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2.恩人は何かをいいたそうでした

 夢香は痴漢から守ってくれた謎のクラスメイト男子の席まで一気に足を延ばそうとして、途中で断念した。

 よくよく考えたら、彼の名前を知らないのである。

 もっといえば、彼の顔を見たのも今日が初めてという有様だった。

 流石にこれでは失礼極まりないと自分でも思った彼女は、朝のホームルームに備えて黒板をせっせと消している黒髪三つ編みの眼鏡女子――クラス委員長の山口紗那絵(やまぐちさなえ)にそっと声をかけた。


「ね、ね、いいんちょ……ちょっとだけ、イイかな?」

「はい?」


 普段夢香から余り声をかけられることが無い所為か、紗那絵は胡乱な目つきで振り返ってきた。

 今、彼女はクラス委員長としての仕事をこなしている最中だ。だから余計な時間をかけてくれるなという無言の圧力が、ひしひしと伝わってくる。

 しかし夢香は紗那絵からのプレッシャーなど微塵も気にせず、窓際の後方に座っている男子生徒にちらりと顔を向けながら口早に問いかけた。


「あのさ……あそこに座ってるひとの名前って、分かる?」

「は? 光原さん、今頃何いってるの? もう新学期始まって二週間経つのよ?」


 紗那絵は露骨に呆れた顔を見せたが、しかし知らないものは本当にどうしようもない。

 夢香はえへへと誤魔化し笑いを浮かべながら頭を掻いた。どんなに嫌味をいわれようが、彼女から何としても彼の名を聞き出さなければならないのだ。

 やれやれとかぶりを振った紗那絵は、再び黒板を消す手を動かし始めながら、小さな声音で答えてくれた。


天堂義祐(てんどうぎすけ)君よ。彼、いつもひとりで居るけど、こちらからの呼びかけには普通に応じてくれるから、そんなに構えなくても良いと思うけど」


 そんなことをいいながら、紗那絵は黒板消しを専用のクリーナーに押し当てて、チョークの粉を吸い取り始めた。

 ひとまず、彼の名は分かった。後はどうやってアプローチをかけるべきかなのだが、夢香はその辺は余り深く考えていなかった。

 あの満員電車の中で、恐怖に歪んでいた夢香の美貌から、彼女の危機を咄嗟に察知してくれた彼なのだ。きっとこちらからフレンドリーに声をかければ、それなりに応じてくれるものと信じている。

 夢香は教壇を降りて今度こそ、義祐の席へアタックしようと一歩踏み出した。

 ところがその時、横合いから夢香の仲良し友人グループの何人かが歩を寄せてきて、本当に声をかけるのかと疑問を投げかけてきた。


「あいつってさぁ、いっつもひとりで誰とも喋んねぇんだぜ? どう見てもただの根暗なぼっちじゃねぇか。ホントにあいつが光原を助けた奴なのか? 見間違えか何かじゃねぇのかよ?」


 通学途中、夢香に失礼な台詞を叩きつけてきたデリカシー皆無男子の寺崎諒一(てらさきりょういち)が、露骨に侮蔑の視線を義祐に投げかけている。この態度が、今の夢香には本当に腹が立った。

 何でこんな奴と友達なんだろうと、自分でも疑問に思うくらいに。


「寺崎ってマジで馬鹿だよね……夢香が相手してくんないからって、八つ当たりすんのは男らしくねーぞ」


 逆方向から、夢香の一番の仲良し女子である片山亜希菜(かたやまあきな)が諒一に対して、あっちへ行けとばかりに追い払う仕草を見せた。

 その亜希菜の助け舟に勇気を得た夢香も、諒一に対して邪魔するなと、馴れ馴れしく肩に置いてきた手をぱっと振り払った。

 諒一は尚も不満げにぶつぶつと文句を垂れ流しているが、夢香は亜希菜に感謝のサムズアップを送ってから、やっとの思いで義祐の席へと特攻していった。

 義祐は夢香の接近に気付いた様子も無く、ただじっと瞼を閉じて、ワイヤレスイヤホンで何かに聞き入っている。音楽か何かだろうか。

 まずは義祐が自分の気配に気づいてくれるかと期待して、彼の前に静かに佇んだ夢香。しかし義祐は一向に瞼を開ける様子が無い。

 仕方が無いので、夢香はいささか遠慮気味に義祐の肩を軽く叩いた。

 すると義祐は全身をビクっと大きく震わせてから、何事かと驚いた様子で瞼を開けた。そして、喉の奥であっと小さな声を漏らす。

 彼の目の前で、はにかんだ笑みを浮かべながら軽く手を振っているクラスナンバーワン美少女の姿に、何かを思い出した様子を伺わせた。


「やっほ……天堂君、さっきぶりー」


 この教室内で、自分から初めて声をかける相手とあって、夢香も多少のぎこちなさは残る。それでも夢香は精一杯の笑顔を浮かべて、相手の驚きの念に満ちた目をじっと見つめた。

 義祐は未だに驚きから立ち直れていない様子ではあったが、ワイヤレスイヤホンを外して夢香の声を聞く姿勢だけは示してくれた。


「あ、あのさ……キミさ、電車でアタシのこと、助けてくれたじゃん……だからさ、その、御礼がいいたくって……」


 そこまでいい切ったところで、夢香は内心でほっとひと息を付くことが出来た。

 漸く、最初の一歩を踏み出すことが出来たのだ。

 ところが義祐の方は、何かをいおうとしては口を閉ざすという仕草を、何度か繰り返している。まるで、喉の奥に何かが閊えている様な感じだった。


「……?」


 夢香は義祐が何を口にしようとしているのか、笑顔を浮かべながら辛抱強く待った。

 しかしどういう訳か義祐は結局声を発すること無く、何度も喋りかけては止め、喋りかけては止めてという謎の行為を繰り返すばかりである。

 流石に少し、不安になってきた夢香。もしかしたら自分は、何かとんでもなく失礼なことをしてしまったのではないだろうかというヤバい気分が湧き起こってきた。

 そうこうするうちに、朝のホームルームが始まる前の予鈴が鳴った。

 義祐は尚も何かを喋りかけては止めてという行為を繰り返していたものの、とうとう諦めたのか、小さくかぶりを振ってそのまま俯いてしまった。


「えっと、あの、天堂君?」


 夢香は苦しげな表情で俯く義祐の顔を覗き込もうとしたが、担任教師が入室してきた為、止む無く自席へ戻らざるを得なかった。


(天堂君……どしたんだろ?)


 尚も自分に粗相があったのではと不安に駆られつつ、夢香は自席から再度、義祐の席へと視線を流した。

 義祐は相変わらず、苦しそうな顔。どこか辛そうでもある。

 その何ともやるせない表情が、夢香の脳裏に貼りついて離れなかった。

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