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晴明のもとに集う陰陽師たち

 今宵は八月十五日、中秋である。青白く輝く月のほか、星は見えない。貴子は床の中から開け放たれた丸窓越しに月を眺めていた。と、月の中央がキラリと光った。光の中に小さな、青く輝くたまが現れた。珠は貴子を目指して一直線に飛んできた。あっと思う間もなく、珠は貴子の額の中央にぶつかった。痛くはなかった。風が額をかすめた程度の感触しかなかった。

 ―今のは何だったのかしら・・・確かにわたくしの額に当たったと思ったのに・・・ああ、お迎えが来たのかもしれぬ・・・でも、もうそれでよい・・・殿のお傍に早く行きたい・・・

 貴子は床の上に身体を起こすと目を閉じて手を合わせ、月に向って小さく念仏を唱え始めた。

 ―南無阿弥陀仏。わたくしの命と引き換えに、苦しみの中におられます中宮さまをどうぞお守りくださいませ。どうか息子たちが早く許されて都に戻れますように・・・

 貴子の頭の中にブーンという低い音が響き始めた。やがて音は男の声に変り、貴子に語りかけた。

 ―貴子、お前にはまだなすべきことが残っている。死ぬ前にお前はそれを果たさねばならぬ。

 貴子は驚いて周りを見廻した。誰もいない。

 再び声が聞こえた。

 ―私はお前の頭の中にいる。姿を現せば驚かすと思い、このような形で話をしている。

 貴子は声の主を阿弥陀如来だと思い、手を合わせて語りかけた。

 「ありがとうございます。わたくしをお迎えにいらして下さったのですね。すでに覚悟はできております。」

 貴子は再び小さく念仏を唱えた。

 ―そうではない。私は如来などではない。今お前に言ったであろう、お前にはまだなすべきことがあると。

 貴子は驚いて目を開けた。

 「御仏ではない・・・それではそなたは誰なのです。もしや物の怪・・・わざわざり殺さずとも、わたくしの命は間もなく尽きましょう。そなたこそ、念仏を唱えてあげますゆえ成仏なさい。」

 声は小さく笑い、さらに続けた。

 ―ふふ、物の怪か・・・そう言えるかもしれぬ。だが私はお前を憑り殺しに来たわけではない。定子の未来についてお前と話をしたいと思い現れた。

 定子の名が出たことで貴子の表情が急に曇った。

 「まさか、中宮さまに憑りつこうとしているのか!」

 声は再び含み笑いをしたが、すぐに真剣な言葉つきに戻った。

 ―定子に憑りつこうなどと思ってはいない。まずは私の話を聞け。私とお前たちとは深いえにしで繋がれている。私は定子を助けたい。だが定子を助ける方法はひとつしかない。定子を出家させるのだ。一条から定子を引き離せ。

 青白い貴子の顔がさらにいっそう蒼ざめた。

 「中宮さまはこの五月に自ら髪を切り、すでに出家をしています。」

 声は暫く沈黙したのち、抑えた声で続けた。

 ―定子はいっときの感情に流されて尼削あまそぎしたにすぎぬ。腹に子がいるゆえ間遠にはなっているが、それでも時折一条が定子の許を訪れているではないか。真に出家したのなら、そのような行為は許されぬはず。

 貴子は少し声を荒げて尋ねた。

 「そなたは何ゆえそのようなことに口を挟むのです。そなたは誰なのです。物の怪でないなら名を名のりなさい。」

 声は静かに続けた。

 ―私は青武者と呼ばれている。

 声を荒げたまま貴子はさらに尋ねた。

 「青武者ではわかりませぬ。わたくしに縁があるのなら、わかる名を名のりなさい。」

 一瞬の間をおいて青武者は答えた。静かな口調は変わらない。

 ―名のるわけにはいかぬ。知らぬがよい。定子を救えるのはお前だけだ。お前がこの世の別れと言って出家を勧めれば、定子も受け入れるだろう。

 貴子は名も名のらぬ青武者の言葉をにわかに信じる気にはなれなかった。定子を一条帝から引き離そうと考えている、どこかの公卿に依頼された修法者の罠としか思えなかった。事実、七月には大納言藤原公季だいなごんふじわらのきんすえの娘義子が、十一月には右大臣藤原顕光うだいじんふじわらのあきみつの娘元子の二人が女御として相次いで入内しており、娘の入内を望む公卿はさらにほかにもいた。貴子は、定子が皇子を生み、その皇子が立太子することによって定子の中宮としての立場をより強固なものにすることができると考えていた。また中宮の後ろ盾として、伊周の大臣復帰という望みもあった。

 青武者は穏やかな口調で貴子に話しかけた。

 ―私の話が信じられぬようだな。それでは教えてやろう。子が生まれたのち、定子の本当の苦しみが始まる。そしてお前にはもうあまり時間がない。お前の魂は縮み始めている。死はお前のすぐ傍まで近づいている。忘れるな。定子を救えるのはお前しかいない。定子を救いたいなら、よく考えよ。

 貴子の頭の中でプンという音がしたかと思うと、何かが抜けていった。目の前に闇が拡がり、貴子は床の上に倒れ込んだ。

 九月に入り、貴子の病はますます重くなった。床の上に起き上がることもできず、終日横になって過ごしていた。定子は大きくなってきた腹を抱えながらも、しばしば貴子の病床を訪れた。

 貴子は青武者の言葉を定子に伝えるべきか、日々迷っていた。信じられないとも思う。伝えて定子が出家し、あとでそれが誰かの罠であったとなれば定子の幸せを奪うことになる。しかし伝えなかったために定子がさらに不幸になることはもっと耐えがたい。

 九月も終ろうとする日の朝、貴子は定子を枕辺に呼んだ。貴子は定子の手を取って話し始めた。目尻には涙が浮かんでいる。

 「定子、今日は母としてそなたに話しておきたいことがあります。わたくしの命は間もなく尽きましょう。聞いたのちどのようにするかはそなたがご自分でお決めなさい。いいえ、そのような慰めなど、もうわたくしには必要ありません。

 中秋の名月の夜のことでした。わたくしは夢を見ました。不思議な夢でした。わたくしは誰かと話しをしているのですが、その相手の顔は見えず、ただ声が聞こえるばかりでした。最初は物の怪か、あるいはそなたをおとしいれようとする誰ぞに雇われた夢師かとも思いました。けれどもそのような不穏な様子は感じられませんでした。

 男はわたくしに、自分はわたくしたちにえにしの深い者で、青武者と呼ばれていると伝えてきました。そしてその上で、男はわたくしに不吉な話しをしました。そなたの本当の苦しみは、子を産んだのちに始まるというのです。

 そなたが生む御子は、それが皇子であれば将来帝にお立ちになられるやもしれぬ御子。不幸の始まりとはわたくしには思えません。そなたも国母こくもとなり、誰からも敬われる存在となりましょう。しかしそれでも、男はこのままではそなたが不幸になるというのです。そしてそれを避けるには仏門に入るしかないと。」

 貴子はここまで一気に話すと、疲れを感じたのか、一旦言葉を切った。定子は貴子の手を握り、顔を見ながら黙って話を聞いていたが、貴子が口をつぐんだのを見て話し始めた。

 「お母さま、そのようなお気の弱いことをお口にされてはなりませぬ。でも、青武者の話をわたくしは耳にしたことがございます。

 お爺さまのお邸に出入りをしていた二人の陰陽師をお母さまはご存知でしょうか。雲久と海久とかいう、兄弟の陰陽師でございます。以前お爺さまのお邸にお伺いをした時、たまたま二人もお邸におりました。その折お爺さまは二人に、青武者が邪魔をするため物事が思うようにいかぬ、と仰せでございました。

 もしその青武者がこの度の青武者と同じなら、その言葉をそのまま素直に信じるわけにはまいりませぬ。いいえ、わたくしを帝から引き離そうとする何者かのはかりごとでございましょう。」

 貴子は小さく頷くと再び話し始めた。しかしその声にもう力はなかった。

 「そうかもしれませんね。いえ、きっとそうでしょう。わたくしはそなたが帝と末永く、睦まじく暮らしてくれることだけを願っています。

そうですね、今はその御子を無事に生むことだけを考えていればいいのかもしれません。」

 貴子は手を離すと、定子の腹に優しくそっと触れた。

 数日後、貴子は息を引き取った。伊周も隆家も、共に貴子の葬儀に参列することは許されなかった。

 年も押し迫った十二月十六日、定子は皇女ひめみこを出産した。脩子内親王ながこないしんのうである。予定日から二月ほども遅れた出産だった。


 年が明けて長徳三年(九九七)になった。里御所さとごしょ二条北宮で脩子とともに暮らす定子の許に、一条帝から度々手紙が届けられた。定子に内裏に戻るよう促す手紙である。しかし公卿たちの定子に対する冷ややかな、また批判的な目に耐える自信が定子にはなかった。定子はこの里御所で脩子とともに穏やかに暮らしたいと考えていた。帝からの手紙を受け取る度に、定子は帝に対する変わらぬ思いと、内裏に戻るつもりはないとの気持ちを控えめに、しかしはっきりと述べた手紙を返した。

 一方一条帝は、昨年新たに入内した女御に愛情を感じ始めてはいたが、それでも定子のいない生活の味気なさを強く感じていた。一条帝は二条北宮に定子を訪ね、内裏に戻るよう直接説得する決心をした。

 やがて春も終ろうとする三月二十日過ぎのこと、一条帝は二条北宮に入った。庭に植えられた山吹の花芽がほんのりと淡く染まっている。

 ―もう間もなく花が咲く。花芽がほころびるように、かたくなな定子の心も開いてくれるとよいのだが・・・

 一条帝は不安に満ちた目で山吹を眺めた。

 歓迎の宴が終り、一条帝と定子は二人だけで向き合っていた。

 一条帝は定子にどのように語りかければよいのか迷っていた。定子の方から何か話してくれるといいのだが、と思うのだが、定子は黙ったまま俯いている。意を決した一条帝は、それでも遠慮がちに口を開いた。

 「定子、私の許に戻ってはくれぬか。そなたと脩子ながこと、ともに暮らしたい。」

 定子は黙ったまま顔を伏せている。

 「そなたは今なお、伊周これちか、隆家に対する私の裁可を恨んでいるのか。」

 定子は上目遣いにチラリと一条帝を見たが、またすぐに目を伏せ、消え入るような声で言った。

 「以前、帝はわたくしに、罪は問うがすぐに大赦たいしゃを行う、とお約束をなさいました。伊周どのや隆家どのが許されて都にお戻りにならぬうちは、わたくしは帝の許には戻れませぬ。」

 二人が流されて一年足らず。赦免しゃめんするにはあまりに早すぎる。公卿たちがそれを認めるとは一条帝には思えなかった。

 「大赦は私一人では決められぬ。朝廷にも同意をさせねばならぬ。また大赦を行うにはそれ相応の理由が必要となる。だが約束は必ず守ろう。今しばらく待ってはくれぬか。」

 二人の間に沈黙が続いた。定子は膝の上に置いた左手を右手で固く握りしめている。

 定子が俯いたまま話し始めた。

 「わたくしも帝のお傍に戻りとうございます。けれども今戻りましても、公卿たちはわたくしを受け入れてはくれませぬ。」

 一条帝も、伊周が事件を起こして以来、朝廷に定子に対する批判的な空気があることを感じていた。しかし一条帝は伊周が事件を起こしたことより、むしろ定子の尼削あまそぎにその原因があることに気づいてはいなかった。多くの公卿たちは尼削ぎにしたことで定子はすでに出家したと考えており、また出家した定子が中宮として朝廷に入ることは仏道の教えに背くとも考えていた。一方一条帝は、一時の衝動から髪を切ったにしろ、導師もおらず得度式とくどしきも行っていない定子が出家したとは考えていなかった。一条帝が定子の許を訪れていたのはそのためである。

 一条帝の頭に、ある考えが浮かんだ。

 「定子、そなた本当に戻りたいと思ってくれるのか。」

 定子は小さく頷いた。

 「わかった。ならば道長を動かそう。公卿たちも道長ならば抑えられよう。」

 一条帝は明るくそう言ったが、道長が自分の思い通りに動くという確信はなかった。それでも定子の笑顔を取り戻すにはそう言うほかなかった。

翌日、一条帝は道長に至急参内するよう伝えた。二人は昼御座ひのおましで対面した。

 「道長、そなたも存じておろうが、東三条院様のご容体がかんばしくない。この正月以来、多くの僧侶・陰陽師たちに祈祷をさせているが、病は回復の兆しを見せぬ。そこで私は大赦を行いたい。大赦の徳をもって天帝の助けを得たいと思う。そなたの考えを聞きたい。」

 東三条院詮子あきこは道長にとって姉に当たる。後ろ盾でもある。道長は両手をつき、深く頭を下げた。

 「有難きお言葉でございます。東三条院様もさぞかしお喜びでございましょう。私も都中の主だった寺社に加持祈祷を命じておりますが、その効験こうげんいまだ現れませぬ。是非とも帝のお力を持ちまして、東三条院様をお救いいただきたく、お願い申し上げます。」

 一条帝は笑みを浮かべた。道長が賛成すれば、朝廷が大赦の詔の発布に賛成することは決まったも同然だった。

 「大赦の件、そなたは同意してくれるのだな。それではすぐに準備にかかるように。」

 しかし道長は立ち上がろうとはしなかった。一条帝の心に不安がよぎった。

 「道長、何をしている。何か不都合なことでもあるのか。」

道長はゆっくりと顔を上げて一条帝を見た。

 「大赦のみことのりをお出しになれば、それはすべての罪人が対象となりましょう。昨年配流はいるとなった伊周これちか・隆家も外すわけにはまいりませぬ。二人をどのようになさるおつもりなのか、帝のお心をお聞かせくださいませ。」

 一条帝は昨年の除目じもくを思い起こした。道長は二人の死罪を奏上していた。今なお二人を許していないとも思える。しかしたとえ許していなくても、道長に二人の赦免と帰京を認めさせなければ定子との約束は守れない。一条帝は道長の気持ちを探った。

 「詔の適用に例外を認めるわけにはいかぬ。まずは先例を調べさせねばならぬとは思うが、そなたはどのように考える。」

 伊周・隆家兄弟と道長は、朝廷でのののしり合いともいえる議論を初め、随身ずいじん同士の乱闘までをも頻繁に起こしていた。死人が出たことさえあった。しかし兄弟がそれぞれ流されたことですでに勝負はついていた。伊周は道長の政敵と呼べる立場ではなくなっている。道長の権勢は 盤石ばんじゃくになりつつあった。

 道長は笑みを浮かべて答えた。

 「二人が流されて一年足らず。都に呼び戻すには少し早いとも思われますが、この度の大赦は東三条院様の御病悩のご回復のため。帝の徳が国の隅々にまで行き渡らねばなりませぬ。二人をゆるして帰京させるかどうかは先例に照らし合わせた上のことと存じますが、私はお赦しになられてもよろしいのでは、と考えます。

 また二人の配流以来、中宮様もご心痛が絶えぬと聞き及びます。中宮様のためにも二人を赦免し、帰京をお許しになられてはいかがでございましょうか。」

 道長はここまで言うと言葉を切った。道長には詮子の病のほかに、伊周・隆家兄弟を赦免して都に呼び戻そうとする一条帝の意図がはっきりとつかめていた。一条帝の顔が急に明るくなったのを見て取ると、道長は顔つきを引き締めてさらに言葉を継いだ。

 「しかしながら、朝廷にはいまだ伊周への反発が強く残っております。大赦に反対する者はいないと思われますが、二人の召喚には多くの公卿たちが異議を唱えましょう。けれども、帝はこの件につきましては、ご判断を朝廷にお任せになられますように。私が帝のお考えに添うよう事を運びますゆえ。」

 二人の帰京に反対する多くの公卿たちの真の理由は自分に対する遠慮、あるいはへつらいであることを道長は知っていた。道長が賛成をすれば、反対している公卿たちも賛成するとの判断があった。そしてこうすることで一条帝に恩を売っておけば、今後の政の運営に役立つとの読みもあった。

 三月二十五日朝、朝議が開かれた。『陣の定め』と呼ばれる国の最重要事項を決める会議である。道長を含め十一人の公卿が招集された。朝議を指揮するのは筆頭公卿、左大臣道長である。

 上座に座った道長が口を開いた。

 「諸卿もご存知の通り、東三条院様のご病悩芳しからず。帝はそのこと、心から心配をしておられる。そこで大赦の詔を発布し、天帝の徳を招来して東三条院様のご病悩のご回復を企図された。諸卿のご意見を伺いたい。」

 発言する者は誰もいない。全員が頷いている。道長は一同を見回すと再び口を開いた。 

 「ご異存はなきご様子。それでは大赦の詔をお出しになられるよう帝に奏上いたしましょう。

 さて次に、大赦の適用範囲について諸卿のご意見を伺いたい。特に、昨年権帥ごんのそちとして大宰府に、また権守として出雲に流された、伊周・隆家の扱いについて伺いたい。第一には、二人を大赦の対象とするか否か。また二つ目は、対象とするとしても、帰京を認めるか否か。」

 道長は厳しい顔つきで再び一同を見回した。居並ぶ公卿たちは顔色を窺うばかりで発言しようとする様子は見えなかった。道長の考えを知ろうと互いに譲り合うばかりだった。やがて末席の公卿がやっと意見を述べ始めた。朝議では末席の公卿から順に意見を述べるのが慣例であったため、自分が発言しなければ朝議が先に進まないと考えたためである。

 「みことのりは帝のご権威の象徴でございます。国の末端にまで行き届かねばなりませぬ。例外を認めますれば、詔勅しょうちょくのご権威に傷がつきましょう。ゆえに二人にも適用すべきと考えます。」

 これを聞いた道長は顔に笑みを浮かべて頷いた。道長の態度を見た公卿たちは、道長も適用に賛成していると感じとり、次々に賛成の意見を述べ始めた。ところが実資さねすけが強い口調で反対した。

 「方々、よくお考えください。二人の犯した罪は王家に対するもの。帝がそうご判断されたのです。左大臣殿もご同意されました。王家に対する罪を一年足らずでゆるすという先例はありませぬ。ゆえにこの度の大赦を二人に適応することはできませぬ。」

 伊周・隆家の配流に反対していたのは実資であった。道長は実資が大赦の適用に反対するとは思っていなかった。むしろ実資は二人の赦免を認め、早急に帰京を求めるものと考えていた。

 道長はじっと実資の顔を見た。実資も道長を見返している。道長には、実資がこのような形で昨年の除目の結果を逆手に取ってくるとは思いもよらなかった。しかし道長には帝との約束がある。ここは譲るわけにはいかなかった。

 「実資殿、実資殿のご意見、真に理に適っております。しかしながら、この度の大赦は国母東三条院様のご病気平癒に関わるもの。天に徳を積んで東三条院様のご病気のご回復を祈願するためのものでありましょう。天に徳を積むためには、ご自身に向けられたやいばをも許す必要があると帝はご判断されたのでしょう。そうした帝のお心を、私たち臣は受け入れ、支えねばなりませぬ。実資殿、そうはお思いになりませぬか。」

 国母の病気や、帝の心を持ち出されては強く反対はできない。実資は小さく会釈をすると道長から目をらした。

道 長は再び全員の顔を見渡して話し始めた。

 「さて、それでは二人にも大赦を適用することといたしましょう。では次に、二人の帰京を認めるや否や。この件について諸卿はどのようにお考えか。」

 公卿たちは再び黙り込んだ。大赦の適用は許しても二人の帰京まで道長が許すとは思えなかったが、道長の口ぶりではそう判断できなくもない。何とか道長の考えを読み取ろうと、公卿たちはじっと道長の顔色をうかがった。しかしその表情には何の変化も現れず、道長の考えを読み取ることはできなかった。

 道長は催促するように何度も公卿たちの顔を見回した。ようやく一人の公卿が口を開いた。

 「左大臣殿、これはなかなかに難しい問題でございます。ここはひとまず先例を調べさせ、先例によって判断するということでいかがでございましょうか。」

 続いて数人の公卿が意見を述べた。先例に基づいて、あるいは明法博士に奏上させよ、というものであった。帝に判断を委ねるという意見も出された。しかし帰京を許すべしとの意見は誰からも出なかった。

 道長は実資の顔を見た。帰京を許すべしとの意見を実資が述べることを道長は期待した。実資はたとえ自分の意見とは異なっていても、決まるまでは頑迷に自分の意見を述べるが、決まったことには従う性格である。大赦を適用することが決まった今、実資が二人の帰京を認める意見を述べる可能性は高かった。

 「実資殿、先程実資殿は他の方々とは異なるご意見を述べられた。この件についてはいかがお考えか。」

 実資はわずかに唇をゆがめて答えた。

 「私の考えは先程申し上げた通り。それが通らなかった今、せいぜい、先例に即して、と申し上げるのみ。」

 期待は外れた。道長は微かに顔をしかめた。

 その時、源扶義みなもとのすけよしが口を開いた。扶義は道長の正妻倫子ともこの兄にあたる。また定子が暮らす二条北宮の中宮職の権大夫ごんのだいぶでもあった。そのため、道長は扶義が召喚を強く主張するだろうと考えた。しかし扶義は道長が顔をしかめた様子を見て、道長が伊周・隆家の帰京に反対していると考えた。実資が先程の自分の意見に沿って、二人の帰京に強く反対する意見を述べることを望んでいたと勘違いをしたのだった。

 「左大臣殿、明法博士にただすまでもなく、法に照らして二人の罪を考えれば、帰京を許すかどうかの判断は明らか。私は中宮様にお仕えする身でございますから、それを口にすることはできませぬが、法を曲げてはなりませぬ。」

 扶義は強い視線で居並ぶ公卿たちを見回した。

 道長は扶義をチラリと見ると、あからさまに顔をしかめた。道長が笑顔を浮かべると思っていた扶義は、道長の表情を見て動揺した。

 道長は話しを引き取った。

 「諸卿のご意見はよくわかった。今日の朝議を踏まえ、帝に奏上しようと思う。帝のお考えをお聞きしたのち、再び陣の定めを開くこととする。」

 朝廷は解散した。道長は扶義に強い視線を向けたのち退出した。

 その日の午後、道長は一条帝の許を訪れた。いつものように昼御座ひのおましで対面した道長は、一条帝に頭を下げて話し始めた。

 「今朝の陣の定め、ひとまず終わりました。しかしながら、伊周・隆家の召喚に賛成する者は一人もおりませんでした。先例に従い、あるいは明法博士に奏上させよ、といったものばかりでございました。いかがいたしましょうか。」

 道長は一条帝に尋ねた。一条帝はわずかに眉をひそめて答えた。

 「私の考えはそなたも知っておろう。私はそなたに任せた。あとはそなたの仕事である。」

 道長は顔を上げた。その顔には笑みが浮かんでいる。

 「帝のご意思にお変わりがないことを確かめさせていただきました。こうした意見が多数を占めることはあらかじめ分かっておりましたこと。ただ実資までもが、先例に従って、と言うとは思いませんでした。しかし元々配流に反対だった実資は、腹の中では、二人の召喚を認めていると思われます。生来の反骨が現れたのでございましょう。気難しい男でございますゆえ。

 それでは次の陣の定めで二人の召喚を決めようと思います。

 で、その日はいつがよろしいかと・・・。」

 一条帝は穏やかな表情で道長を見下ろしている。

 「陰陽頭おんみょうのかみは四月五日が朝議に相応しいと奏上してきた。その日に定めよ。」

 実資は陣の定めが終わると、真っ直ぐに大炊御門大路おおいごもんおおぢにある自邸小野宮邸おののみやていに戻った。かつて小野宮惟喬親王おののみやこれたかしんのうの邸であったため小野宮邸と呼ばれていた。

 邸に戻っても実資の腹の虫は治まらなかった。伊周・隆家の謀反を決めた昨年の除目では、実資はその考えに反対した。しかし認められなかった。それが一年も経たないうちに二人の召喚の朝議が開かれた。筋が通らない。謀反と決めたなら、冤罪えんざいが判明したのでない限り、一年や二年で召喚などできるはずがなかった。恩赦で罪が許されても配流地に留め置くべきである。これは帝が中宮定子に泣きつかれて開かれた朝議であると実資は考えた。伊周・隆家兄弟が事件を起こして以来、実資は定子に対して良い感情を持てなかった。また定子が妊娠し出産したことで、その感情はさらに増幅していた。そこに今回の陣の定めである。実資の定子に対する感情はもはや抑えられないほどに悪化した。

 ―出家すればもはや中宮ではない。それがこともあろうか子を宿し、いまだに帝の行幸ぎょうこうを受け入れている。帝が中宮への思いを持ち続けることは仕方がないとしても、それを拒んでこその出家。人の道に外れている。

 実資は伊周・隆家の召喚に賛成するつもりはなかった。伊周・隆家が朝廷に復帰し、かつてのように一条帝と良好な関係になれば定子の立場も強くなる。実資にはそれが許せなかった。定子は内裏を去るべきだと実資は考えていた。

 四月五日朝、二度目の陣の定めが開かれた。

 道長は座に就くと早速口を開いた。

 「先日の諸卿のご意見につき、帝のご裁可が出た。」

 まずは先例や明法博士の奏上についての報告があると考えていた実資は驚いた。帝の裁可が出ればそれがこの場の結論となる。帝が伊周・隆家の召喚を望んでいることは明らかだった。

 「お待ちください。先例や明法博士の奏上の内容を明らかにすることが先ではありませぬか。まずはこの陣の定めで結論を出し、それを帝に奏上するのが筋というもの。先日の陣の定めで結論が出たとは申せませぬ。」

 道長はじろりと実資を見た。

 「すでに諸卿のご意見とともに先例、明法博士の奏上も済んでいる。その上でのご裁可である。実資殿も先日、先例に基づいて、とお話しになったと記憶しているが・・・

 帝もまた先例に基づいて判断すべしとの仰せ。先例を調べさせたところ、安和二年(九六九)、源高明みなもとのたかあきらが謀反の罪で大宰府に流され、二年後の天禄二年に都への召喚の詔が発布されている。今回も、勅使が赦免・召喚の詔を大宰府に届けたのち、伊周が帰京するのはおそらく秋以降。先例と同じ二年となる。よって先例に基づき、伊周・隆家の二人は召喚することとする。」

 源高明が謀反の罪で大宰府に流されて帰京するまでには丸三年かかっている。召喚が決まるまでにも丸二年がかかった。高明の召喚の決定と伊周の帰京を混同させている。先例通りとはとても言えない。しかし帝の裁可が出た以上従うしかない。実資は鬱々(うつうつ)とした気分で内裏を後にした。

         

 四月も二十日を過ぎた頃、都からの勅使が大宰府に到着した。

 大宰府に流されて以来ますます自暴自棄になっていた伊周にとって、都への召喚は再び未来が開けたと思わせる出来事だった。それもこれほど早く召喚されるとは夢にも思っていなかった。妹である定子の口添えがあったことは容易に想像がつく。都に戻ったのちには、今度こそ中宮のために懸命に働こうと思いながら、伊周は帰京の準備を進めた。

 そんな中、夏も終わろうとする頃、祖父成忠から文が届いた。そこには次のような内容が記されていた。

 『伊周殿、今しばらく帰京は見合わせるがよろしかろう。今回の召喚には中宮様のお口添えがあったのは間違いないが、実際に事を進めたのは左大臣道長。道長は伊周殿の配流はいるが決まる前、帝に死罪を奏上していた。それが一年で帰京を認めるなど考えられぬ。何か魂胆こんたんがあるに違いない。伊周殿の命を狙っておるのかもしれぬ。

 今、雲久と海久に道長の真意を探らせている。真意がはっきりするまで、きっと都に戻ってはならぬ。』

 道長が指揮する朝議で伊周の召喚が決められた。それは道長が自分を許した結果だと考えていた伊周は、読み終わっても暫く文面から目を離すことができなかった。確かに伊周が帰京すれば遠からず官位も元に戻され、再び道長に対抗できる立場になる可能性がある。伊周は、道長が自分を都に呼び戻して暗殺しようと考えても不思議はない、と考えた。伊周の心に再び道長への憎悪が燃え始めた。

 ―許さぬ、道長。俺をこのような地の果てに流したうえ、今度は俺を殺そうとするか・・・許さぬ。お前が俺の命を狙うなら、俺はお前の最も大事なものを奪ってやる。

 大宰府は宋との交易の窓口である。そのため宋から多くの人や物資が流入していた。しかし中には海賊まがいの危険な人間も多くいる。伊周はそうしたやからを束ねる人物を邸に呼んだ。趙大人ちょうたいじんと呼ばれる宋人で、荒れた生活を送るなかで知り合った海賊の元頭領である。

 邸には宵闇に紛れて忍んで来るように伝えてあったので、趙は頭巾を目深に被り、商人の身なりでやって来た。多くの修羅場をくぐって来ただけあって目つきに凄みがある。

 伊周の正面の椅子に座った趙は頭巾を外すと、用意されていた茶を一口啜すすった。伊周は趙を案内してきた家臣を下がらせた。

 「趙大人、今日はお前に頼みがある。お前にしか頼めぬことだ。」

 茶碗を両手でくるむように持ったまま、趙は伊周の顔を黙って見ている。

 「お前は朝廷の動向を探るため、都に手の者を住まわせていると聞いたが、その者たちは今でも都にいるのか。」

 日本と宋の間には国どうしの正式な交易は行われていない。それは交易のために大宰府を訪れている船が海賊船と見做され、いつ捕獲されるかわからないということを意味していた。宋人たちは大宰府のみならず、朝廷の動きにも神経をとがらせていた。

 趙は手に持った茶碗を卓の上に置くと、あらためて伊周を見た。

 「いる。それが何だ。」

 潮風で鍛えられ、ひび割れてはいるが、しかし良く通る声で趙が尋ねた。

 「その者たち、武芸の方は・・・」

 趙は唇の端をわずかに歪めた。

 「検非違使どもが束になってもひるむものではない。」

 伊周は身を乗り出し、声をひそめた。

 「その者たちを俺に貸してはくれぬか。」

 伊周の言葉に金の匂いを嗅ぎ取ったのか、趙の目がキラリと光った。いつの間にか夜空の藍が部屋の中まで染みてきていた。

 「何をするつもりだ。」

 伊周は心の中を探るように趙の目をじっと見た。

 「引き受けてくれるならば話そう。簡単な仕事だ。だが褒美は思いのまま。」

 宋との交易で得られる利益は莫大なものだった。権帥の伊周はその立場を利用して大きな財を得ている。無論趙もそのことは知っている。互いに心を探り合うように見つめ合っていたが、やがて趙が口を開いた。

 「引き受けよう。話せ。」

 伊周は言葉を探すかのように庭に目をやった。

 とその時、部屋の隅に夜空の藍が粒となって立ち上がり、小さな渦が生まれた。渦は一気に大きくなり、竜巻となって趙を巻き込んだ。竜巻はさらに回転を速め、藍はどんどん濃くなっていった。趙の身体は完全に渦の中に埋没した。自分も渦に引き込まれそうに感じた伊周は、急いで庭に飛び降りた。竜巻は趙を巻き込んだまましばらく部屋の中に留まっていたが、やがて長い尾を引いて空の彼方に飛び去った。だが伊周が座っていた椅子も、趙が座っていた椅子も、前に置かれた卓も、その上に置かれていた急須や茶碗さえも元のままだった。趙だけが消えていた。

 竜巻が去ったあとも、伊周は恐怖で立ち上がることができなかった。ただ茫然と竜巻が消えた夜空を見上げていた。そこには星が煌めくばかりだった。

 四半刻(しはんとき:およそ三十分)あまりも空を眺めていた伊周は、ふと我に返って部屋の中に目をやった。自分が座っていた椅子の上に、ぼんやりと人の形をした藍色の影が見えた。影の方向から声が聞こえた。

 「ずいぶんと卑劣な手段を考えたな、伊周。」

 伊周はうろたえた。

 「何を言う。お前は誰だ。姿を現せ。俺が何をしたというのだ。それより趙をどこへやった。」

 藍色の影は穏やかな口調で伊周に告げた。

 「道長にお前を殺そうなどという心はない。成忠とお前の邪推だ。道長とお前の勝負はすでについている。」

 伊周は慌てて立ち上がり、影に向って大声で言った。

 「何を言うか。中宮様が皇子みこを生めば、その皇子はいずれ春宮とうぐうとなる。そうなれば俺は外舅がいしゅうとなり、再び力を取り戻せるのだ。」

 藍色の影はゆっくりとその姿を現した。青武者だった。椅子に座った青武者の二つの目がキラリと光った。

 「それでお前は道長の娘彰子あきこをかどわかし、殺そうと考えた。道長の娘を入内じゅだいさせぬためにな。」

 伊周は恐怖を感じて二三歩後ろに下がった。しかしその拍子に足が絡まり、地面にどんと倒れ込んだ。

 「伊周、目をつむれ。お前に見せておきたいものがある。」

 伊周は恐怖におののきながらじっと青武者を見つめていたが、やがて諦めたように首がガクッと前に落ちた。目を閉じた瞬間、伊周は闇の中に落ちていった。

 気づいたとき、伊周は赤茶けた小さな、ぶよぶよの塊になって宙に浮かんでいた。塊は強い腐臭を放っている。辺りを見回すとまん丸に輝く光のたまがあちこちに浮かんでいる。光の珠はゆっくりと上昇し、やがて天空に開いた純白の穴に吸いこまれていく。穴からは銀色の光が射している。伊周も純白の穴を目指した。しかし穴に到達する寸前、光に当たり、ドロドロに溶けて落下してしまう。伊周は落ちていく自分の欠片かけらを集めて一つになっては、何度も純白の穴を目指した。だが伊周は穴に入ることはできなかった。溶けて再生するたび、腐臭はますます強くなっていた。

 伊周は何度も何度も同じことを繰り返した。繰り返すたびに伊周の意識は濁ってきた。純白の穴に拒否されているという恨みだけが強くなっていった。やがて再生することもできなくなり、恨みに満ちた記憶の欠片が虚空を漂った。

 意識を失って庭に倒れていた伊周に家の者が気づいて邸内に運び入れたのち、七日の間、伊周は目覚めなかった。

 部屋に運ばれた当初、伊周は小さな声で何事かをぶつぶつとつぶやいていたが、次第に意味不明の言葉を大声で叫ぶようになった。しかし五日ほど経つとそれもなくなり、呼吸をしていないのではと思わせるほど静かになった。

 七日後、伊周は目覚めた。しかしおびえきった様子で部屋に閉じこもり、誰とも会おうとはしなかった。


 一条帝は定子との約束どおり伊周と隆家を赦免召喚しゃめんしょうかんし、隆家は四月二十一日に帰京を果たした。

 定子は久方ぶりに晴々とした気持ちになっていた。また脩子ながことともに内裏に戻る気持ちにもなっていた。一方一条帝も、定子を内裏に呼び戻す環境が整ったとして、定子に対する還啓かんけいの宣旨を出す準備を進めていた。しかし多くの公卿たちはこれに難色を示した。これを聞いた定子は、公卿たちの自分への反発の強さを改めて知り、同時にかつて自分に向けられた公卿たちの冷ややかな視線を思い出した。定子の心は再び凍えていった。

 六月九日、道長が急病で参内を控えていた日を選び、一条帝は定子の還啓に最も強く反対をしている実資を内裏に呼んだ。筆頭公卿である道長が同席すれば、実資は素直に自分の意見を言わなくなる可能性があると考え、道長の同席を避けたのである。

 「実資、そなたは中宮を内裏に戻すことに反対をしていると聞く。伊周・隆家の罪が許された今、もはや中宮が内裏に戻れぬ理由はないと思うが、何ゆえか。」

 実資は平伏したまま答えた。

 「私の口からそれをお答えするははばかり多きこと。ご推察のほどを・・・」

 一条帝は厳しい口調になりそうな自分を抑えながら、できるだけ穏やかに言った。

 「かまわぬ。そなたの思うことを率直に述べよ。道理に適った進言ならば取り入れねばなるまい。」

 実資は一条帝が十八歳の若さにもかかわらず、帝として正しくありたいと努力していることをよく知っていた。そのことは伊周・隆家の処分の際にも現れていた。

 実資は頭を上げ、一条帝を見た。一条帝が必死に感情を抑えていることが見て取れた。一条帝の帝としての資質を高く評価していた実資は正直に話す決心をした。

 「昨年五月のことでございます。伊周・隆家捕縛のため、中宮様の里御所二条北宮の邸内への検非違使の進入が許されました。その際、隆家は捕縛されましたが伊周は邸内に見当たらず、捜索のため里御所の壁や床が剥がされるという事態が起こりました。これも帝のお許しを得ておりますゆえ捜索に問題はありませぬが、その際、中宮様はおぐしをお落しになられ、ご出家なされました。ご出家とは俗世を離れること。その時点で中宮の地位もお捨てになられたと考えるのが道理かと。かつて、東三条院様もご出家なさいました際、皇太后の地位をご辞退なさいました。それゆえ、私は中宮様の再度の内裏参入には同意をいたしかねております。」

 思いもかけぬ実資の言葉に、一条帝は一瞬言葉を失った。公卿たちが問題にしていたのは尼削あまそぎであったことに初めて気づいた。一度大きくゆっくりと息を吸って気持ちを整え、再び実資に話しかけた。

 「実資、それはそなたの思い違いである。中宮は里御所に検非違使が進入したことに動揺し、抗議のために髪を切ったにすぎぬ。中宮職の者たちもそのように話している。進入は私が許可をした。検非違使の別当であるそなたにも、また進入した検非違使たちにも無論罪はない。中宮の抗議の相手はこの私ということだ。

 もし中宮に出家の意図があれば、その後正式な得度とくどの儀が行われねばならぬ。東三条院様の時もそうであった。だが中宮にその考えはなかった。それが証拠に中宮はその後私を許し、行幸を受け入れている。とはいえ、中宮の行いはそなたらの誤解を招く軽率な行為であったやもしれぬ。許せ。」

 しかし、行幸を受け入れているから出家をしていないという理屈は、実資には受け入れられないものだった。

 「お言葉を返すようでございますが、帝。理由は何であれ、尼削ぎをすれば出家と見做されます。それは帝もご承知のはずでございましょう。たとえそれが正式な・・・」

 一条帝の目に怒りの色が浮かんだ。一条帝は実資の言葉を遮った。

 「実資、今も言った通り、あれは尼削ぎではない。私に対する抗議の断髪だ。それが分からぬか。」

 感情が昂ぶった一条帝は、手にしていた扇で自分の膝を強く叩いて実資を睨んだ。その時、一条帝の頭に一つの考えが浮かんだ。

 「いや待て、実資。そなたの言わんとすることはわかった。公卿たちがどのように考えていたかもわかった。髪が伸びるまで中宮を内裏に入れることはせぬ。それでよいか。」

 実資は一条帝が中宮の出家を認め、認めたうえで還俗げんぞくの形を取ろうと考えていると感じた。中宮の還俗は先例がない。それでも実資は帝の気持ちを尊重し、同意した。

 数日後、一条帝は定子を大内裏にある職曹司しきのそうじに住まわせることを決めた。職曹司は内裏の東北に隣接している。内裏とは道一本を隔てているに過ぎない。しかし確かに内裏ではなかった。一条帝が実資との約束を守るために考え出した苦肉の策である。しかし実資ら公卿たちは納得をしなかった。公卿たちにとって、大内裏は内裏の一部であった。定子に対する公卿たちの反発はさらに増大した。

 六月二十二日、輿こしに乗った定子は暗い気持ちで職曹司に向っていた。一条帝の命令があったにもかかわらず、随行した公卿はわずかに一人。中宮職の役人さえ供に加わっていない。実資を初め他の公卿たちは病や触穢しょくえなどと称して邸から出ようともしなかった。女房たちは暗い顔をして従っていた。

 ―やはりお断りをすればよかった。二条北宮にいればこのようなはずかしめを受けずにすんだものを・・・

 定子の胸の内に激しい後悔の念が湧き上がった。しかし、今宵内裏で帝と脩子ながこの対面の儀が行われることになっており、今さら引き返すこともできない。詮子あきこからは初めての孫との対面を楽しみにしていると伝えて来てもいた。

 一行は職曹司に到着した。夏だというのに、昨年二月に入った時より空気が重く、湿って肌寒く、何より暗く感じた。

 部屋に入った定子は女房たちを下がらせ、護持仏の観音菩薩の前に座った。目を閉じ、手を合わせて念仏を唱えようとしたその時、定子の耳に女の声が微かに聞こえた。

 「定子・・・定子・・・」

 目を開け、辺りを見回すが誰もいない。再び手を合わせると、先程より少し大きな声がまた定子を呼んだ。

 「定子・・・定子・・・」

 定子は護持仏の観音菩薩が自分に語りかけてきたと思い、手を合わせたまま次の言葉を待った。再び声が聞こえた。その声は切れ切れでひどくひび割れ、聞き取りづらいものだった。

 「そなたを・・待って・・いました・・犯した・・罪により・・天に昇る・・ことも・・許されず・・百年もの・・長きにわたり・・この世を漂いながら・・待ち続けて・・いたのです・・」

 定子の全身に悪寒が走った。恐怖のために声を上げることもできない定子に、声はさらに語り続けた。

 「・・わたくしは・・そなたに・・伝えねば・・なりませぬ・・それが・・わたくしの・・使命・・なのです・・そなたは・・ここに・・いては・・なりませぬ・・そなたが・・一条とともに・・生きれば・・この世に・・修羅が・・出現・・することに・・なり・・ましょう・・すぐに・・すぐに・・ここを去る・・のです・・」

 「物の怪・・・」

 定子は一言そう呟くと意識を失った。


 その夜、内裏で帝と脩子の対面の儀が行われた。詮子も参加していた。定子は病と称して内裏にはおもむかなかった。

 対面の儀のあと、詮子は一条帝と向き合った。三十六歳になっていた詮子はこれまでしばしば病に冒され、自分の寿命はそう永くはないと感じており、いまだに皇子に恵まれない一条帝の行く末を案じていた。

 冷泉帝れいぜいのみかどのあとを円融帝えんゆうのみかどが襲って以来、皇位は冷泉帝と円融帝の皇統が交互に継いでいる。今も一条帝の春宮には、冷泉帝系の四歳年上の従兄、居貞親王いやさだしんのうが立っている。元服も結婚も一条帝より早かった居貞親王にはすでに皇子が誕生していた。このままでは居貞親王が帝位に就く際にはその皇子が春宮に立ち、円融帝の皇統が途絶える可能性がある。詮子は母として、一条帝に早く皇子が誕生し、円融帝の皇統が安定することを願っていた。

 「賢明な帝のことです。帝として最も大切なお役目をお忘れとは思いませぬ。中宮へのご執心も、これまでお二人が過ごしてこられた時を考えれば理解できます。けれどもこの度お生まれになられた御子は皇女ひめみこでございました。もちろん、脩子はわたくしにとって初めての孫でございます。可愛くないはずがありませぬ。帝にとってもそれは同じでございましょう。しかし帝はそれで満足してはなりませぬ。

 昨年、義子と元子が入内いたしました。義子は大納言公季だいなごんきんすえの、また元子は右大臣顕光うだいじんあきみつの姫君。ともに申し分のない後ろ盾。こう申し上げてははばかりがあるやもしれませぬが、母が受領ずりょうの出である中宮とお比べしても・・・」

 一条帝は眉をひそめて詮子の言葉を遮った。

 「分かっております。御心配には及びませぬ。さらにいっそう帝としての務めを果たしましょう。」

 八月も終ろうとする頃、元子懐妊の知らせが内裏を走った。公卿たちはこの知らせに沸き立った。とりわけ元子の父、顕光の喜びは常軌を逸したものだった。定子や義子の気持ちを考えることなく、誰彼かまわず元子の懐妊を吹聴ふいちょうした。また、元子に皇子が誕生すれば自分は外戚がいせきとなり、摂政・関白も夢ではなく、父兼通の死後兼家一門に移った権勢を取り戻せるとも公言していた。

 顕光は嬉々として都中の寺社に皇子誕生の祈祷を命じ、さらに氏寺の興福寺には男子出産のための秘法、烏枢沙摩変成男子法うすさまへんじょうなんしほうの修法をひそかに命じた。

 一方定子は悲しみに沈んでいた。やむを得ないことと分かってはいたが、それでも元子懐妊の知らせは定子には衝撃だった。公卿たちがますます自分を軽んじることも容易に想像できた。現に公卿たちや中宮職の役人たちは、何かと理由をつけて定子への奉仕をおこたった。それは日々の暮らしにも不都合を生じるほどだった。

 九月に入ると職曹司しきのそうじに物の怪が現れるという噂が内裏にも広がった。公卿や役人たちはますます職曹司に近寄らなくなった。ただ一人心を許していた女房の清少納言も、個人的な理由から定子の許を離れており、定子は心の内を誰にも話すことができず、ますます追い詰められていった。

 定子は祖父成忠を職曹司に呼んだ。修法の心得のある成忠に物の怪退散の祈祷を依頼するためである。物の怪がいなくなれば訪れる人が増え、少しは気が紛れると考えたためでもあった。

 雲久と海久を引き連れた成忠が職曹司に入った。夕闇が迫る頃、三人は屋根裏に登って降魔ごうまの印を結び、夜を待った。やがて遠くに後夜の鐘が聞こえた。一つだけ点けていた燭台の火がフッと消えた。同時に、屋根を支えている太い梁の上に、小さな黒い炎がいくつも現れた。炎は次第に一つに集まり、中心からひび割れた女の声が聞こえた。

 「定子を・・救う・・のです・・闇が・・迫って・・います・・定子を・・闇に・・奪われ・・ては・・なり・・ませぬ・・」

 成忠は降魔の印を声に向って鋭く投げつけた。黒い炎はふわっと辺りに散ったかと思うと、また一つに纏まった。

 「定子の・・悲しみ・・を取り除く・・のです・・そなたに・・できる・・ことは・・それだけ・・です・・定子の・・悲しみは・・この世・・をも・・呑み込み・・ましょう・・定子を・・救う・・のです・・」

 言い終えると、炎は暫く空中に留まっていたが、やがて縮み始めて消えた。消えた瞬間、そこに拳ほどの小さな銀の光の珠が現れ、珠は天井を通り抜けて夜空の奥深くに昇って行った。辺りは再び闇に覆われた。

 成忠は闇の中で物の怪の言葉を考え続けた。

 早朝、まだ暗いうちに邸に戻った成忠は、雲久と海久に自分の考えを告げた。

 「雲久、海久、俺はあの物の怪が定子に害をなすとは思えん。定子を救えと言っておった。問題は何から定子を救うのか、じゃ。俺は考えた。定子の苦しみは元子の懐妊から来ておる。元子が一条帝の皇子を生めば、定子は本当に出家させられるじゃろう。あの軽佻浮薄な顕光の娘に定子が内裏から追われるなど許せん。元子の腹の子を流すのじゃ。元子に皇子など生ませてはならん。お前たちも手伝え。」

 雲久と海久は思わず顔を上げて成忠を見た。成忠は冷ややかな顔で二人を見返した。

 「何だ。何か不満でもあるのか。それともやれんとでも言うのか。」

 雲久と海久は互いの気持ちを確かめるように顔を見合わせ、再び視線を成忠に戻すと雲久が口を開いた。海久も何か言いそうになったが、雲久が話し始めたことで口をつぐんだ。

 「成忠様、この修法ばかりはお引き受けいたしかねます。

 これまで我らが修法を行いました相手はすべて公卿たち。隙あらば相手を咒い殺してでも成り上がろうとする者たちばかりでございました。しかしこの度の対象は帝の御子。何の罪もありませぬ。まして皇子とも皇女ともわからぬ御子。何よりこの修法には大義がありませぬ。我らはただの人殺しとなります。」

 成忠は口を歪めて二人を見下ろした。

 「大義じゃと・・・お前の口からそのような言葉が出るとは思いもよらなんだ。これまでお前は大義で人を殺してきたのか。ただ俺の指示で誰彼かまわず殺してきただけじゃろう。偉そうな口をきくな。皇子か皇女かわからんと言うが、それでは皇子とわかればその時、お前はその子を殺せるのか。わかってからでは遅いのじゃ。

 やるのか、やらんのか。はっきりせい。やらんならやらんでよいわ。お前たちは今日限りで用無しじゃ。さっさと出て行け。」

 二人が去ったあと、成忠は再び職曹司に向かい、定子に会った。

 「中宮様、あの物の怪はおそらく敵ではありませんぞ。中宮様をお守りするようにと言っておりました。中宮様のお苦しみの原因を取り除くようにとも。

 そこで私は考えました。中宮様のお苦しみの原因は何であろうかと。分かりましたのじゃ。中宮様のお苦しみの原因は、元子様のご懐妊じゃと。そこに考えが至りましたのじゃ。お隠しになることはありませんぞ。いや、何もお話しになられますな。すべて分かっておりますのじゃ。あとはこの爺にお任せくだされ。」

 定子は急に不安になった。成忠が何を考えているのか、強い胸騒ぎが広がった。

 「成忠どの、わたくしの不安はあの物の怪だけです。物の怪が現れなければそれでよいのです。元子さまのご懐妊は喜ばしいことでこそあれ、決して不安の種になどなろうはずがありませぬ。決して、決して元子さまにお手をお出しにならぬよう・・・。」

 成忠は定子を制するように両手を上下に振ると、笑顔で職曹司をあとにした。定子は成忠のこれからの行動が不安でならなかった。成忠に相談したことを後悔した。

 雲久と海久は成忠の邸を出ると六波羅の隠れ家に戻った。二人の顔は暗かった。

 「兄者、これからどういたしましょう。成忠はあのような性格です。味方でなければすべて敵。ここも早く引き払わねば危険です。もうすでに何か手を打っているやもしれませぬ。」

 突然、雲久は海久に頭を下げた。

 「これで晴明との修法争いの道が遠のいた。許してくれ。

 海久、お前はあの修法、やりたかったのではないのか。俺が勝手に断ったゆえ、俺を恨んでいるだろう。しかし俺にはあの修法、どうしてもできぬ。あの修法をやれば俺たちは人ではなくなる。修法者の頂点どころか、ただの外道げどうに成り下がる。」

 海久は雲久の手を取った。

 「兄者、今、私は兄者に感謝をしています。私はあの時、一瞬あの修法をやろうと思いました。我らの目的のためにはどんなことでもせねばならぬと思い込んでいたのです。しかし兄者の言葉を聞いて目が覚めました。

 我らは陰陽師です。役小角えんのおづぬ様の血を引く、生まれながらの陰陽師です。陰陽師は天帝の心に添わねばなりませぬ。晴明との修法争いもその先にあること。決して遠回りになったとは思いませぬ。これで良かったのです。」

 海久が話し終えた時、軒下から藍色の粉が流れ込んできた。粉は二人の前に集まり、威風堂々とした青武者が現れた。驚いた二人は片膝を立て、小太刀の柄に手を添えて身構えた。青武者は二人の前にどさりと腰をおろした。

 「雲久、海久、俺だ。青武者だ。手を下ろせ。」

 二人は身構えたまま青武者を油断なくじっと見つめた。

 雲久が青武者に声をかけた。

 「お前が青武者か。何をしに来た。俺達を殺しに来たか。だが我らとてそうむざむざとは殺されぬ。」

 青武者はくつろいだ様子で二人に語りかけた。

 「そう死に急ぐな。お前たちと争うつもりはない。今日はお前たちと少し話がしたいと思い、現れた。」

 青武者のくつろいだ様子を見て、二人は青武者を挟むように両脇に腰をおろした。青武者は言葉を継いだ。

 「お前たち、成忠の許を離れたようだな。良い判断だ。お前たちと晴明との修法争いなど、成忠は考えてはいなかった。お前たちを利用するための餌だ。

 考えても見ろ。晴明は道長と親しい。成忠は伊周の外祖父だ。そして道長と伊周は敵対していた。晴明が成忠の指示になど従うはずがなかろう。何より、晴明には誰かと修法争いをする気持ちなどまったくない。晴明には修法者の頂点にいるという意識そのものがないのだ。

 今、晴明は力のある修法者に自分の技を伝えようとしている。お前たちにその気持ちがあるなら、修法争いなどせずとも、晴明はお前たちを受け入れるだろう。お前たち、晴明に会ってはみぬか。」

 青武者は二人を交互に見た。雲久と海久は互いに目を見合わせた。

 青武者はさらに言葉を続けた。

 「晴明はお前たちのことはすでに知っている。二年前、お前たちが道長を咒詛した折、晴明はお前たちの修法を脇で見ていた。俺が命じた。晴明はお前たちの修法者としての力を見極めていることだろう。」

 二人は思わず声を上げた。

 「晴明がいた!まさか!」

 青武者はにやりと笑った。

 「気配を消すのに苦労をしたようだ。お前たちの咒が高熱を帯びて頭を襲ったと言っていた。咒の持つ圧力で頭が潰れそうになったそうだ。あれほどの咒を送ることのできる修法者はこれまで会ったことがないとも言っていた。晴明はお前たちの修法者としての力を認めている。」

 雲久と海久は肩を落とした。二人は晴明の存在に全く気付いていなかったのだ。

 「我らに気づかれぬほど気配を消せるとは・・・初めてだ・・・晴明とはそれほどの・・・」

 雲久は青武者の前に進み出ると、手をついて頭を下げた。

 「青武者殿、我らはまだまだ未熟。晴明殿にお会いして是非教えを乞いたい。」

 青武者の姿がはじけた。藍色の粉になった青武者が天井に向って昇って行く。粉の中から声が聞こえた。

 「今すぐ晴明の邸に向え。お前たちが訪れることは俺が晴明に伝えておく。」

 藍色の粉は軒下から射し込む朝日に一瞬きらりと輝き、光の中に溶けて消えた。

 土御門大路に面した晴明の邸で、僧衣を身に纏った雲久と海久は晴明と向き合っていた。烏帽子えぼしを被り、白の直衣のうし姿で二人と対面した晴明は、穏やかな口調で二人に話しかけた。

 「お二人のことは青武者様から聞いています。よくおいで下さった。まずは湯でも。」

 晴明が前に置かれた椀に手を伸ばした瞬間、雲久が晴明に咒を送った。同時に海久も晴明に向って咒を投じた。雲久の咒は晴明の額に、海久の咒は晴明の胸に激しく突き刺さった。かと思うと晴明の姿が消えていた。そこには裂けて三つになった小さな白い紙が空中に浮かび、ひらひらと舞い落ちてくる。

 後ろから声が聞こえた。振り返るとそこに晴明がいた。

 「気が済みましたかな。そこにいたのは身代わりの式神。お二人が私を試そうとしていたことは分かっていました。」

 晴明は笑顔で言った。

 「お二人の修法者としてのお力、この晴明よく存じています。息子の吉平もお二人にはかないますまい。油断をすればこの私でさえもたおされるやもしれませぬ。」

 晴明は立ち上がると二人の正面にまわり、式神がいた場所に腰をおろし、床に落ちていた白い紙を懐にしまった。二人は手をつくと改めて晴明に頭を下げた。

 「ご無礼をいたしました。お許しください。私は雲久、こちらに控えます者が弟の海久です。先程青武者殿から晴明殿にお会いすることを勧められました。今日よりのち晴明殿の弟子となり、教えを受けたいと存じます。是非お許しをたまわりたい。

 我ら兄弟はこれまで高階成忠たかしなのなりただに仕え、命じられるまま修法を用いてきました。育ての親でもあった我らの師、虚久こきゅう様が、死ぬ直前に成忠に我らを託しましたゆえ。しかし今朝ほど、成忠に帝の御子を流すよう命じられました。我らはそれを断り、成忠と決別をいたしました。」

 晴明は二人の顔を交互に見ながら話し始めた。

 「私たち陰陽師は天道に忠実でなければなりません。天道を知って地道に均衡きんこうをもたらす。これが陰陽師の使命。

 今天道に異変が起きているようです。青武者様がこの世に出現したのもそのためでありましょう。私にはまだどのような異変なのかはわかりませぬが、私は青武者様とともに天道を正しい動きに戻すために働こうと考えています。

 雲久殿、海久殿、お二人がここにおいでになったのも天のお導きと思われます。お力をお貸しいただけませぬか。」

 晴明は二人に頭を下げた。これまで外道の陰陽師とさげすまれてきた二人に、陰陽師の頂点に立つ晴明が頭を下げている。雲久と海久は慌てて後ろに下がると、晴明に深く頭を下げた。


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