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114話 アイゼンフート家のお家騒動




「今朝の新聞をご覧になられたかしら?」

「ええ。本当に、驚いてしまいましたわ」



 翌日。


 教室の空気はひどくざわついていた。


 じきに魔法史の講義が始まるというのに、学生たちの関心は別のところにあるようだ。



 寮を出て、教室へ向かう途中も、あちらこちらから様子を窺うような視線が自分たちに向けられているのを肌に感じたけれど、教室に入ってそれは露骨さを増したように思う。



「アイゼンフート公爵家のお家騒動だってな」

「現公爵の次男と三男が手を組んで、ご長男を殺害したとか」

「あら、わたくしの読んだ記事には末の子の単独の犯行と書いてありましたわ」

「次期公爵の座を巡っての兄弟間の血塗られた争いだなんて、醜いですわね」



 今朝の新聞で、アイゼンフート公爵家長男の殺害事件は世間に大々的に報じられ、センセーショナルな話題として学生たちの関心を強く引いている。


 昨日、騎士団が白陽寮に乗り込んできたのを目撃した学生も何名かいたようで、そのことと合わせて記事の内容や推論、私見などを語っているようだ。


 おそらく、王城もここと似たような状況だろう。



 今回の事件について、複数の新聞社が大きく取り上げていたが、内容が合致する部分とそうでない部分がある。


 おおよそ合致している部分の一つは遺体発見現場の状況に関する内容だ。


 

 各社の記事によると、キーガン・アイゼンフートの遺体は数日前に王都の外れの一角にある路地裏で発見されたらしい。


 遺体は損傷が激しく、頭部が広範囲に渡って焼け爛れており、顔の判別が難しい状態だったそうだ。


 襟元ははだけており、喉元には、毒に苦しんでもがいた際に出来たと思われる引っ掻き傷が痛々しく刻まれていた。


 そんな遺体の傍には眼鏡と、割れた薬瓶が落ちていたという。


 これが遺体の身元の特定及び、バルトロメウスの捜査線上への浮上に繋がったらしい。



 何年か前にツァハリスに聞いた話によると、眼鏡は一般家庭の数カ月から半年分の生活費相当の値がつくほど高価なもので、そんなものを持っている人間は一部の富裕層に限られるだろう。


 事実、仕立ての良い服を纏っており、至るところに高価な装飾品があしらわれていたことで、遺体が貴人のものであるとすぐに判断されたが、最終的には遺留品の眼鏡のフレームに刻まれた天秤の紋章が身元特定の決定打となった。


 天秤は、アイゼンフート家の家紋なのだ。



「自ら開発した薬物で実の兄を殺害って。さすがアイゼンフート公爵家だよな」

「神童はただの殺人鬼だったってわけだ。それも身内殺しの」

「アイゼンフート公爵家のご兄弟は皆、変わりものという噂がございましたけれど……」

「最初から、兄君を毒殺するために新薬を開発なさっていたのだとしたら。……考えただけでゾッと致しますわね」

「お黙りなさいっ」



 本人がいないのをいいことに、辺りを憚ることなく悪し様に言ってアイゼンフート公爵家を貶めようとする学生たちをイルメラが睨む。


 冷水を浴びせるようにピシャリと放たれたイルメラの声に、同い年のはずの少年少女たちが萎縮したように固まった。



「誇り高き皇国の貴族ともあろう者が、真偽のほども確かめずにそのようにベラベラと。はしたないとは思いませんの? 品性を疑いますわ!」

「で、ですが、イルメラ様。遺体の傍に残されていた薬瓶の中身は、バルトロメウス様ご自身の手で開発された毒薬だったそうじゃないですか!」

「それも問題の毒薬は無味無臭で、配合や製法はバルトロメウス様ご自身しかご存知ないのでしょう?」



 語気を強めて窘めようとするイルメラに、中心となって噂話をしていた学生たちは身を固くしながらも反論してきた。


 バルトロメウスしか作り方を知らないはずの薬によって殺害されたなら、バルトロメウスが関わっているのは間違いないはず。


 婉曲な言い回しながら、言外にそう語っている。



 たしかに、俺が目を通したどの記事にも、遺体発見現場に落ちていた薬瓶の中身は、バルトロメウス自身が作り出した毒薬の『偽りの白』であることが確認されたと書かれていた。


 バルトロメウスが重要参考人とされたのは、このためだろう。


 高値で売れるであろう装飾品が手付かずのまま残されていたことで、物取りによる犯行としては不自然と思われたことも、バルトロメウスに疑いの目が向けられる一因となった。



 だが、これらの共通する内容の中でも、俺にはいくつか気になる点があった。



 まず第一に、故人の服装について。


 街の路地裏というロケーションにも拘わらず、上等な仕立ての服に、豪奢な装飾品を遺体が身に付けていたことだ。


 王族や、中流以上の貴族ともなれば、お忍びで街に繰り出す際には目立たぬように町人に扮したり、粗末な外套で全身を覆うのが普通だ。


 仮に、バルトロメウスの長兄が変人奇人揃いと呼ばれるアイゼンフート家の血を遺憾無く発揮して、煌びやかな衣装を纏って街を練り歩いていたとして、何の目撃情報も上がっていない現状には疑問が残る。



 第二に、遺体の状態について。


 遺体には苦しさのあまり喉を掻き毟った爪痕がミミズ腫れのように残っていたらしいが、これも奇妙だ。


 ルーカスが偽りの白によって瀕死の重体に陥った時の様子を実際にこの目で見たけれど、衰弱している様子はあっても、苦しさのあまり正気を失ったり、激しい痛みや動悸、呼吸困難といった症状は見られなかった。


 記事に記載されている内容から想像する最期は、俺の記憶にあるルーカスの状態と大きく異なっている。


 たった一例を見ただけで、個人差と言われてしまえばそれまでなのかもしれないが、どうにも腑に落ちなかった。



 さらに、顔の火傷は遺体の状態から推測すると毒殺された後に焼かれた可能性が高いけれど、いったい何の目的でおこなったのだろうか?


 顔が判らないように入念に焼いたにしては、服飾品は手付かずだった。


 身ぐるみを剥いで転がしておけば良かったものを、これではまるで身元を特定してくれと言わんばかりだ。


 被害者の身元を知られたくなかったのか、知らしめたかったのか?


 二つの状況がちぐはぐで、よく分からない。



「それがどうしたと言うの?」

「ゲオルグ様はともかく、やっぱりバルトロメウス様が今回の事件と無関係とは思えませんわ」

「そうですわ。公爵位欲しさに、次期公爵の座に最も近い長兄を殺害した。動機としては十分ではございませんか?」

「くっ……」



 教室のあちこちでさんざめいていた噂話の声はいつの間にか止んでいて、イルメラと彼女に異を唱える学生たちのやりとりに興味深げに耳を傾ける者たちで溢れている。


 バルトロメウスが犯人として疑わない学生たち。彼らは数の優位で押し切ろうとしているように見える。



 犯人についての記述。具体的に言うならば、バルトロメウスの単独犯とするか、ゲオルグさんと共謀した犯行か?


 この辺りが一番、新聞社や個人によって見解が分かれる点だった。



 キーガン・アイゼンフートが死ぬことで得をする人物は誰か?


 たしかにその考え方は推理の取っ掛りとして有効だろう。


 だけど、彼らは間違っている。



「バルトロメウスくんはそんな人じゃないよ」



 俺の気持ちを代弁するルーカスの声は穏やかで、だけど愁傷を携えているように聞こえる。


 俺の方を振り返るルーカスにこくんと頷いて話を引き継ぐ。



「君たちはバルトロメウスという人を解っていない」

「それはどういう意味ですか?」

「君たちとバルトロメウスは違う。……ああ、位の高さの話ではないよ。バルトロメウスは……アイゼンフート公爵家の人々は研究こそ人生の至高の喜びとする一族だ。彼らは爵位や権力になんて興味を持たないよ」



 バルトロメウスはいつでも真っ直ぐに研究馬鹿だった。


 ゲオルグさんだってそうだ。


 一見常識人のように見える彼も、医者として優れた能力を持ちながら王子の毒見役なんて危険な仕事をしているのは、相当な変わり者だ。


 それも薬物への飽くなき探究心が故だろう。


 アイゼンフート家の人間を常識のみで推し量ろうとしてはならない。



「ご友人を庇いたいお気持ちはお察ししたしますわ。ですが、バルトロメウス様は重要参考人としてお城に連行されたのは事実でしょう?」

「僕たちとアルフレート様。どちらが正しいのか、裁判ではっきりするでしょう」



 自信満々なのは、きっと最近の裁判の事情を知っているからなのだろう。


 地位を望まない貴族などあり得ないというのが彼らの常識で、俺の言葉には耳を貸さなかった。



「クラウゼヴィッツ公爵様は貴族の鑑ですわね」



 勝利宣言のように、厳格な父親を褒め称えられたイルメラの表情が曇る。



 手紙は出した。


 これからほんの数刻後、聴聞会が始まる前に必ず目を通してもらえるように、魔法で父上のもとに送り届けた。


 宰相である父から、ブロックマイアー、クラウゼヴィッツ、アイゼンフートの三公爵に渡してもらう手筈だ。



 息子・娘と俺から届いた三通の手紙を、クラウゼヴィッツ公爵がどう判断するのかはわからない。


 けれど、ディーもイルメラも、思い思いの言葉で、それぞれの考えのもとにバルトロメウスの無罪を訴えた。


 俺は俺で、昨日の時点で詳しい状況がわからないながら、『疑わしきは罰せず』と推定無罪にすべきだとしたためた。



「ほら、皆さん。講義の時間ですよ!」



 手を叩きながら教室に足を踏み入れた先生が、刻限を告げる。


 席について一歩も動けない状況の中、俺たちは祈るように空の向こうへと思いを馳せた。

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