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10.恩人は用心深いひとでした

 月曜、朝。

 最高の気分で自宅最寄り駅の改札へと小走りに辿り着いた夢香は、コンコースで静かに佇んでいる義祐の姿を見るや、精一杯の笑顔を浮かべて元気に手を振った。


「天堂君! おっはよー!」


 対する義祐は僅かに会釈を返すのみ。

 この時彼は、ラインに何かを打ち込んでいた。と思った数秒後には、夢香のスマートフォンが着信音を鳴らした。

 何事かと思いながら手に取った夢香の前で、義祐は幾分申し訳無さそうな表情を浮かべている。


「御一緒するのは、学校の最寄り駅を出るまででお願いします」


 この申し入れに夢香は、その美貌を曇らせた。何か、彼の気に入らないことでもしてしまったのだろうかと不安に駆られた。

 すると義祐は更にもう一文、追加で送ってきた。


「光原さんと一緒に居るところを見られると、後で絶対、クラスで色々訊いてくるひとが居るから……」


 そういう連中に対応しなければならなくなるのが、義祐的には辛い、という訳である。

 普通に声を発して喋ることが出来るならば幾らでも言葉で誤魔化せるが、義祐はそうはいかない。ちょっとした会話に応じるだけでも、彼にとっては相当な苦労が生ずるのだ。


(あ……そうか……それは、そうだね)


 夢香は自分の希望を叶えることに必死になり過ぎて、相手の気持ちや都合を考えていなかったことに、今更ながら思い知らされた格好だった。

 ただ仲良くなれば全てが解決するという訳でもない。義祐には義祐の、守りたい領分というものがある。

 どうしてそこに思いを馳せることが出来なかったのかと、ここで改めて悔いた夢香。

 すると若干沈んだ表情を浮かべていた夢香の肩を、義祐が軽く叩いて時計を指差した。

 そろそろ電車が来る時間だ、急ごう、という訳である。


「うん、そだね」


 空元気ではあるが、夢香は再び笑みを湛えて、義祐と肩を並べてホームへと向かった。

 電車内は相変わらずの混雑だったが、今回は義祐が他の乗客との間にその巨躯を挟み込ませて、夢香の柔らかな体躯を守ってくれた。

 そんな義祐に、夢香は本当に助けられてばかりで、何のお返しも出来ていないと心の内で溜息を漏らした。


(天堂君は痴漢から守ってくれて、失恋の傷を癒してくれて……アタシ、いっつも頼ってばっかじゃん)


 段々嬉しさよりも、申し訳無さの方が強くなってくる。

 昨日の夜だってそうだ。義祐は律義にも、夢香がリクエストした曲は全て履修済みだと、わざわざラインで返事を送ってきてくれたのだ。

 こんなにも正直で、真正面から相手の希望に応えてくれる人物に対し、自分は一体何をしてあげられるのだろう。

 考えれば考える程、胸の奥が苦しくなってきた。

 やがて衣柄高校最寄り駅へと到着し、義祐は足早に夢香の前から去っていった。

 ここから先は、いつもの日常。通学路で仲良しグループの友人らと合流しながら学校へと向かう。本来ならそれで十分に満足し得る筈の学校生活なのに、寂しさや物足りなさを感じてしまうのは何故なのか。


(やっぱり……天堂君が居ないから、かな)


 亜希菜や諒一、更には他の友人らと声を交わしながらも、どうしてもこれまでの様に心の底からの笑みが浮かんでこない。

 今まで自分が過ごしてきた日々が、時間が、義祐との距離を大きく開けてしまう現実。

 陽キャの側に居ることを望んだのは夢香自身だ。それを今更悔いたところで、もう手遅れだ。

 だから、ここからの努力が並大抵のものでは済まないことを夢香もよく心得ていた。


(天堂君と一緒に居たいんだったら……アタシの方から、普通に一緒に居られる空気を作っていかなきゃ)


 あの天才的な音色を思う存分に味わうには、自分自身にも何かの犠牲が必要だ。

 それを今日から、始めなければならない。


◆ ◇ ◆


 そして、その日の放課後。

 夢香は音楽室へと足を運んだ。

 この直前、諒一や他の親しい友人達からカラオケに誘われたが、夢香はあっさり断った。


「何かさぁー、最近光原、付き合い悪ぃよなー」

「もしかして新しいオトコでも出来たのかよ?」


 諒一を始めとした男子連中が下世話な想像を膨らませているが、彼らの言葉などには一切耳を貸さず、夢香はひとり音楽室を目指した。

 ところがここで、思わぬ事態が生じた。


「よぉーっす、夢香ー。どこ行くのー?」


 職員室に何かの用事で立ち寄っていた亜希菜が、夢香の姿を見つけて追いかけてきたらしい。

 夢香は内心で拙いと唸ったが、しかし今更音楽室に行くのをやめる訳にはいかない。余り遅くなれば、義祐のギターを聞き逃してしまう。

 ここで、一瞬悩み込んだ夢香。亜希菜を音楽室に連れていって良いものかどうか。


(でも……亜希菜ならきっと大丈夫、だよね)


 他の友達と異なり、亜希菜は中学校からの付き合いだ。言葉を尽くして説明すれば、きっと分かってくれるだろう。

 貴幸との仲も、そして彼に浮気されてフラれたことも亜希菜に対してだけは正直に話している。

 義祐のことも彼女はすぐに理解してくれると思った。


「あのさ……他の連中には、黙っててくんない?」

「んー? 何ぞ、ヤバいことかー?」


 不思議そうな面持ちで小首を傾げる亜希菜。

 夢香は清水の舞台から飛び降りる覚悟で、義祐とのこれまでの事情を一切、打ち明けた。

 最初はふんふんと他人事の様に頷くだけの亜希菜だったが、義祐がギターの達人であり、更にキックボクシングの若きアマチュアチャンピオンであるという事実を知るにつけて、その美貌が段々驚きの色へと染まっていった。


「え……マジ? 天堂君って、そんな凄い奴だった?」

「うん。ぶっちゃけ、アタシも最初はチョー驚いた」


 幾分、警戒の色を含んだ瞳で亜希菜の呆けた顔をじっと見つめた夢香。

 しかし亜希菜は程無くして、大丈夫、任せろと子供の様な笑顔を浮かべてサムズアップを掲げた。


「そんなカッケー奴、うちが見殺しにする訳ネーじゃん! さ、行こ―ぜ!」


 かくしてふたりは揃って音楽室へと足を運んだ。

 扉を開ける前から、艶やかなメロディーが漏れ聞こえてくる。

 夢香の期待は、更に膨らむばかりだった。

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