8
8月13日。午前9時45分。
私は新幹線の駅のホームにいた。
グリーン車乗降口近くに崇史さんを見つけた。長身だから見つけやすい。同じ理由で崇史さんも私を見つけたようだ。
「おはようございます。」
「おはよう。晴れて良かったな。」
「そうですね。」
「少し早いけど乗っていようか。ここは暑いからね。」
「はい。」
私はあの時、崇史さんがなんとなく怖いと思ってからはなるべく逆らわないようにしていた。その代わり少しづつ距離を置こうとしている。それは、崇史さんからのキスが嫌なんじゃないと気づいたから。
あくまでも崇史さんの依頼は『付き合うふり』であって『付き合おう』じゃなかった。今回の私のお願いが終わって崇史さんのファンが落ち着いたら、そのうち本当に付き合いたい彼女ができるだろう。そうすれば依頼は終了。私からは離れていってしまう。
それは、そう遠くない未来の話で確実に訪れる現実のこと。その時になって傷つきたくない私は崇史さんを好きにならないように気をつけていた。
新幹線は、さすが連休という酷い混雑ぶりで前もって座席を確保してくれた崇史さんに感謝した。乗車率120%って!
「お盆休みに新幹線なんて乗ったことがなかったから知らなかったが、これはスゴイな。」
「確かに。私もここまでとは思いませんでした。いつもニュースで見るだけだったので。」
「あれ?帰ってなかったのか?」
「いえ、時期をずらしてたんです。お盆なんて絶対混むのわかってますから。」
「ああ、その方がいいだろうな。」
「それで、着いたらそのままウチに行くのでいいんですよね?」
「ああ、軽く昼食を取ってからお邪魔しよう。」
「わかりました。駅の中にいろいろありますから、そこで取りましょう。」
新大阪の駅に到着するまで、時々他愛もない会話をして過ごした。
駅構内で昼食を取った私たちはタクシー乗り場も混んでいるだろうと、少し離れた地下鉄の駅へと向かった。ちなみに私の荷物も崇史さんが持ってくれている。
「すいません、重たいでしょう。」
「これくらいは大丈夫だよ。女の子は荷物が多いしね。」
地下鉄で最寄り駅まで向かう。この路線は地下鉄だけど、新大阪辺りからは地上を走っているため、淀川の水の反射が眩しい。
なぜか間近に自由の女神を見つつ、車内アナウンスが最寄り駅を告げる。
「この駅です。」
崇史さんを促して降りるとタクシーを拾うことにした。
タクシーがマンションの前に着く。2人で降りると入り口を潜った。
玄関前で崇史さんをチラッと見てから、インターフォンを押す。
『はい。』
「お母さん、私。」
『あら。はいはい、ちょっと待ってね~。』
解錠される音がして、ゆっくり扉が開く。
「お帰り。こんにちは、いらっしゃい。」
お母さんは私を見た後、崇史さんを見て挨拶をする。
「こんにちは。初めまして、時田崇史と申します。よろしくお願いします。」
「香織の母です。こちらこそ、よろしく~。どうぞ、とりあえず上がって。冷たいものでも入れますね。」
簡単に挨拶をしてから中に入る。
「あ、崇史さん。荷物玄関に置いといてください。ありがとうございました。」
「大丈夫だよ。ここでいいかな?」
「はい。お願いします。」
荷物を置いてからリビングへ行くと、テーブルにはすでに冷たいお茶が用意されていた。
「座ってくださいね。」
「はい。ありがとうございます。」
私は崇史さんと並んで腰を降ろした。
「それで、時田さんって言わはった?香織の彼氏って?」
「はい。香織さんとは結婚を前提にお付き合いさせていただいてます。」
私はビックリして、何とか声は抑えたものの崇史さんを凝視した。
「あれ?香織は知らんかったん?」
「え、いや、知ってたけどお母さんに言うとは思ってなかったから…。」
そういう設定は先に言っといてください!なんとか誤魔化すと、
「香織、ちゃんとお義母さんに言わないでどうするんだ。」
「あ、はい。ソウデスネ。」
「香織?」
に~っこり笑顔で脅してくるから何も言えません。
「わかってます~。」
「うん。いい子だね。」
「あはっ!時田さん、面白い人やね~。香織の事ちゃんとしてくれそうやし。お母さん、安心したわ。」
「ありがとうございます。」
崇史さんとお母さんでニコニコ笑いあってるのが、私にとっていいのか悪いのか…。それにしても、いきなり「結婚前提」はナイと思うの。確かにこれでお見合いを斡旋される事はなくなると思うんだけど、また違う問題が発生するのは確実でしょ。ついこの間、距離を置こうと思ったばかりなのに困る。
崇史さんはどうするんだろう?
「それで、お式とかはどうするん?」
「それはまだ先になると思います。香織さんも部署を移動したばかりで慣れませんし、私たちがいるWeb事業部はただでさえ忙しい所ですから。」
「あら、そうなん?残念やわ~。お母さん、楽しみにしとったのに。」
「すみません。できるだけ早くしたいとは思っているんですが。」
私を置き去りにどんどん話が進んで行く。崇史さん、そんな事言って大丈夫ですか~?
すると、お母さんがパンッと手を叩いて言った。
「そうだ!じゃあ、婚約だけしといたらいいんちゃう?」
名案!と言う風に言った。
「えっ!ちょっと待って。それはまだ…。」
「なに?香織、嫌なん?」
「…嫌って訳じゃなくて…。」
「お義母さん、実は香織さんにまだちゃんとプロポーズしてないんです。だから、婚約はその後でもいいですか?」
「ま~!まだやったん?お母さん先走りすぎやんね~。そういう事なら、香織。ちゃんと時田さんにプロポーズしてもらってからにしよね?」
「……。」
何?そのいかにも私が早く婚約したがりました的な言い方は!私、そんな事ひとことも言ってないよね!?
そんなこんなで、何とか信じてくれたみたいで崇史さんと部屋を出ようとした時。
「あら?香織も一緒に行くん?ウチに泊まって行かへんの?」
「え、あぁ。うん…。」
「実は梅田にホテルを取ってあるんですよ。ついでに観光して行こうと思って、案内を頼んだんです。」
「まぁ、そうなん?何だったら2人ともウチに泊まって行ってくれて良かったのに~。」
「いえ、さすがにそこまではお願いできませんので。」
「そお~?」
「はい。では、今日はこれで失礼します。」
「はい。またいつでも遊びに来~よ~。」
お母さんに横目でチラッと見られながら笑顔で見送られた。なんだかすごく恥ずかしい~。
帰りはタクシーを拾うために駅まで歩いていく。
「あの、ありがとうございました。」
「いや、多分あれで大丈夫だろう。」
「はい。でもあそこまで言わなくっても…。あとあと面倒な事になりませんか?」
「ふっ。大丈夫だよ。面倒な事にはならないから。」
微笑んで私を見た。
「それなら、いいんですけど…。」
タクシーでホテルまで移動した。
着いた先は…
「ここって…!」
「香織のために選んでおいたよ。」
「こんなに高いところ!?」
「いいだろ?初めて2人で泊まるんだ。香織の気に入るところにしたかったんだけど、喜んでくれる?」
「え…。そりゃ、一度はここに泊まってみたかったんですけど。ホントにいいんですか?」
「もちろん。さぁ、行こう。」
「はい!」
そこはスカイビル近くにある高級ラグジュアリーホテルだった。ちょっと気後れしながら崇史さんに付いて行く。広いロビーを入りチェックインを済ませて部屋まで案内される。着いたのは24階。
部屋に入った途端、歓声をあげてしまった。
「すご~い!広い!キレイ~!崇史さん、ありがとうございます!」
「ああ。良かったよ。」
2人で笑い合う。私はパウダールームも見に行ってまた歓声をあげる。
「ステキ!!」
「今日はゆっくりして、観光は明日にしようか。」
「は~い。」
「荷物を置いたら食事に行こう。」
私たちはホテルのレストランではなく、外へ食事に行った。バーでお酒を少し飲んでからホテルに戻ってきた。
ホテルに戻って、今更ながら私は気付きました。この部屋、ダブルベッドです。どうしよう。一緒に寝るしかないよね…。
「香織?どうした?」
「いえ、なんでもないです。お風呂行ってきます!」
オシャレなパウダールームを通って広いバスルームに入る。お湯を溜めている間に、シャワーブースで身体と髪を洗い終えると、お湯に浸かりながら不思議に思っていたことを考える。
崇史さんは、どう思っているんだろう。私の彼氏役をお願いしただけなのに、実家まで来てもらってお母さんにも会ってもらって。しかも結婚前提だなんて…。それに、こんなに高級なホテルやダブルベッドの部屋を取るって。まあ、部屋に関してはお盆休みだからツインが空いてなかったってだけかもしれないけど。私としては協力してもらってありがたいんだけど、崇史さんは迷惑じゃないのかな。私も崇史さんに協力してるはすなんだけど、特にこうして欲しいっていうのはないしね。それに、いつまで続けるんだろう。期限は聞いてなかったけど、そう長くはないよね。あんまり長くなると…、困る。離れがたくなってしまいそう。
こんなこと、うだうだ考えても仕方ない!なんとかなるでしょ。
お風呂を出て、部屋へ戻る。
「崇史さん、お風呂も広くてキレイでしたよ。崇史さんも入ってきたらどうですか?」
「ああ、そうしよう。」
崇史さんがお風呂に行くのを見送って、少し早いけど寝ることにした。崇史さんが出て来る前に寝てしまおう!そうしよう!
ベッドのできるだけ端っこに寄って、眠りに就いた。
翌日。
端っこで寝たはずなのに、またまた崇史さんに抱きしめられて、ベッドの真ん中で寝ておりました。いい加減、もう慣れましたよ。
「はぁ~。崇史さん、起きてください。離してください。」
「……もうちょっと。」
「観光に行くんですよね?今日一日で回るなら早めに出たほうがいいですよ。」
「…わかった。」
朝食は1階のレストランでブッフェ形式だった。朝からおいしいパンを食べてご機嫌でホテルを出る。
まず、梅田周辺を見て次に心斎橋から難波まで。USJは時間がないので、今回はパス。なんとか南港まで回れた。
疲れて戻ったホテルでベッドに寝転んで話しかける。
「どうでしたか?」
「うん。大阪って面白いね。みんな声大きいし、賑やかだし。」
「ふふっ。楽しんでいただけました?」
「ああ。また来たいな。」
「良かった。あの……私、崇史さんに聞いてみたいと思ってた事があるんです。」
「なに?」
「あの、怒らないで答えてもらえます?」
「内容によるな。なるべく怒らないようにするよ。」
笑いながら答えてくれた。それに勇気を貰った私は、思いきって聞いてみることにした。
「崇史さんは、私にこんな依頼をする位ですから、今彼女はいないんですよね?」
「もちろんだ。」
「この3年は彼女がいないって聞いたんですけど、ホントですか?」
「本当だよ。今までの彼女はみんな向こうから寄ってきて一方的に付き合ってくれって言われて付き合っていた。まあ、それなりに好きだったと思うんだけど、恋愛って感じではなかったな。恋愛って結構大変だろ?だから本気になれる相手が見つかるまでは、適当に付き合うのはやめようと思ったんだよ。次は、本当に好きになった人と恋愛をして、付き合いたかったからね。だから、この3年は彼女はいないよ。」
「そうなんですね…。じゃあ、今はどうですか?3年たって、本当に好きになった人はできましたか?」
「そうだな。香織のおかげで恋愛してみたいと思ったよ。」
「……そうですか。ありがとうございました。」
「いや。どうしてそんな事を聞きたかったんだ?」
「いえ、気になってたものですから。」
「ふふっ。俺のこと、気になってたんだ…。」
なぜか艶やかな笑みを浮かべながら、ベッドに寝転んだ私を上から覗き込んでくる。
しかし、私は全く違う事を考えていた。覗き込んでくる崇史さんに反応もせず、目も合わせない私を不思議に思ったのか名前を呼ばれる。が、返事をせずに背中を向けて目を閉じた。
そんな私の頭上でため息が聞こえた後、崇史さんも横になって私を抱きしめしばらくした後、眠った。
――香織は何か気づいただろうか。
急になにを聞いてくるのかと思ったが、あんな事が気になっていたのか。俺には3年前から香織だけなのに。「香織のおかげで恋愛してみたいと思ったよ。」あの言葉で少しでも勘付いてくれたかな。もう少しすれば、完全に香織が手に入りそうだ。
あと、もう少し。
これで香織包囲網は敷かれました。
香織は忘れてますが、智美への報告は崇史さんがしています(笑)もちろん、包囲網のひとつです。
次回からストーリーが動き出します。