98話 帰るべき場所
――ピシャアアアァァ!!!!
もしこの場にバルトロメウスがいたとしたら、きっとそんな効果音を厩中に轟かせていた事だろう。
まさに落雷さながらの衝撃を受けたらしいお馬様こと黒ユニコーンのオスカーは馬面を紅潮させた。
馬でも赤面するものなんだな……いや、ユニコーンなんだけど。
念話で俺に呼ばれておずおずと姿を現したイルメラを見た瞬間に、オスカーの纏う空気がハッキリと変わった。
――恋とは落ちるもの。
よくそんな言葉を耳にするけれど、自分以外の者がこうもわかりやすく正しく恋に落ちる瞬間を間近に見たのは初めてで。
けれど予想通り過ぎる展開に俺は額を押さえ、天を仰いだ。
だ か ら 嫌 だ っ た ん だ !
最初の恋のライバルがユニコーンとか、誰がそんな展開を望むと言うのか。
「ヒヒィーーン!!」
「ひっ……」
オスカーの嘶きが空を切り裂く。
高い知性を持ち、人語を解する幻獣が只の雄の獣として吠えた。
鋭い獣の声に、イルメラがピクリと肩を揺らして俺の背に隠れる。すると文字通り地団駄を踏んでオスカーは俺を嫉妬に満ちた目で睨んだ。だけど今の俺にはそんなものは何の脅威にもならない。
今、俺は好きな子に頼りにされている!
この事実だけでご飯三杯はいける。
『そこなる可憐な乙女。どうか、我にそなたの名を教えては貰えないだろうか?』
「わ、私でしょうか?」
「こいつの言うことは、だいたい無視していいから」
『貴様!』
「えっ? で、でも……」
鼻息荒くイルメラに迫ろうとするオスカーの前に俺は意図して立ちはだかった。
馬蹄の響きが地を揺らし、激しく土煙を立てているけれど、それでも俺は揺らがない。
反対にイルメラはひどく困惑した様子だった。それも無理はない。何しろ馬にしか見えない、けれど人語を解する得体の知れない生き物と突然対峙させられているのだから。
いつもの勝気な様子が鳴りを潜め、オスカーに対して警戒心を剥き出しにしながらイルメラは俺の服を掴んでいる。
なに、この可愛い生き物。
全くの無意識だろうその仕草が、俺にはたまらなく愛おしくて嬉しかった。気分はお姫様を守る騎士だ。
これ以上ないくらいに自分を警戒するイルメラを見て、オスカーは激しくショックを受けていた。
『さ、避けられた……?』
がっくりと力を失ったように後ろ足を畳んでその場にへたり込んだオスカーは、いじけたように前足の蹄で地面を掘り始めた。その姿が体育座りをして地面に落書きをしているかのように見えて妙に人間くさい。……オスカー自身は人間に似ているだなんて言われると嫌がるだろうけれど。
『ここを我の墓としよう』
「いやいや、へこみ過ぎだろう!? 早まるな、人の家の敷地で勝手に墓穴を掘るんじゃない!」
『乙女に嫌われては、我は生きてはいけぬ……」
「そんなオーバーな」
『黙れ小僧! 貴様に我の気持ちが解るか? 我のこの胸の痛みが!』
「それを乗り越えて人は大人になっていくんだ」
『我はユニコーンだ!』
泣きそうな目で睨まれた結果、罪悪感に襲われている俺の足に、オスカーが掘り返した土が掛かる。
少々意地悪が過ぎただろうか?
論点がズレまくりながらも一歩も譲らず言い返してくるユニコーンの様子にはぁっと大きく溜め息を吐くと、俺は背後――イルメラの方に首を巡らした。
「こいつはオスカー。こんなやつだけど、ユニコーンなんだ」
「……ルーカス様がご契約なさっているという、あの?」
「そう、そのユニコーンだよ」
「ユニコーン様は皆さんこのように親しみやすいと申しますかその……コミカルな方なのですか?」
「……いや、他の個体は知らないけど多分オスカーが特殊なんだと思う」
こんな珍妙で威厳の感じられない幻獣がそんなにたくさんいて堪るものか。
そんな思いで言葉を選びにくそうにしながらオスカーのことをコミカルと称したイルメラの問いに答える。
「お話には聞いていましたけれど、本当に真っ黒なのですね」
『……っ!』
俺の肩越しに視線を遣りながら毛並みを褒めるイルメラの言葉に、オスカーがびくりと反応したのがわかった。
振り返ると、土を掘り返す手……いや、前足を止めて首をもたげたオスカーは傍目にもわかるくらいにそわそわしていた。螺旋状の角の両サイドにある耳がピコピコと忙しなく動き回っている。
完全に仕草が自分の話をしている好きな子の声に聞き耳を立てている男子のソレだ。
「黒は黒でも、黒の中の黒というか。そこらの黒とは訳が違うよね、うんうん。ちょっと他では見られないよなぁ〜」
「毛並みも素敵ですわ」
「思わず触ってみたくなるよね。綺麗好きなオスカーは毎日3回欠かさずブラッシングしているそうだから、きっと絹糸のように滑らかで、極上の手触りなんだろうなー」
ちらちらと漆黒のユニコーンの様子を盗み見ながら、イルメラの言葉に同調するようにやや誇張気味な表現で彼を褒め称える。
もちろん、その動機は相手の気分を乗せてこちらの要求を飲んでもらう布石にするために他ならない。
名付けて、褒め殺し作戦だ。
「まあ、絹糸のようですって? ……いつか、触れてみたいですわね」
『いつかなどと言わず、今すぐにでも……』
「契約者の許しなく触れるのは、ご法度なんだ。だけど、ここにルーカスはいないーー」
触れてみるか?
そう言い掛けたオスカーの言葉をすかさず遮る。
ここでイルメラをあっさり持っていかれては、せっかくの苦労が水の泡だ。
何故ならイルメラとの触れ合いを出しにして、オスカーにルーカスを捜させようとしているのだから。
俺自身、フリューゲルと契約して初めてわかったことだけれど、契約者と契約獣の繋がりというのは思ったよりも深いものだった。
例えば感覚の共有。簡単に言うと、互いの感情が大まかにわかるというものだ。
細かな思考までは読み取れないけれど、怒っているのか、笑っているのか、悲しんでいるのかといった感情の動きは察することができる。
その延長なのか、はたまた全く別の仕組みなのか、俺とフリューゲルは互いの位置情報までも把握することができた。
現代で云うGPSのようなもので、感情とは違ってそれはもう、手に取るようにわかる。
魔法契約の力ってすごい。
先程は何の策も講じることもなく真正面からルーカスの居場所を訊ねて、取り付く島もなく断られてしまったけれど、オスカーは確実に答えを知っている。
それなら、利用できるものを最大限に利用して答えを勝ち取るまでだ。
相手の恋心のみならず、好きな子までも利用してしまうことに抵抗がないわけではないけれど、友人の危機とあらばそれもまた赦されるだろう。
そんなわけでこちらの思惑通りに事を運ぶべく、ルーカスの許可が必要だと強調すると、オスカーは俺をじろりと睨みつけた。いかにも不満げな目つきだ。
勝算はある。なにせ、向こうが何を欲しているのかがはっきりとわかっているのだから。
だけど、それはあちらとて同じ事で、交渉の行方はこちらの出す条件にあちらが食いついてくれるかに掛かっている。
もうひと押し、必要だろうか?
イルメラを庇う背中に、ひと筋の汗が伝った。
「残念ですが、それなら仕方ありませんわね……」
オスカーと俺の両者睨み合いの中、慎重に次の言葉を思案する俺に先んじて声を発したのは、イルメラだ。
打算まみれの俺と違って、純粋に口惜しさを吐露する彼女の一声に、馬面の恋敵は瞳を揺らがせる。
「せめてルーカスがどこにいるのか分かればいいのにね。そしたら、俺の魔法で飛んで行けるのに……」
己の無力を嘆くかのように項垂れる演技をしながらダメ押しをすると、フフンと鼻を鳴らす音が聞こえた。
『わかるぞ』
掛かった!
得意げに告げる声に、勝利を確信すると同時に内心で大きくガッツポーズをした。
「ルーカス様の居場所がお判りになるのですか?」
『ああ。我にはそのくらい造作もないことだ。まあ、そこの小童には難しかろうが、我の辞書に不可能という文字はない』
未だ俺の背に隠れながらも自然と前のめりの姿勢になったイルメラは、声を弾ませる。
それに気を良くしたオスカーは、ついさっきの落ち込んだ様子がどこへやら、したり顔で饒舌に語り始めた。
さり気なく俺よりも優れているとアピールすることにも余念が無い。
契約を結んでいるから判るだけだろう!
そう言い返したい気持ちをグッと堪えて、俺は余計な口は挟まず、事の成り行きを見守ることにした。
「さすがですわ。幻獣様ともなると、本当に不可能なことなどないのかもしれませんわね」
真っ黒なユニコーンに対して、心からの尊崇と称賛の念を向けるイルメラ。
こうなればもう、褒められた方は有頂天だ。
『人間と比べれば、神にも等しき存在であろうな』
元から長い鼻の下をさらに伸ばしながら、傍目にもわかるくらいにデレデレしている。
威厳を保とうと精一杯努めているみたいだけど、当事者の意思に反して締りのない顔とパタパタと左右に激しく動く尻尾のせいでバレバレだ。
もしかして、イルメラの前では俺もこんな感じなんだろうか?
ある種の決まりの悪さを感じて、俺は意識的に自分の頬を引き締める。
「でしたら、女神様の代わりに私たちの願いを叶えて下さいませんか?」
『乙女の願いとあらば喜んで』
イルメラの申し出に力強く応える馬面の恋敵を頼もしく思うべきか、現金すぎると呆れるべきなのか、俺にはよく解らなかった。
****
「ルーカス!」
イルメラだけを連れ、俺を置き去りにさっさと目的の場所に飛んでいった黒ユニコーンを追いかけて転位すると、すぐに見慣れた背中が目に入り、その名前を呼んだ。
「……アルトくん? それにイルメラちゃんと、オスカーまで……。いったいどうしたの?」
いつぞやのように、池の淵に屈んで小さくなっていたルーカスが俺を振り返った。
驚いたように見張られた目は赤いけれど、どこにも傷が無いことを確認して安堵する。
「どうしたの、じゃあございませんわ。捜しましたのよ?」
『世話の焼ける奴め』
「……そっか。うん、そうだよね。あはは、ごめん」
咎める少女とユニコーンの言葉に、ルーカスは力無く笑う。怪我はしていないけれど、とても元気とは言い難い。
「帰るぞ」
三日前と同じ台詞を口にする俺に、ルーカスは頭を振る。
何と言って説得したものか?
考えを巡らせながら、俺は再び口を開いた。
「帰らなくてもいいのか? 今朝聞いた話だと、今日の夕食はルーカスの好きなクリームスープが出るらしいぞ?」
「……いらないもん」
レオンじゃあるまいし、食べ物では釣られないか。
それならばと、違う角度から切り込んでみることにする。
「学園の近くに、こんな場所があったんだな」
辺りを見回しながら独り言のように呟くと、ルーカスがこくんと小さく頷いた。
池の水面が陽の光に照らされて、キラキラと輝いている。
この場所に転位してすぐに、俺は何故ルーカスがここにやってきたのかを理解した。
ここは、城にある池に少し似ているのだ。
「ルーカスは1人になりたいのか?」
違う、と。
言葉にはしないけれど、さっきよりも強く否定をするようにルーカスは首を左右に振った。
「それなら、一緒に帰るべきじゃないのか?」
「でも……」
ここにいたら一人のままだ。
言外にそう言う俺の言葉に、ルーカスは口ごもる。
「俺もさ、たまに家に帰りたいなって思うことはあるよ」
夕日の滲む空を眺めながら想いを馳せるのは、今世ではなく前世で生きていた世界だ。
色々あったけれどあちらの世界の家も、俺にとっては帰りたいと思える場所の一つだ。
きっともう帰ることは叶わないけど。
「えっ、アルトくんも?」
「そうだよ」
意外そうに目を丸くするルーカスと、俺たちを見守っているイルメラとオスカーに俺はしっかりと頷いてみせた。
「別に、帰る場所を一つに決める必要ないんだ。だからさ、今日は学園に一緒に帰ろう。レオンやディー、バルトロメウスの待つ寮に。それから、今度の休みにまた一緒に城に帰ろう。オスカーや、家族に会うためにさ」
差し出した手に、ルーカスの白くて小さな手が重なる。
彼の色素の薄い髪を、陽の光が茜色に染め上げていた。
『やれやれ、やっと今夜はゆっくり眠れるな』
呆れたような、けれど安堵したようなオスカーの声が脳裏に響いて、景色が石を投げ込まれた水面のように揺らぐ。
瞬きをすると学園の門扉のすぐ傍に、俺たちの帰りを待つ三人の姿がそこにあった。
「やっと戻ってきたな! 遅いぞ!」
「見たまえ。三人分の外出届けは出しておいたが、寮に戻る前にあの夕日が沈んだら、門限オーバーだぞ!」
「……おかえり?」
帰宅が遅いと文句を言うレオンに、寮まで急げと言うバルトロメウス。そして何故か疑問形のディー。
「うん、ただいま!」
三者三様の出迎えが可笑しかったのか、はたまた別の意味なのか。
いつになく大きな声で挨拶をしたルーカスは、満面の笑みを浮かべていた。
ただいま、と言っていいのでしょうか?
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