115話 閉ざされた棺
キーガン・アイゼンフートの葬儀は、慣例に則って王都の聖堂で執り行われることとなった。
三年ごとに誕生日の日に訪れている、あの聖堂だ。
祭壇の中央、女神像の正面に安置された棺の周りでは無数のキャンドルの灯が揺らめいて、白い花々に長い影を落としている。
パイプオルガンの荘厳な音色を伴奏に、透き通るように澄んだソプラノの美しい声で朗々と歌い上げられているのは、死者の魂を鎮め、天上へと導いてもらうための神への祈りの歌だ。
葬儀の参列者として聖堂に一歩足を踏み入れた途端、眼前に拡がったその光景は俺の脳内である出来事をフラッシュバックさせた。
星詠塔の亡霊騒動の際に、占い学のヨシカ先生から不吉な予言めいた言葉を掛けられたあの出来事だ。
結局のところ、あの日の占いは現実のものとなった。
友人を無実の罪から救うことは出来たが、友人の心まで救うことは出来なかった。
棺により近い、前方の席で力無く項垂れているバルトロメウスの背中を見て、奥歯を噛み締める。
今回の事件について、聴聞会が開かれたのは三日前のこと。
手は尽くしたものの、それでも不安でたまらなかった俺は、その日の講義予定を終えるとすぐに外出許可の申請をして学園を飛び出し、城へと移動した。
宰相である父上に会うという名目で建物の前で待機している記者たちを尻目に会場の目の前まで押し入った俺は、今か今かと評決を待った。
扉の前で俺が待っていたのは、実際のところそう長い時間ではなかったはずだが、あの時は一秒一秒が永遠であるかのように長く感じられたのをよく覚えている。
そうして漸く出てきた父上に会場まで押し掛けた事を咎められつつも、二対七で無罪に決まったと聞き、首筋がひりつくような極度の緊張から解放された俺は安堵すると共にへなへなとその場に崩れ落ちた。
お前もまだまだだなと父上に揶揄されたが、放心状態でへたり込んでいた俺にはそんなことはどうでも良かった。
これでバルトロメウスは無罪放免だ。
遅れて実感し始めた喜びを噛み締めようとした俺は、しかしすぐに表情を引き締めることになる。
重い足取りでゲオルグさんとアイゼンフート公爵と思われる人物に支えられながら部屋から出てきたバルトロメウスは、たった一日で見るからにやつれ、憔悴しきっていた。
失ってしまった命は戻らない。
そんな当たり前の事実がとても重かった。
その場で父上から葬儀の日程を聞かされ、バルトロメウスのみならずゲオルグさんとも親交が深かった事から参列するように言われた俺は今、こうして聖堂に足を踏み入れている。
参列者の殆どが成人した大人ばかりの中で、まだ少年のバルトロメウスの背中はひと際小さく見える。
それは、俺も例外ではなくて。
「君は……」
「ご無沙汰しております」
大人にぽつんと混じった子どもを見つけて、片眉を吊り上げたクラウゼヴィッツ公爵の前で、何とか背筋を伸ばして挨拶する。
彼も聴聞会に参加していたはずだが、あの日は顔を合わせていない。
春だというのに、聖堂の中の空気は遺族の哀惜の念に呼応しているかのように冷たくて。
身震いしそうになるのをなんとか堪える。
「ひとつ訊くが、息子と娘をけしかけたのは君かね?」
「何のことですか?」
どうやら公爵は、俺の顔を覚えてくれているらしい。
俺の隣に立つ父上と目礼のみで挨拶を交わした公爵は、未だ入口付近で立ち止まっている俺を壁際に連れて行くと、再び口を開いた。
けしかけた、などと不穏当な表現を口にする公爵の顔面は時折ヒクヒクと痙攣しており、なるほど不機嫌なようだ。
いや、クラウゼヴィッツ公爵はもともと『世界一不機嫌だ』と言わんばかりの顔立ちをしているけれども。
「あの……君が父親伝手に送ってきたあの手紙のことだ。あれを書かせたのは君なのかと聞いている」
おおよその見当はついているものの質問の内容が明確ではないと突き返すと、公爵は苦虫を噛み潰したような表情はそのままに早口でまくし立てた。
やはり手紙のことで間違いないらしい。
「違います。あれはディー……公爵の息子さんが言い出したことです」
「それはまことか?」
「はい」
「し、しかし、イルメラはともかく、あやつが私宛の手紙を自発的に書くとは思えん。それにあの内容……」
後半は独り言のようにブツブツと呟く公爵は疑心暗鬼に陥って、もともと厳めしい顔つきなのが、さらに凄味を増している。
幼い子どもが見たら、怖がって泣き出してしまうくらいには険しい。
大人でも気の弱い人なら、急いで回れ右をして裸足で逃走してしまうかもしれない。
「それでも、手紙を受け取ってなお公爵様は信条を曲げなかったのですよね?」
「……? それはどういう意味だ?」
俺はおろか、娘・息子の願いすらもクラウゼヴィッツ公爵は耳を傾けず、有罪に票を投じたのだろう。
結果的に無罪となったものの、反対意見の二票のうち一票はクラウゼヴィッツ公爵のものに違いない。
そんなふうに考えて、もはや頑固というよりも意固地だと恨みがましい気持ちをぶつけた俺に対し、意外なことに公爵は虚を突かれたように瞠目し、首を傾げた。
「もしかして、有罪に入れたのはクラウゼヴィッツ公爵じゃないのか……?」
今のクラウゼヴィッツ公爵の反応は、明らかに俺への牽制などではなく、困惑を示したものだった。
だとしたらいったい誰が……?
「アルちゃん、そろそろ葬儀が始まってしまうわ」
「母上……」
いったい誰がバルトロメウスを有罪にしようとしたのか?
当日、聴聞会に参加していた人物しか知り得ない情報を聞き出そうと口を開きかけたところで、母上に着席を促される。
会場を見渡せば、等間隔で設置された木製のベンチはいつの間にか大部分が黒い服で身を包んだ人たちで埋まっている。
「でも……」
母上に手を引かれ、後ろ髪を引かれる思いのまま、ぽっかりと空いた前の方の中央主通路側の席に腰掛けると、程なくして鐘が鳴り、葬儀が始まった。
歌が止み、静まり返った空気の中で微かな衣擦れの音をさせながら現れた司祭が香炉を手に取り、棺に煙を纏わせると、女神像を背にして参列者たちに目を向ける。
「ここにお集まりの兄弟、姉妹たちよ。先日、敬虔なる信徒にして我らが隣人のキーガン・フランシス・アイゼンフートが神の御許に渡られた。かの者の訃報に、多くの者たちが哀しみを覚え、涙を流したことでしょう。しかし、今は祈りましょう。かの者が天の国で安らぎを得られますように――」
司祭の祈りが終わると参列者たちが一人ずつ前に進み出て物言わぬ棺に花を手向け、自席に戻るまでの間に遺族に声を掛けていく。
自分の順番が来て、白い薔薇の花をそっと棺の上に置く。
葬儀の最中にもかかわらず棺が閉じられたままなのは、遺体の状態を考慮してのことだろう。
「この度は……」
「息子のバルテルのために、色々と尽力してくれたそうだね。ありがとう。後日改めてお礼を述べる機会を設けさせていただきたい」
家族との死別は、つらく悲しいもののはずだ。
それが、殺されたとあってはさぞや無念だろうと遺族の心境を思うと、掛けるべき言葉が見つけられずにいた俺に、アイゼンフート公爵の方から声を掛けてくれた。
そんな公爵の目元にも、隈が色濃く浮かんでいる。
バルトロメウスの方を見ると、彼は俺に目を向けることなくただ俯いていた。
そうして、いよいよ埋葬のために聖堂の外へ棺が運び出されるという時。
「おお! ここがキーガン・フランシス・アイゼンフートの葬儀会場か!」
閉ざされていた聖堂の大きな扉を両手で押し開け、終盤の場違いなタイミングでやってきた場違いな人物が、聖堂中に響き渡る声で叫んだ。
次話はイレギュラーですが週末に投稿予定です。




