真冬の思惑
【南校舎・職員室前廊下】
「始まったみたいね」
南校舎三階の廊下に銃声が届いた。時刻は午前四時三十分といったところだろうか。南校舎では視聴覚室でしか作業をしていなかったらしく、三階を貫く長い廊下には自分たちを除き誰もいない。靴の裏がコツコツと床を叩き、リズムよく響いては消えていく。
廊下を歩く三人の侵入者、その先頭を歩く氷堂真冬は窓から下の階の様子を窺った。どうやら渡り廊下の先、二階と三階の出入り口はすでに封鎖されているらしく、北校舎の一階で激しい銃撃戦が繰り広げられている。佐倉は計画通り南校舎を制圧し北校舎の攻略に取り掛かったようだ。そして唯一の入り口である一階玄関で生徒らの抵抗にあっている、と。
真冬は全てが計画通りに進んでいることに口元を吊り上げほくそ笑んだ。今回の作戦に佐倉美鈴を使ったのは正解だった。彼女は真冬の言いつけを守り、確実に陽動という役目を果たしている。本当にいい後輩を持ったものだ。
真冬にとって人の価値はある一つの要素で決められる。曰く、使えるか使えないか。
その点で言えば佐倉は使える。それも図抜けて優秀。だから真冬は佐倉が大好きだ。
自分のそんな感性が他人と比べてひどく歪んでいるということを真冬は自覚していたが、矯正するつもりはなかった。する必要があるとは欠片も思わなかった。目的の為には手段を選ばない、それが真冬の信条だ。他人に合わせることで自らを劣化させるのは我慢がならない。そんなことをしていれば自らの信条を貫くことができなくなる。そんなことになるくらいならば、例え一人でだってずっと孤独に生き続けてやると、真冬は本気で考えていた。
「さて、佐倉も頑張っていることだし、私たちもやるべきことをやりましょう」
真冬は窓から視線を外すと、再び床を踏み鳴らして歩き出した。後ろで控える二人も黙ってその後を追う。
そうして真冬と二人が辿り着いたのは職員室だった。普段なら赤外線センサーが作動しており侵入者の存在を感知するようになっているが、宿直室の教師が職員室に立ち寄ることもあるので今はセンサーの電源は切られている。
職員室のスライド扉を開けて中に入ると、やはりそこには誰もいない。いつも教師が陣取っており何かと騒がしいこの部屋が静寂と暗闇に包まれているというのは、それだけでどこか違う世界にいるかのような錯覚を覚える。だがすぐにそんな感傷は振り払い、部屋の中へと足を踏み入れた。
真冬らがこの部屋にやってきた理由は二つある。
一つ目は、囮。ここに来る前、真冬は佐倉にこう言い含めた。
『私は職員室にいるから、あなたはとびきり派手に動きなさい。それで男子を殲滅できればそれで良し。できなければ、ここまで後退して私とあなたで男子を挟み撃ち。敵は必ず殲滅させる』
佐倉は私の言葉を信じ、その通りに行動している。彼女がそう簡単に負けるとも思わないが、佐倉ほどの腕があればいい囮になることだろう。
――仮に。
佐倉が負けたとしても、私の居場所を吐かされたとしても、それは職員室。
佐倉を倒した男子達が職員室に詰め寄ってきたところで、全てが遅い。女子側の勝利条件は男子の殲滅だけではない。三年十組の教室を占拠することでも成されるのだということを忘れてはいけない。一つ目の目的とはつまり――時間稼ぎ。
そして二つ目の目的――
真冬は教師の机の上で立ち上がり、天井にはめ込まれた通気ダクトの入り口を開いた。中から積み重なった埃が降り注ぎ思わず顔をしかめる。真冬は用意してあったマスクを顔につけると後ろで控える二人を振り返った。
「それじゃ後のことはよろしく」
「はい、お気をつけて」
仲間二人に見送られながら、真冬はぽっかりと口を開けている天井の穴に手をかけた。
真冬の考え方に則るならば、ここにいる二人の部下は使えない。自らの護衛も兼ねて連れてきた二人を、はっきり言って信用しているわけではない。しかしだからこそ連れてきたのだ。彼らの仕事はこれで終わり。後はここで佐倉が後退してくるか、この戦いが終わるまで待機しているだけでいい。もし敵が攻めてきたらすぐに殺されるだろうが、そこまで面倒をみるつもりはない。
通気ダクトにかけた腕に力をこめ、天井裏へとその身を滑り込ませる。中は配管やガラスウールなどが敷き詰められているが、屈んで歩けるほどには広く、細身で小柄な真冬であれば容易に進める。
現在突入班で指揮をとっている佐倉美鈴、彼女は使える。ここにいる二人の部下などよりも、ずっと。しかしその二人に限らず、佐倉を除く他の部下たちはみな使えないと言ってもいいかもしれない。無能は真冬が最も嫌悪する対象だ。有能か無能か、他人を評価する点はその二つで事足りる。しかしそんな人間性を表に出すことの危うさも知っている真冬は、皆の前では優等生を演じ、人当たりのいい生徒会長で通してきた。正直面倒で仕方がないのだが、今さらボロを出すのはプライドが許さない。
自分で考えても面倒極まりない性分なのだが、自身、この性格はずっと変わることがないものなのだと思っていた。
だが。
最近、真冬にとって無視できない男が現れた。有能か無能か、そんな二つの括りでは測りきれない存在が。
これにはさすがの真冬も戸惑った。能力だけを見ればその男は優秀だと言える。おそらくは佐倉よりも。だがそんなことには関係なく、興味を抱いてしまうのだ。四六時中その男の事を考えてしまうこともままあった。それはずっと一人で生きてきた真冬にとって気持ちの悪い、落ち着かないものでしかなく。
だから自分の中でとぐろを巻いている謎の感情の正体を知るために、真冬はその男に告白した。愛の告白、つまり恋仲である。できるだけ多くの時間を共に過ごせば何か分かるかもしれない。そう考えての事だった。
「西条、京介……」
真っ暗な通気口の中をゆっくりと進みながら、無意識に男の名を呟いた。
――京介は私の策を見抜いて必ずやってくる。見極めてやる、この戦いの中で、必ず。