見張りと斥候
【南校舎・正面玄関】
九月を過ぎたというのに一向に涼しくなる気配を見せない外の空気を吸いながら、高島は内心で愚痴をこぼした。せっかくの日曜日で学校が休みだというのに京介のわがままに付き合わされ、しかもそれだけならまだしもたった一人での見張り番を押し付けられたのだ。午前四時ということもあり、疲労やら眠気やらと不平は山ほどあるが、何よりも心細かった。
高島が唇を尖らせ、せめてもの情けで友人からもらった栄養ドリンクをちびちび飲んでいると、
「お疲れ様です、高島先輩」
正面からそんな声が掛けられた。見ると、いつの間にか自分と同じ東洋の制服を着た一人の女子生徒が目の前に立っている。校章の色から察するに、一つ下の二年生だろう。高島は自分に声をかけてきたその女子生徒に見覚えがあった。
「君は……佐倉さんじゃないか」
佐倉美鈴。生徒会に属している二年生。生徒会長の氷堂真冬がいる高島のクラスによく出入りしていたのと、端正な顔立ちから個人的に好意を抱いていたのとで、はっきり名前まで覚えていた。
高島は気になっていた後輩に名前を覚えてもらっていたことに内心で喜びながらも、今が午前四時という時間であることを思い出し、少し不審に思った。
「佐倉さん、こんな時間に何してるの? それも一人で」
高島の放った疑問に、佐倉は苦笑いを浮かべながら答えた。
「実は私もよく分かってないんですけど……京介先輩に呼ばれたんです。人手が足りないから手伝って欲しいって。何をどう手伝うのか、何も聞いてないんですけどね」
佐倉の言を聞き、高島は話の概要を何となく理解した。
「なるほどな。京介の奴、いくら人手が足りないからって佐倉さんまで巻き込むことないだろうに……。待ってな、今京介の奴を連れてくるから」
そうして西条京介を呼びに行くため校舎の方へと振り返ったところで、突然首元に押し付けられた冷たい感触に、思わず声が掠れた。
「な……?」
「動かないでくださいね。大声を出すのもだめです」
自らの首に目をやる。そこには鋭く光るナイフが押し当てられていた。
高島はすぐに思い当たる。考えうる限り最悪の状況に。まさか――
「……君は、真冬さんの……!」
肩越しに振り向いた高島に、目の前の女子生徒はにっこりと笑った。
「ご名答」
そう誇らしげに宣言する佐倉の声に一切の迷いはない。
真冬とは、高島と同じクラスの女子生徒。佐倉がその真冬の遣いだというのならば。
佐倉はナイフを押し付けたまま仲間を呼び寄せると、数人がかりで高島の両手足を押さえつけた。それは皆、高島と同じクラスの女子生徒達だ。もはや、間違いない。
「お前ら……くそッ」
その見慣れた顔ぶれに、自らの想像が間違いではなかったことを知らされる。初めから見知ったクラスメイトが来ていたなら、高島とてこんな簡単にはやられなかっただろう。しかし、一学年下の佐倉さんを仲間に引き入れていようとは……迂闊。盲点。してやられた。
高島は吠えた。
「こんなことをして、ただじゃ済まないぞ!」
「ただで済むなんて思ってませんよ」
だがあっさりと即答してみせた佐倉の表情を見て、高島は凍りついた。
「私は、私たちは真冬先輩に選ばれたんです。その時点でただじゃ済まないことなんて全員が覚悟しています」
「――やはりお前は!」
どこまでも笑みを絶やさぬ佐倉に、しかし高島は食い下がった。
「選ばれたから、だと? その気になれば断ることだってできたはずだ、どうして彼女の言いなりになってる? どうして――」
「どうして、ですって?」
高島の声はそれ以上続かなかった。佐倉の持つナイフが高島の頚動脈をすっとなぞったのだ。それだけの動作で高島の首から噴水のように血が噴き出す。
倒れゆく高島を、先ほどとは打って変わり感情の消え失せた瞳で見下ろす佐倉は、まるでゴミか何かを見ているようだった。
「そんなの決まってるじゃないですか。私が真冬先輩のことを異性として大好きで、その真冬先輩が戦うことを望んでいるからですよ。それだけで充分。それにこの誘いに乗れば、真冬先輩の恋人である京介先輩を、この手で殺せるんですよ? ふふ、それってなんだか、ロマンチックじゃあないですか?」
絶句。急速に閉じていく視界の中で、高島はそれ以上言葉を発することはできなかった。
――例え何かを言えたところで、自分の言葉が彼女に届いたとも思わなかったが。
「さよーなら、高島先輩」
そうして動かなくなった高島を置き去りに、佐倉たちは見張りのいなくなった南校舎の中へと音もなく飛び込んでいった。