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第九章 夏草の島

 岩場にボートを隠した頃には、空は白く明るくなっていた。島を見渡せる山に登った頃には、完全に日は登り、白い雲がほわほわのんきに浮かんでいた。甘ったるい潮の香りと、むせ返るような草の中で、和樹はルリから借りた望遠レンズつきのカメラを望遠鏡代わりに覗く。

「それにしても、ふざけてるな」

 四角く区切られた視界の中で、港で荷揚げの支持をしている吉原の姿を見つけ、和樹は呟いた。

 作業着を着た人達が忙しそうに段ボール箱を持って忙しく動き続けていた。和樹がいなくなったことをどうやってごまかしたのか知らないが、吉原はうまくやったようだった。

「人を殺しておきながら、顔色一つ変えてねえし」

「サメで動揺してた誰かさんとは大違いだねえ」

 スパイをイメージしているのだろう。黒いスーツに身を包んだコンガがチャチャを入れてきた。

「うるせえよコンガ。しばらく黙ってろ」

「なに? またコンガちゃんが何か言ったの?」

 あんな狭いボートで何時間も一緒にいたら、ルリは当然コンガに話しかける和樹の声を耳にするわけで、『誰と話しているの?』というルリの質問に、ウソがつけない和樹は正直に答えるしかない。

「一度でいいから見てみたいなあ。コンガちゃんの顔。誰に似てる?」

「今はわからないが、前はカバだった」

「ちょっとお。その言い方じゃ私がブスみたいじゃないの」

 カバというよりふぐのようにコンガは顔を膨らませた。

「それにしても、島の環境はいいわね。もっとしっかり設備が整えば、本当に自然治癒力高まりそう」

「確かに。自給自足するつもりなのか?」

 島には緑が多かった。畑を作るつもりなのか、島の真中の草原がロープで区分けされていた。どこか遠くで鶏が鳴く。その他にも、人間とは違う鼓動があちこちで聞こえた。

 頭の上でかなりせわしい鼓動が聞こえ、和樹は空を見上げる。真っ青な空に、真っ白な鳩が飛んでいた。

「ピポ…… まさかな」

「何?」

「羽原が飼ってた鳩の名前だよ。もちろん、こんな所にいるわけないけどな」

「ピポって…… 貴方がつけた名前?」

「いや、羽原だ。彼女のネーミングセンスについてはできる限り触れないでもらいたい」

「そうね。そうするわ」

 草原を取り囲むように、いくつか古びたマンションが建っていた。灰色のコンクリートにはヒビが入っていて、そこにしみこんだ雨が白い液を垂らしたような跡を描いていた。鉄でできた非常階段が、もろくなったガイコツのように頼りなく外壁に張り付いている。こんな階段で非難した日には、底板がぬけて地面に追突しそうだ。

 建物の玄関にはどれも四角い電卓のような物がはりついていた。ぼろぼろの建物のそこだけ最新の防犯システムが組み込まれているのが少しおもしろい。

「暗証番号を入れないと開かないタイプみたいね。無理に開けようとすると分厚いシャッターがば~ん! よ」

「映画みたいだな。ここで張って、誰かが入るときに番号を見ることができるかな?」

「できることはできると思うけど、時間が掛かるわね。あんまり人の出入りは激しくないし。どうする? 待つ?」

「そうだな、こっちから動こう」

 和樹は迷ったりしなかった。弱々しい羽原の鼓動を考えると、そんな悠長にしていられない。

「まだ、こっちに分があるぜ。向こうはこっちが死んでると思ってる。動くなら、今だ」

 羽原の鼓動は、ますます弱まっていた。この島のどこにいるのか分からないくらいに。おまけに心音にざわざわとした雑音が混ざっている。

「さて、いいこと、和樹君。私は、これから偵察がてら取材に行ってくるから」

 銀色のケースを開けて、ルリは拳銃を取り出した。

「なあ、明らかにそれまっとうな取材道具じゃないよな?」

「必要ないとは思うけどね。まだとりあえず島の外観を撮るだけにしておくつもりだし。一人でも大丈夫?」

 嘘を見破られた時のように、和樹はグッと息をつめた。

 もちろん、羽原を連れ出そうとしたら、吉原達が邪魔をしてくるだろう。そうしたら、奴らの鼓動を殺さない程度に乱して足を止めればいい。羽原さえ見つけ出せれば、コンガの能力に用はないのだから。

できるはずだ。いざという時になって、自分がビビらなければ。頭に浮かんだサメの腹を振り払う。

「でも、どうやって番号を聞き出すの?」

 和樹は、吉原の様子を見ながら考えていた計画をルリに披露した。

「へえ、面白そうじゃないの。じゃ、これが必要ね」

 ルリが、黒い布の包みを渡してくれた。それを開けると、大きめのナイフが光っていた。黒い、シンプルな鞘から引き抜くと、分厚い刃が銀色に輝いていた。

「あ、ああ。必要だな」

 自分で計画をしたくせに、実際に武器を見るとひるむ。

『アナタに責める権利はないんじゃないかしら』

 羽原の声が聞こえた気がして、和樹は顔を上げた。ルリが和樹の行動にキョトンとしている所をみると、さっきの言葉は和樹の心の中だけで聞こえたらしい。

『このハトを助けたのは私。だから、あの女の子を責めていいのも私だけ』

(ああ、もう! わかったよ、羽原。そう責めるなって)

 そうなのだ。ハトを助けたければ、自分で拾い上げるしかない。それこそ、血で汚れるのも覚悟で。

 羽原を助けたいのなら、努力をするしかない。何もしないで『ヒジョウな現実』とやらに文句を言った日には、羽原に鼻で笑われるだろう。

(まあ、人殺すつもりはないけどよ。ていうか、できないわな、俺には)

 それでもニヤッと不敵に笑ってみせて、和樹は短剣を掴み取った。

 和樹の真似をするように、ルリはルリで低い笑い声をもらす。

「灰皿をぶつけられた恨み…… 晴らさせてもらうわ」

「気をつけろよ」

 和樹はルリと別れると、できるかぎり音を立てないようにいい場所を探した。

 丘を下る道は、頭上で枝が重なりあって、トンネルのようになっている。

 長い間使われていなかった道は雑草が膝まで生えていて、歩き難くてしかたない。

 ちょうど丘の真中辺りで、リフティングぐらいならできそうな小さいスペースを見つけ、和樹はほくそ笑んだ。

「さて、と」

 和樹は地面にしゃがみこんで、小石を拾い始めた。


 吉原はあくびをかみ殺しながら荷物が港に上がるのを見守っていた。

「そういえば吉原さん。あの男の子は大丈夫かね」

 布団のつまったパックを運びながら作業員が声を掛けてくる。

「ああ、ここについたらすぐに病院に運ばれたはずだが。見なかったか?」

「いや、担架で運ばれる所は見たけど、ピクリとも動いていなかったから。頭から爪先まで毛布ですっぽりだったし。あれじゃ窒息するんじゃないか?」

「大丈夫大丈夫。俺が見たときはピンピンしてた」

 吉原は心の中で舌を出した。ピクリともしないのは当たり前だ。病院に運ばれていったのは、等身大に丸められた毛布なんだから。

「それにあの子の病気がうつったわけじゃないだろうけど、今日、オレ達なんだか皆具合悪いんスよね。頭痛いっていうか、だるいちゅうか」

(大丈夫、大丈夫。タダの睡眠薬だから)

 吉原は笑いをこらえた。これで、邪魔者は排除した。後はゆっくりと報酬をもらうだけだ。 満足の溜息と一緒に吉原はタバコの煙を吐き出した。

「はあ、いい天気だ」

 我ながら意味のないセリフをはいて、空を見上げる。白い雲がのどかだ。梢が太陽の光を反射させ、キラキラ輝いている。

「晴れた日はいいな。さわやかで、明るくて、優しい……」

 まるで吉原のほめ言葉が気に入らなかったというように、梢に浮かぶ光の一つが吉原の瞳を射抜いた。

「う! なんだいったい」

 目を細めて光源を探すと、まるで救難信号のようにちかちかと、光が丘の中腹で揺れている。テレビとかコンポとか、捨てられた金属が光っているのかと思い、吉原は二、三歩歩いてみた。しつこく光が追ってくる。しかも、きちんと目を狙って。

 吉原のこめかみがちょっと引きつった。昨日海に叩き込んだ少年の生意気な目が頭によぎった。

「どうした、吉原さん」

「いや、まさかとは思うが…… ちょっと出かけてくる。荷物、きちんとやっておいてくれ」

 吉原はポケットの拳銃を指先で確かめた。


 丘はむせ返るほど土の匂いがしていた。

「スーツで山登りすることになるなんて、まったく。後でズボン洗わにゃ」

 吉原はネクタイを緩める。昔の住人が島にいた時に切り開かれたらしい道は、ほとんど草に埋もれていたが、大きな木もなくなんとか歩ける。

 吉原が丘に入ると光は消えてしまった。しかし丘のてっぺんに登る道はこの一つしかないから、まだイタズラした誰かがまだこの丘にいるならばったりぶつかる可能性が高い。

 じんわりと汗が浮かんできたところで、いきなり視界が開けた。木の枝のドームの下に、リフティングぐらいできそうな場所があった。

 その草地に、地面を削った跡や並べた小石を使って大きな円が描かれていた。その真中に、星印。魔方陣だ。

「……ポッター?」

 思わずタバコが口から落ちる。

 木漏れ日が風に揺れ、魔方陣の上を駆け回る。

 吉原は茂みの中から角の生えたウサギやら、ドワーフやらが飛び出して来るんじゃないかという考えを、首を振って振り捨てた。

魔方陣の中心に、茶色の何かがポツンと置かれていた。吉原はそろそろと魔方陣に近づく。馬鹿らしいとは思いながら、恐る恐る爪先を丸い円の内側に下ろした。

幸い、というか、当然、というか、魔方陣が光り出すことも、異世界に飛ばされることもなかった。内心ほっとしながら、それでも線を消さないように注意しつつ、吉原は魔方陣の真ん中に歩み寄った。

謎の物体の正体を知って、吉原は背筋が寒くなった。それは、人の髪の毛だった。飛ばないように丁寧に石で押さえられている。

「よくも、俺を殺してくれたな」

 殺したはずの子供の声が聞こえてきた。

 飲み込んだ息が吉原の喉につっかかり、妙な音を立てた。

 吉原は、怯えた小動物のように視線をあちこちに走らせた。木の陰、茂み。変わった物は何もない。

「ここだよ!」

 木の枝から、大きな塊が落ちてきた。

「ぶっ!」

 バンザイの格好で吉原はぶっ倒れた。

「ふっふっふ。吉原捕らえたり」

「き、貴様、死んだはずじゃ」

 背中に和樹が乗っているせいで声が押しつぶされている。

「姫様を助ける前にナイトが死んだら、お話にならないだろ」

 和樹は吉原の首筋にナイフを突きつけた。

「この島に羽原がいるのはわかっているんだよ。どの建物にいるか教えてもらおうか」

「中央アパートだよ。灰色の、コンクリートの……」

 詳しい説明を聞くと、ついさっきルリと見ていた建物のことらしかった。

「で、玄関のドア番号は?」

「それだけは言えない。この世界、黒瀬を裏切ったら生きていけねえ」

「は! 俺を殺そうとした癖に自分は死にたくないってか。よく言うぜ」

 和樹は脅しのためにナイフを握る手に力を込めた。

脅しは実際効いたらしく、吉原は手足をばたばた動かす。

「頼む! 俺には病気の母親が……」

「ウソだな」

 あっさりと和樹は断言した。吉原の鼓動は、緊張しているのを考えても速い。間違いなくウソをついている。

「できの悪い弟への仕送りが」

「ウソだな」

「生まれて間もない乳飲み子が」

「ウソだろ」

「ていうか、もと乳飲み子だった子に渡す養育費が」

「……本当だけど、同情しないからな」

 泣き落としが通じないと分かると、吉原は抵抗をやめた。

「わかった。もう諦めたよ。だからどいてくれ」

「ん~ちょっと待ってろ」

 和樹は吉原のポケットを探って、拳銃を見つけ出した。

 ナイフを捨てて、拳銃を突きつけようと思ったが、結局やめた。反動とか、狙いの付け方とか、素人が拳銃を使いこなすのは難しいとどこかで聞いたからだ。実際よく分からないし、安全装置の外し方がわからなくてもたもたしているうちに殺されたのでは死んでも死に切れない。

 結局、拳銃はそのまま遠くへ投げ捨てた。

「ほいよ。立っていいぜ」

 ナイフの先端を吉原の背骨の位置に突きつけたまま、和樹はそっとどいた。

 吉原がゆっくり立ち上がる。

「あーあー。もう。腕時計に草が挟まっちゃってるよ」

 吉原は腕時計についた泥を払いのける。

「じゃあ、さっそく羽原の所に案内してもらおうか」

「和樹くん。そう怒るなよ。俺を捕まえても役には立たないぞ」

「違うね。お前が俺を捕まえたんだ」

「どういうことだ?」

「お前は、羽原のところまで俺を引っ立てるんだよ。鎮乃目様の命令でね」

「ああ、なるほどね。そういうわけか」

 吉原は、おおげさに肩をすくめた。

「いやいや、本当に黒瀬を裏切るのは心苦しいんだけどな~ ナイフ突きつけられてちゃ俺には何もできることはないしな~ 向こうについたらきっと鎮乃目様が何とかしてくれると思うんだけどな~」

「何ぶつぶつ言ってるんだ? いくぞ」

「はいはい。言う事を聞きますよ、ご主人様」

 吉原の腕時計の長針に赤い小さいランプが灯っていることに、和樹は気付かなかった。

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