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4.恩人は悩んでいたそうです

 夢香は尚も廊下にぺたりと座り込んだまま、呆然としていた。

 あんなにも美しく、あんなにも優しい音色に心動かされぬ者はひとりも居ないだろうとさえ思えた。

 義祐はお世辞にもイケメンだとはいえない。その表情はいつもどこか茫漠とし、しかもほとんど声を聞いたことすら無い。

 いってしまえば、夢香は今日初めて義祐と知り合った様なものである。

 その初対面の相手から、これ程のインパクトを受けることになろうとは、思っても見なかった。

 最初は自分を痴漢から守ってくれた心優しいクラスメイト男子だという認識だった。それだけでも十分、友達として親しくなりたいと思える程の素晴らしい人物だろう。

 しかし実際の義祐は、夢香の想像を遥かに超える凄まじい程の天才だった。天才ギタリストだった。


(アタシ……もしかして、今までとんでもない大損かましちゃってた……?)


 どうしてもっと早く、彼の才能と人物に触れて来なかったのだろう。

 勿論、切っ掛けやチャンスが無かったから、というのもある。

 だが心の中で、そうじゃないだろうと己を叱責する声がどこかで響いていた。


(そうだ……アタシ、自分の世界でしか物を見てなかったからだ)


 イケメンや可愛い女子と一緒に、面白おかしく、楽しく過ごしたい。

 わいわい騒げる陽気な友達だけ、視界の中に収めておきたい。陰キャやぼっちやオタクと呼ばれる様な、根暗でスクールカースト最底辺のクズみたいな連中とは同じ空気も吸いたくない。

 そんな驕りが、自分の中にあった。

 今初めて、そのことを自ら意識した。

 もしもあのまま、自分の居たい場所に留まっていただけならば、絶対に義祐の素晴らしさに巡り会うことは無かった。ただ、痴漢から守ってくれた気の好いひと、というだけで終わっていた。


(アタシ……何て、勿体無いことしてたんだろ……)


 友達の輪の中に居ないからという理由だけで、義祐の存在そのものを完璧に無視し続けてきた夢香。

 それ自体が悪いことだとはいわない。だが、そうすることで知らぬうちにどれ程の損失を被っていたのかを、今更ながらまざまざと思い知る気分だった。


(天堂君と……アタシ、天堂君と、友達に! なりたい!)


 この時初めて、夢香は外見や雰囲気以外の面で、ひとりの人物と仲良くなりたいと本気で思った。

 イケメンや可愛い女子は確かに、見ているだけで幸せな気分になれる。一緒に遊べば、その時は良い思いをすることは出来る。

 だが、それ以上に何が残るというのだろう。

 本物の感動や、心を震わせる奇跡に出会うことが可能だろうか。

 その答えは、わざわざ考えるまでも無い。

 否だ。

 そして今、夢香に本当の意味で人生の喜びを片鱗だけでも感じさせてくれる人物が目の前に現れた。確かに彼はイケメンでも陽キャでも無いが、それらを補って余りある天賦の才がある。

 彼の様な人物こそ、本当に友人として繋がりを持っておくべき存在ではないのだろうか。

 と、ここで夢香はふと冷静になって、自分自身の存在感や価値について思いを馳せた。


(あれ……アタシって、天堂君にとって友達にして貰える価値のあるオンナだっけ……?)


 ルックスには自信がある。クラスナンバーワン美少女だと持て囃され、実際多くの男子から告白を受けたこともある。

 しかし、その外見的価値が果たして義祐の友人となる資格に値するのだろうか。

 夢香は、急に自信が無くなってきた。


(え、どうしよ……アタシ、どうやって天堂君と友達になったらイイんだろ……?)


 今までの自分からは想像も出来ない程の、喪失感だった。

 若くて可愛い自分。沢山の男子生徒の視線を奪い続けてきた美人な自分。ただその場にいるだけで、多くの友人達に笑顔を与えてきた自分。

 だが、それ以上の人間的価値が、今の夢香にあるのだろうか。

 今まで考えたことも無かったマイナス思考が、この時初めて夢香に襲い掛かってきた。


(ヤだ……どうしよ……どうしよ……どうしよ! ア、アタシ……どうやったら、天堂君と友達に、なれるんだろ……)


 考えれば考える程、怖くなってきた。

 このまま逃げ帰りたい気分だった。

 ところが、突然目の前の扉がガラガラと音を立てて大きく開かれた。


「あ……」


 その場にへたり込んだまま、思わず頭上を見上げた夢香。

 開け放たれた扉のすぐ向こう側で、義祐がぎょっとした表情のまま、その場で凍り付いていた。


「あ、あの……えっと、その……」


 夢香は上手く声が出せない。何かをいわなければという焦りだけが全身を駆け巡る。

 一方の義祐は、ひたすらびっくりしたという顔つきのまま、じっと夢香の美貌を凝視していた。


「ん? 誰かそこに居るのかい?」


 そこへ、音楽準備室から音楽教師の村上泰章(むらかみやすあき)が不思議そうな面持ちで姿を見せた。

 すると義祐は漸く我に返った様子で村上教諭に振り向き、小さく会釈を送った。次いで彼は未だにへたり込んだままの夢香にも視線を戻し、こちらにも会釈を送ってから音楽室を出て行ってしまった。

 夢香は、ただ茫然と義祐の背中を見送るばかりだった。


「おや、君は確か二年の光原さんだったかな? そんなとこに座り込んで、どうしたんだい?」


 村上教諭が穏やかな笑みを湛えて問いかけてきた。

 ここで夢香はやっとの思いで気力を振り絞り、立ち上がると同時に慌てて音楽室内へと飛び込んでいった。


「ああああああのあのあの、あの、先生! ちょっと、ちょっと教えて欲しいんだけど!」

「どうしたんですか? そんなに慌てて」


 落ち着きを失っている夢香に、村上教諭は幾分引き気味に応対した。夢香は自分がドン引きされていることなどまるでお構いなしに、がばっと食いつく様な勢いで詰め寄ってゆく。


「さ、さっきの……さっきの、天堂君のことなんだけど!」

「あぁ、彼ね……たまにこうして、ギター弾かせてくれっていって遊びに来るんだよ」


 村上教諭は義祐が去っていった廊下の更に向こう側に視線を送るかの様に、どこか眩しげな視線をその方角に流した。


「彼は本当に、素晴らしい才能の持ち主なんだけど……何せあの吃音だから、自分を表現するのが苦手みたいなんだよね」

「吃音?」


 よく分からないフレーズに、夢香は困惑を覚えた。

 すると村上教諭は、別の言葉に置き換えてくれた。


「いわゆる、どもりって奴だよ。彼は重度の吃音症で、小さい頃から上手く言葉が出せなくてずっと困っているそうなんだ」


 だから学校ではほとんど友達が出来ず、ギターの様なひとりで出来る趣味に没頭するしか無かったらしい、と村上教諭は少しばかり寂しそうな笑顔を浮かべた。

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