正当性を説いている。



「おや? お二人ともどうなさったのですか?」



 いったい何がどうなったのか、どうすべきなのか。


 考えが纏まらないまま立ち尽くしていると、新たな声が室内に響き渡る。



「ドッペルバウワー公爵……。何でもない」

「何でもない、ね……?」


 互いに目配せをしながら首を竦める南領の公爵たちに首を振って、足元に散らばった手紙を拾うと自分の席につき、ガンガンと耳鳴りのし始めた頭を抱えた。



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