第5話 道は続くよ、どこまでも
東の空は深い藍色からほのかなオレンジに染まり、夜明けが近いことを知らせていた。朝霧が森の木々を白く霞ませ、遠くで鳥のさえずりが微かに響く。草の露が朝日を反射し、キラキラと輝く。冷たい空気が頬を刺し、鼻腔に湿った土と草木の匂いが広がる。
ガルネア・エストラードの銀白の髪が夜風に靡き、黒銀の甲冑が朝焼けに鈍く光る。深紅のマントが軽やかに揺れ、彼女の足音は静かだが、確実に土を踏みしめる。堂々とした背中に、騎士の威厳が宿っている。腰の長剣と短剣がカチャリと鳴り、朝霧に小さな水滴が光る。
俺──ラーテル・マシロは、斜め後ろを歩く彼女の背を追いながら、つい揺れる胸に目がいく。慌てて視線を前に戻し、無言で森の小道を進む。
さっきの殺気は、まるで彼女の剣が鞘に収まったように落ち着いているが、緊張感が漂う。
「(…めっちゃ気まずいな、これ…)」
気まずさには慣れているが、この世界では慣れが通用しない。昨夜の黒呪獣との戦闘、身体の異常な力、ガルネアの登場──全部が頭の中でぐちゃぐちゃだ。
「(この世界、ほんと何が起こるかわかんねぇ…)」
森の空気はひんやりと冷たく、木々の間を抜ける風がローブを揺らす。
黒呪獣の赤い目や、骨が剥き出しの姿が脳裏をよぎり、身体がまだ熱を持っている気がする。この身体のバグった能力、リュミエの家での出来事、全部が現実とは思えない。
「…さっきの戦い、見てたんだろ?」
沈黙を破り、口を開く。
ガルネアとこれから関わるなら、距離を縮めとかないとキツい。彼女がチラッと振り返り、青灰色の瞳で俺を一瞥する。まるで心の底を見透かすような視線だ。
「あぁ、見た。だが、全てじゃない。気配を感じた時、お前はすでに動いていた。黒呪獣を相手に、よく生きていたな」
「そっか…どうだった? 僕の戦い」
しばし沈黙。彼女の足音と、朝霧を抜ける風の音だけが響く。
あ、この感じ、ダメだったパターンか。自分なりに頑張ったんだけどな。
「雑だ。だが、前に出る意思はあった。それだけでも、並の兵士より上だ。…まぁ、身体能力は認める」
「褒めてんのか、貶してんのかわかんないな…」
「…事実だ」
クールすぎる。だが、その真っ直ぐな物言いに惹かれる。嘘がない感じが、リュミエの幼馴染ってのに納得だ。真面目で、言葉に飾りがない。並の兵士より上ってことは、実力はあるってことか。褒められたと受け取っておこう。
「なぁ、ガルネア。リュミエとは昔からの付き合いなのか?」
ガルネアがリュミエの家に来た理由が気になる。知り合いの関係ならどんな関係か知りたい。
「あぁ…そうだな」
彼女の声が少し柔らかくなる。朝霧が甲冑に水滴をつけ、キラリと光る。
「幼馴染だ。元はセレヴィス王国直属の魔導小隊で同期だった」
その声には、懐かしむような響きがある。王国直属って、リュミエも相当な実力者だったのか。すげぇな。
「私が剣を学び始めた頃、彼女は魔導の才で王宮に出入りしていた。ずっと“遠く”にいた存在だ」
「いわゆる、エリートってやつか」
「そうだ。だが、孤独だった。外の魔導師が中心に立つと、嫉妬や妨害の的になる。それに、当時の王宮は純血を好む。エルフの彼女は、誰とも関わらないように振る舞い、やがて隊を降りた」
ガルネアの声が冷淡になる。リュミエがエルフ故に孤立していた過去。ガルネアの年齢はわからないが、エルフのリュミエからしたら昨日のような出来事なのかもしれない。王国との関わりがあったのも驚きだ。
「私ができたのは、彼女を信じることだけ。今もそれは変わらない」
その言葉は、剣のように芯が通っている。ガルネアの瞳に揺るぎない覚悟が宿る。幼馴染って、異世界でも特別な絆なんだな。
「(リュミエのこと、めっちゃ大事にしてるんだな…)」
「じゃあ…僕みたいな得体の知れない奴がリュミエの家にいるの、不安だった?」
「当然だ。黒鐘そっくりの格好に…何しろ、男に見えた。警戒するのは当然だ」
「いや、男ってわけじゃ──」
声を抑える。この身体が女だと説明しようとしたが、言葉を飲み込む。転生の話なんて信じてもらえない。いずれ女だとバレるだろうけど、今はまずい。
ガルネアは気にせず続ける。
「だが、お前の目は曇っていなかった。それに、黒鐘があんな魔物に苦戦するはずがない。その時点で剣を向ける理由はなくなっていた」
「悪かったな、苦戦してよ」
皮肉に苦笑い。確かに、黒呪獣との戦いはギリギリだった。この身体のバグった能力がなきゃ、死んでた。
ガルネアが足を止める。木々の隙間から、小屋の灯りがぼんやり見える。朝霧が薄れ、朝日が森を柔らかく照らし始める。
「…忠告しておく、ラーテル・マシロ」
彼女の声が、夜の冷気のように凛と響く。緊張感のある声に、俺は振り返り、鋭い瞳と向き合う。
「リュミエは王国にとっても…私にとっても重要な存在だ。守らねばならない。彼女に何かあれば、お前もただじゃ済まない。…それでも、彼女と一緒にいる気か?」
「わからない…けど──」
一緒にいたい。だが、リュミエに迷惑をかけるかもしれない。言葉を探し、深く息を吐く。リュミエの琥珀色の瞳、怒りながらも優しい笑顔が脳裏に浮かぶ。
「わからないからこそ、そばにいたい。この世界のこと、全部がわからない。でも、リュミエは助けてくれた。初めて僕を人として見てくれた」
ガルネアの瞳がわずかに揺れる。
「だから、今はそれで十分。恩返しや見返りなんて求めてない。ただ、リュミエの力になりたい。師匠も見つけてやりたいしな」
軽く微笑む。自分の言葉に驚く。現代の俺じゃ、こんな真っ直ぐなこと言えなかった。
朝風が吹き抜ける。沈黙の後、ガルネアが前を向く。
「…ふむ」
「ふむって何だよ」
「悪くないな」
そう言い、歩き出す。俺も後を追う。リュミエもガルネアも、素直じゃないな。でも、気が緩んだ。彼女の背中に安心感がある。さっきの殺気はもうない気がする。
「(守るにしろ、隠すにしろ…結構疲れるな)」
いずれ転生の話をしなきゃいけない。信じてくれるだろうか。人をあまり信用せず孤立して生きてきた俺は人を信頼することなんて勇気がいる。
リュミエやガルネアが女の子だったからまだ良かったが出会いが男だったら、もっと悲惨な末路を遂げていたんだろうな。
考えながら、ガルネアの後を歩く。
森を抜けるまで、ガルネアは無言。だが、険しい表情の裏で何か考えているようだ。深紅のマントが朝風に揺れ、銀白の髪が陽光にキラキラ輝く。
数分後、森を抜け、朝日が昇る。木々の間から柔らかな光が差し込み、草の露が光る。空は藍色から淡いオレンジに変わり、遠くの山々が朝霧に霞む。
「おぉ、もう朝か。魔獣退治、随分時間かけちゃったか…?」
「リュミエに許可は?」
「いや、ちょっと話しかけづらくてさ…」
昨夜、リュミエのプライベートな場面を覗いたことを思い出し、顔が熱くなる。あの小さな声、妙に耳に残ってる。
ガルネアは状況を察していない顔だが、俺はリュミエの反応を想像する。
家の苮葺き屋根が見える。だが──違和感。
「(…煙)」
煙突から上がる煙が妙に濃い。薪の匂いじゃない。焦げたような、怒りの気配が混じる。覚悟が必要だ。
「リュミエ、めっちゃ怒ってるな」
「ほう?」
ガルネアの口元がニヤリ。楽しんでんのかよ。
恐る恐る扉に近づき、そっと開ける。
──その瞬間。
「遅いわよ!!!」
ドン!
木のスプーンが額に直撃。痛みより驚きが勝る。硬い木の感触がジワッと響く。
「ちょっ!? いきなり何だよ!」
「“何だよ!?”じゃない!」
リュミエの琥珀色の瞳が怒りで燃えている。よく見ると、涙目っぽい。心配してたのだろうか。
腕をまくり、ズカズカ詰め寄ってくる。薄緑のローブの裾が揺れ、朝日が茶色の髪に反射してキラキラ光る。手に持ったスプーンが、まるで武器だ。
「どれだけ戻ってこなかったと思ってんの!? 朝、見たら消えてるから、魔物に食われたかと思ったわ!」
「いや、ちゃんと生きて──」
「黙って!」
バシッ!
肩を叩かれる。結構痛い。リュミエの細い腕からは想像できない力に後ずさり。ガルネアが咳払いをする。
「久しいな、リュミエ」
「あんたはタイミング良すぎなのよ! なんでこういう時に限って…」
リュミエが深いため息をつき、髪をかき上げる。鋭い瞳が揺れ、疲れた表情が覗く。部屋には薬草の匂いが漂い、机には魔導書や羊皮紙が散乱。壁の魔法陣が朝日に薄く光る。
「…マシロ、これ」
差し出されたのは、封書。王国の紋章が封蝋に刻まれ、赤い蝋が朝日に鈍く光る。見覚えのある筆跡に、俺は受け取る。
「これは?」
「夜中に私が王国の偉い人に送ったの。あんたが戻らない間に届いたものよ。全く迷惑かけて…」
リュミエの声を無視し、封を破り、読み上げる。丁寧な字だ。
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ラーテル・マシロ殿へ
セレヴィズ王国 騎士団長ガルネア・エストラードを、殿の保護および調査を目的として派遣する。
殿の魔素、実力、“発現の兆候”は、王都にて正式に査定されたい。
リュミエ殿の意見と推薦に基づき、この措置を取る。
セレヴィズ王国 第五魔術局執務長より
《印章:アヴィド・ローネル》
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読み終え、もう一度目を通す。“発現の兆候”? 査定って何だ? 昨夜、リュミエが転移魔法で送った手紙の返事だろう。
「なんだ、これ?」
「つまり、あんたは王国への入国を“強制的”に許可された。だから私の家にはもう住めないってこと」
リュミエがズバッと言い放つ。声に寂しさが滲む。
「なるほど…」
羊皮紙のざらついた感触が手に残る。
「私は師匠を探すために各地を回る。それに、“密偵”の任務も増えて、あんたを守りきれなくなったから」
「密偵?」
「魔術師兼密偵。王国の情報部に名義だけ所属してるの。表は薬師、裏は…まぁ、色々」
目線をそらし、耳がピクッと動く。可愛い。密偵って、華奢な見た目で想像つかない。
「だから、あんたを王都に預けるのがベスト。任せられるのは、ガルネアくらいしかいないし」
リュミエが自信満々にガルネアを見る。
「光栄だな」
ガルネアが涼しい顔で頷く。甲冑の隙間から覗く鎖骨が、朝日に白く輝く。
「で、どうすんの?」
リュミエの琥珀色の瞳が、心の底を探るように光る。少し黙り込み、考える。
「リュミエは…まぁ命の恩人だ。簡単に『はい』とも言えねぇ」
この小屋での短い時間、彼女の怒り、優しさ、寂しげな笑顔が胸に焼き付いている。別れるなんて、締め付けられる。
「でも、こうやって封印から戻ってきたなら──」
リュミエの声は静かだが、確かだ。
「王都は避けられないわよ。あそこには、あんたの悩みを解消してくれるはずよ。私の知人もいるし、生活は保証するわ」
「そうだな。世間知らずのお前には、行く価値がある」
ガルネアが皮肉っぽく呟く。口元に笑みが浮かぶが、目は温かい。
しばし沈黙。自分自身、黒鐘、リュミエの師匠──この世界に慣れ、謎を解くには行くしかない。リュミエの師匠を見つけるため、俺の正体を知るためにも。
小さく頷き、覚悟を決める。
「…わかった。セレヴィズ王国、行くよ」
リュミエが目を細める。少し寂しそう。だが、すぐに気を取り直したように声を張る。
「よし、決まったらあれね!」
家の奥へ駆け戻り、ドタバタと音を立てる。ブーツが土を蹴り、朝の光に埃が舞う。俺とガルネアは、元気だなと目配せする。
「王国に行くなら、これ、持ってきなさい」
差し出されたのは、革の鞄。受け取り、開けると、淡く光るペンダントと分厚い魔導書が入っている。
「ペンダントは光焔の刻印。闇の魔力を無効化したり、精神を浄化する、すごいやつよ。魔導書っぽいのは、私の私記。師匠がいた頃のメモや情報が詰まってる。暇な時に見たり、覚えたりしたらいいわ」
ペンダントを手に取ると、淡い光が指先に温かく広がる。心のざわめきを鎮める感覚。
魔導書を開くと、リュミエの几帳面で丸い字が並ぶ。小さな花のイラストやメモが挟まり、彼女の可愛らしさが垣間見える。
「っ…とにかく!」
リュミエが顔を赤らめ、魔導書をバンッと閉じる。耳がピクピク動いてる。
「これから何するかわからないけど、一応、黒鐘との関係は除外するわ!」
「あ、あぁ…改めて、ありがとな」
心から感謝し、深くお辞儀する。だが、リュミエはまた怒鳴る。夜中に勝手に出たのがよっぽど気に入らなかったらしい。
「感謝は黒鐘を突き止めてからにして! まだ“一応”なんだから、調子に乗るな!」
「そうだよな…肝に銘じるよ…」
母親に説教された気分。リュミエの勢い、嫌いじゃない。
「さっさと乗れ。行くぞ」
ガルネアは邪魔したくないのか、馬車の準備を済ませていた。馬車の側には、魔法で動く無骨な木馬が二頭。カタカタと動く姿に、魔法の技術に感心する。
馬車の方向へ行き、振り返り、手を振る。
「じゃあ! 行ってくる、リュミエ!」
「はいはい…! 早く行きなさい!」
余裕ぶってるけど、リュミエの声に寂しさが滲む。琥珀色の瞳が、朝日に濡れてキラキラ光る。
正直、名残惜しい。この小屋での短い時間、彼女の怒り、笑顔、薬草の香り、すべてが胸に刻まれている。
馬車に乗る。リュミエが手を振るから、俺も振り返す。彼女の姿が小さくなるまで、窓から見つめ続けた。
たった1日でこれだけの仲になれた自分を褒めたい。
数分後、馬車に揺られ、小屋から離れる。森の道を進む中、朝霧が漂い、草の匂いが鼻をくすぐる。木馬がカタカタと音を立て、車輪が土を軋ませる。
「(魔法、すげぇな。器用なこともできるとは…)」
幌の内側は意外と広い。木の内装に革のシートが張られ、二人で向かい合って座るのに十分。
荷物はリュミエの鞄、ペンダント、魔導書、干し肉、硬いパン。簡素だが、旅の始まりらしい雰囲気だ。
だが、俯く。リュミエの寂しそうな顔が頭から離れない。ガルネアがからかうように言う。
「…名残惜しそうだな。リュミエのこと、好きなのか?」
「いやいやいや! 僕、女だよ!? リュミエが可愛いのは認めるけど…!」
慌てて否定。ガルネアの口がポカンと開く。失言に冷や汗。隠し事なんてするんじゃなかった。
「貴様…女だったのか?」
「(やばい…バレちまう…)」
転生の話は無理だ。どう説明すりゃいい?
ガルネアが俺をジロジロ見る。やがて口角が上がる。
「…くっ」
顔を隠して、大きな声ではないが小さくクスクス笑ってる。そんなに笑えるかよ、可哀想だろこの身体が。
だが、話を切り出せるチャンスだ。
「お、おい! 胸が小さいからって、男に間違われる気持ち、考えてみろ!」
「すまない、あまりにも男装が上手すぎて…ぷっ」
この身体の主が蘇ったら、土下座だな。勝手に身体を使ってこんなことしてるんだから。
「本当に…すまない。そうだな。格好だと、黒鐘と間違われやすい。これ、着てみたらどうだ」
ガルネアが笑いを堪え、棚から藍色のローブと灰色で長袖の革ジャケット、ゆったりした黒の革ズボンを取り出す。
ローブは銀糸で王国の紋章らしいものが刺繍され、防風加工が施されている。滑らかで、軽いのにしっかりした重み。
ジャケットも軽く、いかにもファンタジー的なジャケット。革ズボンも軽くて動きやすそうだ。
「騎士団の準礼装だ。男性用なのはすまないが、サイズは合うはず」
手触りと重みで、ただの服じゃないとわかる。戦う者の誓いを宿した布。紋章が朝日に光る。ガルネアの甲冑ほどゴツくないが、黒服より雰囲気に合う。
「女だろうと関係ない。お前は私の護衛対象であり、王国に招かれた者だ。それに相応しい姿でいたほうが敬意もある」
ガルネアの瞳に、嘘を許さない覚悟と温かみが混じる。
ローブやジャケット、スボンを受け取り、じっと見つめる。本格的だ。否定できない。
「ありがとな。後…着替えるから、後ろ向いててくれ」
「ぷっ…あぁ、当然だ。騎士団の誇りを疑うな」
また笑いやがった。まぁ、慣れてる。
布の仕切りで着替える。
藍色のローブは軽くて暖かく、動きやすい。フード付きで顔も隠せる。身体にフィットし、王国の技術がすごい。ジャケットもいい感じにフィットしてるし、ズボンもそこまで気にならない程の軽さだ。
ポケットに入っていたナイフをすかさずジャケットの右ポケットへと入れる。
「よし、着た…いい感じだ」
「ふむ、悪くない。似合っている。ペンダントも表に出しておけ、身分証代わりになる」
鞄からペンダントを出し、首にかける。淡い光が胸元で揺れ、温もりが心を落ち着かせる。無くしたら高そうだし、リュミエにも悪い。落とさないようにしよう。
「…なんか、急に本格的だな」
「当然だ。ここから先は、旅ではない。貴様が歩くべき“道”だ」
その言葉が胸に刺さる。何が待っているかわからない。リュミエの言葉を信じて進むしかない。
馬車が森を抜け、開けた高台へ。霧の草原が広がり、遠くに白い城壁が見える。セレヴィズ王国の外郭だ。巨大な石壁が朝日に照らされ、荘厳な輝きを放つ。
「…で…でっけぇ…!」
「外壁にすぎない。中には三つの環状都市と王都。中心に、魔術院と王宮がある」
「そこに、僕が行くのか」
「そうだ。まずは手紙の送り主に会わないと話が進まない」
風が吹く。ペンダントの光が強まる。馬車の窓から外を眺める。霧が晴れ、草原の向こうに城壁がそびえる。遠くの山々が朝日に染まる。
リュミエの私記を手に取る。ページをめくると、彼女の字がぎっしり。魔法の理論、クラリスの記録、七素聖団の記述。『師匠、どこにいるの?』と走り書きされたメモに、胸が締め付けられる。
「(リュミエ、師匠のこと、めっちゃ大事にしてるんだな…)」
ガルネアが私記を見て、静かに言う。
「リュミエの師匠、クラリスは、七素聖団の中でも特別な存在だった。風の魔法を極め、黒鐘の主要者と戦った数少ない人物だ。だが、その戦いで何かを失った…リュミエはそれを追い続けている」
「それで、密偵なんてやってるのか」
「ふむ。彼女の目的は師匠を見つけることだけではない。この世界の闇──黒鐘やヴェノシアの動きを止めることだ。お前も、その一部に巻き込まれる可能性もある」
「巻き込まれてるって…僕、ただの転──いや、封印から目覚めただけなのに」
危ねぇ、転生って言いそうになった。ガルネアが怪訝な顔で見る。
「いや、なんでもない!とにかく、王都で何が待ってるんだ?」
話を逸らす。ガルネアは疑うような目をするが、窓の方向へ顔を向け説明する。
「第五魔術局の執務長、アヴィド・ローネル。彼はお前の“発現の兆候”を確かめたいと言っている。魔素、魔力の流れ…お前の全てを査定するだろう」
「査定って…なんか怖ぇな」
「恐れるな。リュミエが推薦したのだ。少なくとも、敵視されることはない」
ガルネアの言葉に少し安心。だが、胸の奥の不安は消えない。この身体の過去、黒鐘──巻き込まれるのなら俺だけでいいし、単独行動も必要だ。
なら、まずは情報収集にリュミエの私記の暗記に自分自身の解読、いや魂神のことも…やることが多すぎて、頭がどうかなってしまいそうだ。
馬車が草原を進む。城壁が近づき、門の輪郭が見える。石造りの塔がそびえ、旗が風に揺れる。
ここから、俺の物語が始まる。
そして──進むべき道はまだ始まったばかりだ。
お読み頂きありがとうございます。
次章はセレヴィズ王国編の方がいいのかそれともまた別の名がいいのか悩ましいところではあります。
何はともあれ、ここまでお読み頂きありがとうございます。
次章の終わりでまた会いましょう。




