座標ゼロゼロゼロ
「判決を言い渡す」
何処かの法廷。
判事さんが木槌を叩きます。
軽く、そして重苦しい音が、男の体の中心にまでびりびりと響いてきました。
「被告人は流刑に処す」
判事の言葉に、場内がざわめき立ちます。
流刑なんて、今はもうない古い刑罰だと思われていたからです。
判決を聞いた、被告人の男はにやりと笑いました。
聞いたこともない刑罰だけれど、死刑だけは免れたことを知って、彼は喜びました。
検事さんが異議を唱えようとしたけれど、もう遅かったようです。
判決は、もう下ってしまったのでした。
裁判は、それで閉廷となり、男は刑務官に連れられて退廷し、被告人控室に戻ります。
すると、そこには真黒なマントを着た怪しい男が立っていました。
「刑は間もなく執行されます」
刑務官の一人が男に言いました。
「えっ、ちょっと待ってくれよ。そこの変なやつは誰なんだい?」
「刑は間もなく執行されます」
男は驚いて、刑務官の方を向いて質問したけれど、彼は同じことしか言いませんでした。
男が不審に思っていると、真黒なマントの男は、そのマントをぶわっと広げました。
男はアッ、と声を上げます。マントの下に体はなくて、真黒な暗闇が広がっていました。
男が動けないでいると、やがてその暗闇がゆっくりと近づいてきて、男はその中に吸い込まれてしまいました。
男が寒気に目を覚ますと、そこはもう何もありませんでした。
そこは、真っ暗で何もない虚空でした。
男は慌てて、手足を動かします。
体をさえぎるものは何もなくて、彼は自由に動けたけれど、男は何にも触れることが出来ません。
回りになんにもないからです。
「もしかして、これが流刑なのか?」
男は、もう既に刑が執行されてしまったことを知りました。
「おーい!」
彼は声を上げます。
それは何にも遮られずに、少しも反響することもなく、どこまでも広がって、果てまで行ってしまいました。
これなら声はどこまでも届いて、どこからでも届くだろうと男は思います。
男は少し待ってみました。けれども、返事が返ってくることはありませんでした。
この虚空は無限に広がっているのです。
体は自由に動くけれど、何にも触れません。
声はどこまでも届くけれど、誰にも聞こえません。
何より自由だけれど、何一つ自由ではありませんでした。
男は、とたんに寂しくなって、泣き出してしまいました。
声をあげて、わんわん、と。
自分が犯した罪も忘れて、彼はまるで赤子のように泣き続けます。
けれども、泣けども泣けども、どうにも仕様がなかったので、しばらくすると、男は泣き声を止めてしまいました。
彼は寂しさを抱きながらいつまでも、そこにふわふわと漂っていました。
男は残酷な人間でした。
彼は自分が楽しいからという理由で、多くのいきものを殺して遊んでいました。
捕まった後も、大金を積んで弁護士を雇って、死刑だけは免れるようにして、そうしてまた殺すつもりでいたのです。
やがて、時間だけが流れていって、次第に男は動くことも声を出すこともやめてしまいました。
男は石になったのです。
彼はとてもかたくて、とても丸い石になっていました。
男がまぶしい光をどこからか感じるようになったのは、そんな時でした。
男はその光に向かって飛んで行った。近づくにつれ、男は光のまぶしさと、温かさがどんどん増してゆくのを感じます。
けれど、それはとどまるところを知らず、光を発していたのが大きな火の玉だとわかるまで近づくころには、男は全身を火傷してしまっていました。
これはたまらない、と男は引き返して、丁度いい温かさと明るさのところまで戻り、そこでじっとしているのもつまらなかったので、同じ距離を保って火の玉の周りをぐるぐる回ることにしました。
そうして、彼がじっとしたまま、また長い時間が流れます。
しばらくして男は自分と同じような、大きくて丸い石が同じように火の玉の明るさに引かれたのか、ふわふわと漂ってくるのを感じました。
男は狂喜しました。
もうあきらめていたけれど、ようやく何かに触れられるのです。
けれどもう声もだせないし、手で触れることもできなかったので、男はぶつかることにしました。
二つの石はガツンとぶつかって、一つの、もっと大きな石になりました。
これに、男はがっかりしてしまいます。
ぶつかった瞬間はとてもうれしかったけれど、結局自分が大きくなっただけで、さびしいのは何一つ変わらなかったのですから。
そうしてまた、時間が流れて、少し大きくなった男がさびしくして、くるくる回って暇を持て余していると、また同じくらいの大きさの、別の大きな石がふわふわとやって来ました。
男は、それっ、ともう一度ぶつかりに行きます。
結局後で虚しくなるのはわかっていたけれど、ぶつかる瞬間の刺激がまた欲しくなったのです。
男はもっと大きくなりました。
そうしてまたさびしくなったけれど、ぶつかる瞬間の刺激が気持ちよくて、男はどんどんと、流れてくる石にぶつかって、どんどん大きくなっていきました。
けれど、どうやら調子に乗ってぶつかりすぎてしまったみたいで、男はいつしか全身を大やけどしていました。
――熱い、熱い。
でも、その刺激はまた心地よいものもあったのでした。
男が熱さを楽しんでいると、今度は今までで一番大きな石が、今度は向こうから男にぶつかってきます。
うわあっ、と男は悲鳴を上げました。
それは男とは一つにならずに、彼の体を抉って岩を少し持っていくと、少し離れたところで立ち止りました。
男は暫く呻いていたけれど、やがて、自分以外の何かが出来て、喜びました。
――よう、兄弟。
声をかけても返事はなく、近づくこともできなかったけれど、弟は彼の側を離れず、自分が火の玉にそうしているように、回りをぐるぐる回りながらどこまでも付いてきてくれます。
気がつくと、同じような自分と同じような大きな岩が周りにたくさんあって、皆思い思いの位置取りで、火の玉の回りをぐるぐる回っていることに気付きました。
男は嬉しくなったけれど、重くなった体はもう以前のように軽々とは飛びまわることはできず、結局誰とも交わることは出来なくて、だんだんとまた、さびしくなってしまいました。
やがて、男の上にどこからか水が落ちてきて、男の体のやけどを冷やしてくれました。
やけどが治って気持ちよく思っていると、男は落ちてくる水が、全然止まってくれないことに気付きました。
もういいよ、と声をあげても止まらず、結局男の体の表面を、水がすっかり覆ってしまいました。
でもこれはこれで気持ちがいいので、男は水をそのままにしておくことにしました。
何より水がきれいだったので、気に入ってしまったのです。
それでも全部水の中というのはなんだか恰好がつかなかったので、彼はせっせと体の表面を少しずつ動かして、水の外へ出る部分を作りました。
一気に表面を水の外へ出すのは疲れてしまうので、一度休憩して、今度はゆっくりやることにしました。
そのままゆっくりと表面を水の外から出していると、ふと、水の中で何かが動いているのを感じます。
それは少しずつ数を増やしていって、やがて水全体に広がってゆくのでした。
――生きものだ!
彼は、心の底からその誕生を喜び、生まれてきた者達へ精一杯の愛情を捧げました。
それはこれまでのような無機質な連中とは違う、確かに触れ合える存在だったからです。
生き物は水の中でどんどん触れ合い、その数を増やしていきます。
彼の愛情は様々な生き物を生み、水の中はやがて生命の宝庫となって行ったのでした。
ところが、ある事件が起きました。
彼が生みだしたある生命が彼の表面中に毒を撒き散らし始めたのです。
彼はたちまち毒で覆われ、それは水の中までしみ込むと、海の中で生まれた多くの生き物を、殆ど殺しつくしてしまったのでした。
彼は、今初めて、命が失われたことに悲しみを覚え、大声で泣きました。
その生き物も、自分の食べ物を取るために必死でやったことだったので、彼は責めることもできず、暫く途方に暮れました。
しかし、やがて彼は狂喜乱舞することになります。
なんとその毒を吸いこんで、自分の力に変える生き物が生まれ、その仲間が死の世界をあっという間に命で埋め尽くしていったのです。
その毒がくれる力はとても強く、毒を力にする生き物たちは、やがて水の外へまで出て暮らすようになったのでした。
水の中と外。二つの生命の王国は繁栄を極め、彼はもう寂しさを感じることはなくなっていました。
けれども不運はまたすぐそこまでやってきていたのです。
大きな石が、彼に近づいてきたのでした。
彼はよけることができず、ぶつかってしまいました。
それは彼の体を抉り、灰をたくさん巻きあげ、表面を覆ってしまいます。
そうして火の玉の光をさえぎってしまって、彼の体の上でまた多くの生き物が死んでしまいました。
二度目の喪失に、彼はまた嘆いて、大声で泣きわめきました。
けれどもその鳴き声はすぐに止まります。
なぜなら、今度は多くの生き物が生き残っていたからです。
彼は今度こそ、と気合を入れなおして、生き残った生命を守ることを決意しました。
生き物たちはどんどん進化して、地上はすぐに生命の王国に戻りました。
しかし、それもつかの間のことでした。
それは新しく生まれたある生き物が原因でした。
何処かで見たことのあるその生き物は、他の生き物をつぎつぎ殺して、自分の国をどんどんと広げていったのです。
その生き物達はお互いに殺し合いを始めたり、木を切ったり、ゴミを捨てたりして、彼の表面や、水をどんどん汚してゆきました。
彼は怒りました。
それでも、どうにもなりませんでした。
どんどん汚れていって、彼の体はすっかり汚くなってしまいました。
それはあの時の毒とはわけが違って、色々な毒が混ざったせいで、どんな生き物も済むことが出来なくなって、原因を作ったあの生き物たちは、乗り物を作って彼からさっさと逃げて行きました。
残ったのは、ただの死の星でした。
彼は嘆き、悲しみました。
どうしてこんなことをしたんだと叫んで、ようやく、自分がただの罪人である事を思い出しました。
もはや何億年前かもわからない遠い昔に告げられた判決を思い出して、自分がいったい何をやったのかを思い出して、自分が生命を何だと思っていたのかを思い出して。
これはすべて自分に返ってきた罪の報いなのだと思い知って、
彼は、静かに意識を手放しました。
「被告人に判決を言い渡す」
どこかの法廷。
判事は木槌を叩き、告げます。
「被告人は流刑に処す」
座標000の虚空に、また新しい地球が生まれるのでした。
SF童話的な何か。なんだろうこれ。