105話 生クリームの活用法
「で、何でお前たちまでついてきたんだ?」
「何やら楽しそうな雰囲気だったのだ。仲間外れはよくないのだぞ」
「これも後学のためと思ってね」
イルメラと寮内の厨房で会う約束を取り付け、料理長さんに必要な材料の用意と道具・場所を借りるお願いした俺は、スキップでもしそうな足取りで教室に向かい、午前中を過ごした。
起き抜けの地を這うようなテンションとはえらい違いだ。
そうして浮き足立った気分のまま、イルメラとの約束の時間を迎えた俺はふと、コバンザメか何かのように自分の後ろをピッタリとついてくる二つの影に気付いた。
くるりと振り返って、腕組みをしながら仁王立ちする俺に臆する様子もなく、また悪びれもせずにレオンとバルトロメウスは頷き合っている。
容姿は全く似ていないのに、二人はこうしていると兄弟のように見えるから不思議だ。
「それに、理由はよく解らぬがリタも二人きりは駄目だと言っておったではないか」
「うっ、そ、それは密室の話であって……」
「だが、リタはそのようには言ってはいなかったぞ?」
思い出したように告げるレオンの言葉は珍しく冴えていて、言葉に詰まる。
彼自身は言われたことをただそのまま復唱しているだけで、それが何故駄目なのかよく解っていない様子だが、それが逆に俺を追い詰めている。
彼を説得するには今ここでリタさんの言葉の意味を説明しなければならない。だけど、何と説明すべきか?
ここで、適当なことを言って誤魔化して、レオンがそれを間に受けてしまったら、国の世継ぎ問題にも発展しかねない。
仮にも王族ならそこは理解しておけと叫びたくなった。
「す、少し遅れてしまいましたわ……」
結局、活路を見出すことができないまま、時間切れとなってしまった。待ち合わせていた人物のお出ましだ。
遅れてきたイルメラは、息を弾ませている。
「イルメラちゃん、襟が……」
「あっ……」
慌てて着替えてきたのだろう。襟が縒れているのに気付いて、手を伸ばすと彼女はポッと頬を赤らめた。
いや、頬だけじゃない。ゆるく結わえてサイドに流した髪の間から覗く柔らかそうな首筋も、薄っすらと色付いている。
「今朝とは違うヘアスタイルにしたんだね。朝のも良かったけど、その髪型もすごく似合ってる」
「あ、貴方のためにしたわけではなくて……! でも、一応御礼は言って差し上げますわ。……その、靴も、あ、ありがとう……」
恥じらいのためか、薔薇色の瞳をクルクルと所在なさげに動かした彼女は、ツンとそっぽを向きながら消え入りそうな声でお礼を言ってきた。
はい、可愛い。
こんなに可愛い姿が見れるのなら、いくらでも褒めてあげたい。何しろこの口はそういうことを言うにはうってつけなのだから。
「そうしていると、アルトはまるでマヤのようだな。襟など首を締め付けて煩わしいだけではないか。そんなもの、切り取ってしまえばよい」
「いや、それはやりすぎだろう! 襟に何の恨みがあるんだ?」
「襟が曲がっていると、直したがるマヤに何度も追いかけ回されたのだ」
「お前が逃げ回るからだろう?」
「マヤが一番上のボタンまで閉めようとするからいけないのだ」
お邪魔虫はやっぱりどこまでいってもお邪魔虫だった。
親の仇か何かのように襟を忌み嫌うレオンが、イルメラの可愛らしさに浸っていた俺を現実に引き戻す。
鬼畜の如き所業だとレオンは憤慨しているが、クールビズなどという概念の存在しないこの国において、王族がきちんとした身だしなみを求められるのは至極当然のことだ。
マヤさんは己の職務を正しく全うしようとしただけだろう。
レオンやバルトロメウスがいると、すぐに本題から逸れに逸れて大変口達者なおばちゃんたちの井戸端会議になるのが毎度頭痛の種だ。
後で、マヤさんに向けてお手紙を認めようと、俺は密かに心に決めた。
「殿下とバルトロメウス様もご一緒なのですね」
「残念ながら」
俺の後ろに立つレオンとバルトロメウスの姿を確認したイルメラはどこかホッとした様子だった。
もしかしたら彼女も、リタさんに言われたことが気にかかっていたのかもしれない。
だから、彼女の背後から登場したもう一人の人物を見ても俺はさほど驚かなかった。
「アルトくん、ごめん……。でも、僕も何か役に立ちたくて……」
眉尻を下げて本当に申し訳なさそうにしているルーカス。
その表情だけで、単なる野次馬根性でついてきたお邪魔虫の二人とは違うのがわかる。
ルーカスは心から心配しているのだ。
「……まあ、ルーカスだけ除け者っていうのもおかしいよな。うん、せっかくだからみんなで作ろう」
「いったい、何を作るつもりなんですの?」
気を取り直した俺に皆の注目が集まる。
イルメラが未だにそっぽを向きながら、それでも皆に先んじて聞き返してくるのは彼女もまた、興味津々なのだろう。
「わかったぞ! 新作兜を作って見舞いに持っていくのだな!」
「……いや、なんでそうなる? 見舞いに兜の置物をもらって喜ぶとか、お前くらいだろう!」
「む? そうなのか? しかし、余はヨシツネとやらの兜がほしいのだ」
源義経の兜の置物がほしいと言うレオンは、見舞いなんて必要ないくらいに今日も元気だ。
「はいはい、それは後で作ってやるから。厨房でやることと言ったら、料理に決まってるだろ。まさか魔法薬の調合なんてしないだろ?」
「私はどこでも薬を作れるぞ?」
「いやいや、作るな! 異物混入事件とか、縁起でもないからやめてくれ」
心得たとばかりに腕まくりを始めるバルトロメウスを慌てて止めに入る。
ここは理科の実験室じゃない。
「風邪によく効く薬を特別に調合しようと思ったのだが」
「薬ばかりに頼っていないで、きちんと食事を取って体力をつけるのも必要だろう?」
「ふむ、たしかにアルフレートくんの言うことも一理あるな」
無駄にやる気のバルトロメウスをなんとか言いくるめることに成功した俺は、内心でほっと胸を撫でおろしていた。
バルトロメウスによる『特別調合』というのが実に怪しげで信用ならない。下手な物を飲ませたら、逆に具合が悪くなってしまいそうだ。
危うく、『誰か成分表を持って来い』と叫ばなければならなくなるところだった。
「ですがお兄様はお豆腐さえ、ほんの僅かしか召し上がられなかったのに、どうするおつもりなのですか?」
「ご飯が駄目なら、お菓子を食べればいい。だから、今回はこれであるデザートを作ろうと思うんだ」
よくぞ聞いてくれた。
そんな気持ちで調理台の上を覆っていた白い布を捲ると、今回のために準備された食材と調理器具が姿を現した。
ボウルに山のように盛られた卵、清廉された白い砂糖に牛乳。
今朝、料理長さんに頼んで準備してもらったそれらの横に並んでいるのは、大小の瓶がそれぞれ一つずつで、大きい方の瓶は牛乳と同じ白い液体で満たされている。
「これはもしかして……」
「生クリームですわ!」
控えめなルーカスの言葉をイルメラが継いだ。彼女の瞳は、大好きなものを見つけてキラキラと輝いている。
彼女は無類のホイップクリーム好きだ。
他の二人はあまりピンと来ていない様子で、揃って同じ角度で首を傾げている。
生クリーム自体の流通はブロックマイアー公爵の尽力により始まっているが、一般認知の点だと今ひとつみたいだ。
スイーツ作りに生クリームは欠かせない材料だ。だけど、もともとお菓子作りの知識量や腕前が特段優れているわけでもない俺に作れるものなど、たかが知れている。
もっとお菓子作りにおける生クリームの有用性を広く一般に知らしめて、色んなスイーツが生み出されるのをこの目で見て、実際に味わってみたい。
「バルトロメウスは知らないかもしれないけれどほら、レオンは以前、何度か口にしたことがあるはずだ。クッキーに白いクリームを添えて食べたことがあるだろう?」
「あのクリームは覚えておるが、これよりももっと、もったりしていた気がするぞ?」
「生クリームに砂糖を加えて、冷やしながら空気を含ませるように混ぜるとふんわりなめらかなホイップクリームになりますのよ? そうですわよね、アルト様?」
生クリームとホイップクリームが頭の中で結びつかないレオンに、イルメラはフフンと鼻を鳴らして得意げに説明し、俺に同意を求めてくる。
「そうだね。だけど、今回はホイップせずに別のものを作るつもりなんだ」
生クリームを使った新たなデザートを作りたい。
そう宣言する俺の言葉に、皆がまだ見ぬデザートに期待を膨らませて息を呑んだのがわかった。




