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108話 三度目




 学園に入学して、三度目の誕生日を迎えたその日。



『……と、或人!』



 脳内に直接語り掛ける女神の声で俺は目覚めた。



「……おはよぅ……ふぁ〜……」



 念話だけでいいのに、声に出してしまっているのは起き抜けで頭が回っていないせいだ。


 それに、やや寝不足なせいもある。



 冬の肌寒さにブルブルっと身を震わせながら、意を決して寝台から抜け出すと、大きく伸びをした。



『お誕生日おめでとう』

『ありがとう、母さん』

『ママでしょ、或人?』

『何度言われても、呼ばないから』



 女神様の声で目覚め、女神様に一番乗りで誕生日を祝福してもらうだなんて、ヴァールサーガーの神官が聞いたら咽び泣いて羨ましがるくらい贅沢な話なのだろう。


 たとえそれがどんなに俗っぽい女神様であっても。


 俺にとっては女神様より先に『母さん』としてのイメージが定着してしまっているので、どうしても懐かしさの方が先に立つ。


 母さん呼びとママ呼びの問答も、前世で何度繰り返したかわからない。



 懐かしさに頬を弛めながら、サイドテーブルに乱雑に置かれた本が目について手に取り整頓を始めた。



 今日は三年に一度、神殿に行く日だ。


 九歳の誕生日、アイヒベルガー皇国の民は皆、神殿で洗礼名をもらうことになっている。


 名前をもらうとは言っても、受礼者側が名前を決め、それを神殿で承認してもらうだけなんだけどな。


 貴族の間でもっともスタンダードなのは、両親や祖父母の洗礼名をそのまま子や孫が受け継ぐパターンだ。


 もちろん本人が自分で決めることも可能で、学園の冬季休暇に合わせて帰省したタイミングで両親に相談したところ、それぞれ一つずつ候補を挙げてくれたものの、なんとなくしっくり来なくて昨日まで本を片手に自室に引きこもっていた。


 引きこもっていた理由はそれ以外にもあって、色々考えていたら昨夜は遅くなってしまった。



『あら、残念……。でもいいわ、今日は貴方の誕生日ですものね。せっかくだから、貴方に新しい名前を授けましょう』

『え、いいの?』

『ええ。なんてったって貴方は私の可愛い息子ですもの』



 女神様直々に名付けてもらうなんて、ヴァールサーガーの神官が聞いたら祭服の袖を噛んで地団駄を踏みながら悔しがったに違いない。


 それでももう少し早く来てくれれば、悩みが一つ減ったかもしれないのにと思わずにはいられなかった。



『貴方の洗礼名はクライスよ』



 脳内に直接響き渡る懐かしい声に告げられた名前。



 実を言うと少しでもおかしかったり、納得いかない名前なら拒絶してしまおうと考えていた。


 洗礼名は普段名乗ることはなく、婚姻や葬儀など神殿で行なう行事で使う名だ。使用頻度は極端に少ない。


 しかし、逆に言えば人生の節目や一世一代の大事な場面で登場することになる。


 あまり疑いたくはないし、特に名付けのセンスが悪かったという記憶はないが、それでもこの女神は俺の中では乙女ゲーのヘビーユーザーだ。


 本能レベルで警戒してしまうのも無理は無い。



 けれど、そんな俺の心配は杞憂に終わった。その名前を聞いた瞬間、頭の中で何かがカチリと噛み合うような感覚がしたのだ。



『クライスか……。円とか輪って意味だよね?』

『それだけじゃないわ。サークルや人の集まりという意味もあるのよ。だから今の貴方にぴったりな名前だと思って』

『……クライス。うん、いい名前だね。気に入ったよ。母さん、ありがとう』

『どういたしまして』



 頭の中で会話を続けながら、サイドテーブルに置かれた金色のベルを鳴らす。


 すると、間を置かずにカーヤさんが姿を現した。


 トレードマークのボブカットの黒髪は、俺が赤ん坊の頃から変わっていない。



「アルト様、お誕生日おめでとうございます! 昨晩は遅かったのでお声を掛けようか迷っていたのですが、呼んでいただけて良かったです! おかげで一番にお祝いの言葉をお伝えすることが出来ました!」

「ありがとう、カーヤさん」

『あら、一番は私よ?』



 満面の笑みを浮かべるカーヤさんにお礼を述べる俺の脳内で女神が勝ち誇ったかのように呟いているのに、苦笑しながら首を振る。



「……どうかされましたか?」

「いや、なんでもないよ」

「……そうだ。ご学友の皆さんから、お祝いのカードとプレゼントが届いていましたよ。プレゼントは何やら怪しげな物もございましたので後でお渡ししますが、カードだけ先に集めて参りました。ご覧になられますか?」

「うん、今確認するよ」



 怪しげな物を贈ってくる人物に心当たりがあり過ぎて、またも取り繕うような笑みを浮かべてしまう。



 一番上にあったカード、レオンからのカードには、毎年恒例の俺の似顔絵が描かれていた。


 三歳の時から毎年もらっているけれど、レオンの美術の成績はあまり芳しくない。


 カードいっぱいに描かれた、辛うじて俺とわかる青い(たてがみ)付きの似顔絵の横に、短く一言、『名前が決まったら教えろ』と書かれていた。


 己の絵画センスが皆無なことを、やつはまだ自覚していない。



 ルーカスからは、北領で一緒に契約獣の遠乗りをしようとお誘いが来ていた。


 ディーとイルメラは今年もやはり連名で、押し花を添えたカードを、バルトロメウスはカードにびっしりと細かい文字で一緒に贈ってきた魔法薬の開発の経緯を事まかに書き連ねていた。



「……カーヤさん。バルトロメウス……アイゼンフート公爵子息からのプレゼントは誰も触らないように注意書きを添えて、物置の奥深くにしまっておいて」

「かしこまりました」



 まったく、次から次へと問題を生み出す奴だ。


 ざっと半分ほど目を通したところで、彼からのプレゼントは開封しない方がいい事を悟った。



「着替えをお持ちしますね」

『残念だけど、私は時間切れみたいだわ』

『……もう?』

『名前と祝福を授けたことでだいぶ力を使ってしまったみたいなの。こんな事しかしてあげられないけれど、私の助けがなくても貴方は危険を乗り越えられるって信じているわ。自慢の息子ですもの』



 衣装部屋に俺の服を取りに行ったカーヤさんの背中を見送ったと同時に暇乞いを告げる女神。



「忙しないのは、人間だった時と同じだな……」



 また会おうという言葉すら聞かずに居なくなった運命の女神に取り残された俺はぽつりと誰もいなくなった部屋で愚痴をこぼした。




*****



 朝食と身支度を終え、転位魔法を使って神殿にやってきた。


 相変わらず見事な彫刻を見上げて息を呑んでから、神殿の中へと足を踏み入れる。


 途端に、パイプオルガンの音が俺の鼓膜を打った。


 高音から低音、低音から中音域とあちこち飛び回るように移動しながら次々と登場する短調の主題が、何処と無く幾何学的に思える。


 神殿特有の、少し息苦しさを覚える空気に呑まれそうになりながら、祝福を待つ列の最後尾に並ぶ。



 

 彼女(・・)の姿は見当たらない。



 じわりじわりと前の人に習うように前に進んでいく中、俺の心はざわついたままだった。



「女神の御名に於いて、貴方に祝福を授けます」

「ありがとうございます」

「おめでとうございます。アルフレート・クライス・シックザール殿」



 祭壇の上で頭を垂れると、司祭様に頭を撫でられる。


 これで本日の通過儀礼は終了だ。


 魔系統適性検査を神殿でやるまでもなく個人で終えていたために前回の祝福も早かったが、今回も待ち時間が長いだけで、祝福の儀式そのものはあっという間だった。


 そもそも女神自ら名付け、祝福してくれたのだから、司祭様の祝福の意味は薄い。


 それでもここへやって来たのは、慣例に倣うため。


 そして、この三年に一度の通過儀礼が現状、彼女と接触できる唯一の機会だからだ。



 彼女はどこだろう?


 祝福の儀式を終え、辺りを見回そうとした俺の鼻先にフッと覚えのある甘い香りが立ち込める。



「ごきげんよう」



 噎せ返るように甘ったるい麝香と同じくらい甘ったるい笑みを浮かべた彼女が、目の前に立っていた。




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