道隆一門の凋落
関白宣旨を受けた道兼は、夕刻から多くの貴族たちの慶賀の訪問を受けていた。花山帝を退位させ、一条帝の即位に大きく貢献したという自負のあった道兼は、自分が関白になるのは当然だと考えていた。花山帝の譲位に消極的だった兄道隆より、むしろ自分が先に関白になるべきだったとさえ思っていた。
―やっと巡ってきた。本来こうあるべきだったのだ。あの青武者の姿を俺は見ている。青武者を見たのは父上と俺だけだ。おそらく青武者が兄上の死を招きよせ、俺に関白職を継がせたのだろう。やはり俺にも青武者がついている。
道兼は訪れていた公卿たち一人一人に酒を注いで廻り、また返杯を受けた。宴は明け方まで続き、やがて道兼はその場に倒れ込んで寝てしまった。
目を覚ました時にはもう日は高く昇っており、周りにいたはずの公卿たちはすべて立ち去ったあとだった。道兼は大声で家人を呼び、水を持ってくるように言いつけた。
「少し飲み過ぎたようだ。頭が重くてかなわぬ。」
宋からもたらされた白い器になみなみと注がれた水を一気に飲み干すと、道兼は再び横になった。家人が寝所に床を準備してあると告げたが、道兼は起き上がることができなかった。そしてそのまま再び眠ってしまった。
道兼は夕暮れの森の中を彷徨っていた。辺りには死体を焼いたとき特有の臭いが漂い、枝の上にとまっている無数の鴉が時折ギャーと鳴く。薄闇の中、手探りをするようにして人里に出る道を探して歩き回るが、森はますます深くなる。突然、誰のものともわからぬ低い声が森の奥から聞こえてきた。
―オン・ギャク・ギャク・ウン・ソワカ
―オン・ギャク・ギャク・ウン・ソワカ
木々が騒めいた。無数の鴉が喚きながら一斉に飛び立った。ギシギシという羽音が森の中に響いた。
―オン・ギャク・ギャク・ウン・ソワカ
―オン・ギャク・ギャク・ウン・ソワカ
声はますます大きくなり、夕暮れの空を満たした。一陣の風が吹き抜けた。木々が大きく揺れた。景色がぐるぐると回り始め、道兼は木の根元に座り込んだ。
―オン・ギャク・ギャク・ウン・ソワカ
―オン・ギャク・ギャク・ウン・ソワカ
声は道兼の頭の中に入り込み、内側から響き始めた。
―オン・ギャク・ギャク・ウン・ソワカ
―オン・ギャク・ギャク・ウン・ソワカ
矢を打ち込まれたように頭が痛んだ。脂汗が全身に滲んだ。と、その時、目の前に真っ赤な巨大な炎に包まれた異様な姿が現れ、現れたかと思うと一瞬のうちに消えた。道兼は慌てて目を瞑ったが、瞑ってもなお瞼の裏に残像が見えた。頭は象、身体は明王の姿だった。腕が六本あり、剣や宝珠を手にしていた。
―この姿は聖天。ではこの咒文は聖天の真言に違いない。だが何ゆえ俺の前に聖天が現れたのだ。青武者が送り込んだか。青武者は何を企んでいるのだ。
「青武者!出て来い!」
道兼は大声で叫んだ。
自分の声で目を覚ました道兼は驚いて辺りを見回した。十一歳になったばかりの息子兼隆が、家人とともに心配そうに道兼を覗き込んでいた。
―夢か・・・
道兼は全身汗にまみれ、下着を通して着ていた直衣までもがじっとりと濡れていた。少しふらふらするが、起き上がれないほどではない。道兼は立ち上がり、これから当分続くであろう宴の準備を家人に言いつけた。
関白宣旨が出されて五日後の五月二日、道兼は帝への関白就任の挨拶の準備に追われていた。殿上人への祝いの品々の選定を初め、献上品を捧げ持つ家臣の服装の指示まで、道兼は家人に細かく指示しなければならなかった。
道兼は朝から頭痛が酷く、また軽い眩暈や吐き気もしていた。しかし陰陽師に占わせたこの日を日延べすれば、公卿たちに陰で何を言われるかわからない。道兼は無理をおして内裏に向かった。
道兼は清涼殿の昼御座にいた一条帝と対面した。形どおりの挨拶のあと酒肴が供され、食欲は全くなかったが、慶賀の挨拶のあとの食事とあって道兼は無理にも箸をつけた。
やがて清涼殿の東の庭に設えられた舞台で舞が始まった。『青海波』の舞である。二人の舞人が向き合い、円を描きながら、近づいたり、あるいは離れたりを繰り返して優美に舞っている。袍の下の青海波模様の下襲が風に煽られ、小波の立つ海原を連想させて美しい。しかし舞を見ながらも道兼は眩暈とたたかっていた。ふっと意識が遠くなることさえあった。それでも後ろに控えていた家臣にさりげなく両脇を支えられ、道兼はやっとの思いで姿勢を保っていた。
舞が終りに近づいたころ、道兼の耳に小さく咒文が聞こえ始めた。夢の中で聞いた聖天の咒の真言である。
―オン・ギャク・ギャク・ウン・ソワカ
―オン・ギャク・ギャク・ウン・ソワカ
道兼ははっとして辺りを見回した。しかし舞を観ながら楽しそうに酒を飲んでいる公卿たちの姿があるばかりである。
―空耳か・・・
舞が終わると一条帝は奥に退いた。宴の終りである。
道兼は公卿たち一人一人から退出の挨拶を受けた。最後の一人が立ち去ったあと、家臣の手を借りて立ち上がった道兼は、立ち上がった途端目の前が真っ暗になり床に倒れ込んだ。
耳の奥に再び真言が聞こえた。
―オン・ギャク・ギャク・ウン・ソワカ
―オン・ギャク・ギャク・ウン・ソワカ
酷い寒気が道兼を襲った。歯の根が合わずガチガチと歯を鳴らしながら、真っ青になって震えていた。清涼殿の殿上の間の階段を作法通りに一人で降りることもできなくなった道兼は、家臣の肩を借りてやっとの思いで朔平門までたどり着き、牛車に乗り込んで堀川の邸に戻った。道兼は、邸でも準備が進められていた祝宴を開くことができず、そのまま寝込んでしまった。
病は日に日に重くなっていった。悪い夢でも見ているのか、夜更けには必ず譫言を呟いた。
―お前たちは誰だ・・・
―何ゆえ俺を咒・・・
―聖天様、私は・・・
―青武者、お前なのか。聖天がお前の正・・・
道兼の意識は戻ることなく、長徳元年(九九五)五月八日昼過ぎ、息を引き取った。内裏で関白就任の宴を催してから、わずか七日目のことだった。
雲久と海久は大きく息をついた。食事も睡眠もとらずに続けた十日余りにわたる修法により、二人の顔は黒ずみ、またげっそりと痩せてしまってもいた。咒殺するだけならもっと簡単にできただろうが、成忠の指示により流行り病に見せかけねばならなかった。
「兄者、終わりましたな。」
海久がまず口を開いた。
「うむ。しかし修法の手加減が意外に難しかったな。お前が強い咒を送り、俺がそれをよい具合に制する。その兼ね合いが当初はなかなかうまくいかなかった。最初の日に危うく殺してしまうところだった。お前がそれに気づいて咒を緩めたゆえ殺さずにすんだ。お前の手柄だ。」
「私の手柄だなど。兄者が私に気づかせてくれなければ、私は道兼をあの時に殺してしまっていたでしょう。
ところで兄者、道兼が青武者のことを呟いていたことにお気づきでしたか。道兼は青武者を見たと言っていました。また、見たのは道兼と父親の兼家の二人だけだったとも言っていました。もしや青武者が護っていたのは道兼・・・」
雲久は腕組みをして考え込んだ。やがて首を傾げながら海久に言った。
「いや、しかしそれでは辻褄が合わぬ。以前我らが道隆の四人の兄弟に咒を送った時、青武者はそれを妨げた。何か目的があって護っているのなら、この度も道兼を死なせはすまい。」
「しかし兄者、もしもう護る必要がなくなったとすれば・・・」
海久には何か思い当たることがあるようだった。
「何ゆえそう思う。」
海久はじっと雲久の顔を見つめた。
「伊周が内覧の職を解かれたためです。元々臨時の内覧職ですから、いずれ解任されることにはなったでしょうが、道兼は解任を急いでいました。」
道兼の死の直前、五月五日に伊周は内覧職を解かれていた。
「兄者は私の咒を抑える役割だったため道兼の心の中に入る必要はなかったのですが、私はずっと道兼の心の中にいました。道兼の心の声をずっと聞いていたのです。
道兼は伊周を軽んじていました。心の中で度々〝あのこわっぱ〟とまで言っていました。それで内裏に何度も使いを出し、伊周の解任を急ぐよう奏上をしていたのです。青武者の目的が朝廷からの伊周の排除なら、すでに目的は達したことになります。もう道兼に用はない。それで我らの邪魔はしなかったと。」
雲久は一つ大きく息を吐いて二・三度頷いた。
「ふむ、それも一理あるな。だが確かなことはまだわからぬ。
一番の疑問は、何ゆえ青武者が成忠や伊周を殺さぬか、だ。我らの兄弟子天久様・地久様の命をも瞬く間に奪ったほどの青武者だ。成忠が多少修法に通じていようとも、何の造作もあるまい。
ここは暫く様子を見よう。もし青武者の目的がこれで達成されたのなら、青武者は今後我らの前に現れることはあるまい。それも見届けねばならぬ。だが俺にはこれで終わったとは思えぬ。まだ何かありそうな気がしてならぬ。
何はともあれ、我らが成忠の味方をする限り青武者は我らの敵。気を付けようぞ。」
少し表情を和らげていた海久は、再び気を引き締めて雲久に尋ねた。
「では道長への咒詛はどういたしましょうか。ひとまず中断ということになりましょうか。」
雲久は疲れの目立つ顔に笑みを浮かべて答えた。
「いや、そういうわけにはいかぬ。成忠という男は今一つ信用ができぬ。が、それでも我らに晴明との修法争いの場を設けると約束をした。道長には死んでもらうほかなかろう。
一両日身体を休めたのち、道長への修法を始めよう。」
同じ頃、内裏の清涼殿に詮子がいた。帝に道長への内覧宣旨の進言をするためである。
この頃、都での流行り病は凄まじいものだった。道隆と道兼の死は別にしても、三月二十日には大納言藤原朝光、四月二十三日には同じく大納言藤原済時、五月八日には左大臣源重信と行成の祖父中納言源保光、そして五月二十二日には権中納言源伊陟、六月十一日には権大納言藤原道頼が流行り病で亡くなるといった有様だった。道兼が息を引き取った五月八日の時点での大納言以上の公卿は、内大臣伊周と権大納言道長、そして伊周の腹違いの兄、権大納言道頼、権中納言源伊陟の四人だけになってしまったのである。道頼が伊周を差し置いて内覧になる可能性はなく、また権中納言伊陟はすでに病に伏せていたため、実質的には伊周と道長の二人だけということになった。
道兼が内裏からの帰りに倒れたと聞き、詮子は早速道長の許を訪れた。この時道長は、万一の時にはもう自分が内覧職に就くしかないと腹を決めていた。伊周を内覧職に着かせるわけにはいかないと考えたのである。
「道長どの、そなたも知ってのとおり、道兼どのが倒れました。今この話しをすることは不謹慎かも知れませぬが、いよいよその日が来たようです。
帝は伊周への親近の情をいまだ捨てきれないご様子。しかし公卿たちの多くは、伊周よりそなたへの内覧宣旨を望んでいます。そなたは自身の先日の覚悟の言葉、覚えていましょうね。
わたくしはこれから御所へ赴き、道兼どのがお亡くなりになった場合はそなたに内覧宣旨を賜るよう帝に進言をするつもりです。何としてでもそなたを内覧職に就かせます。それが帝の御為であり、またひいては九条藤原のためでもありましょう。」
道長は決意を示す硬い表情で詮子の顔を見た。
「東三条院様、先日の私の言葉に偽りはありませぬ。すでに覚悟はできております。伊周に譲るつもりはありませぬ。東三条院様のお言葉に従いましょう。」
このような事があって、詮子は道兼薨去の日に内裏を訪れたのである。だが帝はまだ決めかねていた。そして次第に伊周を内覧職に就かせようという気持ちに傾いていた。
「母上、私も道長の力は認めています。しかし伊周は中宮の兄。伊周が内覧になれば中宮も安心することでしょう。私は伊周に決めようと思います。」
詮子はじっと、真っ直ぐに一条帝を見た。やがて俯くと、その目から涙が一筋零れ落ちた。
「帝の中宮さまへの深い思いやりは心に染みます。けれども政はそのようなことで決めてよいはずがありませぬ。
伊周どのは道長どのを越えて大臣に就任しました。道長どのはどれほど悔しかったことでしょう。それでも道長どのは不平ひとつ零しませんでした。じっと耐えて伊周どのを支えていました。それがまたこの度の内覧就任でも後れを取れば、道長どのがあまりにも不憫。帝をお支えする気力さえも失うやもしれませぬ。道長どのを失うこと、これは帝にとっても大きな損失でありましょう。
それに、以前もお話しいたしました通り、内覧や太政大臣、摂関職は伊尹どののご兄弟の先例に従うべきです。帝もご同意されました。それで道隆どののあと、道兼どのがその職に就いたのでございましょう。道兼どのがその職にあった期間は短いとはいえ、その例に倣い、この度も道兼どののあとは道長どのが継ぐべきです。
秩序を乱せば世が乱れます。ぜひわたくしの言葉をお聞き入れくださいませ。」
詮子は何度も一条帝の許を訪れ、膝づめで帝に訴えた。
詮子の涙ながらの言葉に一条帝は最後には頷き、五月十一日、道長に内覧宣旨が下った。次いで六月十九日、道長は右大臣に任じられた。太政大臣の席も左大臣の席も空席であったため、筆頭大臣になったのである。また同時に藤原の氏の長者の地位も引き継いだ。
収まらなかったのは伊周だった。道兼の死に際しては、祖父成忠の言う通りになったと密かに笑みを浮かべた伊周だったが、結局内覧職には道長が就いた。中宮定子からも宣旨は伊周に下りそうだと内々に聞かされていた伊周にとって、この処遇は腹に据えかねるものだった。伊周は道長に対しては無論のこと、ついには帝にさえも憎悪の念を抱き始めた。
一方、成忠は道長に内覧宣旨が下ったことを知ると、すぐに六波羅に向かい、雲久と海久に会った。
「お前たち、何をしていたのだ。とうとう道長が内覧になることが決まったぞ。」
成忠は憎々しげに二人を怒鳴りつけた。雲久と海久はそろって頭を下げると、雲久が口を開いた。
「成忠様、これほど早く内覧宣旨が出るとは思いませんでした。流行り病に見せて咒殺せよとの仰せでしたので、あまりに早く死に至らしめては疑いが生じると思い、少し時間をかけました。かけ過ぎたのやもしれませぬ。
ただ成忠様、少し奇妙なことがあるのです。我らは、海久の念が心の中に入り込んでその魂を潰す咒を送り、その強さを私が加減することで死に至る時間を計る。そのような修法を行っておりました。道兼の時もそのようにして咒殺いたしました。ところが道長の心の中に入りましても、そこには魂に繋がる何物もないのです。
心と魂は同じもののようで実は違うもの。心の中に魂はありませぬ。しかし心と魂は物の裏と表のように重なっております。目には見えませぬが、我らは魂を感じ取ることができます。ところが道長の心の中には魂が感じられないのです。物の怪には魂はあっても心はありませぬ。しかし心があって魂のないものはこの世には、いえ我らが知る限りどこの世にもおりませぬ。
そしてもう一つ。海久が道長の心の中に留まっておりますと、道長の心の中が熱くなってくるのです。しかもその上、我らの念が圧し潰されるほどの圧力が掛かってくるのです。念が戻らねば海久は生きたまま死人と化します。それゆえ海久は道長の心の中から抜け出さざるを得なくなりました。何ゆえこのような事が道長の心の中で起きるのか、いまだ我らには判断がつきませぬ。このままでは我らは道長の心に入り込むことができませぬ。」
成忠は不安そうな顔をして二人に尋ねた。
「それはもしや青武者の仕業ではないのか。奴が護っているのは道長かもしれん。」
海久が顔を上げて答えた。
「いえ、青武者とは思えませぬ。以前道隆様の四人のご兄弟に咒を送った時、青武者が応えてきました。その時の青武者の咒とは全く違っています。人であれ物の怪であれ、その咒には独自の波動があり、その波動に触れた者には違いがはっきりと分かります。
もしかすると道長には青武者とは別な、もっと恐ろしいものが憑りついているのやもしれませぬ。」
海久の言葉を聞いた成忠は、空の彼方から恐ろしい化け物が降りて来ているような恐怖を覚え、肌がざわついて来るのを感じた。
「雲久、海久、急げ。すぐに道長を殺せ。咒殺に時間がかかるのなら刺客を雇ってでも殺せ。あいつは俺達に災いをもたらす。」
雲久は慌てふためいている成忠の顔を見た。雲久の顔にチラリと侮蔑の色が浮かんだ。
「しかし刺客を雇って万が一捕えられでもすれば、そこから我らのことが露見いたしましょう。成忠様はそれでも構わぬと仰せでしょうか。証拠が残らぬよう、ここはやはり咒によって殺すしかありませぬ。」
これを聞いて、成忠は恐れを隠すこともできず、大声で叫んだ。
「何でもよい!とにかく急げ!あちこちで人がバタバタ死んでおる。流行り病などに見せかける必要はない。お前たちだけで無理なら外道の陰陽師を集めろ。かまわん、口の堅い奴なら誰でもよい。道長を咒殺できるなら誰でもよいわ。道長を殺せ!すぐに殺せ!」
こう言い捨てると、成忠は逃げるように邸へと戻って行った。
「兄者、どういたしましょう。これまで行ってきた羅刹天法や聖天法では道長を殺せるとはもはや思えませぬ。こうなればいよいよ・・・」
雲久は疑わしげに海久を見た。
「お前、まさか・・・」
「兄者、もう他に方法はありませぬ。何者かに護られている道長を確実に殺すには、荼吉尼天法を用い、妖狐に道長の肝を食らわせるほかありませぬ。荼吉尼天は我らが守護神、必ずや我らの力になってくれましょう。」
海久を見つめる雲久の額に汗が滲んだ。
―俺たちが憑り殺されるやもしれぬ・・・
「海久、俺は師の虚久様から荼吉尼天法をひととおりは学んだ。しかし用いたことはない。お前の守護神でもあり、また修行のためでもあるゆえ伝えるが、決してこの修法を用いてはならぬ。生半可に用いれば、お前の命ばかりでなく、この世に恐ろしい災いをもたらす。と虚久様は俺を厳しく戒めておられた。お前もそう言われただろう。
荼吉尼天が我らの手から離れ、もし蘇ってしまえば、荼吉尼天を天に送り返せるのは大日如来の秘法のみ。だが我らはその秘法を伝えられてはおらぬ。虚久様もご存知なかった。秘法は口伝にて伝えられ、そして伝えられている修法者を我らは知らぬ。天台の阿闍梨とも真言の阿闍梨とも言われているが、確かなことはわからぬ。お前はそれでもこれを用いようと・・・」
雲久を見返す海久の目は鋭い光を放ち、きらきらと輝いていた。
「蘇ることなどありえませぬ。荼吉尼天法といっても、用いるのはご本尊の力ではなく、我らが手にしている真言の力。またもし蘇えったとしても、その阿闍梨が天に送り返してくれましょう。」
海久の言葉を聞いても、それでも雲久は不安をぬぐえなかった。目を見開いたまま海久を見つめ続けた。海久は鋭い眼差しで雲久を見返している。
雲久は海久からふっと目を逸らすと、ぼそりと呟いた。
「 しかし真言は本尊と一体のはず。蘇えらぬと断言はできぬ。万にひとつでも蘇えるようなことになれば取り返しがつかぬことになる。」
海久はそう言う雲久に、厳しい口調でさらに語りかけた。
「恐ろしいのですか、兄者。我らの目的は修法者の頂点に立つこと。そこに向かう途中、遮るものがあれば乗り越えねばなりませぬ。たとえ命を賭けても。我ら兄弟はそのようにしてこれまで生きてきたではありませぬか。」
雲久は再び海久に視線を戻した。海久も雲久の顔を見つめ返した。やがて雲久の顔から力が抜けた。雲久もついに心を決めた。
「わかった。やろう。俺たち兄弟は一心同体。お前が死ぬときは俺も死ぬ。その覚悟は変わらぬ。」
二人はすぐに京を離れ、野狐を求めて北山に入った。
首尾よく、大きく獰猛な雄狐を手に入れた雲久と海久は、鳥辺山の洞穴に向かった。道隆の四人の兄弟を咒詛した洞穴である。
四本の足を縛られ、何日も餌を与えられていない野狐はさらに凶暴になっていた。二人は野狐を檻から出すと地面に寝かせた。横たわった狐は低く唸りながら牙を剥いている。海久はその狐の鼻先に、獲ったばかりの兎を放り出した。餓えた野狐が体を捩って兎に近づくと、海久は兎を狐からまた少し遠ざけた。何度かこうしたことが繰り返され、焦れた狐が兎に向かって大きく首を伸ばした瞬間、海久が太刀を振り下ろした。血しぶきが辺りを真っ赤に染め、野狐の首がドンと落ちた。狐は死んでもなお獰猛な表情で牙を剥き、虚空を睨んでいた。
海久は血の滴る野狐の首と、切り裂いた腹から取り出した肝を純白の皿に入れ、雲久に手渡した。皿の中に野狐の血が溜まっていく。雲久は皿を受け取り、洞穴の奥に祀ってある荼吉尼天像の前に進んだ。首と肝を像の前の二つの皿に移すと、皿を荼吉尼天に捧げた。
―オン・ダキニ・ウンタラクキリクアク・エイケイキ・ソワカ
―オン・ダキニ・ウンタラクキリクアク・エイケイキ・ソワカ
―オン・ダキニ・ウンタラクキリクアク・エイケイキ・ソワカ
雲久は荼吉尼天を称える真言を三度唱えると、皿の上で同じく三度九字を切った。
―臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前
―臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前
―臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前
唱え終わると雲久は右腕を大きく上にあげ、気合とともに右上から左下に袈裟懸けに腕を振り下ろした。次に手を口の前に持ってくると、指先にふっと息を吹きかけて念を籠め、咒を唱えながら野狐の首に向かって鋭く突き出した。野狐の首が大きく跳ね、真っ赤な血が荼吉尼天像に振りかかった。野狐の肝から白い煙が立ち昇り、荼吉尼天像の口の中に吸いこまれていった。
長徳元年(九九五)八月十日早朝、道長は激しい腹痛に襲われた。一か月ほど前から腹部に異常を感じてはいたのだが、筆頭大臣としての政務に追われ、休む間もなかったのだ。
家人が煎じた薬湯を口にするが、すぐにすべて戻してしまう。激痛のあまり額から脂汗を流し、歯を食いしばって痛みに耐えていたが、しかし痛みは時が経つにつれますます激しくなり、ついに気を失った。
道長は山の中腹の大岩の上に裸で横たわっていた。腹から炎が上がっている。腹が燃えている。生きたまま身体を焼かれている。道長の口から絶叫が迸り出た。起き上がろうとしても身体を動かせない。道長は焦った。しかしどうしても身体が動かない。気が遠くなるほど腹が熱い。だが意識ははっきりしている。もがき、身体を捩って少しでも火の勢いを削ごうとしたが、どうにもならない。
―俺はここで焼け死ぬのか。
そう覚悟を決めた時、炎の中から蝶の鱗粉に似たきらきら光る青い粉が流れ出てきた。粉は道長の脇に集まって徐々に形をなし、やがて全身真っ青な武者の姿が現れた。同時に九尾の狐に跨り、憤怒の形相をした荼吉尼天が山頂から現れた。荼吉尼天は九尾の狐を真っ直ぐに青武者に向かわせると、右手に持った剣を青武者に鋭く突きだした。青武者はその剣を軽々と躱すと、荼吉尼天に向かって穏やかな口調で語りかけた。
「荼吉尼、迷うな。お前がこの男の肝を食うことは許されていない。俺をよく見ろ。お前は俺を見知っているはずだ。何度も会っている。よく見ろ。」
青武者をじっと見ていた荼吉尼天から憤怒の形相が消えた。
「あなたさまはもしや、お使者の・・・」
憤怒が消えると道長の腹部を焼いていた火も消えた。
「そうだ。ようやくわかったか。お前はあの二人の修法に誑かされたのだ。あの二人は役小角の末裔だ。小角の霊力を受け継いでいる。二人はあたかも天界の根本存在のように装い、偽りの真言でお前を誘い出した。だが如来界にいる俺たちと違い、天界の存在であるお前にあの真言の真偽が判別できないのも無理はない。
お前はもう天界に戻れ。俺が呼ばぬ限り、お前は二度とこちらに来てはならぬ。」
荼吉尼天は青武者に手を合わせた。九尾の狐は九本の尾を巻き、うなだれている。荼吉尼天と九尾の狐はそのままの姿勢で空高く昇り、やがてふっと消えてしまった。
荼吉尼天が消えてしまうまで空を見上げていた青武者は、道長に向き直って語りかけた。
「道長、もう大丈夫だ。荼吉尼は天に帰った。お前もこれで元の世界に戻れる。だが戻ったなら、何より先にお前の邸の床下を探れ。そこには咒物が埋められている。そして掘り出したのち、それを晴明に届けるのだ。晴明がそれに籠められた咒を取り除いてくれるだろう。」
そう言うと、青武者は再び蝶の鱗粉に似た粉になって消えた。
道長は目を覚ました。腹部の痛みは消えている。道長はすぐに家人を呼び、床下を探らせた。そこには、夢の中で青武者が言った通り、箱に入った狐の頭が埋められていた。道長は夢の中での出来事を手紙に記し、狐の頭の入った箱に添えて晴明に届けさせた。
二日前の八月八日、行成は五月八日に亡くなった祖父保光の月命日の供養を行っていた。信仰心の篤い行成は、ゆくゆくは祖父から受け継いだこの桃園邸を改修し、保光や父義孝の供養寺にするつもりだった。そして祖父のあっけない死を目の当たりにしたことで、ますますその思いを強くしていた。今でも保光のことを思い出すたびに涙が零れた。
行成は護持仏の不動明王の前に座り、香を焚くと手を合わせて祖父の冥福を祈った。
―不動明王様、祖父保光を浄土へお導きください。
―お爺様、世の人の数に入らぬうちにお爺様に旅立たれ、私は悲しくてなりませぬ。もう少し、私がお爺様に付けていただいた名に恥じぬようになるまで、見ていていただきとうございました。
その時、不動明王の両の眼がきらりと光り、その光が行成の額を貫いた。行成は幻影を見た。
行成は内裏の殿上の間にいる。帝の正面には蔵人頭源俊賢が座っている。俊賢の後ろには青武者が立っていた。俊賢は時折行成を振り返りながら、帝に何かを言上している。帝も俊賢も青武者の姿に気づいている様子はない。やがて帝が頷いた。俊賢が振り返り、笑顔で行成を見た。青武者の姿がふっと消えた。代わって祖父保光が忽然と現れ、笑顔で大きく頷くとまたすぐに消えた。
祖父の姿が消えると同時に、行成は我に返った。
―え、今のは何だ。幻か。私は一瞬のうちに夢を見ていたのか。青武者様が私に何かを告げようとなさったのか。しかしお爺様は笑顔だった。きっと悪い兆しなどではあるまい。ああ、そうあって欲しいものだ。悲しいことはもうたくさんだ。
行成は哀しみに沈んだまま保光の供養を続けた。
八月二十九日早朝、喪中にもかかわらず、行成は内裏に呼び出された。慌てて僧を呼び簡単な祓を行ったのち、行成は大急ぎで内裏へと向かった。何のために呼ばれたのか見当もつかない行成は、控えの間で不安な思いとともにじっと沙汰を待った。
行成にとって、この年は正月から辛いできごとが続いていた。正月に母を失い、その悲しみから立ち直れないうちに五月には祖父を亡くした。また喪中ゆえ満足な仕事ができない。仕事をしなければ昇進は望めない。運が悪ければ左遷・解任の恐れすらある。それは祖父保光の期待に添えなくなるということだった。行成は毎日悶々とした日を過ごしていた。そこへこの突然の 内裏への招集である。思いは自然に悪い方へと向かう。
行成は胸の奥からこみ上げる暗い思いと闘いながら、じっと座り続けた。天頂にさしかかった太陽がじりじりと内裏の庭を照らし、熱気は控えの間にも容赦なく入り込んだ。額から汗が流れ落ちた。
日差しが天頂からやや西に傾いた頃、ようやく蔵人藤原輔公が現れた。輔公は行成を促し、殿上の間に案内した。昼御座に帝の姿はなく、殿上の間の上席に道長が座っている。その正面には前日に蔵人頭を辞任し参議になった源俊賢が座っていた。俊賢は振り向いて行成を手招きすると脇に座らせた。
「行成殿、この度私の後任として、行成殿が蔵人頭に任じられることとなりました。こちらにおられる右大臣道長様もご同意なさっておられます。謹んでお受けなさいますように。」
行成は耳を疑った。思わず顔を上げて俊賢を見た。
―お爺様と母上の死穢により満足に昇殿さえできなかった自分が、このような時にまさか蔵人頭とは・・・あの夢は正夢・・・
行成は何も言葉が出ず、黙って俊賢を見続けた。道長は行成の驚きを目にすると笑顔で口を開いた。
「意外だったか、行成。だがそなたの保光殿譲りの学識と見識ならば心配はいらぬ。帝は従四位というそなたの身分をお考えになられて、ややご心配のご様子だったが、そこにいる俊賢が帝に、正直一徹なそなたを強く推した。そなたのこれまでの仕事ぶりを見てのこと。私も俊賢の後任にはそなたが相応しいと思う。昇進において何人かを飛び越えることはままあること。妬みを覚える者もあろうが、実績をもってそれらを納得させればよい。
蔵人頭には、帝の身の回りのお世話から朝議に参加する者たちの意見の調整まで、多くの仕事がある。それらを間違いなくこなしながら、さらに帝の御為と思えば、申し上げるべきは遠慮なく申し上げよ。そなたならそれができよう。
これからも骨身を惜しまず働くように。正式な宣旨が出たのち、蔵人頭としての出仕は来月十日頃からになろう。それまでに祓を行い、参内・出仕に支障がないよう身を浄めておくように。」
道長の声で我に返った行成は、あらためて二人に深く頭を下げた。
喪中であるため帝への挨拶を遠慮した行成は、邸に戻ると早速祖父保光の位牌の前に座った。行成が手を合わせて目を瞑ると位牌がコトコトと音を立て、背後に何者かの気配がした。目を開けて振り返ると、そこに青武者がいた。
「蔵人頭になることが決まったそうだな。」
青武者はにやりと笑った。行成は青武者に向き直り、深く頭を下げた。しかし顔を上げた行成の目から涙が零れていた。
「青武者様、蔵人頭になれましたのは青武者様のお蔭。けれどもお爺様が生きているうちになりとうございました。どれほど喜んでくれたことでしょう。それだけが悔やまれます。」
青武者は再びにやりと笑った。
「保光も知っている。以前お前に話しただろう。人は死んでも魂まですぐに死ぬわけではないとな。保光の魂はまだこの世にいる。空の穴に向かう途中だ。今のお前の喜びを、保光の魂も感じ取っている。
喜びのうちに穴に吸い込まれた魂は、悲しみを感じながら吸い込まれた魂に比べ、遥かに長く穴の中で生き続ける。保光の魂も長く生き続けることだろう。病で死んだ苦しみより、お前の喜びを感じ取った嬉しさの方がはるかに大きいと保光は感じている。保光の魂は輝いている。」
行成は袖で涙を拭うと勢い込んで尋ねた。
「真でございますか。お爺様は喜んでくれていると。」
青武者は頷いた。
「本当だ。粒になった魂は何かを直接に見ることはできぬが、この世で起きているすべてを感じ取る。お前も死んで魂になれば保光の魂を感じられるようになるだろう。
魂は邪気を取り込むと次第に黒ずみ、歪な形となる。多かれ少なかれ、すべての魂は邪気を取り込んでいる。だが邪気に冒されきった魂でない限り、必ず空の穴に入ることができる。そして穴の中で浄化される。お前は間違いなく空の穴に入ることができよう。」
何事かを思い出しているかのように、青武者は天井を見上げた。暫く沈黙が続いた。再び青武者が口を開いた。
「 俺は死ぬ直前に、ある男を咒詛した。呪いの心を持ったまま死んでいれば、今、俺はおそらくここにはおるまい。だが呪いの心は虚しいと教えてくれた者がいた。それで俺は救われた・・・
まあ、そんな話はもうよい。本題に入ろう。」
青武者は背筋を真っ直ぐに伸ばすと、行成に目を戻した。
「いよいよ刻が動き始めた。道長は筆頭大臣になり、お前も蔵人頭になった。道長の時代が始まった。だが道長の時代を万全なものにするには、今のうちに取り除いておかねばならぬ厄介な芽がある。そうだ、伊周だ。伊周は今なお自分が太政大臣に最も相応しいと考えている。これからも、ことあるごとに、成忠と伊周は道長を追い落とそうと企むだろう。早々に二人を除かねばならぬ。」
行成は不安になった。
「除くとは・・・お命を・・・」
青武者は真顔で答えた。
「そうではない。伊周の力を削ぐのだ。」
行成は少し安心した様子で再び尋ねた。
「それで、私は何をすればよいのでしょう。」
青武者は行成から目を逸らすと、庭を眺めた。
「お前は何もせずともよい。蔵人頭として一条と道長が判断を誤らぬよう、常に目を光らせておればよい。
一条は情に流されやすい。一方道長は理に勝ちすぎる。二人の意見が割れぬよう、お前がどちらもが納得できるような意見を具申するのだ。二人を説得しようとすれば、二人はともに反発するだろう。説得してはならぬ。二人の意見をじっくりと聞き、少しずつ変えていくのだ。あたかも自分の意思で変わったかのようにな。それがあの二人を導く最良の方法だ。」
行成は再び不安な顔になった。
「私にそのようなことができますでしょうか。私にそのような力があるとは思えませぬ。お二人は私などよりはるかに優れたお方です。あのお二人に私が説得されてしまうでしょう。」
青武者は行成に目を戻して言った。
「心配するな。お前は自分の思うまま、正直に意見を述べればよい。それがお前に与えられた役目だ。説得されても、正しいと思えればそれでよい。お前は参議の実資を知っていよう。判断に迷ったときには実資を訪ね、助言を受けよ。」
行成は怪訝な顔をして青武者を見た。
「実資様・・・あの少し気難しい実資様でしょうか。存じてはおりますが、身分も違っておりましたゆえ、これまであまりお話しをしたことはありませぬ。蔵人頭に就任したとはいえ、私などが伺っても実資様から助言をいただけるとはとても思えませぬ。もしや実資様も青武者様のお味方なのでしょうか。先日お話しをしておられた、あとのお二人の内のお一人とか・・・」
「味方というわけではない。実資は俺のことは何も知らぬ。だが実資は道理のわかる公平な公卿だ。影の味方と言ってもよい。お前が筋道を通して尋ねれば、実資は必ず助言をする。せずにはおれぬ。実資はそういう男だ。
また実資は有職故実に詳しい。先例に照らし、一条や道長の考えの誤りを指摘できる。機会を作って一度訪ねるのだ。いいな。」
青武者は一息つくとさらに続けた。
「伊周は必ず自滅する。そうなるよう俺が伊周を導く。思慮の浅い伊周のことだ、導くのは容易だ。だが厄介なのは成忠。いや、成忠に従っている二人の陰陽師だ。外道の陰陽師ゆえ検非違使に取り締まらせることはできようが、しかしあの二人を検非違使風情が捕えることはできまい。二人を成忠と引き離すことができればよいのだが、今のところそれも難しい。いっそ二人の望み通り晴明と修法争いをさせ、晴明にはかなわぬと覚らせればよいのかもしれぬ。」
行成にとって二人の陰陽師の存在は初めて耳にする話だった。
「青武者様、二人の陰陽師とは・・・私は初めて伺います。」
青武者は余計なことを口にしてしまったと思ったのか、わずかに顔をしかめた。
「 お前も知ってのとおり、成忠は外道の陰陽師と繋がっている。二人はその仲間だ。心配するな、殺しはせぬ。あの二人は殺すには惜しい。
とにかくお前は一条や道長が誤った判断を下さぬよう、二人から目を離すな。」
言い終えると青武者の姿は薄れて消えた。
長徳二年(九九六)一月二十五日、中宮定子は凝華舎の自室で両手を膝の上に揃え、俯いたまま一人じっと座り続けていた。普段は定子とともに笑い興じている女房たちも、定子の気持ちを思いやって近づいてはこない。この日は朝廷で除目が行われる日であった。しかし内大臣伊周の座はない。出仕を停められたのである。
前年の夏、道長に内覧宣旨が下って以来、伊周が自暴自棄ともいえる生活を送っていたことは定子も知っていたが、まさかこれほどの事件を起こそうとは、定子には思いもよらなかった。年が明けてすぐ、正月十六日に伊周・隆家兄弟が花山法皇に矢を射かけたのだ。さらに法皇の従者二人の首を刎ね、持ち去った。
原因は花山法皇が伊周の通っている女に言い寄ったとのことだったが、それは伊周の誤解だった。花山法皇が思いを寄せたのは伊周が通っていた女の妹だったのである。二人は花山法皇がまだ帝の地位にあった時の中宮忯子の妹で、忯子に似ていると言われている姉の方に言い寄ったと伊周は勘違いをしたのだった。花山法皇は出家したのちの女性関係であることを恥じて事件を伏せたがったが、二人の従者が殺されたとあっては事件が伏せられるはずもなかった。
たとえ中宮の兄弟であっても王家に矢を射かけた二人を見過ごすわけにはいかないと考えた一条帝は、矢を射た従者を即座に検非違使庁に出頭させ、また伊周・隆家兄弟二人の参内を停止し、謹慎を命じた。さらに検非違使の別当藤原実資を内裏に呼び、事件の全容解明を指示した。
一条帝はこれらの指示を朝廷に任せず、自身で行った。それは他の者に行わせれば、中宮の兄弟という理由から処分が甘くなると考えたからだった。
王家に武器を向ければ謀反と見做される。とはいえ、今回は譲位し出家した花山法皇に向けられたものだった。それも恋愛沙汰が原因、極めて個人的な争いである。しかも当の花山法皇は事件をできるだけ速やかに終わらせたいと考えていた。
定子は一条帝に寛大な処置を懇願した。しかし帝はそれを許さず、二月五日、実資を再び内裏に呼んだ。伊周が兵を蓄えているという噂が耳に入ったからだ。もしもそれが事実であれば、謀反の疑いはさらにいっそう濃くなる。
「実資、伊周が兵を蓄えているという噂を耳にした。調べよ。
本来ならば、五位以上の者の邸への進入には私の許可がいる。しかしこの度は私の裁可をその都度仰ぐ必要はない。かまわぬ。誰の邸であれ、そなたが必要と思えばすぐに検非違使を連れて中に入り、捜索に当たるのだ。大臣・納言の邸でも同様。拒む者がおればその場で捕縛せよ。」
一条帝は実資の公平な態度と的確な判断力を高く評価していた。
帝の前に座していた実資は平伏した姿勢のまま答えた。
「仰せのとおりにいたします。ただ、一つだけお尋ねいたしますが、帝は内大臣伊周殿が謀反を企てたとお考えなのでしょうか。」
帝は十七歳の、少年らしさを残した顔をわずかに傾けた。
「それを調べるのがそなたの役目。だが何ゆえそのようなことを聞く。」
実資は顔を上げ、一条帝の目を鋭い眼差しで見つめた。
「もしも内大臣殿が謀反を企て、それがこの度発覚したとあれば、内大臣殿は必死の思いで我らに闘いを挑んでまいりましょう。通常の装備では検非違使といえども持ちこたえられませぬ。とはいえ重装備で向かえば、内大臣殿が謀反を起こしたと世に公言するようなもの。それでお尋ねいたしました。」
実資には伊周が謀反を起こしたとは思えなかった。妹が中宮として入内しており、一条帝と伊周の関係も決して悪くはなかった。むしろ良好だったと言える。甘やかされて育った伊周・隆家兄弟が無思慮な行為に及んだと考える方が自然だった。
一条帝は少しの間考える素振りを見せたが、すぐにまた口を開いた。一条帝は帝として公正でなければならないと考えていた。しかしそれでも心の内では、中宮の兄である伊周が謀反を起こそうとしたとは思いたくはなかった。
「謀反であるか否かはこれからの調べ次第、何とも言えぬ。だが重装備で向かうこともないであろう。」
内裏を出た実資は検非違使の役人数人を引き連れ、噂に上っていたいくつかの貴族の邸を調べた。伊周と親しい貴族たちの邸である。そしてそこで蓄えられた弓矢や太刀を発見した。また捜索を阻止しようとした家人たち数人を捕縛した。
二月十一日、実資は再び内裏に向かい、一条帝と対面した。一条帝はやや緊張した面持ちで実資を見下ろしている。
「実資、下人どもを捕縛し、また武器を押収したとのこと。そこでそなたに尋ねるが、これは謀反の兆候であるか。検非違使の別当として思うまま正直に答えよ。」
実資は顔を上げると、穏やかな声で答えた。
「謀反とは思えませぬ。武器が見つかったとはいえ、戦を起こすにはあまりに少なすぎます。また馬の用意はなく、兵の姿もありませんでした。簡素な武具を身に着けた下人たちが数人見かけられたのみ。盗賊どもとの争いがせいぜいでありましょう。伊周殿はおそらく、都の警護の名目を立て、その実ご自分の身辺警護のために人と武器を集めようとされたのでありましょう。」
一条帝の顔に安堵の色が浮かんだ。それでも帝は実資が中宮に遠慮をしているのではないかと思い、さらに尋ねた。
「しかし伊周には昨年、警護のための随身を許している。何ゆえそれ以上身を守る必要があったのだ。」
実資は生真面目な顔を崩さず答えた。
「右大臣道長殿と内大臣伊周殿とは、内覧宣旨が道長殿に下されて以来、険悪な関係が続いております。道長殿に内覧宣旨をお下しになられた帝のご判断は、私は正しかったと今でも思っておりますが、昨年七月には伊周殿の弟隆家殿の従者と道長殿の従者が乱闘に及び、翌八月には隆家殿の従者が道長殿の随身を殺害いたしました。その折には帝のご判断で隆家殿の参内が停められました。また同じく八月、道長殿の邸の床下から咒物が出てまいりました件におきましても、伊周殿が関わっているとの噂がございます。そしてこの度の、花山法皇様への考えられぬ暴挙。
表沙汰にはなっておりませぬが、おそらく、伊周殿はあちらこちらでこうした事件を起こしているものと思われます。」
歯に衣を着せぬ率直な実資の言葉に帝は気圧された。
「わかった。もうそのくらいでよい。よく分かった。しかしそなたは謀反ではないと考えているのだな。それでは明法博士に、法皇様に矢を射、また下人を殺害した伊周・隆家の罪を先例に従って奏上させよ。」
兄伊周と弟隆家が罪に問われると知り、定子はますます塞ぎ込んだ。事件が発覚して以来、それまで絶えたことのなかった笑顔が定子の顔から消えた。
―何という軽はずみなことを・・・
定子は兄弟の罪を軽くする方法を必死で考えた。一条帝が帝として公正であろうと日々努めていることを定子は知っていた。そして伊周・隆家が罪を犯したことに間違いはなかった。帝を説得することはできない。定子は帝の自分への愛情に賭けた。
一条帝が明法博士に伊周・隆家兄弟の罪を奏上させたと同じ日に、定子は内裏の外にある中宮職の役所、職曹司に移ることになっていた。内裏で神事が行われる予定があり、父道隆の喪が明けていなかった定子は内裏から退出する必要があったのである。定子はこれを利用しようと考えた。だがその前日、一条帝は職曹司へ移る日を延期するようにと定子に伝えてきた。伊周と隆家の罪を問わざるを得なかった自分の判断について、定子に少しでもわかってもらおうと考えたのである。
二月十一日の宵、御寝所を訪れた定子は一条帝と向き合っていた。
俯いたたままの定子の肩に手を置き、一条帝は精一杯の優しさを籠めて定子に語りかけた。
「定子、そなたはこの度の私の判断を不満に思っているであろうな。だが帝は常に正しくなければならぬ。たとえ中宮の身内であっても、罪は罪として処断せねばならぬ。その罪を見過ごせば世が乱れる。」
定子は俯いたまま答えた。
「わかっております。伊周どのも隆家どのも、今は罪を悔いておられましょう。ただそれでもやはり、兄や弟が罪に問われるのは、闇に落とされるほど辛ろうございます。」
定子の目から一粒涙が零れた。それを見た帝は定子を腕に抱き、優しく語りかけた。
「定子、案ずるな。伊周は私にとっても身内。罪には問うがすぐに大赦を行い、地位も元に復すつもり。わずかな期間謹慎するにすぎぬ。」
帝のこの言葉を聞き、定子は少し心が晴れた気がしたが、それでも、帝にこの言葉を確実に実行させようと思いを巡らせた。
定子は二十五日、凝華舎から職曹司に移った。一条帝はその必要はないと定子を引き留めたが、兄弟の罪が許されるまでは自分が内裏に留まることはできないと主張し、自分から移って行ったのである。これを聞いた一条帝は定子の気持ちを思いやり、一人で職曹司にいるより母高階貴子のいる二条邸に移ればより安心できるだろうと考え、中宮は二条邸に移るべしとの綸旨を出した。三月四日、定子は職曹司から二条邸に移った。二条邸はこれにより中宮の里御所となり、二条北宮と呼ばれるようになった。
一条帝は二条北宮にしばしば遣いを出し、定子に参内するよう促したが、定子は戻らなかった。帝を焦らし、伊周・隆家兄弟への赦免を急がせようとしたのである。しかし事件はこれでは終わらなかった。
長徳二年(九九六)三月二十日、成忠は六波羅にある雲久・海久の隠れ家にいた。数度にわたる道長への咒詛に失敗した成忠は、咒詛の対象を道長から東三条院詮子に変えた。道長の強力な後ろ盾となっていた詮子がいなくなれば、道長の朝廷における力を削ぐことができ、そうなれば帝は誰憚ることなく伊周を重用できると考えたのである。しかも好都合なことに、太政大臣と左大臣の席は空いている。伊周が内大臣から左大臣、あるいは太政大臣に昇進するのに何の不都合もない。
「お前たち、もう失敗は許されんぞ。道長への咒詛がうまくいかなかったうえ、さらに東三条院への咒詛にも失敗したとなれば、お前たちの評判は地に落ちる。公卿たちの中にお前たちを頼る者は誰もいなくなる。俺の許からも去るよりあるまい。そうなればお前たちはもう都にはおられん。晴明との修法争いなど夢のまた夢じゃ。
そもそもお前たちは陰陽師。陰陽師なら陰陽師らしく、陰陽道の修法で行えばよいのじゃ。なまじ密教の修法を用いるからしくじる。
今度こそ陰陽師として、お前たちのもっとも得意な修法を用いるのじゃ。わかったな。」
成忠はそう言い捨てて隠れ家を出た。海久は成忠の背中を睨みながら、独り言のように呟いた。
「ふん、雑密の具現者役小角様と陰陽道との関係も分からぬ外道の爺が・・・命懸けで闘っているのは俺達だ。いっそお前を咒い殺してやろうか。」
雲久は苦笑いを浮かべて海久を見た。
「まあそう言うな。あいつは俺達が目的を達成するためには必要な男。今はまだ大切にせねばならぬ。」
しかし海久の憮然とした表情は消えなかった。
「けれど兄者、あのような男のために我らが命を賭けて術を尽くしているかと思うと・・・」
雲久は二度三度と頷いた。
「お前の気持ちはよくわかる。俺も同じ気持ちだ。だが今は耐えろ。俺達が修法者の頂点に立った時、その時にはお前の好きにしてかまわん。止めるつもりはない。だが今はすべてに目を瞑り、与えられた仕事をせねばならぬ。
ところでお前はどう思う。そうだ、東三条院の件だ。東三条院はこれまでにも何度も病に悩まされていた。今も体調を崩していると聞く。今回はさほど難しい仕事ではないと俺は思うのだが。」
海久は修法者の頂点に立つという夢を心に描き、成忠への憎悪をひとまず心の内から振り払った。
「相手は元皇太后、油断をしてはならぬとは思いますが兄者、私もそう思います。道長と違い、東三条院を護っている修法者がそう多くいるとは思えませぬ。まして晴明ほどの修法者が傍に控えているとはとても思えませぬ。この度も道兼を葬ったと同じ聖天法を修しましょう。」
雲久は腕を組み、やや俯いたまま考えていた。やがて海久に視線を戻した。
「海久、聖天法もよいが、俺は、今回は陰陽道に伝えられる修法でやってみたい。成忠に言われたからというわけではないが、我らの守護神である荼吉尼天の咒さえ破られた。今一度、俺達の拠り所である陰陽道に戻ってみるのもよいのではないか。ここで陰陽道の修法をもう一度磨いておけば、晴明との闘いにも役立つと思うのだが・・・」
海久は右手で膝を一つ強く打った。
「それはよい考え。唐から伝来した密教の修法を取り入れて陰陽道はここまでになりましたが、それでも、何といっても役小角様が独自に磨いた修法が陰陽道の原点。それを見失っては我らが陰陽師として生きていくことはできませぬ。是非ともそういたしましょう。してその修法は。」
雲久は、できれば兄弟二人ともが得手としている修法を用いたかった。しかし兄弟であってもその得意とする修法は違っている。それでも雲久は二人が力を合わせて行える修法を選ぼうと考えていた。
「陰陽道の咒は、お前も知っての通り、大きく分けると三つある。直接式神を飛ばす術、符咒を用いる祈祷、そして厭物に咒を籠める咒法。式神を用いれば短時間で殺せるが、お前は式神を操ることがあまり得意ではない。それに式神を飛ばせば東三条院の周りにいる陰陽師たちに咒詛を見破られる虞もある。一方符咒を用いる修法は効験が現れるまでに多少時間がかかる。その上符咒の法は俺が得手ではない。俺はお前とともに行える修法を用いたい。となれば厭物を用いるほかはない。
俺が手を廻して東三条院の髪を手に入れよう。それを厭物の中に埋め込み、それに二人で咒を籠め、邸の床下に埋める。そしてその厭物にさらに強力な咒を送って殺す。この方法でやりたいと思うが、お前はどうだ。」
海久は雲久が話をしている間も度々頷いていたが、雲久が話し終えるとさらにもう一つ大きく頷いた。
「異論などあろうはずがないではありませぬか。で、厭物には何を用いようと。」
厭物に使われるものには、紙や木で作られた人形や、狐、犬、毒蛇、蝦蟇など生き物を使うものまで、多くの種類があった。
「うむ、やはり人形が良いと思う。体内に東三条院の髪を埋め込み、心の臓辺りに釘を打ち込む。こうすれば東三条院の死は病と見なされるはず。そして東三条院が死んだのち密かに人形を取り戻し、咒を消して焼き捨てる。人形が見つかりさえしなければ、我らの仕業とは誰も気づかぬ。」
三月二十八日早朝、病で伏せていた詮子は危篤に陥った。邪気退散・延命息災の祈祷を行っていた僧や陰陽師たちは、一条帝や道長に促され、さらに熱心に加持祈祷に励んだ。それでも詮子の容態が持ち直す兆しは見えなかった。
道長は急いで手紙をしたため、それを蔵人頭行成に託し、晴明の邸に走らせた。昨年の夏に道長自身が咒詛されたことを思い出し、後ろ盾である詮子が咒詛される可能性に気づいたのである。
道長からの手紙に目を通した晴明は、すぐに吉平を呼んだ。青武者からの指示で、晴明は身に着けた修法のすべてを吉平に伝えようとなお一層努めていた。晴明は何であれ修法をする機会があれば、必ず吉平を同席させていた。
「吉平、この文によると、道長様は東三条院様の病は咒詛によるものでは、とのお疑いをお持ちのご様子。それを確かめ、もしも咒詛が行われているなら咒を返せとの仰せだ。
東三条院様に万が一のことがあれば、道長様の政権の基盤が危うくなる。そのようなことがあってはならぬ。あの青武者様が護っておられる道長様をお守りするのだ。吉平、すぐに支度せよ。」
晴明と吉平は金星の精である大将軍と太白神の、金色に輝く像を祀った。大将軍と太白神は、その二神のいる方角を犯せば七人が死ぬと言われるほどの強力な力を持っており、方違えの中心に存在する神である。晴明はその二神の力をもって詮子に送られている咒を返そうとしていた。咒がもし返されたなら、咒詛している者の咒に大将軍と太白神の咒が加わり、咒詛した者は悶え苦しむ間もなく瞬時に死ぬ。
大将軍と太白神の金色像の前にセーマン・ドーマンの咒符を広げた晴明は、吉平とともに金星の印を結び真言を唱えた。
―オン・シュキャラ・シリ・ソワカ
二人は真言を三度唱えると左手を右の袖で隠し、袖の中で多くの秘印を順に繰り返し結びながら、咒を返す咒文を小さく唱えた。その後再び両手を出して金星の印を結びなおし、真言を再び三度唱え、結んだ印にふっと息を吹きかけた。その後、二人は祈るように両手を大将軍と太白神の二神の前にそっと差し出した。とその時、二神の像の前に広げられたセーマン・ドーマンの咒符が一陣の風に煽られて舞い上がり、像と二人の間を遮った。セーマン・ドーマンの咒符は床に落ちることなく、そのまま空中に留まった。吉平は驚いて立ち上がろうとしたが、晴明は落ち着いた様子で咒符に語りかけた。
「青武者様、やはりお見えでしたか。」
セーマン・ドーマンの咒符が青武者の姿に変わった。見ると咒符は変わらず二神の像の前にある。吉平は目を見開いて青武者を見つめた。かつて花山帝の夢の中に現れた青武者が今、目の前にいる。
「晴明、咒を返してはならぬ。咒を送っているのは、以前道長を咒詛した兄弟だ。あの二人は成忠の命を受けて道長を排そうとしている。お前との修法較べを餌にされてな。だが殺してはならぬ。」
晴明は怪訝な顔をした。
「はて、私との修法較べ・・・私は誰とも修法較べなどしようとは思っておりませぬが・・・」
青武者は唇の端をわずかに上げて笑みを浮かべた。
「わかっている。あの二人は昔のお前と同様、外道の陰陽師として生きてきた。お前ほどではないが、なかなかの修法者だ。母親は歩き巫女、父親は役小角の血を引く咒禁師だった。二人は兄弟が修法者の頂点に立つことを夢みながら流れ歩き、各地で頼まれた修法を行い、立山の山中で咒を返されて死んだ。兄弟は咒を返した陰陽師に修法の才を見出され、引き取られ育てられた。二人の両親と陰陽師は外道の修法者仲間だったのだ。仲間同士が修法争いをすることは、お前も知ってのとおり、よくあることだ。
両親が、また二人を引き取った陰陽師が死んだあとも、両親と陰陽師の期待に応えることを支えにして二人は生きてきた。お前との修法争いはそれを実現させるため。またそれにより、役小角を修法者の第一位の守り神として復権させることも狙っている。愚かではあるがその気持ち、わからぬでもない。」
晴明は穏やかな表情のまま青武者を見ていた。
「そうでしたか。しかし咒を返せぬとあっては東三条院様をお守りすることができませぬ。青武者様には何か良い手立てがおありなのでしょうか。」
青武者は吉平に視線を向けた。吉平は相変わらず目を見開いたままだったが、青武者と視線が合うと我に返って両手をついた。
青武者は吉平に語りかけた。
「吉平、今からただちに道長の邸、土御門邸に向え。詮子が寝ている部屋の床下に、あの二人が咒を籠めた人形が埋められている。それを掘り起し、ここに持ってくるのだ。そして晴明とともに人形に籠められた咒を抜き、二度と災いをもたらさぬようその咒を地の底深くに送り込め。詮子はそれで回復する。
人形は道長以外の者に見せてはならぬ。強力な咒ゆえ、心の弱い者には当たるおそれがある。案ずるな、道長にこの咒は通じぬ。
道長は人形を見ればすべてを理解するはずだ。あとは道長に任せればよい。」
吉平は道長の邸に向い、人形を掘り出した。道長は顔色を変えることもなく吉平に言った。
「他言するなと晴明に伝えよ。」
しかし詮子の寝室の床下から厭物が掘り出されたことは、すぐに人伝に公卿たちの間に広まった。また詮子への咒詛は伊周の指示によるものとも噂された。
噂は瞬く間に定子の耳に届いた。帝の生母である皇太后を咒詛したとあっては、さすがに一条帝も伊周を許さないだろうと定子は考えた。加えて、伊周と隆家が花山法皇に矢を射るという事件を起こして以来、定子に向けられる公卿たちの目には厳しいものがあった。定子が二条北宮に移る際、定子に同伴した公卿はわずかに二人。伊周と対立する道長への遠慮もあったが、それ以上に伊周の暴挙に対する公卿たちの反発が大きかったのだ。
帝の愛情を信じていた定子は、それでも心を強く持って公卿たちの視線を撥ね返していたが、厭物が発見されたことで心が折れそうになっていた。定子の心は次第に出家に傾いていった。
二日後の三月三十日、定子は最も心を許している女房、清少納言を自室に呼んだ。清少納言は数年前から定子に仕えており、明るい性格と当意即妙の受け答えで、公卿たちの間での評判も良かった。蔵人頭である行成とも交流があり、時には二人の間に戯言めいた歌のやり取りさえあって、人々は、あの生真面目な行成殿が、と噂をするほどであった。
「清少納言、わたくしはつくづく世が嫌になりました。
伊周どのと隆家どのが法皇さまに矢を射かけられて以来、公卿たちのわたくしを見る目は日に日に厳しくなるばかり。それでもわたくしは帝のお心を信じて耐えてきました。なのにまたこの度の咒詛。いかにお心のお広い帝でも、もう伊周どのをお許しになられるとは思えませぬ。わたくしが帝の許へ戻る日が来るとも思えませぬ。
わたくしは出家しようと思います。その旨、帝へ伝えてはくれませぬか。」
清少納言は突然のことに驚いたが、それを押し殺し、笑顔を浮かべて答えた。
「中宮さま、中宮さまはそのようなお方ではありませぬ。お心の弱いことをお口にされてはなりませぬ。何事が起ころうとも、中宮さまは笑顔で乗り越えてお行きになれる、お強いお方でございます。
公卿などというものは時の権力者に媚びるもの。そこらに落ちている塵のようなものでございます。風に吹かれてあちこちに吹き飛ばされていると思えば腹も立ちませぬ。風向きが変われば、また別なところへ吹き寄せられましょう。
でも中宮さまの尼姿、きっとお可愛いお姿でございましょうね。御仏も嬉しさのあまり蓮華座からお立ちあがりになられるかもしれません。わたくしも見てみたい気がいたします。」
清少納言は袖で口元を隠し、声を出して笑った。清少納言につられ、定子も思わず笑みを浮かべた。
「これ清少納言、そのような不謹慎なことを・・・笑い事ではないのですよ。わたくしは真剣に出家を考えているのです。」
右手で床を軽く叩き、定子は清少納言を睨む振りをした。
「そうそう、その笑顔でございます。中宮さまは笑顔でおられるときが一番お美しい。帝も常々そのようにお話しでございます。」
しかし清少納言は表情を改めてさらに続けた。
「中宮さま、出家などいつでもできましょう。帝のお心は変わらずいつも中宮さまのお傍にいらっしゃいます。今中宮さまがご出家なされば、帝のお悲しみはいかほどのものかと・・・いましばらくご辛抱なさいませ。それにあの厭物にしても、本当に伊周さまのお指図によるものかどうか。所詮噂にすぎませぬ。」
定子は清少納言の言葉で少し気持ちが軽くなり、出家はひとまず取りやめた。しかしそんな定子をさらに追い詰める事件が起きた。
翌四月一日の朝、粗末ななりをした僧が一人、人目を憚るように清涼殿の裏手にある陰明門から内裏に入った。伏見の法琳寺からの使いと話すその僧は、襟の中に縫い込んであった一通の手紙を朝廷に差し出した。そこには、伊周が長徳二年の正月以来、法琳寺において度々太元帥御修法を主催していたと書かれていた。
太元帥御修法とは国家鎮護のために行われる大法で、帝以外が主催することは固く禁じられた秘法でもある。内裏の真言院以外では法琳寺でのみ行うことが許されていた。伊周は道長を国家の怨敵と見なし、秘密裡にこの修法による道長の調伏を行わせていたとのことであった。一条帝は関わりがある思われる者すべてを内裏に呼んで調べさせた。
これを耳にした定子は泣くこともできず、ただ茫然としていた。護持仏である観音菩薩の厨子の前に座り、膝の上に揃えた自分の手をじっと見ていた。定子を心配してそっと部屋を覗く女房たちは、座り尽くす定子の後ろ姿に声もかけられず、そのまま黙って立ち去った。
二日経ち三日経っても、定子はその姿勢を崩さなかった。寝所に入ることもなく、食事も摂らなかった定子は日に日にやつれ、四日目に倒れた。女房たちの手厚い看護により目覚めたのは、さらに二日ののちのことだった。
目覚めた定子は辺りを見回し、脇に清少納言が控えていることに気づいた。
「ああ、清少納言、傍にいてくれたのですね。わたくしはどうしてしまったのでしょう。突然目の前が暗くなり、何もわからなくなってしまいました。」
定子が目覚め、清少納言は嬉し涙を流した。
「ようやくお目覚めくださいました。ようございました。どうなることかと心配で、ずっとお傍に控えておりました。」
清少納言は袖口で涙を拭った。
「お休みにもなられず、お食事もお摂りにならないのですもの、お倒れになられるのは当然でございます。もっとご自分のことを大切になさらなくては。帝もご心配をなさり、度々お使者をお遣わしになられました。」
清少納言の言葉で定子はすべてを思い出した。
「伊周どのは、隆家どのはいかがされておられます。」
清少納言は一瞬息を飲んだ。それでもできるだけさりげなくその話題を避けようとした。
「今はまだ何もお考えにならず、ゆっくりとお休みくださいませ。白湯なりとお持ちいたしましょう。」
しかし定子は清少納言の言葉が耳に入らなかったかのように身体を起こそうとした。清少納言はそれを慌てて止めた。
「中宮さま、まだそのお身体では床を離れるのはご無理でございます。またお倒れになられれば、わたくしが帝に叱られます。」
清少納言は定子を優しくおさえたが、定子はその手を振り払った。
「わたくしは今すぐにでも帝にお会いせねばなりませぬ。お会いしてお話しをしなければなりませぬ。」
定子は気丈に立ち上がろうとしたが、再び力なく床に崩れ落ちた。
「それ、言わないことではありませぬ。まだご無理なのです。
四日、いえ三日だけお待ちくださいませ。ご睡眠やお食事をきちんとお摂りになられれば、三日できっと帝にお会いできるお身体になられましょう。その時にはわたくしが帝の許までお伴いたします。今はお身体の養生にご専念なさいませ。」
清少納言は子供をさとすように優しく言った。定子も今の自分の体調では帝との面会は無理だと感じ取ったようだった。しかし定子が床を離れることができたのは、それから十日ばかりもあとのことだった。
四月二十日、定子は帝の許を訪れた。昼御座にいた一条帝は定子の姿を見ると立ち上がり、歩み寄った。
「中宮、ようやく来てくれたか。待っていた。早うこちらへ。」
笑みを浮かべた一条帝は定子の手を取ると座へ導いた。しかし定子の顔に笑みはなかった。
「中宮、何ゆえそのような暗い顔を。まだ身体が戻らぬか。」
一条帝は優しく定子に尋ねた。定子は硬い表情のまま顔を上げ、一条帝に話しかけた。
「帝、実は伊周どの・・・」
一条帝は笑顔のまま右手で定子を制した。
「中宮、その話はのちほど。今はそなたが戻ってきてくれたことを喜びたい。」
一条帝が自分の話を途中で遮ったことで、定子の不安はさらに増した。しかしこれ以上この場で伊周の話題にこだわることはできなかった。一条帝は蔵人頭行成に管絃の宴を催すよう命じた。だが宴の最中も定子の顔は翳ったままだった。一条帝は何とか定子の気持ちを盛り立てようと何度も話しかけたが、定子の顔に笑みが戻ることはなかった。
二日後の四月二十二日、沈んだ様子で定子は内裏から宿下がりをした。二条北宮に戻っても、定子は部屋に籠もり、誰とも会おうとはしなかった。出入りを許されたのは、清少納言ただ一人だった。
四月二十三日夕刻、一条帝は一人で御寝所に籠もっていた。時折風に揺られる行燈の炎で、襖に映る一条帝の影も揺れている。明朝には伊周・隆家の処分についての除目が開かれるが、一条帝はまだ迷っていた。一旦は決めたつもりになっても、しばらくするとまた気持ちが揺らぐ。何とか二人の罪を軽くしたいと思いを巡らせる。しかし二人が犯した罪はすべて王家に対する罪。見過ごせば王家の権威が地に堕ち、公卿たちの間に王家を軽んじる風潮が生じる虞さえある。明法博士からは、すでに二人の罪に相当する刑の奏上が行われている。内容を知っているのは一条帝と右大臣道長、そして蔵人頭行成の三人だけだった。
一条帝は道長を内裏に呼ぼうかと何度も考えた。道長なら、伊周に対する自分の思いをわかってくれる気がした。しかし一条帝はそれをしなかった。村上帝の御世を理想とする一条帝は、帝は朝臣の上に君臨するものとの考え方に強くとらわれており、臣下に自分の弱みを見せることに大きな抵抗があった。
御寝所の薄明りのなかで、一条帝は一人考え続けた。襖に映る自分の影に語りかけた。
―情に流されてはならぬ。帝として正しい判断をするのだ。しかし中宮に対し、どのようにすればよい。あの苦しみを見てはおれぬ。伊周兄弟を罰すれば、中宮はきっと恨むであろう。私の許から去るやもしれぬ。あるいは出家も・・・だがあの者たちを許せば公卿たちは私を軽んじ、今後の政に支障を来たす。どのようにすれば・・・
鶏が鳴き、空が白んできた。気持ちはまだ固まっていなかったが、一条帝は行成を呼び、朝廷の招集を命じた。
早朝、一条帝の御前で除目が開かれた。一条帝の心を映すかのように、空はどんよりと曇っている。議事進行を指揮するのは右大臣道長。上座に胸を張って座っている。慣例通り、地位の低い公卿から順に意見陳述が始まった。ほとんどの公卿たちは今回の一連の事件は謀反と見做すべきもので、先例に従って罪を問うべしとの意見を強い口調で述べた。しかしただ一人、実資だけは違った考えを持っていた。
実資は俯いていたが、名指しをされると頭をゆっくりと上げ、道長に顔を向けて述べ始めた。相変わらず不機嫌そうな顔をしているが、他の公卿たちと違い、その態度は穏やかで落ち着いたものだった。
「この度の内大臣伊周殿の行いについて、諸卿は王家に対する謀反とお考えのご様子に見受けられます。しかしながら花山法皇様はすでに出家をなさっておられます。出家とは家を出ること。王家のご出身とはいえ、出家された以上、今は王家に属すお方とは言えませぬ。従ってこの事件は王家への謀反と見做すことは不適切でありましょう。また東三条院様への咒詛は、伊周殿の指示という噂に過ぎず、しかと確かめられたわけではありませぬ。今後も捜索を続けるべき事件というべきもの。性急に伊周殿の罪を問うては、朝廷の判断に過ちの生ずる虞がありましょう。
そして最後に太元帥法の件。これも咒詛の対象は、失礼ながら右大臣殿。王家に対するものではありませぬ。もちろん、右大臣殿への咒詛も許されてよいはずはありませぬ。しかしながら、王家への咒詛ではない以上、これも謀反とは言えませぬ。ただし、この修法は帝のみが主催できる大法。ゆえにこの件での罪は問うべきでありましょう。」
こう述べると、実資は道長に会釈をして口を閉じた。
道長は実資が話している間何度か口を挟みそうになったが、じっと我慢をして最後まで聞き終えた。実資が話し終わった時、道長の顔には不満の色がありありと見えた。
すべての公卿たちが意見陳述を終えると、道長は一条帝の顔を見た。一条帝は道長が諸卿の意見を踏まえて自らの考えを述べるものと考え、ひとつ小さく頷いた。道長は公卿たちに視線を戻して口を開いた。筆頭公卿として、本来ならば最後に公卿たちの意見をまとめ結論を出すのだが、しかしこの時、道長は自分の意見を述べなかった。
「諸卿の考えはよくわかった。帝の御裁可を仰ぐため、ここで暫く除目を中断したい。諸卿は一刻後に再び集まるように。」
奥に退いた一条帝は道長と向き合った。道長の後ろには行成が座っている。道長が意見を述べなかったことに、一条帝は不安を感じていた。明法博士の奏上通り、あるいは罪をより軽くするつもりなら、実資の陳述を採用すれば済む。それをしなかったのは何か他に考えがあるとしか一条帝には思えなかった。
「道長、そなたはあの場で意見を述べなかったが、どのように考えている。中宮の身内の件だとて遠慮はいらぬ。述べよ。」
一条帝の前で両手をつき頭を下げていた道長は、ゆっくりと顔を上げ、一条帝の目を見た。右大臣に就任しておよそ一年、道長には筆頭大臣に相応しい貫禄めいたものが現れ始めていた。
「伊周殿と私の間に度々いさかいが起きていたことは帝もご存知のことと存じます。しかし、これから申し上げますことは、私怨によるものではござりませぬ。帝の御為をのみ思い申し上げることとご承知おきくださいませ。
私は伊周殿の所業を許し置くことは、決してしてはならぬことと考えます。ご出家をされたとはいえ、花山法皇様は明らかに王家のお方でございます。そのお方に弓を引くなどもってのほか。一歩譲ればそこに先例ができ、次々に譲らねばならなくなりましょう。法皇様の次は皇子様や皇女様、そして親王様。ついには春宮様や帝にまで弓を引く事態にもなりかねませぬ。
東三条院様への咒詛も、確かに今は噂にすぎませぬ。しかし、噂が流れること自体由々しきこと。伊周殿なら東三条院様を咒詛しかねぬと多くの者たちが考えるゆえでございましょう。伊周殿ではないという証拠でも出ぬ限り、疑いは晴れませぬ。
そして何より太元帥法。我ら臣下が決して扱ってはならぬ大法でございます。それを修しましたことは、明らかに王権を犯す振舞い。自らを帝と見做したと考えざるを得ませぬ。天慶二年(九三九)、東国で謀反を起こした平将門と何ら変わらぬ所業。これ一つ取り上げますだけでも、伊周殿の行為は謀反、反逆と言わざるを得ませぬ。
伊周殿は帝の、また私にとっても身内の一人。しかしながらこの度の伊周殿の行為はやはり許されざるもの。哀れとは思いますが、右大臣の立場として、やはり死罪を賜ることが相当かと・・・」
一条帝は硬い表情で道長を見つめていた。明法博士から奏上されていた刑は遠流だった。一条帝はそれをせめて近流にしたいと考えていた。中宮と伊周の関係を慮り、道長も近流ならば同意するものと思っていた。しかし道長の口から出た刑は死罪であった。明法博士が奏上した罪より重くなるとは夢にも思っていなかった。何とか道長を説得せねばと、一条帝は言葉を探した。だが、思いもよらぬ死罪の言葉に頭の中が混乱し、言葉が出てこなかった。
行成はそんな二人の話をじっと黙って聞いていたが、一条帝の困惑した様子を見て道長に声をかけた。
「道長様、伊周様に死罪を賜ることはご無理かと思われます。」
道長は振り向いて行成を見た。
「何ゆえだ。謀反とあれば死罪に処すべきであろう。嵯峨帝の御世での仲成の先例もある。」
行成は小さく頷き、そして穏やかな口調で続けた。
「わが国では嵯峨帝の宣旨により、死罪は廃止されております。死を賜った者は嵯峨帝の御世以降一人もおらぬと聞き及びます。仲成の死は詔以前のことでございますし、また仲成は律による正式な死罪ではなく、武士が勝手に行ったとも言われております。」
道長は天井に目をやり、記憶をたどった。
「確か、嵯峨帝の死罪廃止の宣旨は、盗みの罪に対するものと記憶しているが・・・」
行成は一条帝の顔をチラリと見てさらに続けた。一条帝が伊周の死を何とかして避けたいと思っていることを、行成ははっきりと感じ取っていた。また死罪によって道長が邪魔者を葬ったとの噂が立ち、道長に傷がつくことを防ぎたいとも思っていた。
「はい、仰せの通りにございます。しかしながら死罪の廃止は、死罪により現世に怨みを残した者が怨霊として蘇えることのないようとの、嵯峨帝のご叡慮と伝えられております。そのご意思を尊び、慣例として、以来二百年近くの長きにわたり死罪は行われておりませぬ。
死罪をご復活なさるより、摂津あるいは播磨あたりへの配流とされれば、伊周様、隆家殿も共に道長様に感謝をなさいますことでしょう。道長様も伊周様とのいさかいを、今後避けられましょう。」
一条帝の表情は硬いままだった。一条帝は道長の顔から目が離せなかった。道長が強硬に死罪を主張すれば、たとえ帝といえどもそれを覆すことは難しい。たとえ覆せても道長との間に溝が生じる。それは今後の政の運営に支障をもたらす。また強権を発動して身内を守ったとなれば、公卿たちの信頼をも失いかねない。
道長は思案を巡らせながら行成の顔を見つめている。行成も穏やかな顔つきで道長を見返している。
道長は一条帝に視線を戻した。
「嵯峨帝のご意思、私も尊びましょう。明法博士からの奏上通りといたします。」
こう言うと道長は一度言葉を切り、帝に向かって両手をついて頭を下げて続けた。一条帝の顔に安堵の表情が浮かんだ。
「伊周は権帥として大宰府へ、また隆家は権守として出雲に流すことといたします。」
大宰府は遠流の中でも最も重い罪を犯したと見做された者が流される土地である。過去には菅原道真や源高明らが流された。高明は都に呼び戻されたが、道真は大宰府で憤死し、凄まじい怨霊となって都に祟った。
死罪は免れたものの、一条帝は伊周の大宰府への配流は重すぎると感じた。実資の言葉が頭から離れなかった。また伊周も大宰府で死ねば怨霊となって都に祟るのでは、という思いがちらりと一条帝の頭をよぎった。しかしそれらを振り払って道長に指示を与えた。
「それでよい。みなにそのように伝えよ。その上で検非違使庁に人を遣わし、伊周・隆家兄弟を追捕せよとの命を伝えよ。」
こう道長に言った瞬間、一条帝の心は完全に定まった。伊周・隆家兄弟を一日でも早く配流地に向かわせ、早々に大赦の詔を出そうと考えたのだった。二人が素直に流されていく姿を見れば、公卿たちの心にも哀れの思いが生じるだろうとも思った。
しかし伊周・隆家兄弟に、一条帝のそうした思いは届かなかった。
除目が行われた日の午後、左衛門府権佐惟宗允亮率いる検非違使たちが二条北宮に向かった。伊周と隆家が、定子のいる二条北宮に逃げ込んでいたのである。中宮の里御所なら検非違使といえども強引に入っては来ない、と二人は考えた。またいざというときには中宮である定子が自分たちを守ってくれる、という計算もあった。
允亮は検非違使たちとともに二条北宮の総門から中に入り、庭から邸内に向って伊周・隆家兄弟の追捕と配流の宣旨を読み上げた。しかし二人はともに病と称して姿を現さない。允亮は何度となく出頭を催促する使いを邸の内に送った。それでも二人が出てくる気配はなかった。従五位の允亮にとって、中宮御所の庭に入ることさえ気後れのする行動である。ましてや御所の邸内に強引に進入する勇気はなかった。庭で二人が出て来るのをただじっと待つよりなかった。
数日たっても邸の中は静まり返っている。二人が出てくる気配はまったくない。允亮は朝廷に使いを出し、指示を仰いだ。しかし朝廷からは早く二人を配流地に送れ、と言って来るばかりだった。
屋敷の周りには都の人々が大勢見物に来ていた。木に登って屋敷の中を覗き込んでいる者すらいる。辺りには、あちこちで、検非違使を焚きつける者と伊周・隆家兄弟に同情する者とが投石や殴り合いなどの騒乱を起こしていた。検非違使庁の下人たちがいくら追い払ってもきりがない。屋敷を囲む見物人は増える一方だった。
允亮は焦った。これ以上騒動を大きくすれば都の治安が失われると考えた允亮は、検非違使の別当藤原実資に使いを出し、事態の早期収拾を図るための指示を仰いだ。実資はすぐに御所に入り、強制捜査を許可する宣旨を出すよう一条帝に奏上した。
五月一日、ついに邸内進入許可の宣旨が出た。宣旨を携えた勅使が二条北宮に入り、宣旨を読み上げた。同時に検非違使が邸内に進入し、憔悴しきった隆家を捕らえた。しかしどの部屋にも伊周の姿はなかった。伊周の行方を尋ねても、隆家はただうなだれて首を振るばかりだった。検非違使たちは邸内の壁を剥がし、床を捲り、さらには天井板までも外して徹底的な捜索を始めた。
その時、定子は中宮職の役人に連れ出され、屋敷の外の牛車の中にいた。定子の耳には邸を壊す音がはっきりと聞こえていた。両手で耳を塞いでも、指の間から音は容赦なく聞こえてくる。定子は牛車の中で耳を押さえ、身体を丸めて耐えた。と突然、邸の中から女官の甲高い声が聞こえた。
「控えよ。ここにおられるお方は中宮さまの御母君、貴子さまである。」
その瞬間、定子の心の糸が切れた。定子は懐剣を取出すと、長く引いた黒髪を肩の辺りでバッサリと切り落とした。艶やかな黒髪が定子の膝の周りに落ちた。
―ああ、もういや。北宮などに来るのではなかった。来さえしなければお母さまもこのような恥辱を受けずにすんだ。
定子は自分の黒髪を握りしめ、唇をきつく噛みしめた。下唇が裂け、血が流れた。血が定子の膝の上に滴った。
夕刻、検非違使が隆家を連れ去ったあと、定子は邸に戻った。柱はかろうじて残っていたものの、壁や床はほとんど引き剥がされ、まるで戦のあとのような無惨な有様だった。
邸に入ると、定子は急いで母貴子の居室のある西の対に向かった。そこには、荒れ果てた仄暗い部屋の片隅に、きちんと膝をそろえて座る尼僧姿の貴子の姿があった。定子の姿を見ると貴子はにっこりとほほ笑んだ。
「中宮さま、ご無事でしたか。まさかとは思っておりましたが、ご無事なお姿を見て安心いたしました。」
定子は傍に駆け寄ると貴子の両手を取った。頭巾にも肩にも膝にも、埃がうっすらとかかっている。
「お母さまこそご無事で何よりです。わたくしがここに来たばかりに、このような目にお合わせして・・・」
定子の両の眼から涙が溢れだし、そのまま貴子の膝の上にくずれおちた。貴子は定子の髪を撫でようとしたが、一瞬はっとしてその手を引っ込めた。
「中宮さま、そのお髪は・・・」
定子は貴子の膝に顔を埋め、声を抑えて泣き出した。貴子の顔に笑顔が戻った。貴子の顔に母としての慈愛が浮かんだ。貴子は定子を両手で抱きしめ、短くなった髪を優しく撫でた。
「辛かったでしょう。よくここまで耐えました。心ゆくまで存分にお泣きなさい、定子。」
定子は声を上げて泣き始めた。笑顔を浮かべた貴子の目からも涙が溢れた。
三日後、伊周がやつれはてた姿で二条北宮に戻ってきた。宇治の木幡にある父道隆の墓前にお別れを言いに行っていたという。すぐに検非違使庁に引き立てようとした允亮に、母に別れを言う時間を与えるよう願い出て許され、伊周は邸の中に入った。
伊周の無事な姿を見た貴子は涙ながらに伊周に覚悟を伝えた。
「伊周どの、わたくしもともに大宰府に参りましょう。母としてできることはそれくらいなもの。案ずることはありませぬ。元々わたくしは受領の娘。地方での暮らしには慣れています。検非違使庁に着いたなら、早々にその旨願い出るように。わたくしもすぐに支度をいたしますゆえ。」
しかしその願いは一条帝により却下された。それでも貴子は伊周について行く決心を変えなかった。
その日のうちに伊周は都を追われ、粗末な網代車に乗せられて数人の従者とともに、旧都長岡の石作寺に入った。貴子も伊周とともに寺に入った。ところが翌五日、一条帝から、母は同道してはならぬという宣旨が届き、貴子は勅使によって強引に都に引き戻された。
何日もかかった二条北宮の修理が終り、貴子は定子とともに二条北宮に入った。長岡京の石作寺で伊周と引き離されて都に戻って以来、貴子は床から離れることができなくなっていた。心労のため心身ともに衰弱していたのである。終日定子のことを思っては涙を流し、遠くに流されていく伊周、隆家のことを思っては涙を拭った。
秋に入っても貴子の容態は回復の兆しを見せなかった。伊周、隆家が流されて以来、貴子の許を訪れる者もいない。わずかに定子の女房たちが身の回りの世話に訪れるばかりであった。道長が七月に左大臣に就任したのに対し、前の関白道隆家の凋落は、誰の目にも明らかだった。