2 知恵も力も何もない
オレは景行天皇の皇子、オオウス。
父天皇が目を付けた女を横取りし、大御食と呼ばれる朝廷の会食をサボった。
父天皇はオレを咎め、弟のヲグナに注意しておくよう言い聞かせた。
この弟は、のちにヤマトタケルの名で知られる最強の英雄だ。
古事記の通りなら、
オレは便所で待ち伏せを喰らい、弟に手足をもがれて殺される。
しかし、オレは現代人が転生した存在だ。
古事記の景行天皇の項を読んだ経験があり、うろ覚えながら知識がある。
それを利用して、どうにか目前の死を回避できないかと思案している。
……結論を出す前に、情報を整理する。
まず、弟ヲグナ――未来のヤマトタケルについて。
ヲグナは強い。強すぎる。
素手で人の手足を引きちぎる力があり、
剣を使えば人体を熟した瓜のように破壊する、怪力無双の英雄だ。
それでいて、脳筋というわけではない。
不意討ちを厭わぬ合理性を持ち、
多様な策を用いて勲功を上げる智謀にも長けており、隙が無い勇者だ。
次にオレ、令和の一般市民が転生することになった、オオウスについて。
『古事記』や『日本書紀』のオオウスの記録は、あまり華々しいものではない。
……踏み込んで言えば、積極的に悪く書かれているようにさえ見える。
朝敵征討の英雄ヤマトタケルの、引き立て役とするために。
古事記では、前述の女横取りと会食サボり、
そして、弟ヲグナに手足を引きちぎられて殺害される逸話くらい。
日本書紀では、女横取りの逸話は同じだが、ヲグナに殺害されはしない。
代わりに、別のぱっとしない逸話がある。
東国平定を任されそうになって、逃亡。
草の中に隠れるも、連れ戻される。
父天皇にかなり失望され呆れられた感じに窘められた後、
天皇の跡継ぎではない臣下として、美濃に封じられる、というものだ。
オレが転生したのは古事記よりの世界であることを考えると、
日本書紀の記述を全面的に信じるのも間違っていると思う。
とはいえ、あまり戦向きの人柄でなかったのは確かだろう。
転生したオオウスとしての記憶も、遊び好きの文弱な貴公子、という感じだ。
また言うまでもないことだが、前世のオレに戦闘経験などない。
単なるサラリーマンだったのだから。
これらのことを考え、オレは結論を出した。
ヲグナと正面切って戦い勝つのは無理だ。
オレやオオウスの精神も、オオウスの肉体も、ヲグナに勝てるはずがない。
また、策を弄して勝ちに行くのも無理だ。
無策よりはマシだろうが、素人が思いつく程度の策では実力差は覆らない。
仮に素晴らしい作戦を立てられても、智謀の英雄に対応されるだろう。
今いる場所――この纏向の日代宮から逃げ出すのも無理だ。
自動車や飛行機などの移動手段がない以上、結局は基礎体力で戦う羽目になる。
戦うも逃げるも無理ならば、相手に許してもらうほかない。
というわけでオレは、オオウスとしてのいつも通りに過ごすことにした。
ヲグナに襲撃されてから、口八丁での説得に全てを賭ける。
「……ふわぁ……
……グッモーニン、ディアレストまほろばワールド……」
目覚めたオレは、敷物から身を起こす。
「…………」
「…………」
両隣で眠るエヒメとオトヒメの可愛い頬に、まだ寝てていいよのキスをする。
単身、高床式の御殿から出る。
すがすがしい朝日の中、死が待つ厠に向かって歩いていく。
厠の木製の戸に手を掛ける。
――その直前。
内側から厠の戸が開き、恐るべきモノが現れる。
「!」
全力でオレは横にずっこける。
それで、どうにか初撃をかわした。
「――薨去り召されませ、兄上」
いつも通りの何気ない口調で言って、ヲグナは襲い掛かってきた。