第5話
「おはよう、お兄ちゃん」
その可憐な人は姉のマンション前に立っていた。
薄い金髪はセミロング、きりっとした瞳は見覚えがあるもので、今は不機嫌な猫のように細められている。
厚手のジャケットの下は白いキャミソール、下はダメージジーンズに白のスニーカー、まんまギャルである。
いや妹である、社会人になって初めて会うほど久しぶりだった妹の帰島たまねが俺にそう挨拶をしてきた。
「お、おはよう…」
「私が誰だか分かる?」
「た、たまねでしょ?見れば分かるよ」
ちょっと機嫌が戻ったようだ、口をへの字にしてついと視線を逸らした。
今日は待ちに待った旅行の日である。俺と姉、それから津島さんの三人でお出かけだ。
残りの二人はまだ支度中で俺だけ外に出て来たのだ、そこでたまねと再会した。
逸らした視線を戻して再び俺のことを睨んできた。昔はこんな顔をする子ではなかったのに...
「ねえ、今から旅行に行くって本当なの?お姉ちゃんとその友達の人と」
「な、何で知ってんの?」
「お姉ちゃんからそう聞いた。どこまで行くの?」
観光地として有名な所で、日本一高い富士山の麓にある県まで行くと伝えた。
話を聞いたたまねの表情は固い。
「へえ〜楽しそう〜いいね〜」
そう口にするがまた段々と不機嫌になっている。
まさかこんな形で再会すると思っていなかった俺は上手く言葉が出てこなかった。
妹とも仲が悪かった、姉と同じようにあまり話しをしていなかったし、今どこで何をしているのかも分からない。
綺麗に晴れ渡った空から落ちる太陽光がたまねを照らしている、不機嫌だと思っていたその顔を良く見やれば、拗ねているようにも感じられた。
「…元気にしてた?」
「…してた」
「姉ちゃんとは良く会ってたりするの?」
「…する」
話はしてくれる、俺のことが大嫌いという事ではないようだ。
「今どうしてるの?」
「…………」
あれ、そうでもないかもしれない、急に黙ってしまった。
そこへ随分と長い時間身支度をしていた残りの二人がやって来た。
「たまねじゃない、こんな所で何してんの?」
ばっちり服装を決めている姉はサングラスまでかけている。姉もジーンズを履いており、上は真っ赤なコートだ、セレブにしか見えない。
続いてやって来た津島さんがたまねの存在に気付いた。
「え、この子誰?」
「私たちの妹、たまねよ」
「え〜〜〜!妹もいたの〜〜〜?!うっそ〜〜〜!」
津島さんもサングラスをかけている。何この二人。
(俺この二人に混じるのやだな〜)
津島さんはブラウンのニットワンピースにロングブーツを履いている。今から旅行だよ?とても動き難そうな格好だがやっぱり様になっていた。
その津島さんが遠慮なくたまねに抱き着いていた。
「よろしくね〜〜〜!あかりの友達の澪で〜す!」
「どうも」
(うわあ…態度が…)
釣れない態度を取っているのに津島さんは何のそのだ。
「今いくつ〜?可愛いね〜!お仕事は何してるの〜?また今度一緒に遊ぼうよ〜!」
「はあ…」
「こらたまね、旅行に行けないからって拗ねたら駄目よ」
(ああそういう事)
姉の言葉に妹がびびん!と反応を示した、本当だったらしい。
「──私も誘ってよ〜!!私も旅行に行きたい〜!!皆んなと行きたい〜〜〜!!!」
「そんな無茶言わないで、また今度行けばいいでしょ」
「あ、あかり、そんな冷たいこと言ったら…」
さっきはあんなに冷たい態度を取っていたのに、今度はたまねから津島さんに抱き着いていた。
「この冷たい姉にもっと言ってやってください!ほんと普段から冷たいんですから!!」
「あかり!!たまねちゃんが可哀想だよ!!何とかしてあげなよ!!」
「別にいいけど、その代わりあんたがお留守番よ」
「ごめんね〜たまねちゃん、また今度一緒に行こうね〜」
この人は手のひらを返す時一切躊躇わない。
「え〜!私も連れてってよ〜!いいでしょう〜!というか何で澪さんがお兄ちゃんと一緒に行くんですか〜!妹は私ですよ〜?!」
凄いなこの二人もう仲良くなってる。
それからたまねは出発するまで駄々をこね続けた。
◇
出発から関東地方に入るまで姉が運転し、それから目的地まで俺が運転することになっていた。
津島さんはペーパードライバーなのでただ乗っているだけである。
運転席に姉、助手席に妹、後部座席に俺と津島さんが並んで座っている。
津島さんの丈が短いワンピースのせいで視線を前か左に固定せざるを得なかった。ちょっと右を向けば目に悪い(良い意味で)津島さんの太ももが見える。絶景かな。
駅に向かう道中、妹はずっと拗ねていた。
「いいな〜いいな〜私も行きたいな〜」
「あんたの分のお土産も買ってくるから」
「そんなの要らないよ!ねえ〜いいでしょう〜?一人増えたところでバレないって〜」
「駄目に決まってるでしょ、人数分のご飯しか無いのに」
「ええ〜〜〜行きたいのに〜〜〜」
ふん!と不機嫌な猫みたいに鼻を鳴らし、それから静かになった。
車はショッピングモールとは反対方向に進み、大都市を流れる川の上に差しかかった。そこで俺はたまねに話しかけた。
「たまねは今どこに住んでるの?」
車内がしんとなる。川の上に架けられた橋の繋ぎ目をタイヤが踏み、規則的な音ががたたんと鳴った。
(え、そんなに変なこと訊いた…?)
不安になり始めた時、ようやく妹が答えた。
「お姉ちゃんの近く…」
姉が言葉を挟む。
「それじゃ分からないでしょ、ちゃんと答えて」
「駅から三つぐらい」
「そんな近い所に住んでたんだ」
大体姉の自宅からショッピングモールの間ぐらいだ。
「一人暮らし?」
「…………」
また黙ってしまった。見かねた姉が妹を小突き、仰天する答えが返ってきた。
「ううん、私結婚したから…」
「ええーー!!結婚してたの?!」
「たまねちゃん結婚してるの?!」
津島さんも驚いている。
「いつ?!いつ結婚したの?!全然知らなかったんだけど!」
「三年前に…紹介された人と結婚した…」
「そうだったんだ…」
凄いショック...それを知らされていない俺って...
空気を読んだ津島さんが「良かったね〜」とだけ言い、その話題はそれっきりになってしまった。
姉は知って──いたんだろうな、良く会うって言ってたし、知らなかったのは俺だけだ。
空気を読まない姉が妹を切って捨てた。
「そりゃ、結婚の報告もしない相手を旅行に誘ったりしないわよ。自業自得」
「む〜〜〜!言おうと思ってたもん!」
「先に言うことがあるでしょ」
妹がぐりんとこちらに振り向き、背もたれに顔を隠しながら上目遣いで「ごめん…」と言ってきた。
「いや、いいよ、俺も連絡取ってなかったからさ…その、おめでとう」
「ありがとう…見る?私の旦那さん」
「うん、見せて」
妹がしゅば!っと出したスマホがアームレストに当たって座席の下に落ちてしまった。
妹が「ごめん!」と言い、俺が「いいよいいよ」と代わりに身を屈めて妹のスマホを拾い上げる。
「そのまま見ていいよ」と妹が言う、俺はスマホの電源ボタンを押すより先に妹の顔を見た。
「…………」
変わらず上目遣いだが、凄く顔を赤らめていた、耳まで真っ赤。
その様子を見て俺は、ああ、別に嫌われてなかったんだな、と思った。
妹のスマホが俺の物とは違うものだったので電源ボタンの位置が分からず、あれやこれやとしていると「ボタンそこ」と教えてもらい、「ああ、ごめん」と言ったそばから頬が熱を帯びた。俺もきっと顔を赤くしていることだろう。
スマホの待ち受け画面には、有名なテーマパークで肩を並べている男女が映っていた、二人ともサングラスをかけてマスコットキャラクターを模した帽子を被っている。
(サングラスかけてるから顔が分からねえ)
けれど、妹と肩を並べている男性は思っていたよりイカつくなく、どちらかと言うと俺に似た雰囲気を持っている人だった。
「優しそうな人だね」
そう言いながら妹にスマホを渡す、その際そっと指が触れ合った。
「うん、凄く優しくしてくれる人だよ」
俺は心からこう言った。
「そんな人と結婚できて良かったね」
妹が昔のように、仲が良かった頃のように屈託なく笑った。
「うん!」
と、和やかな雰囲気も駅に到着した途端一気に霧散した。また妹が拗ね出したのだ。
「行きたい行きたい行きたい行きたい!!行きたい行きたい行きたい行きたい〜〜〜!!」
さっきより遠慮がない、もう子供のそれだった。
姉も鬱陶しそうに顔を歪めていた。
「うるさい!さっさと降りなさい!旦那が待ってるんでしょ!こっちは皆んな独り身なのよ!」
「ええ〜〜〜!ここで降りるの〜〜〜?!私だけ〜〜〜?!罰ゲームじゃ〜〜〜ん!」
妹も物凄く嫌そうにしながらドアノブに手をかけている。
ついに観念した妹が駅のロータリーに立った、捨てられた子猫のようにしょんぼりとした顔をしている。
「あ、俺が代ろうか?!俺の代わりにたまねが行ってきなよ!」
あの顔は見てられない、そう提案するが車内にいる二人から止められた。
「それじゃ何の旅行か分からなくなっちゃうじゃない!」
「そうだよ!君が言い出しっぺなんだから!」
「いやでも…たまねが可哀想過ぎるから…」
「ほっときなさいって、たまねは昔っからああやってあんたの気を引いてたんだから」
たまねがうるうると潤ませていた瞳をきっ!として姉を睨みつけた。
「鬼畜!死神!そんなんだから男に捨てられるんだよちょっとお兄ちゃんを見習え!」
「はいはいさっさと行きなさいって、明日の夕方には帰ってくるからその時につぐもと話せばいいでしょう?」
「〜〜〜!!」
もうたまねがなりふり構わず姉に向かって中指を突き立て、怒り肩で駅の構内へ向かって行った。
「ねえ、たまねの連絡先教えてくれない?」
「ええ?向こうに付いてからでいいでしょ?それにたまねはあんたの連絡先知ってるわよ」
「え?そうなの?一度も連絡来たことないけど」
「結婚した報告は自分からするって言ってたくせに、ずっと逃げ回ってたのよ」
「そういう事か…いいじゃん今で、たまねとやり取りしたい」
「分かったわよ、ほら」
姉がスマホをぽいとこちらに寄越してきた、自分で勝手にやれという事らしい。
何とも不用心な事に姉はパスコードを設定していないらしい、初期設定の壁紙が表示されたホームからメッセージアプリをタップし、『つぐも』という自分の名前をタップしてそこから妹の連絡先を送信した。
駅から離れて高速道路に向かい、ビルの合間を縫うようにして設置されたインターチェンジに乗り上げた時だった。
最もというか当然というか、津島さんが疑問をぶつけてきた。
「三人に何があったの?つぐも君だけ結婚したことを知らされていないって普通じゃないよ。けど、仲が悪い感じもしなかったし」
俺は隣に座る津島さんを見た、彼女は真っ直ぐに俺のことを見ていた。
「それは…」
何と説明すれば良いのか分からず言葉を濁すと、姉が代わりに答えた。
「この子ね、中学に上がる前に肺気胸に罹患して数ヶ月入院したことがあったのよ」
車は渋滞に巻き込まれることなく都会の中をひた走る、林立するビルが太陽光を反射して外は眩しかった。
「それで?」
今度は俺が答えた。
「俺、入院していた時二人のことずっと待ってたんですよ、遊んでもらおうって。でも、全然来てくれなくて、どうしてだろうって不安に思って、それで退院して家に帰ったら別人みたいに冷たくなった二人が待ってて…」
あの時の二人の顔は今でもはっきりと覚えている、帰ってくる家を間違えたんじゃないかと思えるほどに。
近寄りさえしない、言葉だって勿論何もかけてくれなかった、今でもトラウマだ。それから俺たちは仲が良かったのが嘘のように何も話さなくなった。
姉がその事を強く否定した。
「違うのつぐも、それは違うの、私もたまねもあんたに怯えていたのよ」
「怯えていた…?何で?どうして?」
「あんたが病院に運び込まれる直前まで、三人で一緒に遊んでいたでしょ?たまねが悪ふざけをしてあんたを後ろから突き飛ばして、それで遊具か何かに胸を強打してそのまま動かなくなった。覚えてる?」
「そんな事…あったような…」
最後に遊んだ記憶は朧げだ、それまでずっと一緒だったからどれがその記憶か判別できなかった。
「医者の診断ではね、元々悪かった肺がその衝撃で穴が空いたんだろうって言っていたらしいの。それでたまねは自分のせいだってひどく気にしてね、だからお見舞いに行けなかったしあんたが家に帰ってきても何も言えなかったのよ」
「…そんな理由、そんな理由であの反応だったの?何それ、何気にしてたんだろ…」
「あんたもどうして肺が悪かったことを言わなかったのよ」
「そんなもんだろうって思ってたから…俺が悪いの?」
「いや、そういうわけでは…」
いや違う、違うな、俺が悪いとか二人が悪いとか、そういう問題ではない。
何も言葉を交わしてこなかった皆んなが悪い、勇気を出せなかった自分たちがあの状況を作り出していたんだ。
「ごめん。俺も気にしてないよって言えば良かったね」
「…そうね、私たちも大丈夫って声をかければ良かったわ」
黙って話を聞いていた津島さんがぽんと手を叩いた。
「ま、つまり三人ともお互いの顔色を気にしてただけなんだね〜。そりゃ久しぶりに再会してもすぐに仲良くなるよ、だってずっと仲が良かったんだから」
その言葉に俺は救われた。
少しだけ目元が熱いし鼻の奥もツンとしているけど、俺は姉にこう伝えた。
「何で来てくれなかったの?ずっと寂しかったんだよ」
姉は、そっと目元を指で拭ってから答えてくれた。
「…私たちもあんたがいなくて退屈してたわ。私とたまねはね、そんなに仲良くないのよ」
「何それ」
ぽつりと、我慢の限界を超えた涙が一粒だけ頬に流れた。
◇
さて、湿っぽいのはさっさと終わりにして旅行である。
けれどその前に長い道のりを踏破しなければならない、今は道の途中にあるサービスエリアで休憩中だった。
姉と津島さんはトイレだ、トイレに行って三〇分ぐらい経つけど全然戻って来ない。
その間に俺はたまねへメッセージを送った。
つぐも:姉ちゃんから全部聞いた、気にしなくていいからね
すぐに返事は無く、スマホをポケットに捩じ込んで車へ戻った。
織田信長が建設した城を過ぎ、広大な平地に築かれた工場を前にするサービスエリアからは平べったい街並みが見えていた。
天気は晴れ、風はびゅんびゅん、旅行シーズンではないのでそんなに人はいない。
ここから俺が運転するので運転席に座る、ペダルの位置が合わなかったので少し屈辱的に思いながら座席を少しだけ前に移動させた。
トイレの入り口で並ぶ二人を見つけ、車には足を向けずそのままフードコーナーへ入って行った。
「まだかーい」
ポケットに入れてあるスマホが突然ぴこぴこと何度も着信を知らせてきたので少しびっくりした。
妹から返信があった。
妹:ごめん
妹:ごめん
妹:ごめん
妹:いつかは謝ろうって思ってたけどずっと言えなくて
妹:あの時突き飛ばしてごめん
つぐも:気にしてない、また仲良くしてくれたらそれでいいから
あとはスタンプの嵐である。
そこへようやく二人が帰ってきた、フードコーナーへ行ったはずなのに何も手にしなかった。何しに行ったの?
姉が後部座席へ、そして津島さんが助手席に座った。姉は「疲れたから少し寝る」と早口に言っただけである。
「何でこんなに遅──」
後部座席に座った姉を見やり、すぐに合点がいったので視線を戻した。
「何よ」
「何でもない」
「いいから言いなさいって、何?」
「何でそんな喧嘩腰なの?」
「あんたがふざけたこと言うからでしょ」
何も言ってませんけど。
「あかりはね〜化粧に失敗してね〜だから目元が赤いんだよ〜」
「そうそう、だから少しだけ赤いの、分かった?」
「と、いうのは口裏合わせでね〜あかりずっと泣いてたんだよ〜やっと弟と仲直りできたって、ね〜?──ああ!ちょっと背もたれ揺らさないで〜!!」
何て言えばいいのか分からないのでとりあえず「車出すね〜」とだけ言い、あとはひたすら運転に集中した。
◇
それからさらに数回サービスエリアに寄りながら休憩を挟み、やはりドライである姉が完全復活を果たしたところでようやく到着した。
「は〜長かった」
「これ、一泊二日は勿体ないね、最低二泊だわこれ」
「ほんとそう。──よし!時は金なり、まずは漁港へ行きましょう!」
「いえ〜い!」
「あんたは何もしてないじゃない、このペーパードライバーが」
「そんな事言わないでよ〜!盛り上げ役だから私!ちゃんと撮影器具も持ってきたから!」
大変有名な漁港付近の駐車場がどれも満車だっため、最寄りのスーパーに車を停めてとことこと徒歩で向かう俺たち。シーズンでもないのに漁港を前にして結構な人だかりができていた。
所狭しと並ぶお店に、必ずと言っていいほど観光地に存在する謎の革製ショップ、それからお土産屋に、これまた有名な深海魚博物館もあった。
「あれ行きたいな〜深海魚見てみたい」
「駄目、時間がないもの、諦めて」
俺たちは細い通りを抜けて目星を付けていた浜焼き専門店にやって来た。獲れたての貝を網焼きにして美味しくいただくお店だ。
「良い匂い〜」
「待ち時間どれくらい?」
「さあ、四組み待ちっぽい」
「とりあえず名前書いといて、その間に他を見て回りましょう」
「いいのそれ」
「時間が勿体ない」
名前を書くだけ書いて他を散策することになった。
漁港とだけあって通りのあちこちに発泡スチロール製の箱が山積みにされ、少し歩いた所には漁船もいくつか停泊されていた。いかにもっぽい、いかにも旅行している感じ。
(それから…)
周囲からの視線が凄い!
隣にいる姉が放つオーラが周囲を惹きつけるのだ、今はサングラスを外して頭に乗せていた。
「あれ、姉ちゃんパーマかけたの?襟足だけふわふわになってる」
「そうよ、今頃気付いたの?」
赤いコートもジーンズも良く似合う、この人に何を着せても様になるのではないだろうか。
こっちとしては肩身が狭い。
「ねえ、人から見られるのってどんな気分なの」
「そうね〜…見られているんなら身嗜みは整えないとな〜、ぐらい」
「うわあ…」
「何で引くの?」
生まれながらにしてスターのような発言が出てきた。
津島さんはどう思うのだろうと背後を振り返る、見知らぬ学生たちの集団が「うらやま〜」と言いながら去って行く姿しか見えなかった。
「あれ、津島さんは?」
「ああ、あの子こういう時ソロプレイに走るから気にしないで、そのうち姿を見せるから」
「ソロプレイって──ああ、そういう…」
「そうそう、気に入った男に声をかけまくってんじゃない?」
男癖が悪いのは本当らしい、串物を販売している露店にできた行列の中に津島さんを発見した。
前にいた男性とお喋りに興じていた。
「いた」
「どこ?──ああ、ああいうの確かに好みだわ」
その男性もどこか楽しそう、ううん凄く楽しそう、あんな女性に逆ナンされてテンションが上がっているんだろう。
津島さんは両手を合わせてもじもじした様子でお喋りをしている。視線もずっと上目遣い、俺あんな喋り方されたことないわというか俺あの人より身長低かったわと思い出す。
「あ〜あ〜たまねも引っ張ってくれば良かったな〜」
「そうね、あんたと同じ身長だもんね」
「──?!何で考えてることが分かったの?!」
けらけらと姉が笑って俺の手を引っ張った。
「ほら、他も回りましょう。今日は時間的にここしか観光できないんだから」
「あ、ああ、うん」急なスキンシップ!
しっかりと繋がれた手は冷んやりとして気持ちが良い、こうするのは子供以来だ。
「俺なんかで男避けになるのかな」
「あんた良く分かってんじゃん」
「その返しが腹立つ」
また姉が笑い声を上げた。
ぐるりと見て回り、浜焼きのお店に戻って来ると次が俺たちの番になっていた、ジャストタイミング。
そして全てを計算したかのように、どこか満足気にツヤツヤとした津島さんが俺たちの前に姿を現した。
「また面倒事持ってきてないわよね」
「失礼な〜色んな人とお喋りしてきただけだよ〜」
「何人の人に声をかけたんですか?」
「ん〜?気になる〜?私の事がそんなに気になるんだ〜やらしいの〜」
「そういう喋り方をした方が男の人からの受けもいいんじゃないですか?」
「?!?!」
「こいつ、あんたが男に媚びを売ってる所ちゃんと見てるから」
それから程なくして俺たちが呼ばれ、席に案内されるまで津島さんが「違うの!君が本命だからね!」としつこく言い続けてきた。
「ところで面倒事って何?」
馬鹿みたいに座り心地が悪い丸椅子に腰かけ、さっき姉が言っていたことが気になったのでそう尋ねてみた。
「出会った頃は良く二人で旅行に行っていたのよ、けどこの子がまあ〜見境なく男を引っかけるもんだから、一度だけその彼女が私たちが宿泊していた旅館にまで押しかけてきたことがあってね、それ以来この子とは旅行してなかったの」
「だからそういう事は先に言ってくれない?」
「そういう事は本人の前で言わないでくれる?!二人ともほんと失礼!」
このお店では自分の好きな物を選んで食べるシステムである、店員に案内されるまま店の奥の向かい、ステンレス製のトレイとトングを渡されて見て回った。
サザエ、牡蠣、それから海老や蛸、イカ、他にも野菜や蟹味噌なんてものまであり、飲料コーナーの中には日本酒まであった!
「俺あれ呑みたい」
「あーどうせ酒でしょ、いいわよ、ここから私が運転してあげるから」
「俺あれ呑みたいです!」
「いいって言ってるでしょうが早く取りに行け!」
食べ物より先にお酒を手にした。
傍にいたはずの津島さんが再び姿を消し、彼女も食べ物より大学生たちに先に手を出していた。
話しかけられた大学生たちは皆幼い顔をしており、頬を染めながら津島さんと会話をしていた。
「あれはいいの?」
「あんたと似て病気だから諦めなさい」
「アル中じゃねえわ!」
先に姉とテーブルへ戻り早速網焼きを開始する。
テーブルに置かれた『焼き方講座』に目を通しながら、ほいほいと網の上に貝を乗せていく。
牡蠣、サザエ、それからアルミホイルに巻かれた鯛ときのこのバター醤油、早速それらが香ばしい匂いを放ち、空いた胃袋を刺激してきた。
まだかなまだかなとトングで貝たちを突く。
「まだ早い」
「美味しそうな汁がこんなに溢れて…」
「何て下品な言い方…」
「その発想に辿り着いた姉ちゃん、さては欲求ふま──」
網の上に置いていたトングを振り回してきたのですっと避け、その間に焼いていた牡蠣がぱっかりと開いた。
そこから専用のナイフで牡蠣をこじ開け、片側の殻をゴミ箱へ捨てる、身が付いた殻をもう一度網の上に置いて十分に焼く。
大学生たちの相手に飽きたのか、ようやく津島さんも合流した。ステンレス製のトレイにはウインナーと海老、それから串に刺されたイカのゲソが乗せられていた。
「欲求不満ってこいつみたいな奴のことを言うのよ」
「覚えておく」
「何の話?」
選んだ物が全部棒状って...
姉の隣に座った津島さんに「バナナはなかったんですか?」と尋ねると姉が吹いた。
「そんな物あるわけないじゃん何言ってるの?──ああ!そういう事?!欲求不満ってそういう意味なの?!違うよ〜!ただ単に食べたかった物を選んだだけだから〜!」
「やめなさいって澪、今のあんたが何を言っても無駄だから」
「んま〜」
「ちょっと〜!私を貶めたくせに呑気にお酒を呑むな〜!」
さっきの大学生たちが遠くから津島さんを眺めている、そして俺の存在に気付き、物凄く肩を落とした様子で自分たちの席に戻っていった。
「大学生にまで手を出したんですか?」
「気になるんだ〜気になるんだ〜!へえ〜やっぱり私が他の男の人と喋るのが嫌なんだ〜!」
「姉ちゃんもこれ呑む?美味しいよ」
「君のそのスルーの仕方は凄く雑!」
「なら貰うわ、ちょっと頂戴」
俺が買ってきた日本酒を自分のコップに注ぎ、くいっと煽った。
「──待って、誰が運転するの?」
「あ」
「あ」
◇
「私ペーパードライバーだって言ったのに〜!免許取ってから一度も車に乗ったことがないのに〜!」
「男の上に乗るのは得意なのにね」
「ゴールド免許なんですか?」
「もうこの姉弟やだ〜!息を合わせて私を貶めるのはやめて〜!」
浜焼き店を後にした俺たちはスーパーの駐車場の戻り、ちょっとした事故があって津島さんが運転することになった。
助手席は事故を起こした時に死亡率が高いということで俺も姉も後部座席である。
姉もすっかり酔いが回っており、津島さんのリアクションにげらげらと笑い転げていた。
「ゴールド免許って何よっ…それ避妊が上手って言いたいのっ」
俺の冗談がツボに入ったようだ。
今の姉は何を見ても聞いても面白いのだろう、子供のような無邪気さでころころと笑っているだけだった。
「もう!君たちのせいでこんな事になったんだから責任取って私をナビして!」
「わ、分かりましたから」
そう言ってドアノブに手をかけると、横からむんずと腕に組み付いてきた。
姉である。嘘ではない。
「駄目よ!あんたは私の隣!ここにいなさい!」
「いいでしょちょっとぐらい借りても減りはしないんだから!このままだったら宿に辿り着けないよ!」
「嫌いや〜!せっかく仲直りできたのに〜!また私に寂しい思いをさせるつもりなの〜?!」
あれ、人格入れ替わりました?
姉と津島さんの喋り方が綺麗に入れ替わってしまった。
「あかり!諦めてその手を離しなさい!」
「また返してくれるんならね!」
「それは保証できないかな〜」
「大丈夫だから姉ちゃん、ゴリラ発言がある限り俺は津島さんに靡かないから」
「もう何でもいいから早くして」
ついにキレ始めた津島さんを宥めるため、俺はいそいそと助手席に移った。
「エンジンどれ?」
「そこから何ですか?──その横辺りにボタンがあるでしょ、ブレーキペダルを踏みながら押してください」
「どうして踏む必要があるの?その必要性は何?」
「いいから!」
津島さんは案外理屈屋っぽいかもしれない、これは面倒な事になりそうだ。
「動いた〜!感動〜!」
「次はその電動パーキングを押してください」
「どれ?」
「ああもう!俺がやりますから!」
コンソールの中央辺りにあったボタンを押す、軽くモーター音が作動した。
「次はシフトレバーをドライブに入れてください」
エンジンスタートと電動パーキングブレーキのボタンは分からなかったくせに、シフトレバーだけは一発で当てていた。
「あれ、何か進んでなくない?」
「え、ブレーキペダルから足離したら駄目ですよ!早く踏んで!」
がくんと大きく車が急停止した、この人クリープ現象も覚えていないらしい。
「何この仕様〜めんどくさ〜」
後部座席から姉が「男みたいに優しくしないからこうなるのよ」とまた冗談を言ってきた。
相手にしていない津島さんがハンドルの操作方法を尋ねてきた。
「これってリバース?」
「はあ?」
「右に切ったら左に向くの?」
「それゲームだけですから、右に切ったら右を向きます。あ、内輪差はきちんと計算してくださいね」
「内輪差って何〜?何か聞いたことあるけど全然覚えてないよ〜」
「それも俺が見ますから、とりあえずこの駐車場から出ましょう」
停車しているすぐ横にコンクリート製の柱がある、これを避けつつ前の車に注意しつつ、さらに車体を擦らないように細い道を通らなければならない。いきなりハードモードである。
「これいきなりハードモード過ぎない?駐車場って一番気を使うよね」
「あ、俺も同じ事考えてました。やっぱり気が合いますね〜」
「今はそういうの要らないから真面目にナビしてくれる?こっちは自損事故にならないよう真剣にやってるんだよ?」
「す、すみません…」
あれ、ガンギレしている割には薄らと頬が赤くなっているような...気のせいか。
のろのろと進み始めた車はゆっくりと柱を超え、十分距離を取ったあと津島さんがハンドルの動きを確かめるようにゆっくりと回した。
柱は大丈夫である、しかしその反対側、右後方の車体が隣に停車している車に当たりそうになっていた。
「津島さん、後ろ見て」
サイドミラーを指差すと津島さんが「ああ、内輪差ってそういう事?」と理解を示した。
「頭良いんですね、津島さんって。普通こんなのすぐには分かりませんよ」
「はいはい」
何なの俺の周りの女性陣、褒めると素っ気なくなるのは何故なの?
それからたっぷりと時間をかけて駐車場を後にし、もう既に暮れなずみ始めた空の下、宿泊する旅館へ向かった。