第4話 初戦の危険と女性騎士
慣れない乾燥パンと木の実をかじり、リュミエに「さっさと寝なさい…!」と怒鳴られたラーテル・マシロ──俺は、客部屋の簡素なベッドに横になっていた。
石造りの家は、廃墟のような外観とは裏腹に、どこか落ち着く。まるで実家の押入れに忍び込んだ時のような、懐かしい安心感。風が屋根の隙間を抜け、囁くような音を立てる。月明かりが埃っぽい窓から差し込み、木の床に青白い光を投げかける。
部屋の隅には古びた木箱や毛織りのカーテンが揺れ、壁には魔法陣のような模様が薄く刻まれている。薬草のほのかな香りと、薪の焦げた匂いが混じる。
服も体もあちこち汚れていたので、リュミエに懇願して風呂を用意してもらった。湯気立ち込める木の桶に浸かりながら、この借り物の身体を改めて確認した。白い肌、細い腕、爪まで整った手。決してやましいことはしていない。ただ、感嘆しただけだ。
「(この身体、めっちゃ綺麗だな…何とは言わねぇけど、最高だ)」
服はリュミエの水魔法で洗ってもらい、風魔法と火魔法の熱風で乾かしてもらった。リュミエの服を借りるのは断られた。残念。
そんなことをベッドで思い返しながら、硬い毛布にくるまる。だが、ふと疑問が浮かぶ。この世界の時間って、現代と同じ24時間制なんだろうか? 部屋に時計もカレンダーもない。リュミエは感覚で時間を読んでるのか? 謎が深まる中、目を閉じ、眠りにつこうとした。
──夜が深まっていた。
だが、眠れない。
布団の中でゴロゴロしながら、険しい顔で天井を見つめる。瞼を閉じても、頭が冴えて仕方ない。
「(眠れねぇ…!)」
瞼がぱっちりと開く。
魔力、黒鐘の疑念、異世界、この身体の異常な力。情報ゼロの状態で、圧倒的な現実が脳を殴り続ける。生前の常識はまるで通用しない。
それに、寝ろと言われても無理がある。
疲労感がまるでない。
この身体、走り回り、頭をフル回転させても、眠気も疲れもない。人間じゃないのは承知の上だが、眠れないのは困る。呪いか、体質か。どちらにせよ、厄介だ。
眠れないなら動くしかない。リュミエも心配だ。
「(リュミエは……もう寝たのか?)」
魔法使いでも睡眠は必要だろ。エルフでも人間っぽいし。この世界の定義はわからないが、リュミエはどこまでいっても少女に見える。
そっと毛布を払い、ベッドから起き上がる。木の床が冷たく、足裏にひんやりとした感触が伝わる。
客室の扉を軋ませないよう静かに開け、廊下に出る。
狭い家だが、薄暗い廊下には古いランプが揺れ、壁に彫られた魔法陣が微かに光る。薬草と埃の匂いが鼻をつく。
リュミエの部屋の扉へ忍び足で近づき、薄く開いた隙間からそっと中を覗く。
──いた。
部屋は魔法使いらしい雰囲気そのもの。
木製の本棚には革装の魔導書や羊皮紙がぎっしり詰まり、棚の隙間には小さな水晶や魔石が並ぶ。床には円形の魔法陣が刻まれ、薄い光を放っている。
机にはインク瓶、羽ペン、地図、散乱した紙片。壁には乾燥した薬草の束や、錆びた短剣が飾られている。窓から差し込む月光が、部屋を青白く染め、埃が舞うのが見える。整理整頓された、女の子らしい清潔感のある空間だ。
リュミエは布団で寝ておらず、椅子に腰かけ、小さな木の机に何かを広げていた。揺れる灯火が彼女の横顔を照らし、茶色の髪が柔らかく揺れる。鋭い琥珀色の瞳が、集中した表情で何かを凝視している。薄緑のソフトキャップは脱ぎ、髪が肩に流れている。
「(あれは、本と手紙っぽいな…)」
目を凝らすと、彼女が手に持つのは古びた羊皮紙。隣には分厚い魔導書が開かれ、呪文らしき言葉を小さく唱えている。
「(クラリスに送る手紙か…?)」
そんな考えを浮かべていると、羊皮紙がふわりと光を放ち、瞬時に消えた。魔法だ。紙が消えるなんて、マジックショーでも見たことない。
「(転移魔法!? 風魔法だけじゃなくそんなこともできるのか…すげぇ、俺もやってみてぇ!)」
魔法を使える喜びに一瞬ウキウキしたが、すぐにリュミエに動きがあった。彼女は魔導書を本棚にしまい、背伸びをしてベッドに座る。そして、ふと手を下半身に伸ばし──女の子が出してはいけない小さな声を漏らした。
「(……!?)」
慌てて扉を音もなく閉じる。数歩離れ、背を壁に密着させ、ゆっくり部屋から離れる。
「(ここから先はリュミエのプライベートだろ…見たいけど、見なかったことにしよう…)」
鼻の下を伸ばしながら、玄関へ向かう。
生前、母親に部屋を覗かれた時の気まずさを思い出し、冷や汗が流れる。リュミエも彼女なりに頑張ってる。俺も、なんとかしなきゃ。
黒い革靴を履き、玄関ドアをゆっくり開け、静かに閉めて小屋を出る。
夜風が頬を撫で、空には巨大な月が輝き、森の向こうに青白い光を投げかける。星々が宝石のように瞬き、現代では見られない美しさだ。
「(近くでやると迷惑か……少し離れた場所で試すか)」
家から離れ、リュミエと駆け巡った森へ歩く。木々の間を抜け、小高い岩場にたどり着く。街道から外れた場所で、敵の目も届かない。月明かりが岩を銀色に照らし、草の匂いが鼻をくすぐる。
「……よし、ここら辺でいいか」
何をするのか。
この身体の能力を確かめるのだ。まだ自分の“本気”がわからない。強すぎれば相手を殺してしまうかもしれないし、弱すぎれば自分がやられる。加減を知るため、試す必要がある。
深く息を吸い、地面を踏みしめる。
「まずは…ジャンプから!」
地を蹴る。草が飛び散り、視界が一気に上昇。跳んだ──いや、跳躍した。
20メートル以上は飛んだだろう。木の枝を軽く超え、空高く舞い上がる。空中でバク転し、重力を無視するようにふわりと浮く。木々が一面に見え、月の光が森を銀色に染める。
「あっぶな! うわっ、高っ!」
予想以上の跳躍力に背筋が凍る。着地は驚くほど静かで、地面が体重を吸い込むような感覚。痛みもない。人間のジャンプじゃない。
「マジでバグってんだろ、これ…」
次は拳の力だ。
生前、人を殴ったことなんてない。母子家庭で育ち、喧嘩は避けてきた。だが、この身体なら…。
近くの太い木の幹に近づき、軽く拳を叩きつける。
木は少し揺れただけ。
「流石に力は少女並みか? 筋肉もそんなにないし、こんなもんか」
異世界転生なら全ステータスが化け物級でもいいだろと期待したが、現実は甘くない。この世界で過ごせば、そのうちわかるさ。
「身体は軽いし、スピードは出る。猫みたいな感覚だな。パワーは鍛えるとして、問題は魔法だな」
リュミエに「魔素の流れも、魔力の質も異質」と言われたことを思い出す。魔素はわからんが、魔力が異質なら、イメージすれば魔法が使えるかも?
手を広げ、火の玉をイメージする。
「…っ!」
何も起こらない。手を下げ、再び試す。何度も何度も。
だが、炎のかけらも生まれない。第三者から見たら、ただ手を振り回すヤバい奴だ。仲間外れは慣れてるが、この世界でもそうなるのは寂しい。
「はぁ…」
溜息が漏れる。期待と失望が胸でぐるぐる回る。跳躍力は人間離れしてるのに、魔法はダメ。能力の輪郭すら掴めない。
地面に寝そべり、空を見上げる。星が今にも落ちてきそうに近く、月の光が草を銀色に染める。
「(俺って…何なんだよ)」
口に出すには重すぎる疑問。自分を見つけるのは難しい。生前も見つけられなかったのに、この身体の秘密を知る必要なんてあるのか?
第二の人生なんだ。リュミエと過ごし、彼女の手伝いをして、気楽に生きればいい。
「この人生ぐらい…辛い思いしたくねぇな…」
過去を振り返り、避けたい思いが混じる。願望か。そのまま沈黙が続く。
森は静まり返っている。だが、ただの静寂じゃない。張り詰めた気配がある。
背筋がぞわりと震えた。
茂みがザワッと揺れ、風のせいじゃない。何かが動いている。魔獣か? 兵士か?
「…誰か、いるか?」
返事はない。だが、視線がある。獲物を見るような視線。昔から視線には敏感だった。本能が警鐘を鳴らす。
慌てて起き上がり、姿勢を低くし、息を殺して周りを探る。
草を踏む音──複数だ。四方から気配が迫る。
「うげ…マジかよ…!」
咄嗟に岩陰に身を隠す。逃げ道はない。リュミエに助けを求めるのは情けないし、遠い。
風がざわりと音を立て、月明かりが雲に隠れ、一瞬あたりが真っ暗になる。闇の中、ぬらりとした気配がそばを通り過ぎる。
──次の瞬間、頭上から何かが飛びかかってきた。
「──っ!」
反射的に身を翻し、背後に跳ぶ。
重たい空気を切り裂いて落ちてきたのは、黒い異形の魔獣だった。
狼のようで、狼ではない。骨が剥き出しで、口から黒い液体を垂らし、目は赤く光る。ホラーゲームのクリーチャーそのもの。体毛はなく、皮膚はぬめり、牙が月光に輝く。
魔獣が唸り声を上げ続ける。逃げたかったが遅い。魔獣が再び襲いかかる。
「(…やるしかないのか!)」
覚悟を決め、初めての討伐へ突っ込む。逃げられないと直感した。
腕を前に出し、突き飛ばすように掌を突き出す。
ドッ!
「ぐっ、ぅああ!」
強烈な衝撃が走る。なぜか痛みを感じる。だが、手から“何か”が発された。風のような、圧力のような無形の力が、魔獣を吹き飛ばす。獣は数メートル後方に転がり、木の幹にぶつかり、呻いて動かなくなる。
「(……今の、魔法か?)」
手を見つめる。傷はない。魔獣と接触したわけじゃない。風のような何かが拳を中心に放たれた。
「よし……!」
1体を倒し、気が緩みそうになるが、まだ終わっていない。残り3体が、岩の裏や木陰からじわじわと包囲してくる。知能があるのか、正面から来ない。
「(考えろ……!)」
目を閉じ、風の流れを感じるイメージを掴む。さっきの感覚──内側と外の世界を繋げるイメージに集中する。「(風を起こす感覚…)」と繰り返し、感覚を掴む。
地面の草が俺を中心に波打ち、葉が舞い、前方の魔獣が突風に押されてよろめく。地を蹴り、一気に間合いを詰め、右ストレートが魔獣の顔面に叩き込まれる。
「よしっ…! あと2体…!」
2体目が吹き飛び、木々に当たりながら転がる。喜びも束の間、背後から圧力が迫る。
「(来るっ…!)」
直感を信じ、半回転し、左肘を打ち込む。だが、魔獣が動きを読み、体を沈めて回避。鋭い爪が胸元をかすめる。
「(貧乳でよかった! ごめん、この身体の主!)」
謝りながら、膝を高く振り上げ、魔獣の顎に叩き込む。骨が砕ける音が響き、魔獣が宙を舞いながら吹き飛ぶ。思った通りに動く身体に、清々しい気分だ。
最後の魔獣に目を合わせる。だが、異様な動きを見せる。吠えながら、全身から黒い霧を纏い始めた。
「(…ヤバい)」
直感でわかる。あれはただの魔獣じゃない。強化された何か。ゲームなら、モブ敵が最後に覚醒するパターンだ。
「ふざけんな…こっちは初心者なんだ、こんな所で傷つけて帰るわけにはいかねぇんだよ…!」
リュミエに無断で出て、傷ついて帰ったら怒られる。逃げる選択肢はない。痛みも傷もない。この身体のタフさに感謝し、ローブのポケットからナイフを一本取り出し、構える。
呼吸を深く。心臓の鼓動を感じる。
ズドン!
魔獣が地を蹴って向かってくる。爪をギリギリ右に身体を捻って避け、手を突き出し、ナイフで腹をグサッと刺す。黒い霧が弾け、魔獣がナイフごと吹き飛び、森の中に転がる。
「っは、はぁ…!」
まだ侮れない。安否確認のため、トドメを刺した魔獣に近づき、指先でツンツンと触れる。動かないことを確認し、ナイフを抜き、座り込む。疲れてはいないが、初めての戦闘に息が荒い。
「(やった…初めて、自分の力で…)」
剣道部の基礎とこの身体のおかげだ。過去の自分に感謝。
心の中で歓喜に浸るも、森の奥から別の音が響く。
葉を踏む音。謎の圧迫感。地響きのような振動。空気が震え、草が揺れ、木々がざわつく。背筋に凍るような圧が走る。
「(まだ来るのか……?)」
ナイフを握りしめ、いつでも動けるように立ち上がる。暗視効果の目で、音の方向をじっと見る。鼓動が耳を打つ。闇の中、ゆっくりと何かが歩いてくる。足音は一つ。重厚で、静かで、空気を引き裂く感覚。
木々の間から、銀色の光が差した。
銀白の長髪を後ろで軽く編み込み、黒銀の甲冑を身に纏い、腰には長剣と短剣を佩いた人物。深紅のマントが風に靡く。兜は脱ぎ、銀白の髪が月光にきらめく。青灰色の鋭い目が俺を射抜く。胸が大きい、推定Hカップか?明らかに女性だ。
「貴様、何者だ? 黒鐘か…?」
低く、凛とした声が響く。この身体の声よりは高めだが、威圧感がすごい。戦えば圧倒されると直感する。
「(こいつ、やばい…)」
皮膚がぴりぴりと痺れる。抵抗すれば即殺される感覚。数歩後退し、胸から目を背け、ナイフをそっとポケットにしまい、戦う意思がないことを示す。背が木の幹にぶつかる。
「言葉が通じるのか? ならもう一度聞こう。名を名乗れ。更に…貴様、黒鐘と関係を持っているのか? その格好…忘れたくもない。そして、ここで魔物の死骸と一緒に立つ理由を──答えられないなら…」
彼女の手が剣の柄に触れる。殺気が風を裂く。斬る気だ。
「──斬る」
予想通り、彼女は見えない速さで剣を抜き、横に斬る。俺は反射神経で下に避ける。斬られた木々が次々と真っ二つになり、ドコドコッと倒れる。
「ま、待て! 落ち着いてくれ! 敵でもないし、黒鐘でもない、僕は…!」
両手を上げ、慌てて叫ぶ。命乞いかもしれないが、会話が優先だ。リュミエみたいに話を聞いてくれるかもと期待した。
彼女の殺気がわずかに和らぎ、剣を振るう手が止まる。
「…ほう、言葉は通じるようだな。何者だ」
「僕はラーテル・マシロ…最近封印から解かれた者で。信じられないかもしれないが…魔獣に襲われて応戦しただけだ」
彼女はジッと俺を見つめ、中身を透かすような視線を向ける。怯まず目を見返す。この名前以外で後戻りできないのが、なんか悲しい。
「ラーテル…その名、どこかで…」
眉を寄せ、小さく首を振る。
「何者であれ…魔獣を単独で4体、しかも黒呪獣まで倒した実力は本物のようだ」
褒められて少し気を緩める。だが、黒呪獣の名にゾッとする。
「…"黒呪獣"?」
彼女は黒い魔獣の死骸を鋭い目で見つめ、説明する。
「呪いを受けた魔獣の上位個体。傷を受ければ、半月は治らない致命傷を負う。通常の兵では太刀打ちできない…よく傷一つなく生きていたな」
背中に汗が流れる。あれ、ガチでヤバい奴だったのか。苦戦したが、傷がないのはこの身体と判断力のおかげだ。自分を見直す。
彼女は視線を逸らし、魔獣の状態を確認する。その隙に彼女の容姿を観察。銀白の髪、青灰色の瞳、黒銀の甲冑。最初の兵士に似てるが、別格の威圧感。
「えっと…どこかの王国の兵士…ですか?」
敬語で聞いてしまう。初対面は敬語が安全だと本能が悟った。斬られたらたまらない。
彼女は警戒を解かず、淡々と自己紹介する。
「あぁ…紹介が遅れたな。私はセレヴィズ王国・親衛騎士団長、ガルネア・エストラードだ」
名前までかっこいい。親衛騎士団長って、王族を守るエリートだろ。羨ましい。
だが、俺を捕える目的なら、逃げたい。逃げても追いつかれそうだが。
「えっと…じゃあ、ガルネアさんは何故こんな所に?」
「私は近くの家の主に用があってな。馬車で向かっていたが、騒音を聞き、馬車を置いて調べに来たら…貴様と魔獣の死骸がいた」
納得。騒がしすぎたか。ガルネアでよかった。リュミエだったら怒られてた。
だが、「近くの家」がリュミエの家かも。賭けに出る。
「その、近くの家って…もしかして、リュミエ・アルセリナって人の家だったりする?」
ガルネアの目が見開き、俺をジロジロ見る。予想的中。緊張が少し解ける。
「…なるほど。あのリュミエが、他人を“家”に招くとは…ますます貴様の正体に興味が湧いた」
口元を緩め、警戒が和らぎ、剣を鞘に納める。俺は安堵のため息を吐く。
「その様子では、今宵は敵ではなさそうだ。どうだ、お前も一緒に戻らないか? 私もそこに用がある」
「ふぅ…了解了解、案内するよ。それに、俺もそろそろ戻らないとな」
魔獣の死骸が残る夜の森に、風が吹き抜ける。月が陰り、空がわずかに明るくなり始める。
こうして、騎士団長ガルネアとの出会いは、不穏な始まりの中にあった。




