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第十一章ハト

「さあ、処刑の時間だよ、和樹君」

 吉原は和樹が閉じ込められているドアに向かいながらコキコキ首を回した。

「しかし、鎮乃目様もむごいことするねえ」

「おや。お優しいことで。何なら逃がすか?」

「ご冗談を」

村田がポケットから鍵を取り出した。鉄の扉の向こうは静まり返っている。

「泣き喚いていると思ったが、静かだな」

「おい、村田。お前、息できないほどきつく縛ったんじゃないだろうな」

鍵を開けようとした村田は手を止めて、眉をひそめた。

「おい、何か臭くないか?」

 吉原は、村田の真似をしてクンクンと鼻をひく付かせた。たしかに、じっくり味わって嗅ぐと吐き気がするような強い匂いがする。

「ガス? 冗談じゃねえぞ! 生きたまま連れてこいって言われてるんだ!」

ドアノブに伸ばした吉原の手を、村田が掴む。

「待て、吉原。ここまで匂いが漏れてるくらいだ。そうとうガスが充満しているぞ。ちょっとした火花でドン! だ」

 吉原は、ごくっとツバを飲み込んだ。

「トラップのつもりだったのか? どうせ死ぬなら俺達を巻き添えに…… って所だな」

爆弾処理班の気持ちという珍しい物を味わいながら、吉原はゆっくりと鍵を鍵穴に差し込んでいく。鍵についた刻み目が、一つ、一つとゆっくりと穴に飲み込まれていく。

「そういえば」

 話しかけたというよりは独り言のノリで村田が呟いた。

「こないだのテレビ、静電気をスローモーションで映すのをやってたな。ノブと指の間に、糸くず見たいな青い雷が……」

「村っちゃん。その話で俺の気が散って爆死するのと、黙らすために俺に殺されるのと、どっちがいい?」

 両方願い下げだった村田は大人しく口をつぐんだ。

 全部刺さったのを確認して、吉原はそっと鍵を回した。カチッと手ごたえがして、鍵は回った。その音が合図だったように、二人は同時に溜息をつく。

 吉原は、緩みかけた表情を引き締めた。どれぐらい熱いか分からない湯の温度を測るように、そっと腕を伸ばす。震える指先が、ドアノブに触れた。ドアノブを握って、ゆっくりと腕に力を入れた。きしみながら、扉が開いていく。

幸い、爆弾は不発だった。

「クッサー!」

 ガスの匂いに村田は思わず叫んだ。

 吉原は部屋の真中に倒れているのを見つけた。

「ふざけたマネしやがって…… 自殺でもしようとしてたのか?」

 和樹の髪の毛を掴み、むりやり上を向かせる。和樹はぐったりとしたまま動かない。閉じ放しのまぶたを開けると、死んだ魚のように濁っている。首筋に手をあててみると、やたらにゆっくりだが脈はあった。

「ふむ。まだ死んじゃいねえか。よく生きてたもんだ」

 和樹が自分の鼓動を弱くして、なるべくガスを吸わないようにしていたなんて分からない吉原は、人体の神秘にちょっと関心した。

「よかったな。鎮乃目様にじきじきに殺してもらえるぞ」

 和樹を担ぎ上げると、戸口に向かった。

「さーて、報酬、報酬」

 村田も後に続く。

 敷居をまたいだ途端、和樹が大きく息を吐いた。

「え?」

 肩越しに後ろを見ると、ぱっちりと和樹の目が開いていた。

「……八、七、六」

 和樹は口の中だけで、小さく呟く。

「五、四、」

「な、何言って……」

 それがカウントダウンだとわかって吉原は辺りを見渡した。わからない『何か』に向かって時が刻まれるのは、気持ちのいい物ではない。

「三、二」

 廊下、外の景色、何も変わっていない。

「一……」

 非常ベルのような音がけたたましく鳴り響いた。

「何!」

 吉原が振り返った。

 部屋の中にあるのは、スープの入ったカップラーメン、毛布。そして、テーブルすれすれに置かれた目覚まし時計。

 自分自身の振動で目覚まし時計が微かに揺れている。足の一本が、天板からはみ出した。目覚まし時計がグラリと傾き、宙に放り出された。

耳と奥歯にキンとくる音を立て、時計は床に叩きつけられる。文字盤のガラスが砕ける。電池がすっぽ抜けた。その一瞬、ぱっと火花が散る。

 熱風が三人の髪を揺らす。床の振動が足元から伝わってきた。

 和樹は唇の両端を吊り上げた。手足を縛っていたはずの縄が解けた。

 和樹は吉原の肩からすべり降る。

「あ、こら!」

 吉原は手を伸ばしたが、すり抜けられてしまった。

 和樹は雄叫びを上げながら手探りで屋上に向かって駆け出した。

「うおおお!」

段差に脛をぶつけて転びかけた所を、何とか堪えてまた走り出す。

「もしもし、聞こえますか、ドーゾ!」

 煙のせいで涙目になりながら、吉原が腕時計に叫んだ。

「ターゲット逃亡! 屋上に向かっています、ドーゾ!」

『上に向かっているんだね? 間違いないんだな?』

 怒鳴られるのを覚悟していた吉原だけれど、鎮乃目は意外と淡々としていた。

『下に逃げられないようにしてくれればいいから。くすくすくす』

 通信が切れた。その直前に聞こえた鎮乃目の笑いに、吉原は少し和樹に同情した。あれはなにか企んでいるときの笑いだ。たぶん、和樹はいい死に方をしないだろう。

「大人しくサメに食われていればよかったのに…… おら! 起きろ村っちゃん!」

「う…… くそ、耳がキンキンしやがる」

 気絶している村田をたたき起こして、吉原は屋上へ駆け上がっていった。


 建物全体が揺れて、泣いているジッポの女神はちょっと顔を上げた。天井から細かい埃がパラパラ降ってくる。

「ふ、ふえ……」

 体を支えたくても、しがみつけるような物は周りにない。

「う、うわあああん!」

 心細くて、悲しくて、女神はまた大泣きを始めた。

「はいはい、そんなに泣いちゃダメよ、捕らわれのお姫様その2さん」

 ドアをすり抜けて、コンガがにっこりしながら現れた。

 知らない神様に、ジッポの女神はビクッと体をかたくする。

「そんなに怯えなくってよくってよ。何も取って喰いやしないから。私は貴方を助けにきたんだからねえ」

 腰に手を当てて、コンガはフウッと溜息をついた。

「でも、ちょっと遅かったみたいね」

 自分が消えていないのを確かめるように、女神は自分の体を見下ろした。

「ああ、違う違う。そんなんじゃないわよ。ほら」

 コンガが結界の隅を指差した。

爆発の衝撃で盛り上がった土がずれ、四隅に建てられた榊が一本倒れていた。


 屋上にはずらりと黒スーツが弧を描くように並んでいた。和樹を追って来た部下達が、背後を固める。完全に和樹は囲まれてしまった。

黒いスーツの群れの真中に、白衣を着た男が立っていた。少し老けてはいるものの、羽原の部屋で見た男と同じだ。猫のようにやわらかそうな髪に、切れ長の目。細い輪郭と薄い唇はちょっと羽原に似ている。ただ、違うのは羽原と比べて表情が豊か、ということだ。こっちを馬鹿にしているのが唇の形からよくわかる。

鎮乃目は銃を突きつけたまま微笑んだ。

「ようこそ、私の島へ。初めまして、和樹君」

「初めまして、お父さ」

『ん』より先に、銃声が響いた。肩まである和樹の髪がふわりと揺れる。背後の扉のどこかで穴の開く音がした。

「二度と私をお父さんなどと言うな……」

 煙を上げる銃口に、ダラダラと冷や汗が流れる。

「いきなり娘の彼氏が出てきて動揺するのはわかるけどよ。せめて、ちゃぶ台ひっくり返すくらいにして欲しかったな」

 和樹の軽口を、鎮乃目は見事に無視をした。

「お前は許さない。私達の邪魔をするな」

「私達だあ?」

 さっきの弾丸で引いた血の気が、今度は怒りで頭に流れ込んでいく。

「ミコトは傷を治す力を、自分の生命力を削る約束で手に入れた。そうだろ?」

「そうだよ。娘は癒しの女神になったんだ。この僕だけの」

「女神だって? やっぱり、お前は父親じゃねえよ。自分の娘を縛りつけて、命と引き換えに、金儲けする奴なんて!」

「親のもとに子供がいるのは当然の事だ!」

 ダダッコのように足をだんだんと踏み鳴らした。

 鎮乃目は白衣のポケットから銀色のライターを取り出した。パチン。左手でフタを開けると、レンジ色の炎が鎮乃目を照らし出す。パチン。火が消えた。

「あの女。ミコトの母親もそうだった。私を捨ててどこかへ消えようとした」

 パチン。幽霊のように鎮乃目の顔が浮かび上がる。

「だから、燃やし尽くしてやった。跡形も無く!」

 火が消えた。

「ミコトは私の物だ…… 誰にも渡さない」

「最っ低の過保護だな」

「あの娘は、私に金を渡してきたよ。今まで自分を育ててくれた金だとな。『それを受け取って、縁を切って欲しい』という手紙が届いたんだ」

 ライターの火が、鎮乃目の前髪を焦がしそうなほど立ち昇った。

「私はあえて娘のもとへ行ったよ。どういうことか確かめに。娘は、友達と一緒にいた」

 炎が揺らめいた。歪な形のひし形は、生き物のように三つに枝別れする。液体のような表面が、ふくらみ、へこみ、形を変えていった。

 炎の塊は、歪な人形になっていった。髪の長い女と、白衣を着た男。そして、短い髪の女。

 長い髪の持ち主は、羽原だろう。白衣は当然鎮乃目だ。そして残りは。

「それがミカか」

「そいつを追い出そうとしたとき、女の子が倒れた」

 短い髪の女性の形をしていた炎が縮み、丸い形になる。背を向けて倒れているようにも見えなくもない。

 そういえば、警察でミカは心臓の病気で死んだといっていたのを思い出す。

「そして、それに驚いたように、ミコトも倒れてしまった……」

 羽原を表す炎も丸くなる。鎮乃目の炎は燃え上がり、両手をあげておろおろしているようだった。

「私は一度ジッポの神に会っていたからね。娘が何かの紙と接触しているのだとすぐ分かったよ」

 いつの間にか、炎の人形は羽原一つになっていた。

 溶けかかった氷の彫像のように丸い輪郭だけれど、長い髪と細い体つきはそっくりだった。

「そして、目が覚めた時…… 娘は授かった力を教えてくれた。これから自分は眠りにつく。そして次に目覚めるまで、自分には人を治す力があるはずだから、自分の手を友人の頭に当てて欲しいと」

「テメエ!」

 思わず和樹は鎮乃目に突っ込んで行った。雨だれのような音を立てて、たくさんの銃がかまえられる。鎮乃目が合図をして撃つのを止めさせた。

「それを知っていて約束破ったのか? ミカを見殺しにして、羽原の能力を独り占めするために!」

 羽原の鼓動がゆっくりだった謎がここで分かった。ずっと眠らされていたのだ。たぶん薬か何かで。

 和樹の手が、鎮乃目の衿をつかむ。鎮乃目はにやけたまま手を振りほどこうともしない。その態度が余計に腹がたって、和樹は片手を振り上げた。

 炎の彫像が大きく伸びた。ツタのように伸びた炎が和樹の腕に巻きついた。

「あああああ!」

 熱すぎて冷たく感じる炎が腕に巻きつく。ほんの一瞬で火は消えたが、焦げ臭い匂いがする。ヤケドをした腕がぴりぴり痛む。

「いいい、インチキだ! サギだ! いかさまだ!」

 和樹はびしっと鎮乃目を指差す。

「人を傷つけることはできないはずじゃないか!」

「ああ、私の先祖は神に仕えていたんだよ。神を鎮める役目っていうのが苗字のいわれでね」

 確かに、ツケを払わないで神様の利益だけ手にしたいという奴らが出てきてもおかしくない。というか、出てこない方がおかしい。

 食堂で、契約をしなくてもたまに神の姿が見える者がいるとコンガはいった。もしもつくも神が昔からいて、そういう能力を持っている者がいるのなら、いかさまの仕方が研究されていても不思議はない、というわけだ。

 鎮乃目はパタンとフタを閉めた。ジッポを強く握り締める。

「娘は渡さない。妻は私を裏切った。だが、娘は裏切らせたりしない」

「価値観が狂ってるな」

「そうかもね」

 銃声が鳴った。

 肩にしびれるような衝撃を感じて、和樹は膝を付いた。痛い。脈拍に合わせて頭の芯が熱くなる。生暖かい血が指の間から流れ落ちて行った。指先が妙に冷たくなる。ピントの合わないカメラのように鎮乃目の姿がぼやけてくる。

「くそ」

 もうダメだ。殺される前に殺してやる。今の和樹なら、鎮乃目も周りを固める男達も引金を引かれる前に殺すことができるだろう。

 和樹は能力を解き放った。その瞬間頭にプカッと浮かぶサメの腹が浮かぶ。

 恐い。いいのか悪いのか、殺意がしぼんでいく。

 和樹はいつの間にか羽原の鼓動を探していた。最後に聞きたかったのかも知れない。屋上にズラリと並ぶ心臓の鼓動。そして鎮乃目の鼓動。そして。

 和樹は、顔を上げて鎮乃目を見据えた。

「さあ、死ね!」

 炎が渦を巻いて和樹に向かった。ちりちりと頬が焼ける。和樹のシャツに、真っ赤な花が咲くように炎がともった。

「ウアアアアア!」

 和樹は突進した。

 ポップコーンが破裂するように、乾いた銃声が響く。

 和樹は鎮乃目の肩をつかんだ。

「貴様、どういうつもりだ」

 怒りと恐怖の入り混じった鎮乃目の顔は、出来損ないの鬼の仮面のようだった。

「落ちるんだよ! 一緒にな! お互い野郎相手で不満だろうが!」

 そのまま鎮乃目の背中を錆びた鉄柵に叩きつける。鉄柵はまるで冗談のように弾け飛んだ。

 黒スーツ達の悲鳴とどよめきが、風に乗って追ってきた。


 ぱらぱらと細かい砂粒が耳の中に入り込んで、和樹はぶるっと体を震わせた。口の中に錆びが入って、血の匂いがした。

和樹は鎮乃目に覆いかぶさるように倒れていた。鎮乃目の肩に肘をついて体を起こす。尻の下の鎮乃目は完全に気を失っていた。

足元の鉄板が軋む。和樹は部屋の爆発で折れ曲がり、高飛び込みの台のように空中につきだした非常階段に引っかかっていた。

空を見上げると、飛び立ったハトが小さくなっていくところだった。あのハトには、少しかわいそうなことをした。いきなり上から人間が降ってきたのだから、そうとう驚いただろう。

ハトはあいさつをするように一度鳴いた。

「まさか…… 本当にピポ? なこたないか」

 この鳥に気がついたのは、屋上で鼓動を探ったときだった。高い場所にいるわりには動いていないから、木の枝に止まっていると思ったのだ。屋上から飛び降りて、一か八か木の枝に引っかかるかと思っていたのだが、まさか非常階段だったなんて。

 和樹はしびれた肩にそっと手を当てた。指先に血がついて、背筋が寒くなる。改めてみると、凄い格好をしていた。服は所々破れているし、皮膚はヤケドをしている。

「そういえば、あれほど撃たれてよく生きてたな、俺」

「信じられない、生きてるぞ!」

 屋上から声が降ってくる。部下たちがこっちを見下ろしていた。

「やべ!」

銃口が向けられたのを感じて、和樹は建物の中へ通じるドアへむかった。つり橋のように階段が揺れて、慌てて手すりにしがみつく。力を入れた拍子に肩の傷が痛んで、その場にうずくまった。額からダラダラと変な汗が流れる。

視界の端に銃が見えた。銃口が白く光っている。

「ん?」

銃口の上の、点のように白い光が、少し黄ばんで見えた。気のせいかと思っている間にも、色は濃くなり、オレンジ色になる。最後には、真っ赤になった。その光から、炎が吹き上がった。

「ぎゃああ!」

 屋上から悲鳴と銃がバラバラと落ちてくる。

「な、なんだあ?」

 足元に落ちてきた銃に恐る恐る手を伸ばす。銃は目玉焼きが作れそうなほど熱くなっていた。

 和樹の爪先のすぐ近くに、オレンジ色の液体がぽたりと落ちた。その液体はシュウシュウと音を立てて、金属の上で黒く固まった。

「溶岩、いや、溶けた鉄だぁ」

 ちらちらと自分の影が揺れた。屋上で縄のような火柱が揺れている。

「やれやれ、相当怒ってるねえ」

 別に焼けたりしないだろうに、コンガが炎を避けて空に浮いていた。

「コンガ」

「ほら、おいで、ジッポ」

 ようやく自由になった金髪の女神が、コンガの背中に隠れていた。確かにキゲンが悪いらしく、コンガの肩越しに黒スーツ達と和樹をジトッとにらみつけている。

「まさか、コイツが鎮乃目の……」

「そうだよ。結界に閉じ込められていたんだ」

「そうか、やっと分かった。さっき無事だったのはあの子のおかげだったんだな。弾を溶かしてくれたのか」

 小さな女神は、細い指で倒れている鎮乃目を指差した。鎮乃目は電撃に撃たれたように、体を大きく振るわせた。今、鎮乃目の能力が没収されたのだ。髪の色も、雰囲気も、何も変わっていないけれど、決定的にどこかが変わっている。たぶん、神の能力を持っている者にしかわからない違いだろう。

「和樹、ぼうっとしている場合じゃないだろ」

「羽原!」

 和樹は肩を押さえながら、建物の中に入っていった。

「おうおう。まるで首輪の取れた犬だねえ。大好きな人の傍へまっしぐらってか」

 コンガはつんつんと袖を引っ張られた。

「ん? どうしたのジッポ。ああ、一緒にいきたいんだね」

 ジッポはこくりと頷く。

「いいよ、おいで」

 コンガは舌なめずりをした。

「さて。お待ちかねの再会だ。きっと狂おしいほど甘美に違いない」


 ほとんどノブに寄りかかるようにして、和樹は扉を開け放った。

「うお!」

 いきなり目にピンクが飛び込んで来て、和樹は目を擦った。

 弱々しい鼓動を頼りにたどり着いた部屋の壁はピンク色。敷かれたじゅうたんまでピンク色。天井には落ちるんじゃないかと思うほど大きなシャンデリアがぶら下がっていた。カーテンはさわやかな空色だが、これでもかというほどフリルがついている。その下には大きなクマのぬいぐるみがお座りしていた。

 なんというか、いかにも『男の子が考える、女の子の理想の部屋』といった感じで、どこかわざとらしい。

 本来の彼女の趣味を考えれば、嫌がらせとしか思えない場所で、羽原は眠っていた。

扇のように広がる黒い髪。閉じられた瞼。小さな鼻。形のいい唇。まるで美術室にあった石膏の像のようにきれいで…… 生気がなかった。

ピンク色の毛布の下に、たくさんのチューブが入り込んでいる。枕元には心電図が規則正しい電子音を立てている。

「羽原……」

 じゅうたんにぽたぽた血を垂らしながら、和樹はベッドに近づいた。羽原はかなり痩せていた。

「ごめんな、羽原。もうちょっと早く来ていれば」

 そっと羽原の手を握った。指先が、羽原の手の甲に張られた点滴のテープに触れる。針を動かしてしまったかとちょっと焦る。次は慎重に、そっと握り締めた。羽原の手は血の代わりに水でも流れているように冷たい。

「あ……」

 ふわりと羽原の手が暖かくなった。蒼白い手から、かげろうのようなモヤが浮かび上がる。

 手のぬくもりは空気を通って和樹の体を覆いつくした。肩の怪我がふき取ったように消えていく。肌のヤケドもスッと溶けていく。

「いや、ちがうんだ、これは。そういう意味じゃ……」

 誰も聞いていないのに呟いて、和樹は慌てて手を放す。なんだか羽原の力を利用したようで気が引けた。

 手を壊れ物のようにそっと毛布の中に戻した。点滴は何種類か使われていて、どれが睡眠薬なのかわからない。鎮乃目は当然栄養剤のような物も使っているはずで、医者を呼ぶまでそっとしておくしかないようだ。

 和樹はカーペットの上に座り込んだ。本当はすぐに医者を呼ぶべきなのだろうが、なんだか、和樹はどうしても立ち上がる気になれなかった。電話をかけて帰ってきたら、また羽原がいなくなっている気がして。

「目が覚めたら、帰ろうな」

 聞こえているのかいないのか、羽原が微笑むように唇を少し動かした。

「でも、この部屋。目が覚めたら驚くぞ、お前。ハハハ」

「ハハハじゃなーい!」

 けたたましい音を立てて、ドアが開いた。ルリがづかづかと入り込んで来る。

「爆発がしたんで乗り込んで見たら…… この建物、誰もいないじゃない!」

「誰もいない? そんなはずは」

言いかけたところで、見当がついた。あれだけ女神が炎を巻き起こしたのだのだ。黒スーツ達が逃げ出したとしても、不思議はない。

(あいつらの忠誠心なんてそんなものだろうな)

 吉原のへらへら笑いを思い出して、一樹は苦笑した。

「いやいやいや。よかったねえ、ボーイ」

 コンガがニコニコしながらフワッとルリの傍に浮かび上がった。目の前のウエディングケーキを頬ばっている。手づかみで。その隣にはジッポが頬っぺたをクリームで真っ白にしていた。

和樹はなぜか人の感情を喰い散らかされているのを見ても、あまり気にならなかった。こんな時だし、お祝いに幸せの味を分けてあげてもいいだろう。

 羽原の前髪をそっと払う。

「え……」

触れた羽原の肌が冷たい。その冷たさが移ったように、和樹の背筋も寒くなる。

「ん? どうした?」

 そうとうせっぱつまった顔をしていたのか、コンガが覗き込んできた。

 ピー。無機質な電子音が鳴り響いた。どうしようもないほど決定的で、無慈悲で、残酷な音だった。まるでドラマのワンシーンのように、小さなスクリーンに映し出された波の形は、まっすぐな一本の棒になる。

「嘘だろ、羽原!」

 和樹はもう一度羽原の手を握り締めた。自分の手が汗で濡れて気持ち悪かった。能力を使わなくても、自分の鼓動が限界ぎりぎりまで早まっているのが分かる。

鼓動を止める力があるのなら、動かす力もあるはず。そう考えたあとは楽だった、力をもらったばかりの、まだ元気だった羽原の鼓動。羽原の笑顔、ちょっと怒ったときに尖らす唇。努力しなくても、勝手に心に浮かんでくる。

「殺してたまるか! こっちはお前を助けるために人間までやめたんだ!」

 ドクン。体が一つ痙攣するほど和樹の心臓が大きく鳴った。

「うわああ!」

 和樹は思い切り自分の能力を爆発させた。

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