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113話 貴族の名誉




「手紙だって?」


 オウム返しで聞き返す俺に、ディートリヒはゆっくりと頷いてみせた。



「アルトは裁判の流れを知ってる?」

「えっと、まず原告側の証言。それから被告側が原告の主張を認めるか、否定するかを選択。肯定した場合はそのまま判決へ。否定した場合は、陪審員らの多数決により、有罪・無罪の判決が下される。……はっ、そういうことか!」


 だしぬけな質問に怪訝な顔をしながらも、混乱した頭の中をなんとか整理しながら答えていた俺は、途中でディートリヒの質問の意図に気付き、ハッとした。


「そういうことって、どういうことなの?」


 一人で納得する俺にルーカスが詰め寄る。


 濡れた紫の瞳の奥が僅かな可能性を求めて揺らめいている。


「今回のような重大な犯罪の場合、陪審員は四公爵家の長もしくはその名代と各大臣、そして宰相が務めることになっている」

「つまりはどういう事なのだ?」

「過半数の陪審員が無罪と言えば、バルトロメウスは助かる」


 いつも以上にせっかちなレオンに急かされ、簡潔に結論を述べると重苦しかった談話スペースの空気がフッと軽くなったのを感じた。



「ってことは、それぞれのお父さんにお願いすればいいんだよね? 僕も書くよ!」


 意気揚々と宣言したルーカスは、パタパタと駆け足で談話スペースを出て行った。


 おそらく、自室に便箋と封筒でも取りに行ったのだろう。


 活路を見出し、しかも自分が役に立てそうな状況のおかげか、足取りも軽やかだった。



「アイゼンフート公爵は、まさか自分の息子が不利になるような発言はしないだろうからいいとして。ルーカスとディー、それに俺が手紙を書いて魔法で届ければ、四票だ。……あれ? 陪審員って全部で何人だっけ?」


 指折り数えていたところで、そもそもが何人だったのか失念していたことに気付き、ディーに視線を向ける。


「九人だよ。父上……クラウゼヴィッツ公爵は法務大臣でもあるけど、原則として一家門につき一票だから。大臣の枠は誰か別の人間が呼ばれるはず」

「……となると、一票足りぬではないか!」



 大変な事実に気付いてしまった。


 そんな面持ちでレオンが声を荒げる。



「やはり、余が陛下に……」

「ダメだ。量刑を定めるのが陛下なら、有罪か無罪か決めるのは陪審員の役目だ。たとえ陛下であっても、陪審員の決定を覆すことはできない」

「しかし、余はバルトロメウスを助けたいのだ!」

「俺だってそうだよ! 俺だけじゃない。ルーカスも、ディーも、イルメラちゃんだって、助けたいと思ってる。だけど、陛下とお前の関係がこじれたらこの国はどうなる?」

「アルトも、ルーカスも、ディーやイルメラも、バルトロメウスのために出来ることがある。だが、余は違う。王子なのに。王子であるが故に、友が苦しんでおる時に、余は何も出来ぬのか?」


 レオンの碧い瞳は怒っているようで、でもそれ以上に寂しげだった。



 ならば、王族とはいったい何のために存在するのか?


 レオンの瞳がそう問いかけてくる。


 その答えを、俺は持ち合わせていない。



「……ごめん。レオンの気持ち、解ってるつもりで、全然解ってなかった」

「余は……オレは、アルトに怒っているわけではない」



 謝罪を口にする俺に、レオンは頭を振る。


 『オレ』と敢えて言い直すレオンの声は、重く沈んでいた。



「……そうか。出来ることは全部する。そうするしかないだろう? 面識のない陪審員……大臣たちや南のドッペルバウアー公爵だって、バルトロメウスを有罪にしようとしていると決まったわけじゃない。今はブロックマイアー公爵、クラウゼヴィッツ公爵、シックザール侯爵と連絡を取って……」

「……だ、ですわ……」


 喧嘩をした後のような気まずさを抱えながらも、今できることを再度説明していた俺の言葉に被せるように、イルメラが何かを口走った。


「……え? イルメラちゃん、どうした……の?」


 ちょうど自分が話している最中だったこともあり、うまく聞き取れずに振り向きながら聞き返した俺は、俯いた彼女を視界に捉えた途端、瞠目した。


 血の気が引いた様子で、明らかに顔色が悪い。



「お父様に手紙を送っても、無駄なの……」

「……それは、どういうことなんだ?」


 意味がわからない。


 青褪めたまま(かぶり)を振るイルメラの様子に尋常ならざるものを感じて反問すると、彼女は唇を震わせながら答えた。


「お父様は……、クラウゼヴィッツ公爵は、犯罪の疑いで裁判に掛けられた者は皆、罰を受けるべきとお考えなのよ」

「つまり、疑わしきは皆、罰すべき、と?」


 こくんとイルメラが無言で頷いたと同時に、バサバサと紙束が落ちる音がした。


 見れば、通路付近でルーカスが手ぶらで立ち尽くしている。


 その足元には、彼が取り落としたであろう何種類もの便箋や封筒が散らばっている。



「ディー、今の話は本当なのか? 過去、クラウゼヴィッツ公爵が陪審員を務めた裁判はどうなった?」

「すべて、有罪で評決が下されたよ」

「そんなっ……!」


 嗚咽(おえつ)のような声を上げるルーカスは、根が生えたようにその場から動けないでいる。


「もしかして、そもそも重犯罪の裁判で無罪判決が下ることの方が稀なのか?」


 頼むから、お願いだから、違うと言ってくれ。


 祈るような気持ちでディーを見つめると、俺の願いも虚しく、彼は首肯した。



 その意味するところは、票を一つ失うだけではない。


 俺が考えていたよりもさらに厳しい状況に置かれている現実を目の前に突きつけられて、平静ではいられなかった。



「くそっ……!」


 悪態をつくと同時に、目の前のテーブルを殴りつける。


 力いっぱい殴り付けたのに、拳より胸の方が痛かった。



 貴族にとって名誉とは、時に命よりも重要視される。


 犯罪の、それも殺人のような重犯罪ともなれば、その嫌疑を掛けられただけでも大変な不名誉とされ、一族から切り捨てられる可能性もある。


 加えて、おそらくこの国、この世界には指紋照合やDNA鑑定のような、現場に残された証拠品や遺留品から犯人が特定する技術は存在しない。


 犯人の特定が難しいということは、逆に言えば特定の誰かが犯人ではないことの証明も困難になる。


 犯行の動機足りえる背景があって、犯行可能な人物であれば、ほんのちょっとしたことがきっかけで疑われかねないのだ。


 世間を騒がせた事件に対して何らかの仕舞いをつけたい人物にとっては、特定の誰かが疑わしいという状況と、疑われた時点ですでに有罪という風潮はすこぶる都合がいい。



 自分で考えていて、吐き気がしそうだ。



「どうすればいいんだ……?」


 胸の奥の感情を吐露するように呟いても、答えは返って来ない。



 浮上しかけて、またどん底に突き落とされて。


 鬱屈とした空気に、息が詰まりそうになる。


 それでも諦めの悪い俺が諦めきれずに、目だけは見開いて必死に活路を探していると、ディートリヒはおもむろに立ち上がるとルーカスの足元の便箋の一つを拾い上げ、再びテーブルについてさらさらと羽根ペンを走らせ始めた。


「何を書いているんだ?」

「父上への手紙だけど?」


 顔を上げたディーは、何を今更と不思議そうに俺を見つめて再び便箋に向き直る。


 見ている僅かな間に書き終えたらしい彼は、ペンを置くと便箋を折り畳んだ。


「アルトは書かないのか?」

「……書く。書くよ」


 いつも話を聞いているのか聞いていないのかよく判らないディーだけど、ここに至るまでの会話には彼も加わっていて、今回ばかりは聞いていると確信が持てる。


 普段はクラゲのように掴みどころがなく、宙を漂っているかのように見えるディー。


 それなのに、ここへ来て誰よりもしっかりと地に足をつけている彼の翡翠の瞳は、真っ直ぐに自分のやるべき事だけを見据えているように思える。



 そうだ。


 望みが薄いからといって、望んではいけないわけじゃない。


 前例がないからといって、不可能とは限らない。



「僕も書く!」

「私も書かないとは申しておりませんわ!」

「余も、クラウゼヴィッツ公爵に手紙を出そう!」


 止まっていた時が動き出し、ディーと俺に続けとばかりにルーカス、イルメラ、レオンがテーブルに便箋を拡げ、ペンを手に取った。





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