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椎名辰巳の憂鬱

 俺はその日、バイトが初日のため家を出た。くるみに言われて始めたバイトだが、どうも、気が進まないとが本音と言えた。兄弟で同じバイトというのが妙に恥ずかしかった。ブラコンとか思われたら嫌だなと俺の気持ちはバイト先に近づくにつれ憂鬱になっていった。

 なにしろ隣のクラスの島田がバイト先の隣の家なのである。

 島田とは知り合いという間柄だが、決して友人ではない。幸人とは友人である為、所謂友人の友人である。地味に気まずい。頼むから、島田がバイト先に来る事がない事を祈るばかりである。

 バイト初日のためか、九時にはバイトが始まる。くるみはいつも昼頃からなので、少し早いなと思いながら、俺はバイト先に着くと、扉を開けた。

 開店時間前なので、閉まってるんじゃないかという不安を他所に扉はすんなりと開いた。少し不用心じゃないかという俺の思いはこの緊張によって一瞬にして消え去った。

 店内には面接の時に世話になった店長と、カウンターには俺と同い年くらいの女子がいた。後ろを向いているが、首元までの長い髪に少し染めたような茶色がかった髪が目を引いた。

「椎名です。今日からよろしくお願いします」

「ああ、宜しくお願いします」

 店長は礼儀正しく優しげな口調で言っていた。ここの店の働く雰囲気もこんな優しげなものだといいんだが。

 カウンターにいた女の子が振り向き、俺の方を向いた。

「椎名さんの弟さんですね。海野あやめと申します。よろしくお願いします」

 海野さんはそう言い、俺に頭を下げた。礼儀の正しい女の子だなという印象だった。そして柔らかいイメージを持つ可愛さがあった。

「じゃあ、早速、椎名君、荷物をロッカーに置いてきて、仕事着に着替えてもらっていいかな?」

「あ、はい」

 俺はそのまま店長に促されるまま、更衣室の方へ向かった。海野さんの笑顔は俺の脳裏に焼きついて離れなかった。

 かわいかったな海野さん....。俺は仕事着に着替えてる最中もずっとその事が頭から離れなかった。

 だが、バイトをするときはその事を忘れなければならない。仕事に私情を持ち込むのは良くない上にくるみにバレたら後で怒られるような気がするからである。

 制服に着替えた俺はそのまま店長の所まで行った。店長は海野さんと制服に着替えた俺をじっと見つめている。

「似合うんじゃないかな?」

 店長はそう言い、海野さんは何も言わないが、にっこりと笑みを浮かべていた。

「今日はお姉さんは後から出勤だから、それまでは私が教えますね」

 海野さんはそう言って俺の前に来た。海野さんに教えてもらうのかと俺は妙に緊張し、しどろもどろになった。

 長い毛先がカールした黒髪を束ね、海野さんは素敵な笑みで俺を見つめていた。

 ただ、仕事は仕事。俺は海野さんに教えてもらうままにメモを取り、必死に覚えようと努力していた。やがて10時になり店が開店し、人がまばらに入ってきた。

 接客というのは人生で初めてだが、最初は海野さんに付きながら行う。海野さんの接客は客に優しく囁くように行なっており、俺が客だったら、ここの常連になるほどに天使のようであった。

 何度か、海野さんの接客を見て、俺も海野さんに促されるままに接客を行った。まだ辿々しいが、言葉に詰まることも数回行うとなくなってくる。果たして海野さんも最初はこんな感じだったのかなと思ったりもする。

 慣れという慣れはないが、最初のような緊張はいくばくか無くなってきたように思う。その時点で12時が近くなっていた。

 その時に俺の耳から聞いたことのある声が聞こえた。

「辰巳、どう?」

 後ろを向くとくるみが立っていた。制服を着てるせいか、いつもと違うような感じがしていた。似合ってると言えば似合ってるが、いつものくるみを知ってる身としては似合わないように見える。

「まあまあだよ」

「あやめちゃんに迷惑は掛けるなよ」

「うるせえな」

 くるみは小声でそんな事を言ってくる。外面がいいくるみはそれ以降は家で見せるような雑な姿は見せず、俺ですら感心するような接客ぶりを見せていた。

 今日の俺のバイトは15時までくるみは18時までであった。

 くるみが来ると同時に30分の休憩を貰い、その後、俺は再び海野さんにつきながら仕事を覚えていった。

「椎名さんはくるみさんの弟さんだから、高校一年生ですよね?」

「え?はい。そうですけど」

「私も高一で、ここは同い年がいないから椎名さんがいると心強くて」

 海野さんは恥ずかしそうに髪をいじりながら言った。ほの純情さに俺は心を撃ち抜かれていた。

 そしてそれはバイトを上る一時間前程のことである。店の扉が開き、俺は声を上げた。

「いらっしゃいませ....」

 そこにいたのは同じクラスの島田であった。

「おお、椎名やっぱり働いてたか」

 島田は嬉しそうに言った。俺は苦笑いを浮かべてどう反応すればいいかと考えていた。

「宏くん!」

 そう言ったのは海野さんであった。海野さんは島田の前に来ると少し怒ったような表情を見せた。

「なんで働いてる時に冷やかしに来るの?」

「違うよ。あやめに用はないさ。俺は椎名に用があるんだよ」

「宏くんは椎名さんと知り合いなの?」

「ああ、同じ高校だよ」

 ここは敢えて友人と言わなかった島田に感謝をしたい。お互いにまだ友人と呼べるものではない事は島田もわかっていたのか。

「椎名。あやめに厳しくされてないか?こいつ、意地っ張りだから、気を付けろよ」

 島田はケラケラ笑いながら言っていた。その横で海野さんがご立腹な様子を見せていた。

「二人はどう言った関係?」

 俺は恐る恐る聞いてみた。

「俺とあやめは家が隣同士の幼馴染ってやつ。ただ、こいつは昔から子供っぽくて俺からしたら妹みたいなものだけどな」

 島田の言葉に海野さんは顔を赤くして怒っていたが、俺にはその赤い理由が別の意味があるのだと悟った。ああ、俺今早くも失恋したのか。なんと無く、開花する前に無惨にも散った花を俺は思った。

             ・

 その夜、くるみはリビングでテレビを見てる俺の横に来て隣に座った。

「お前、あやめちゃんに気があるだろ?」

「なんのことだよ⁉︎」

「丸わかりだよ。けれど安心しな。あやめちゃんはあの子のこと好きだけどな。あの子はとてつもない鈍感だ。それでいてあやめちゃんは凄く奥手だ。二人が結ばれるのは今はまだ難しいよ。その間にお前に振り向くようにすればいい」

「なんだか略奪愛みたいだな」

「お前が男の方を好きならそうなるけれどな」

 なんとも反応しずらい言葉だな。でもくるみのおかげで少しだけ元気がもらえた気がした。

「ありがとな。おかげでバイトを辞める気を無くしたよ」

「お前、あんなことでバイト辞めようとしたのかよ」

 姉貴の憐れみの目は俺の視線には入る事はなかった。決して阿保らしくないと自分に言い聞かせた。

「辰巳、どうだった初バイトは?」

 するとそこで風呂から上がった姉の優子が話し掛けた。

 優子は俺の二つ上で、高三である。俺とくるみと優子は年子になる。

「普通だよ。特に何もなかった」

 俺の言葉にくるみはくすくすと笑っていたが、やがて大声で笑いやがった。

「くるみの反応を見るとなかなか面白いことがあったようだな」

「そうなんだよこいつったらな....おいやめろ!私に技を掛ける気か?そっちがその気なら」

 俺はとんでもない事を口走ろうとするくるみを押さえつけようとしたが、逆にやられてしまった。

 優子姉さんはそんな俺たちを微笑ましそうに見つめていた。

「まあ、なんにせよ頑張ってくれ。何事も続ける事は大事だから」

 優子姉さんはそのまま部屋を後にした。残ったのは喧嘩をしてる俺達だけ。

「おい、姉貴もう降参だ。これ以上喧嘩したら姉さん達や母さんや父さんに叱られる」

「それもそうだ。ただ、私はこれからもお前を見て楽しんでおくよ。どうなるかな」

 性格の悪い姉だ。俺はくるみをいつか見返すために今から海野さんお近づき計画を立てることにした。

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