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一話物

雪漢

作者: 紅月赤哉

 月明かりが雪に反射する。青白い光に包まれた中で、六人の男女が積雪を舞い上げる。

 その過程で口に詰められた自分のハンカチに、美香は言葉を失った。必死に叫び声をあげようとしても言葉は押さえつけられ、内に戻っていく。ダッフルコート越しに胸を掴まれ、痛みに目が潤んだ。

「ははっ……前々からさ……お前のことさ、好きだったんだよぉ」

 雪の上に押し倒され、両手足を数人に拘束された美香の上に、信二が覆い被さる。コートの下にある双丘を力任せに揉みしだき、羞恥と嫌悪で歪む美香の顔を見て欲情する。ここにいるのは人の皮を被った獣。そして獣達だった。

「信二よぉ。折角手伝ってんだから、早く済ませよ?」

「こんな寒い中で出来んのかぁ?」

 出来る、というのが何を差しているのかこの状況で分からない美香ではない。足を抑えている二人のもう一方の手が太ももをゆっくりと昇っていく。行き着く先は制服のスカートの中。理性の手綱を緩めるのは時間の問題だろう。

(いや! 止めてよぉお)

 美香自身のミスだった。

 ここ数日の間、信二が美香にアプローチしていたのも事実であるし、信二のグループがこういった暴行まがいのことをしていると噂されていたことも事実。

 部活で遅くなったからと、近道のためにほとんど人が通らない小高い山の上の神社を通ろうとして、待ち伏せをくらってしまった。

 現状に陥る条件が満たされていた。

 しかし、美香は軽く見ていたのだ。自分達が危なくなることなどしないだろうと思っていた。

 彼女の常識は、信二達には通じなかったのだ。

「はっは……お前、もう勇としてんだろ? 二ヶ月も付き合ってたらもうしてんだろ? なら俺達にも味あわせろよ~」

 彼氏の名前を持ち出され、美香は身体を硬直させた。勇自身に見られているわけでもないのに、今、このような事態に陥っていることがとてつもなく恥ずかしいことのように思えて、せめてもの抵抗で両足に力を込めて股を閉じようとする。それも拘束力には勝てず、一瞬動いただけだった。

「あー? まだしてねぇの? もう中三になるってのによぅ」

 美香の様子に少女の匂いを感じ取った信二は下卑た笑いを浮かべる。

 手を繋ぐことさえもまだ恥ずかしい美香にとって、その言葉だけで羞恥に身をこわばらせてしまう。顔は寒さだけではない赤に染まり、涙が耳元へと流れていく。

「さって、ご開帳~」

 人は他にいないが、出来るだけ声を潜めつつも信二は陽気に美香のスカートをまくり上げた。一気にではなく、「つっつつっつつー」と旋律の無い音符を発しながら。徐々に美香の白い足が明らかになっていく。完膚なきまでに辱め、陵辱する。信二の頭の中には裸で快楽に乱れ狂う美香の姿が映し出されていた。

(いやぁあ!)

 美香の忍耐が限界に達した、その瞬間だった。

「そこまでにしておけっ!」

 巨大な音圧が、場を震わせた。

 即座に美香から飛びのいて、信二達五人は周囲を睨みつける。そして自分達のした行動に呆気に取られた。

 どうして美香の拘束を解いてしまったのか。怒鳴られるくらいならば高校の教師や警察官にも言われているから慣れているだろう。しかし、彼等の身体が頭で考えるよりも先に反応したのだ。

 声に含まれる、特殊な感情に。

 心の底から信二達などどうなってもいい、という悪意に。

「貴様等のようなクズを、私は許さない」

 声はすれども姿は見えず。信二達はとりあえず美香を放っておき、背中合わせに円陣を組んだ。これでどこかから誰かが現れたなら分かるはずである。

「どこにいやがる! 出てきやがれ、臆病者!」

 信二はポケットからナイフを取り出しながら叫ぶ。そのナイフを見て美香は心の中で恐れた。もしかしたら、陵辱された後でナイフを突きつけられていたかもしれないから。

 そこまで思考が至ると、口に詰められていたハンカチを取り出し、ゆっくりと信二達から離れようとする。それに気づいた信二の仲間の一人が強引に自分の下へ引きずろうと近寄ってきた。

 美香は絶叫する。魂の底から。

「助けて!」

「了解した」

 時が、止まった。

 美香の耳へ轟々と音を運んでいた血液さえも止まったかと思うほどの、静寂。

 その世界の中を、美香へ迫った仲間の身体が舞っていた。

 変わりに美香の前に現れたのは黒い背中。黒いコートを着ている人物が、いきなり美香の前に現れたのだ。

 困惑し、どう対応していいのか分からずに信二達や美香は動きを止める。

 空に飛ばされた一人は股間を抑えてうずくまっていた。それを見てようやく何が起こったのかを誰もが理解する。

「ど、どうして雪の下から出てくるんだ!?」

「そこに悪がいるからさ」

 声からしても男らしい、その男は、平然と答えにならない答えを告げる。呆然とする信二達へ向けて指を突きつけながら、身体を突き抜けるその渋い声を発した。

「心震わす声が聞こえる時、私はそこに現れる。闘おうではないか、命が燃え尽きるまでも」

 ばさっと、黒コートが舞った。美香の視点からはどうやらコートの前を開けたらしいと言うことしか分からない。だが、信二達は後ずさった。見える顔には驚愕が浮かび上がっている。何か人外の生物にでも会ったかのように、美香が漫画で見るような驚き顔で固定されていた。

「な、何なんだよお前! その格好はっ!」

「人の振りを見て、我が振りを直すが良い」

 黒コートが、その人物から離れる。露になった全体像に、美香は口を開けていた。おそらく今の自分も信二達と同じ顔をしているのだろうと心の片隅で思いながら。

 顔は目の部分が開いているだけのシンプルな白いマスクで覆われている。そして、身体は何も無い。

 男は、全裸だった。

 正確には競泳用パンツを穿いているが、雪に埋もれている足元は、どうやら足袋らしい。

 青白い光に反射するように輝く赤茶色とも言っていい筋肉。その表面をぬらぬらとした液体が覆っている。全体的に盛り上がった筋肉は何もしていないように見えるにも関わらず、何度も脈動していた。腕は美香の太ももほどに太く、特に背中は筋肉の盛り上がり方により人の顔のような模様を作り出し、パンツに包まれた尻の二つの盛り上がりはきゅっと締まっていた。足もまるで鋼鉄のような強度を感じさせる。

 大理石で出来た人物像に着色されたかのような造形美に、美香は衝撃で身体が震えた。

 周囲に香る匂いは形容しがたい物へと変化している。その匂いの正体は、まだ美香には分からない。

「あなた……は?」

 美香の声は、巻き起こる風(と匂い)にかき消された。

 舞い上がる雪の間に美香が確認できたのは、次々と打ち倒される信二の仲間だ。

「スノー正拳突き!」

「ひぎゃ!?」

「スノー回し蹴り!」

「あぶへぇ!?」

「スノーチョップっ!」

「ごがっ!?」

「スノーでこぴんっ♪」

「がふあぁあああああ!?」

 瞬時に四殺を繰り広げる男。一番最後に聞こえた言葉と響きと三つ続いた鈍い打撃音はかみ合っておらず、一つは大したダメージもないように思えたのだが、結果として美香の視界には失神体が並べられていた。

 綺麗に「四」の字に。

「下の棒を埋めれば四の字が完成する。貴様で、最後だ」

「なんで四の字っていうか……卑怯だぞ。全部技名と攻撃が一致してないじゃないかよ!」

「全て頭突きだろうと技名が付けば別になるのだ」

(頭突きだったんだ……)

 どこか現実味の無い会話に心で突っ込みを入れる美香。だが声に洩れたのか心を読まれたのか、男は美香を振り向いて言った。

「れっきとした技だ」

 次の瞬間、男の身体が少し前に押された。背中には信二が肉薄している。美香の目には男の背中にナイフが刺さっているように見え、顔が夜の中で青白く染まった。

「い――」

「ぐぎゃぁああ!?」

 美香の最悪の連想による悲鳴の前に、信二が腕を抑えて泣き叫んでいた。右腕が外側に曲がっている。明らかに肘を破壊して。あまりの痛みに錯乱しているのだろう、信二は雪面を転がりながら自分を痛めつけていた。そうすれば肘の痛みも分散するだろうと言わんばかりに。

「そんなナイフが私に通るか」

 信二を追う形になっているため、美香には男の背中が見えた。顔の形に歪んでいる筋肉。その一点にナイフが刺さっていたが、歩みを進めている間に取れた。

「熱き魂がない攻撃など、我が肉の敵ではない」

 その言葉と共に、男の身体から煙が出始めた。その煙が巻き起こしたのではないかと言うほどに風が吹き荒れ、少し離れた美香のところにも蒸気が届く。

 鼻腔を香りがくすぐる。そこで、ようやく匂いの正体に気づいた。

「汗臭い!?」

「漢臭だ」

 律儀に美香の悲鳴に突っ込みを入れ、うずくまる信二を立たせる男。

 信二はぼんやりとした目に光を取り戻し、怯えに顔を染めた。

「ごめんなさい! もう勘弁してください! 僕、使っても四の字作れません!」

 確かに一人ずつでは四の字は作れない。

「二度とお嫁に行けない身体にしてやろうか?」

「ひぃいいいい!」

 信二はお嫁にはいかない。

「二度とお婿に行けない身体にしてやろうか?」

「ひゃぁあああ!?」

 お婿に行けない身体とは何なのだろうか。

「二度と子供を埋めない身体にしてやろうか?」

「それだけはご勘弁を!」

 子供は埋めない、もとい、産めない。

 美香はそこまで聞いて、体を起こした。心のどこかで突っ込みを入れてる自分に気づきつつ、場の空気を壊さぬために表面化させない。

 ようやく今、目の前にある非現実的な出来事を脳が受け入れ、身体に指令を出したのだ。ゆっくりと男の傍に近寄って、背中越しに声をかける。

「あの……」

 すでに恐怖と痛みに意識を失っていた信二を片手に、男は美香の方向を向いた。

 もう止めて欲しい。そう告げるつもりだった。確かに自分を襲おうとした信二を許せはしないが、ここまで恐怖に怯えている人間を見るのは美香には辛かったのだ。美香の気配を感じて男が覆面越しに微笑み――

「こらっ! そこでなにやっている!?」

 割り込んできた声は直後に驚きへと変化していた。

 はっとして振り向いた美香は、懐中電灯で自分等を照らす警官二人を確かに見た。逆光ながらも美香の目の前に立つ裸の男に驚愕している様子が見て取れた。

「お、おい貴様! その娘から離れなさい!」

 警官が男と美香へと足を踏み出した瞬間、男はまるで落とし穴にでも落ちたかのように姿を消した。男が立っていた場所には人間が一人すっぽりと入る穴が開けられていたが、当然のごとく地面までは穴が空いていない。



 男は、初めから存在していなかったかのように消えてしまったのだった。


 * * * * *


 美香は再び襲ってきた怒涛のような展開についていけず、ただ呆然と立つばかりだった。

 急に駆けつけた警官はちょうど周囲を巡回していて、男の悲鳴が聞こえたのだという。自分を気遣う様子の彼らに「大丈夫です」と言葉を返すだけで美香は精一杯だった。

(……あの人はなんだったんだろう?)

 倒れている信二達を抱き起こし、応援を呼んでいる警官達を横目で見つつ、美香は空を見上げた。ぽっかりと浮かぶ月が男の真っ白のマスクのように見えて、頭を振る。

(なんていうか……夢?)

 そう言えば男に関して警官達も連絡する際に触れてはいなかった。

 あの男は美香だけが見た幻影だったのだろうか。あのような男は本当は存在していなくて、信二達は勝手に争って倒れていたのではないだろうか。

 月明かりの下で見た幻影。

 非現実さを肯定する状況に、美香はまだ残る幻想への想いにその身をゆだねようとする。

 だが、鼻腔をくすぐる香りに、美香ははっとした。

 その酸味がきいた、鼻から口にかけてじわりと染み込んでいく苦味。

 粘り気を帯びた水以上油未満の液体が、気体から液体へと口の中で変化していく。

 それはまさしく先ほど嗅いだ、漢臭だった。

「……おぇ」

 こみ上げる吐き気にその場にうずくまる美香。

 駆けつけた増援と共に信二達を拘束した警官の一人が美香を気遣わしげに抱き起こし、事件のあらましを話させるために交番へ歩き出した。

 美香は心に決めていた。

 あの不可思議な男を再び探し出そうと。そして、想いを告げようと。


 ありがとう。


 そして……


「臭い」


 春先のほのかな香りは、まだまだ美香には遠い。

肉汁って響きが好きです。

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