二人の愛、トリガーの理由
【北校舎・三階廊下】
真冬は懐中電灯の光で手元の紙切れを照らし出し、そこに描かれた東洋高校の配管図に指を走らせるとニヤリと笑った。ここで間違いない。
配管図を丁寧に折りたたんでポケットにしまい、変わりに十徳ナイフを取り出した。今度は床を明かりで照らしだし、四角い正方形に固定された扉を解体していく。真っ暗な通気口の中であるため多少手こずるも、やがて扉を固定していた留め具を外し終え、ゆっくりと上に持ち上げた。暗闇に慣れた瞳に光が入り込み思わず目を細める。
真冬は慎重に周囲の様子を窺うと、天井から廊下の上に飛び下りた。スカートを翻しながら音もなく着地する。事前に入手していた配管図の通りなら、ここは北校舎の三階。つまり南校舎の職員室から天井裏を通り、誰にも発見されることなく北校舎に辿り着いたことになる。とりあえず、作戦は順調だ。
周囲への警戒は続けながらも、真冬は体に付いた埃を払いマスクを外した。あまりのんびりもしていられない。耳を澄ましてみれば南校舎の方から僅かに銃声が聞こえてくる。佐倉はうまく仕事を遂行しているらしい。だったら尚のこと急がなくては。狭い配管の中を這って進むのは思ったよりも難しく、かなりの時間を費やしてしまった。仲間たちの残弾もそろそろ尽きる頃だろうし、宿直の武田を抑えておくのにも限界がある。
懐に銃があるのを確認し、真冬は歩き出した。目指すは四階、三年十組。そこを攻略すれば真冬らの勝ちだ。例え味方が何人やられようと関係ない。真冬さえ生き残り、十組を占拠できればそれでいい。
そうして足音を消しながら四階に到達した真冬は、そこで足を止めた。素早く壁に張り付き息を潜めながら廊下の奥を窺う。
「……さすがにそこまで甘くはないか」
真冬が目指す部屋の前には三つの人影が立っており、やはり全員が武器を所持している。間違いなく男子の防衛班だろう。正面から攻め込んだ佐倉たちを迎撃できるほどの人員を割きながら、それでいて本丸の防衛も抜かりない。その手際の良さに内心で舌を巻く。だがやはり、まだ甘い。本拠地の警護に三人では少なすぎる。
真冬は口元を吊り上げ用意していた二つの発煙筒を取り出した。それら二つを同時に着火し、闇に紛れさせながら彼らの元へと転がした。教室の手前にいた三人がそれに気付いた時にはすでに遅い。急激に熱せられた二つの煙幕は直後、大量の煙を吐き出し視界の全てを埋め尽くした。窓も開いておらず、密閉された空間の中で煙幕は最大の効果を発揮する。
突然爆発するかのような煙が噴き出したのだ、教室の手前にいた三人は真冬の思惑通り、混乱の極致に突き落とされた。
「な、何だ!? 敵襲か!?」
「くそ、何も見えない!」
「早く窓を開けろ! 神崎たちを呼び戻せ!」
気が動転し、煙の中で口々に何事かを喚きたてる彼らを真冬は恍惚の表情で観察し、やがて懐から取り出した銃を白煙の中に向けてデタラメに撃ち放った。フルオートマチックでの銃撃のため、敵を正確に目視する必要はない。装弾数十三発の《USP》を狭い廊下の奥に構えて、当たるまで弾をばら撒き続ける。
やがて廊下の奥から三人のくぐもった呻き声が聞こえ、真冬は銃をおろした。北校舎を満たしていた銃声が止み、すぐに元の静寂へと帰っていく。真冬は歩きながら全ての窓を開けて回り、たちこめる煙を排出していった。
あらかたの煙が消え去り再び開けた廊下の中には冷たい床に倒れ伏した三人の姿が残った。
「ここには敵が来ないとでも思っていたの? だからあなた達は死んだのよ」
こんな場所に籠っていたのでは情報は入ってこない。戦局など分かるはずもない。完全に封鎖していた北校舎の中に敵が来るはずがないと思うのも無理からぬ話ではあるが、最も重要な拠点を守る者がそんな心構えでは話にならない。
嘯きながら教室の扉を開き中へと足を踏み入れる。誰もいない静かな教室。机の類は全て外の廊下に移されているため、その中はぽっかりと広い。そして教室の隅に置かれているのは、真冬の身長と同じほどのフラッグだ。これを叩き折った瞬間、戦いは真冬らの勝ちになる。
思ったよりもあっけなかったな、そんなことを思いながら、真冬がフラッグに手を伸ばした、その時。
「動くな」
鋭い声が真冬の動きを止めた。低く深い、聞き慣れた声。振り向く前にそれが誰かは分かっている。
「最後まで私の邪魔をするのね、京介」
首だけで振り返り、薄く口元を歪ませる真冬に、京介は無言で銃を構えている。相当に急いで来たのだろう、激しく肩を上下させ荒く息を吐いていた。
期待通り、京介は策を見破りここまで辿り着いたということか。東洋高校の中で真冬の知る限り最も賢く、強い男。そして真冬の、恋人。やはり最後は京介が相手でなければ面白くない。
真冬から視線をそらさず、静かに京介は言った。
「今すぐ武器を捨ててそこから離れろ」
その言葉に真冬は笑う。
「撃てばいいじゃない。私は銃を構えてないんだから大チャンスよ。ここに来るまでにまさか一人も殺さなかったわけじゃあるまいし、同じことじゃない。それとも」
振り返り、正面に対峙する京介を睨みつける。
「他人は撃てても、恋人は撃てないってわけ?」
「………………」
真冬の問いに、京介は何も答えない。その沈黙が何よりの答えだ。
「やっぱりね、思った通りだわ。撃てない敵に従う馬鹿なんていないわよ?」
だから京介は甘いのだ。この状況で感情に流されている。決定的なチャンスを逃そうとしている。おおかた恋人は撃ちたくない、けれど負けたくない、などと思っているのだろう。京介の考えそうなことだ。
そこまで考えたところで、真冬は“本気で戦おうとしない”京介に、自分が憤りを感じていることに少し驚いた。
「京介には撃てない。だから私の勝ちよ」
「……確かに」
それまで押し黙っていた京介が唐突に口を開いた。
「戦いが始まる前の俺なら撃てなかったかもな。真冬を撃たずに、それでも勝ってみせるって綺麗事を並べてたかもしれない。でもな、佐倉と約束したんだよ。真冬を止めるって。もう覚悟は決まってる。お前のこんなやり方は間違ってる。俺は俺のやり方でお前を止める。どうしても投降に応じないってんなら、殺してでも止めてやる」
確かな覚悟、意志のこもった瞳で京介は言った。その答えは真冬の想像していたものとは少し違っていた。
「……あなたにできるの?」
「試してやろうか?」
京介の指がトリガーに添えられる。その眼に迷いはない。
――唐突に、自分がどうして京介に惹かれているのか、分かった気がした。
他人を切り捨て踏み越えながら己の道を走り続けてきた真冬と、周りを巻き込みながら一緒になって走り続けようとする京介。一人で生きることしか知らない真冬にとって、当然のように誰かと一緒にいられる京介は眩しすぎる……いや、羨ましいのかもしれない。真冬がどれほど望んでも手に入れられなかった物を、京介は当然のように持っているのだから。
そんな簡単なことに今まで気付かなかった自分に嘆息し、やっと知ることができた自分の気持ちに、真冬は笑った。でも、だからこそ――
「……私だって負けられない」
「……!!」
真冬は目にも止まらぬ速さで銃を取り出し、構えた。京介が息を呑む気配がはっきりと伝わってくる。
「投降する気は、ないってことだな?」
「ええ。一度くらい京介と本気でぶつかってみるのも、悪くないわ」
真冬のやるべきことはいつだって変わらない。やりたいことを、やりたいようにやるだけだ。自分の道を貫くために。
今の京介はきっと本当に撃つだろう。付き合い始めてまだ日が浅いとはいえ互いの事はよく知っている。京介にしたって真冬がこうと決めれば決して意見を変えないことくらい知っているだろう。
互いが互いを信じている。それが二人のトリガーを引く理由だ。
二人の間に流れる空気が張り詰める。一瞬の気の緩みも許されない空間の中で京介は、真冬は、互いに銃を突きつけながら精一杯格好つけて、不敵に笑った。
「大好きだ、真冬」
「愛してるわ、京介」
そして二人は同時に、トリガーを引き絞った。




