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【アップ】男山教会2022年5月22日礼拝説教/『思記』〜「使徒の記」より

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(不思議のパルプンテ)

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782



【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪


※過去にアップしたものを再アップしております^^



【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=0JIEn5V_HZs&feature=youtu.be


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12745916049.html

(ブログを見てくださると聖書を閲覧できます)


子ども説教 主題と暗唱聖句


イエスさまは、ペトロ(ペテロ)に答えて、みことばのうえに、ご自身の教会を建てられることを約束された「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」

マタイによる福音書16章18節[新改訳2017]


前奏

招詞

ヨハネの黙示録19章5~8節

詩 編 歌

119番(36節)

開 会 祈祷

主 の 祈り

十戒・祈祷

子ども説教

マタイによる福音書16章18節

こどもさんびか

イエスさまがきょうかいを[改118(1節)]

牧 会 祈祷

聖書

使徒言行録12章1~5節(新P236)

詩編20編2~10節(旧P851)

説教

「神にささげられた熱心な祈り

~苦難の中での執り成し」

宮武輝彦

祈 祷

讃 美 歌

217番下(1節)

みことばの交読文

ヘブライ7章21~25節

感謝のささげもの・祈祷

頌 栄

546番

祝 祷

執り成しの祈祷

報 告


讃美歌~♬


217番

https://www.youtube.com/watch?v=4w-hL59XFlE


1

天つ真清水ましみず流れきて

あまねく世をぞ うるおせる

ながく渇きし わが魂も

汲みて命に かえりけり

2

天つ真清水ましみず 飲むままに

渇きをしらぬ 身となりぬ

つきぬ恵みは 心のうちに

いずみとなりて 湧きあふる

3

天つ真清水ましみず受けずして

罪に枯れたる ひとくさの

さかえの花は いかで咲くべき

そそげ命の 真清水ましみず


2022年5月22日 礼拝説教 中心聖句


こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。

使徒言行録12章5節


今、わたしは知った 主は油注がれた方に勝利を授け 聖なる天から彼に答えて 右の御手による救いの力を示されることを。…主よ、王に勝利を与え…てください。

詩編20編7,10節


はじめに

今日、世界的な、疫病禍、戦禍、災禍の中で、教会の祈りに導かれたい。

「そのころ(その当時)、ヘロデ王は教会のある人々に迫害(悪)の手を伸ばし、ヨハネの兄弟(兄)ヤコブを剣で殺した。」「ヘロデ王」は、「ヘロデ・アグリッパ1世」(B.C.10~A.D.44)のこと。先の「飢饉」は、ヘロデ王の死の3年後。使徒言行録は必ずしも時間の順序で物事を書き起こしているのではなく、一つ一つの出来事をまとめて書きながら、一つのメッセージが伝えられる。事柄の主眼点は、「ナザレの人イエス」こそ、神の約束の救い主、「キリスト」であることが宣べ伝えられていく中で、日々、御言葉の支配が広がってく中で、神とキリストの教会が広がっていくこと。使徒言行録は、ドミティアヌス帝の迫害の時代にルカにより書かれた。ヨハネの黙示録も、その頃に流刑地から使徒ヨハネによって書かれた。「そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て」とは、親ローマのヘロデ王が、人の歓心を買うため、ローマの支配に不服で、キリスト者を蔑視迫害する、ユダヤ人を満足させるために、ヨハネの兄弟ヤコブを殺害したことを証言する。説教時にステファノを石で打ち殺した最高法院同様、本当の正義は失われ、悪の支配が大手を振るう。

「更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。」ペトロは、ヨハネとともに、午後三時の祈りの時に神殿に上って行き、生まれながら足の不自由な人を、「ナザレの人イエス・キリストの名によって」立ち上がらせ、最高法院でこの御方を証した(3,4章)。ユダヤ人を通じてヘロデ王にとって恰好の餌食。ヘロデ王は、除酵祭と重なる「過越祭の後で民衆の前に引き出すつもり」であったから。イエスの受難の時も、「過越祭と除酵祭の二日前」(マルコ14章1節)、「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日」(マルコ14章12節)、「過越の食事をした」(マルコ14章16節)と証された時。「ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた」。ヘロデはユダヤ人の祭りの時を避けて、ペトロを牢に入れ、衆目に晒す仕方で、殺害を正当化する裁判にかけようと企てた。

「こうして(結果本当に)、ペトロは牢に入れられていた(収監された)」とは、ペトロはそのとおり牢に監禁された事実の証言。「(しかし、)教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」とは、神の霊の支配の中で、「教会によって」、止むことのない、絶えざる祈りが、まことの神に向かって祈りの心と手がひろげられていたこと。先にペトロとヨハネが釈放された時、「これを聞いた人たちは心を一つにして、神に向かって声をあげて」「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方」「なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、諸国の民はむなしいことを企てるのか。地上の王たちはこぞって立ち上がり、指導者たちは団結して、主とそのメシア(キリスト)に逆らう」と、聖霊に満たされ、大胆に御言葉を語ることを求めて、祈りをささげた(使徒4章23~31節)。

おわりに

「主よ、助けてください。主よ、われらが呼ぶとき、答えたもう方よ」(詩編20編10節別訳)と祈る時、苦難の中で、悪しき権力者の手による、不当な仕打ちの中でも、教会の祈りは、ただ、主の助けと、主の正義が実現することに向かう。


〜思記〜『使徒の記』より




画像

世界地図・地球儀を見る時、アメリカ合衆国とイギリスやアフリカ大陸との近さ、詰り北太西洋の広さが良く解らないのだ。どうしても平面図で真横に行ってしまうから、イギリスとアメリカは膨大な広さで離れて居る、と見てしまう。けれど裏を返せば、地球は球体であるから、逆回りをすれば思いっきりアメリカとイギリスは近付くのではないか?そうとも見て取れる。そう成るとロシアとアメリカも近いものと成る。北大西洋の上空を飛び越えれば良いのだから。この辺が昔からよく解らなかった。実際、調べて見なければ、体験して飛行して見なければ、解らないものかも知れないのである。こうして置く。


俺はその昔、イギリスからアメリカへ渡る時、アジアを飛び越えて遥々やって来るものだと考えて居た。だから「ドンダケ遠いんだ!ドンダケ距離がある!?大変だなぁ」等と思って居たのだ。違うんだ。北大西洋を渡ると早い。そっちの方が近いのである。おそらくイギリス人は皆、ここを通ってアメリカに渡って居たのだろう。


知識人はよく「それから」という言葉を遣う。


『夢時代』を執筆し始めてもう十年に成る。いやそれ以上に成るのか。よく「十年懸けて書かれた大作」と言うものが在るが、本当に知らない内にそう成って居た。俺の内に於いてこの『夢時代』はやはり大作である。それだけの時間と労力を懸けて来て、また夜に見る夢を一つ一つ記録し続けて来て、それを土台にした上での作品だから、二度同じ物を書けないからだ。まぁ作品とは大抵二度同じ物は書けない、そう成る筈なのだが。『夢時代』の構想は、「〜(ないし)」を付したあの形で一つ一つの作品が全て繋がって居り、その中にオムニバス形式でいろんなタイトルの作品を詰め込んでは居るが、『夢時代』はそれ一つで一つの作品である。詰り俺の作品には、この『夢時代』と『思記』の二つが大別して在り、その他に単発的な物として、或いは企画的な物としても、幾つかの作品やシリーズ作品等が含まれて来る。『(母の使って居た)聖書に記した我が記録』や『知言の追抄』等はその内のシリーズ物に含まれ、他にサイドビジネスで書いた作品や十代から二十代迄の記録やその頃に書いた単発作品、それ等は文字通り、単発作品として含まれて来る(二〇二二年五月三〇日《一六時二五分》記)。


子供の頃はみんなで仲間に成れる。そして人生を冒険するのだ。そう、少年の頃は冒険する勇者である。ドラクエが流行るのも解る気がする。


作品でもレベルが高いと、駄作と言われる。


素晴らしい。過去に生きた人の言葉を聴いて居る。俺が生まれる以前に生きた人の言葉を聴いて居る。素晴らしい。俺が生れる以前に世界は在ったのだ。人間が居たのだ。これは当り前や常識と言う言葉に収まらない感動である。まるで衝動である。一個の人間がその様な知識を得、この様に語れるのである。その経験を知る事そのものが奇跡に在り矢張り感動に在る。記録とは、矢張り感動を齎すものだ。大事にしたい。


太宰治や三島由紀夫のドキュメンタリー番組等をユーチューブでよく見るが、そこで当時の証言をして居る人達が沢山登場し、当時の事を如実に物語って居る。それを見て思うのは、本当にみんなよく覚えてるなぁと言う事だ。俺なんか昨日の事も忘れて居る。直ぐに忘れるのであり、そんな何十年前の事を具に思い出し、それを語る等、殆ど出来ない事だ。事前に調べても居るのだろうか。記憶違いと言うものもある。確かにインパクトの強い思い出なら多少は思い出す事が出来るが、それでも記憶違いにより他の記憶とごっちゃになって、間違った事を語る。そんな事も今まで沢山あった。


人前で自分の作品の解説をしたくない。出来ない処が在る。億劫なのだ。対人であれば座談程度にその辺りの事は済ませよう。


絶筆、未完、この様な形でこの世を去った作家達が居る。さっき俺は『夢時代』を書きながら途中で筆を止め、その有り様を見た。「人街まち…」読点のすぐ後にこの文字を書き、暫く眺めた。もし絶筆或いは断筆、未完の形でこの世を去ったなら、これ以降の文字も文章も表れない。しかし俺はそれから書き出した。そこに生きながらにして、奇跡を見た気がした。


俺は人前では本音を言えないものか。話し言葉では本音を語れない。語り尽せない。だから作品に書くのである。この独房でしか、その本音を語り続ける事が出来ないのである。そのように信じる理想も在る。


結局、自殺するような作品を書くのは作家じゃない。そう言いながら三島由紀夫は割腹自殺したじゃないか。彼もまた太宰治と似たような性質を以て居た。だから避けて居た。俺はその作家と作品を分けない。作家の作品である。人間は作家である。人間は作品である。


本業に辿り着けばもう競争は無い。説明を目的にした追究のみである。


小説とはそれほど長々と書く物ではない。必要な事を必要なだけ書けば良いのだ。


作家は執筆に悩む事は無い。


人の造語は定義がはっきりしないものだ。言葉とは、全てが人の造語に在る。この世が何故在るのかを知る事が出来れば、言葉に限らず全ての物事に就いて人は明確に定義出来るように成るだろう。取り敢えず信じる上で定義する訳だ(だから態々定義するのだ)。


教会や近所の友達の家で遊んで居て、それが楽しくて、もっともっと遊びたい・挙句は泊まりたい等と思って居た時、それでもやはり帰らなきゃ…と言うタイムリミットを心に以て居た。そのリミットは絶対なのだ。でもそんな時、親から泊まってもいいよと言われたら、スコーンと底が抜けたようなに嬉しくなった。制限が無くなった、たった一日でもそう思うのである。これが休みの日などで連日の楽しみになれば更に喜びは倍増だ。この経験を何度もして来た。おそらく他の子達も同じだっただろう。


昔はよく両親(特に母親)から、よその家の子と比べられ、俺は劣等生に落ち着けられた。それは、よその子供はうちの親に遠慮してるからだよ。当り前じゃないか。逆の立場・条件なら俺だってそうする。


お化けは生きた人間がやってる、裸の大将の言葉。人は死んでも生きる。イエス様の言葉。


ザデイアフターの映画の中で、核ミサイルが発射された後、まだ部屋のベッドメイキングを続けて居る母親のシーンがある。その直後、夫がその部屋に入って来て妻を核シェルターへ連れて行く為、そのベッドメイキングを途中でやめさせ、無理矢理・強引に連れて行こうとした時、その母親は発狂したように泣き叫んだ。この泣き叫びが、その状況を認めたくない、この世が終わるような暗い・怖い話をしたくない、そのような本能が訴える、俺の母親の正直を同時に見たのだ。被害である。辛さである。これは理想ではない。


Nuclear War's Worst-Case Scenario (Nobody "Wins")

今、現行でNASAの宇宙ステーションから地球を撮影して居るライブ映像がユーチューブで流れて居る。それを見ながら俺は天井に向けて手を振った。この姿が見えてる?今の俺が見えてるかい?見えてないの?やっぱり天井が在るから見えない?やっぱり俺今、隠れてる?地球は雲と海が写って居り、まるで明るく、昼間のようだ。本当に水色である。ブルーである。ゆっくり左から右へ向けて衛星は動いて居る。よく見ると太平洋を撮影して居るようだ。あの白いのは海の波なのか?雲ではない気もして来た。カメラの直ぐ手前にこの衛星の一部分が見えて居る。この一部分は今現在、宇宙の風を受けて居るのだ。この部屋に居ながらにして宇宙から地球を見る事が出来て居る。宇宙を見る事が出来て居る。この部屋の中で見る事が出来て居る。なんと素晴らしい事だ。本当に凄い。西部開拓時代、それ以前の世界の人々は、この映像を見る事が出来なかった。宇宙から地球を見るなんて出来なかったのだ。ごく限られた人間にしか見る事が出来なかった。それを見る事が出来て居る。ここ迄、神様は人間に見せて下さったのだ。時間の経過による過去と現在、そして未来の違い。大きな違いがここに在る。神様は人に与えて下さった科学の発展を司る能力、その科学の発展はやはり不可能を可能にしたものだ。今書いたからね、君の事をブログに書いたからね。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/


Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?v=MCyjy8BuIIw&t=2s


「SEIZE THE DAY / 今を生きる」

https://www.youtube.com/watch?v=A7Aobi9nmWM


イエス・キリストの生涯をたどる旅 II (1)

https://www.youtube.com/watch?v=vPB9SBXalPA


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


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