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第38話

 本格的な冬がやって来た。この寒さを前にして生命の灯火はただ弱く、ちょっとした寒風ですぐに消えてしまう。

 動物は洞窟へ、草木は地面の中で春の到来をじっと待ち、寒いこの季節を忍耐強く過ごす。

 それは人間だって変わらない、過酷な環境下は動物や草木と同じようにただじっとし、過ぎ去るのを待つ。たとえ財布の中身が寒くなろうとも、相手の機嫌が直るまでじっと堪えるものだ。


「日和、呑み過ぎたら駄目だからね」


 俺の肝を冷やす"本格的な冬"こと日和が、小さな鼻で小さくふんと鳴らした。たったそれだけで、また俺の肝が少し冷えてしまった。怖い怖い。


「大丈夫です、もう下手は打ちませんから」


「それともうちょっと加減してもらえない…?財布の中身って無尽蔵じゃないんだよ、人の愛想と同じようにいつか底を尽くんだからね」


「上手い事言いますね」


「それはありがとう──そういう事じゃないんだよ、あれこれ頼み過ぎだから」


 ただ、人間の場合は洞窟や地面の下で厳しい冬を過ごす必要がなく、旨い酒と美味しいおつまみを食べられる居酒屋でもいい。俺たち以外にも沢山のお客さんが入っており、皆んな顔を赤くして談笑していた。

 俺を呼び出した日和は何も言わずじっとこちらを見つめ、徳利に入ったお酒をちびりと舐めた。

 見た目は子供っぽく、なのにお酒で頬を赤く染めている日和はそれだけで何だか色っぽく見え、少々狼狽えてしまった。

 何か言いたい事があるのは明確だ、けれど自分から言おうとしない。観念した俺は飛んで火に入る夏の虫になった。


「俺の呼び出しのはどうして?」


「………」


「いやごめん、ほんとに分からない」


 日和がぽつりと言った。


「庄瀬るかさん」


「………?誰?日和の知り合い?」


「ほ〜あくまでしらを切るおつもりですか。そうですかそうですか」


「???」


「いえ、別に私たちはそういう間柄ではないのでプライベートを打ち明け合う必要もなければ訊ねる権利もありません」


「はあ…」


「本当に心当たりがないんですか?」


「え、俺の知り合いって言いたいの?女性の知り合いなんてほとんどいないんだけど」


「………」


「──あ、津島さんは知り合いかな、唯一の知り合い」


「──いやそこでやっと出てくんのかーい!!」と俺たちのテーブルに乱入してくる人が現れた。

 ジョッキを片手に、そして自分と良く似たイケメンを片手に立っていたのは驚いた事にその津島さんだった。


「私ってそんな存在だった?!一緒に旅行してあーんな事までしてあげたのに?!」


(うっざ)


「あれ、反応薄くない?何でこんな所に〜とか、奇遇ですね〜とか!色々あるでしょ?!──ほら!うちの自慢の弟兼恋人!」


 千鶴さんは心底迷惑そうアンド困り果てたように「どうも」と会釈をしただけだった。普通に可哀想。

 今日の津島さんはとてもシンプルな服装だった、胸の大きさが分かり難くなるセーターにジーパン、髪をちょんまげにしていた。

 ずっと黙りを貫いていた日和が突然果敢に動き出した。


「──そういう所ですよ!私がまだ信用していないのは!」


「いたたた?!箸で刺すのは止めなさい!」


「どうせ庄瀬さんの時もそうやって胸ばっかり見てたんでしょ?!」


「だからその人誰だってば!──胸なんか見てないから!」


「その庄瀬某について詳しく」と津島さんが俺の隣に座り、「仲良くやっているみたいだね」と千鶴さんが日和の隣に座った。

 訳の分からない四人の飲み会が始まった。



「あそういう事だったの?!何でちゃんと説明してくれないの!」


「………」


「そりゃ言えないよね〜自分のいない所で知らない女とイチゃついた飲み会だなんて。私だったら嫉妬で鬼電しちゃうな〜「いや嫉妬はしてません」


「で、君はその女性は何も覚えていないって?」


「いや…そんな事ありませんけど…」


「あかりさんの話では何やら随分と仲良くされていたみたいですね〜〜〜メッセージで教えてもらいましたよ〜〜〜「めっちゃ嫉妬してるやん」


「いやあれは仲良くというか、揶揄われていただけで。それにあの人結婚してたし」


 俺がそう言うと、三人が「え?」と目を丸くした。


「しかも女の人と、これが私の奥さんだよ〜って写真まで見せてもらったんだから」


「──あ、そうだったんですか…」


 日和のボルテージが見る見る下がり、下がり過ぎて眉まで申し訳なさそうに下がった。

 誰とでも距離を縮める津島さんが「それでいいの日和ちゃん!」と言い、俺に詰め寄ってきた。


「証拠見せろ!どうせ嘘なんでしょ!その人私みたいにおっぱい大きい──むぐぐっ?!」


「うるさいよ、その口を閉じようか」


 いやもう閉じてますけど。身を乗り出した千鶴さんが津島さんの口の中に自分の指を突っ込んでいる。ちょいちょいエロい事するんだよこの人。


「だから、その人とは何にもない。分かった?」


「は、はい…私の早とちりだったみたいで…」


 日和がしゅんとした様子でそう言った。

 姉の口に自分の指を突っ込んだまま千鶴さんが、「どうして早とちりしたのか気になる所だけどね」と言った。

 日和が途端に照れ照れし出した。


「いやそれはまあ、はあ…別になんでも」


 ようやく口の中を解放された津島さんが一言。


「そこ照れるところなの?あれだけ恋人ムーブかました後なのに?」


「うぐ」


「まあまあ、仲良くしているみたいだから。僕はてっきりあかりさんの方へなびくと思っていたけど…あれからどうなの?」


 そこへ注文していたお酒が届き、俺は質問に答える前にそれを一気に飲み干した。

 グラスを割らない程度に強く置き、それから質問に答えた。


「それがですね──」



✳︎



「また逃げられた?」


「そうですよあの姉!何度も何度も──」


 めっちゃ荒れてる、ウケる。

 何やらあかりとすれ違っているつぐも君、もう私に気がないことは明白だが、それでもやはり少しだけショックである。


(あの旅行の時は本気だったんだけどな〜)


 まあしょうがない、恋はタイミングだ、あの時つぐも君と結ばれなかったからこそ私は今ちー君と一緒にいられる、それは喜ばしい事だ。

 まあ、二股も全然アリなんだけど。

 ちー君から嫉妬の視線を嬉しく感じながら、私は話した。


「やっぱりあれ?年末のあの事件絡み?」


「事件?」


 ちー君がすかさず問うてきた。その質問に私より先につぐも君が答えていた。


「妹と…まあ喧嘩みたいになって、それで俺が怪我をしたんですよ、もう治りましたけど」


「ふうん、そんな事が…で、何であかりさんが?」


「その時にあかりがね、つぐも君のスマホを奪ったりたまねちゃんを遠ざけたりしていたの。で、なんでそんな事をしたのか、その説明が未だにない状況って感じかな」


「そうそう、あれから姉は俺とちゃんと話をしようとしないんですよ。俺は気にしてませんよオーラ出して普通に挨拶とかしてましたけど、でも全っ然駄目!話しがあるってメッセージ送っても実家に逃げるし!ほんとなんなの?!」


 そこでつぐも君がまたグラスをぐいっと煽った、「それ私のですよ!」と日和ちゃんに叩かれている。そういう何気ないじゃれあいが一番心に来る。


「どうして逃げるんだろうね、確かに不思議だ」


「どうせ大した理由じゃないでしょ、けど逃げてる手前段々会いづらなくなってきて、みたいな感じじゃない?日和ちゃんは何も訊いてないの?」


「私ですか?いや〜…たまねさんの相手をするなと言われましたけど…理由まではお話してくれませんでしたね」


 四人でどうしてだろうね、なんて言いながらうんうん唸っていると、ちー君が「こうなったら…」と言った。


「誘い出すしかない」


「どうやって?」


「僕か澪のどちらかが話しがあると言って呼んで、そこにつぐも君をぶつける、これしかないと思うよ」


「まあ…でもいいんですか?後で恨まれるかもしれませんよ」


「いいよ、僕は宮島さんの味方だからね」


 そう言うと日和ちゃんが「もう!」とか言いながら馴れ馴れしく我が弟の腕を叩いた。なんだあの女、腹が立つ。


「でも来ますかね、あの姉が」


「デカい釣り針とか持ってないの?」


「それはどういう意味?」


「あかりが食い付きそうなネタって事──ほら!いつか話した昔の女とかは?「昔の女?」


 日和ちゃんがすぐ食い付いたが私もつぐも君もスルーした。


「それでどうやって誘い出すんですか?」


「さあ、言い寄られていて困ってるとか何とか、だからあかりに間に入ってほしいって言えばさすがに顔は出すでしょ」


「まあ…」


「昔の女って誰なんですか?」


「それでつぐも君が私の家に居るから早く引き取りに来てって言えば詰みでしょ。来る来る!絶対来るから!」


「昔の女って誰なんですか?」


「じゃあお願いしていいですか?そろそろきちんと話し合いたいので」


「おっけー」


「──子供扱いしないで!」


 日和ちゃんも十分酔っている、仲間外れされたことに怒ってテーブルをばしん!と叩き、残っていたグラスを倒して中身をぶちまけていた。


「ああ!すみません…」


「全く日和ちゃんは〜これだからお子ちゃまは」なんて言うと日和ちゃんが両の手をぶん回しながら襲いかかってきた!


「冗談、冗談だから!」


「もう!言って良い事と悪い事があるんですよ!」


「そうですよ、俺だって揶揄うの我慢しているんですから」


「何をう?!」と、私を抑え付けて今度はつぐも君に襲いかかった。

 私の目の前でイチゃつくなんて!


「止めて!私の前で他の女と仲良くしないで!」


「俺の女でもないでしょ!!──というか何でここにいるんですか?」


「今頃それ訊くんかーい!!いやねちー君がね、仕事忙しいって言ってこっちに泊まってるから他の女と浮気していないか調べに来たの。それでたまには外で呑もうかって話になってこのお店にやって来たら君たちがいた訳だ!」


「へー」


「反応うっす!このチューハイぐらい薄い!」


「澪に興味を持たないなんて…嬉しいけど腹が立つね」


「あなたも大概ですよね」


「無視しないでってさっきから言ってるでしょ〜〜〜!うにゃあ〜〜〜ん!!つぐもさんの好きな猫ちゃんですよ〜〜〜!!」


 それからお店の人がやって来て「静かにしろ!」と注意を受け、四人ベロベロになってお店を出た。

 後日、ちー君から聞いた話だが、あの日お店の中で私たちのテーブルが一番カオスだっという。



✳︎



澪:ヤバい事になった


 そのメッセージを貰ったのはお昼前、母が作った昨日の残り物にありついている時だった。

 大概この子はヤバい目に遭っている。いつもの事だろうと思いつつ、メッセージを返した。


あかり:修羅場なら自分で解決して


 肉じゃがと野菜炒めの中間ぐらいのおかずを頬張りつつ、冷えたご飯をかっこんだ。いつも通りの味だ、懐かしくもあり新鮮味がない、母の味だった。

 そして私は昔に戻ったようだった、学生時代のあの頃に、人に怯えて背中を向けていたあの時の自分。


(結局逃げてしまった…)


 いやもう話があるってそれ絶対あの家を離れるって事でしょ、わざわざ言う必要ある?元々別々で暮らしていたんだから、今さら気を遣う必要は無いと思う。

 あれだ、あれはある種の熱に浮かされていたんだ。互いに意識し合って姉弟以上恋人未満のような関係になっていたのは、ある種の熱のようなものだったんだ。熱が下がってしまえばどうという事はない。

 澪から返事があった。


澪:ヤバいのは私じゃなくてつぐも君


澪:昔の女に言い寄られている


「はあ?」


 口から出た言葉をそのままメッセージにした。


あかり:はあ?


あかり:あいつにそんな相手がいるわけないでしょ


澪:覚えてないの?学生時代の話


 ──ああ、そういえばそんなのがいたな...


澪:結構グイグイ来てるらしい、相手がね


澪:助けてやってくんない?さすがに他人の私からは何も言えないし


澪:姉なら介入できる権利あるでしょ


あかり:だからって何で私が


澪:全然話ができていないんでしょ?このまま他所の女に取られていいの?


「………」


澪:年貢の納め時だって、逃げずにちゃんと相手してやんなよ、今日は良くても明日は後悔するよ


(──ああ、そういう事、あいつ、澪を丸め込んだのか…私が日和を仲間にしたように…)


 昔の女が復縁を求めてくる?そんな上手い話があるのか?こんなタイミングで?

 ──それがあったのだ。



「は?マジ?」


「だからマジだって言ってんじゃんか。あのジェネリックあかりがその人らしいよ」


「言い方」


「嘘が真実になるなんて…こんな事もあるんですね…」


 澪に呼び出された場所は駅前の喫茶店、私が小さな頃から経営している老舗だ。

 そのお店の窓際の席に一組の男女が向かい合って座っていた。一人は弟とよく似た背中を向けている男性と、あと一人はどこか見覚えるがある長身の女性だった。

 ここは私の実家がある最寄り駅、なのに澪がいる、この子は泊まり込みで仕事をしている千鶴君を追いかけてきたそうだ。

 その二人が道路を挟んだ街路樹に隠れながら喫茶店の様子を窺っていた、はっきりと言って不審者である、そして私も仲間に加わった。


「まあ、私に雰囲気似てるけど…というかどういう状況なの?何であいつは昔の女と会ってんの?」


「それがね〜…」


 千鶴君が言ったように、弟が昔の女性に復縁を求められて困っている、というネタで私を誘き出す作戦だったらしい。

 そして決行当日の朝、待ち合わせ場所の駅前で三人が雑談していた時に、そこで偶然出会したらしい、その本人と、それからあれよあれよと言う間にあのお店へ引っ張られてそうだ。


「で、何で言い寄られてるって分かるの?」


「つぐも君に実況させてる。ほら見て」と言い、澪がスマホを見せてきた。そこには弟とのやり取りが表示されていた。


つぐも君:付き合わないかって言われました


澪:どうするの?日和ちゃんを振るの?


つぐも君:いや


つぐも君:そういう相手はいますと答えたんですけど


つぐも君:セカンドでも良いからって


澪:あかり呼ぶから待ってて!返事したら駄目だよ!私が許さないからね!


澪:来た!本人来たから!今から突入させるから!


 澪の許さないという言葉には妙な説得力があった、とか今はどうでも良く。

 つい、私はこう言ってしまった。


「嫌、行かないから私」


「はあ?!何でさ!」


「誰と付き合うかだなんて本人が決めることでしょ、私がでしゃばっていい問題じゃないもの」


「あかりさん…そこまでして会いたくないんですか?」


「ちっ──こっち来なって!「──いった何すんの!」


 舌打ちをした澪に腕を掴まれ、無理やり移動させられた。一本の木の前から動き、弟が見える位置へ立った時、それは見えた。


「あの困った顔が見えないの?!あれ、あんたの弟だよね?!それでも放置するって?!」


 女性の前に座っていたのは、確かに私の弟だった、紛れもなく、澪が言ったように視線を下げて苦しそうな顔をしていた。

 千鶴君が言う。


「押し付けられる好意って本当に困るものですよ、気が弱い彼ならなおさらでしょう。このままいくと下手な返事をしかねません、そうなったら宮島さんも悲しみます」


「何でそこで日和が出てくるの──」反論しようと思ったが、「宮島さんにも迷惑をかけたんでしょう?見過ごせますか?」と封じられてしまった。


「………」


「あかり、観念しなって。昔、何があったのかもう訊いたりしないからさ、せめて本人同士で話し合いなよ」


「………」


「あかりさん、一度出来た溝はなかなか埋めることができません、もし埋めようと思うのなら多大な犠牲を必要とします。僕は前の会社と、結婚相手の親族全員から信頼を失って何とか戻って来られました。僕と同じ思いをしたいですか?」


「………」


「──ああもう!ここまで頑固だと思わなかった!──もう知らない!好きにして!家族より自分のプライドを心配するなんて見損なったよ!」


「………」


 千鶴君の腕を引き、澪が私の元から離れて行った。



✳︎



「──と、いう事があってね、正直今の精神環境ってまともじゃないの、それは自分でも分かってる、そんな時に君に再会したから、つい…」

 

「うん、まあ…話は分かったけど…」


「恋人はさすがに言い過ぎたと思う、それは反省してる。せめて話し相手になってくれないかな、会うだけでいいから」


「いや、それはでも…」


「そういう優しい所は変わらないんだね、帰島君は」


「三島さんは、なんか強引な感じになったね、昔と違って」


「そう?君を部屋に誘った時は勇気出したんだけどな」


(あ、これはマズい流れに…)


 未だに頭が追い付いていない、どうして俺はこの人と向かい合って座っているのか。

 さっきまで馬鹿な話をしていたはずだった、津島さんと千鶴さんの三人で。この間ははしゃぎ過ぎたね、なんて言いながら雑談していたら声をかけられたのだ、「帰島君?」と。

 三島愛理、俺が学生時代に仲良くしていた人、俺より歳上で静かな人だった。

 それが今となってはすっかり大人で、化粧もして、ちゃんとブランド品も身につけて──そして、どこか姉に似た雰囲気を持っていた。

 再会して気付いた、この人に好意を寄せていた理由が、姉に似ていたからだ。

 でもなんでこんなタイミングで再会するのか、本当に世の中不思議である。


(ああ駄目だ、現実エスケープしてる場合じゃない…)


 姉から覇気だけを奪ったような三島さんはじっと俺のことを見つめている、この席に着いてから片時も離そうとしない。

 女性に言い寄られるだなんて、男なら一度は夢見る状況だが現実はそう甘くない、もしその相手が既婚者だったらどうなるか、という話だ。

 三島さんの左手、薬指には指輪があった。

 その事実に俺は動揺しなかった、それが決め手となって三島さんの誘いを断り続けている。

 それなのに向こうが一向に折れない!

 わざとらしく伝票を確認し、「そろそろ…」と腰を浮かせるも、「待って」と手首を掴まれた。


「もう行くの?もう少しだけ…」


「いやでも…」


「予定があるの?その予定は何時から?」


「えっと…そろそろだけど…」


「嘘だよね?なんとなく分かるよ、私が面倒臭いでしょ?」


「いやそんな事は──「面倒臭いに決まってるでしょ、あんた何言ってんの?」


「!」

「!」


 俺も三島さんも驚き固まった、そこに姉が立っていたからだ。

 姉が放つオーラに俺も三島さんもうっと圧倒され、何も言えなかった。登場からこの場を掌握した姉が口を開いた。


「いい加減諦めてくれない?心底迷惑なんだけど」


 三島さんも負けじと言い返すが、やはり圧倒的に覇気が足りなかった。トラに噛み付くリスそのものだった。


「ど、どうしてあなたに…そ、そんな事を…だ、誰なんですか?」


「こいつの──「恋人です、俺の」


「………」


 咄嗟に嘘を吐き、でも平然と言えた、けれど三島さんの目には不審の色が灯っていた。

 姉は三島さんになんら気を遣うことなく言ってのけた。


「あんた、結婚してるんでしょ?自分の身内に不倫を持ちかけている所を見かけたら誰だって止めに入るでしょ、そんな事も分からないの?あんたの言う事に何ら正当性はないの、分かったのならさっさとこの手を離しなさい」


 三島さんがゆっくりと手を離した。

 

「──分かりました、これ以上無理は言いません。でも、最後に話をさせてください、止める権利があなたにありますか?」


「それはこいつが決める事よ。それから私も同席させてもらうわ」


「なら結構です。──帰島君、連絡先を教えてほしい、駄目かな」


「………」


 "姉の監視付き"という条件が付いているにも関わらず、三島さんはそれでも良いと承諾し、連絡先を交換した後にようやく席を立った。

 さすがにこのままこのお店で姉と向かい合う勇気がなかったので、それから程なくして俺たちも席を立った。



 やって来た本格的な冬は街だけではなく、俺たちの間も寒くさせた。

 無言は冷たい、氷のように張り付く緊張感がある。お店を出た俺たちはなんら会話することなく街中を歩き、最近出来たばかりの公園に訪れていた。

 ここは元々川が流れていたそうで、時代と共に川の水が枯れ、その跡地を埋め立てて新しい公園を作っていた。寒いにも関わらず沢山の人で賑わっており、建ち並ぶ飲食店でご飯を食べたり広いスペースで子供たちが遊んでいた。

 ここまで無言だった、というより今日まで俺との接触を避けていた姉が言った。


「あの人、私に似ていたわね」


「だね、だから好きになったんだと思う」


「あんたどれだけ私のことが好きなの」


 何気ない会話のように思える、心なしか安心している自分がいる。このままでいいかなと流されかけたが、俺の方から切り出した。


「いやいや、他に言う事あるでしょ」


 半身になって俺を見ていた姉がふうと息を吐き、白い煙が風に煽られることなく空へ上っていった。それから姉が「はあ〜〜〜」とわざとらしくまた溜め息を吐き、ボール遊びをしている子供たちを指差した。


「あの子、ほら、一人だけ地面にお絵描きしてる子供がいるでしょ、あれを見てどう思う?」


「なんの話?」


「いいから」


「…ボール遊びよりお絵描きの方が楽しいんじゃない?」


「そう、私はあの子を見て同情するわ、可哀想にって」


「どうして?」


「自分に自信が持てないからよ、だから輪に加わることができない」


「いやそうじゃなくて、どうして訊いてもないのに理由が分かるの?」


「──それもそうね、あんたの言う通りだわ。私はね、昔あんな感じだったのよ」


 その台詞を耳にして頭にはてなマークが浮かんだ。


「はい?あんな感じだった?」


「そうよ、昔っから人付き合いが苦手でね、子供の頃は逃げ回っていたわ」


「いやそんなはずは…」


「あんたたちの前では見栄を張ってたのよ、姉だし、馬鹿にされちゃいけないと思って」


「ああ──」合点がいった、妹の友達がした話と、祖母が言っていた事は真実だったのだ。

 でも、疑問は残る。


「それで?」


「私はあんたみたいに自分から他人に関わろうとしない、こうだろうと理由を決め付けて人付き合いをしてきた。──だから逃げていたのよ、呆れられたかもしれないと思って」


「誰に?俺に?」


「他に誰がいるのよ」


「いやいや待って全く結びつかない…それで俺やたまねから逃げてたの?まだ言ってない理由があるよね」


「………」


 遊んでいた子供の一人がボールを取り損ねてしまい、お絵描きをしていた子供の元へ転がっていった。その子はボールを持って渡し、受け取った子供と何かしら話しをしている、その後はお絵描きをしていた子供も輪に加わって一緒になって遊び始めた。


「姉ちゃん、言って、言わなくちゃ分かんない」


 子供たちを眺めていた姉がこちらに振り向き、三度「はあ〜〜〜〜〜〜」と長く溜め息を吐いてから言った。


「──私なのよ」


「何が?」


「あんたに泣きついてもらおうと思ってね、たまねに突き飛ばせって言ったの。そしたらあなたがそのまま入院してしまった、あんたの入院は私のせいでもあるの、それなのに私はたまねをあんたから遠ざけた、旅行先で再会したって話を聞いた時からバラされたってビビってたの、だから逃げてたの」


「………」


「分かった?私はあんたが思ってるほど出来た人間じゃないの、その眼差しがたまに怖い時があるのよ」


「たまねそんな事言ってなかったけど、本当の話なのそれ」


「──え?」


「津島さんとね、そういう話しをした事があったんだよ。俺を突き飛ばした時、姉ちゃんから何か言われてないかって、たまねは何もなかったって言ってたよ」


「ええ〜あの子忘れてる?あんな事があったのにそこ忘れる普通?」


「え、待って、本当にそんな理由で俺たちから逃げてたの?」


「そうよ」


 寒空の下、俺と姉は二人揃って「馬鹿バカしい…」と大きな溜め息を吐いた。

 そこから喧嘩の始まりだった。


「あんたには分からないでしょうね!どれだけ私が悩んでたと思ってるの!引っ込み思案舐めるな!」


「知るかよ!そんな子供の頃の事で悩んでたなんて知るわけないじゃん!逃げられる身にもなれ!」


「あ〜あ〜これだからコミュ力高い人は!自分から言い出せない弱さを知らないんだから!」


「それ今関係ないだろ!」


「──じゃあ何?!私に話があるって何だったの?!昔の事を問い詰めるためだったんでしょ?!」


「違うわ〜日和がこっちに来る事が決まったから誰と一緒に住むかって話をしたかったの!宮島父は俺たちきょうだいとの同棲をご希望なの!」


「何よそれ〜〜〜だったら何でそうだって言わないの!悩みに悩んだ私の年末年始を返して!」


「知らんわ!そっちが悪いんだろ!」


 喧嘩が白熱し、気が付いた時には老若男女に囲まれ良い見せ物になっていた。それに気付いた俺たちはそそくさ喧嘩を止め、逃げるようにして公園から去った。



「──あ、そういえばそうだった、今思い出したわ」


「………」

「………」


 久しぶりにきょうだい三人が揃った、実家に、母は心底迷惑そうにしながら自室へ入っていった。

 妹も実家に呼び付けきょうだい会議の開催である、始めの議題は俺たちから逃げていた姉についてだった。


「え、それでお姉ちゃんは逃げてたの?馬鹿じゃないの?」


「それ俺も言ったから」


「………」


「へえ〜〜〜あのお姉ちゃんがね〜〜〜そんなちっさな事で逃げてたなんて」


「あんたたちと違って私は繊細なのよ」


「よく言うわ」

「よく言うわ」


 それで一つ目の議題がすぐに終わり、次に移った。

 姉が自分のスマホを妹に見せながら言った。


「たまね、この人こいつの昔の女みたいだからよく覚えておいて」


「はあ?何それ」


「そっちじゃないよ、話し合いたいのは日和なんだけど」


「どういう事お兄ちゃん、この間はあんな事して──……」


「ん?待って、何その話、あんな事って何?」


「………」

「………」


「何であんたまで黙るの?……二人で何かした?何処で?」


「お、おばあちゃんの家で…「おばあちゃん?!」と襖をスパン!と開け放って母が登場した。


「おばあちゃんってどういう事?あんたたちまさか…家まで行ったの?」


「私は行ってないわ、この二人だから。で、おばあちゃん家で何をしたの?」


 妹と視線だけで打ち合わせをする、「どこまで言う?」「それは言ったら駄目」みたいな感じで。

 説明役は妹が買って出た。


「なに?二人して怪しい…何をしたのかはっきり言いな」


「お兄ちゃんと添い寝した──「ちょおい!」全然伝わってなかった、妹に耳打ちする。


「…それ言ったら駄目でしょ!」

「…え、別に続きをしたって言わなければそれで良いと思ったんだけど「ちょっと!!コソコソするな!!」


 あれを見せるしかないという事になり、妹が渋々スマホを取り出して一枚の写真を姉に見せた。


「何よこれ──」


「これでいいでしょ、お姉ちゃんだってお兄ちゃんと一緒に寝たんでしょ」


 母もその写真を確認し、「馬鹿ばかしい」と言い放って再び自分の部屋に戻った──かと思いきや、「今度から黙っておばあちゃんの家に行かないように!」と注意してきた。よほど嫌いらしい。


「──まあいいわ」


 姉が納得を見せた所で今度は妹だった。


「で?この三島って人は誰?なんなの?なんで日和ちゃん以外の女の人が出てくるの?」


「それがね」と姉が妹に説明し、今度は俺が敵に回ってしまった。ヤバいよこの会議、敵と味方がころころ変わるんですけど。


「信じられない…なんでそこで話に乗るの?そもそも気がないなら一緒にお店に入ったりしないよね?」


「ね?そう思うでしょ?それなのにこいつときたらほいほい跡を追っかけて言い寄られてんの。見てられなかったから私が仲裁に入ったのよ」


「うわあ〜日和ちゃん苦労するだろうな〜こんな優柔不断な相手が恋人だったら、私だったら許せない」


「何であんたがそこまで怒るの?──まさか、一緒に寝た時にそれ以上の事はしていないでしょうね」


「………」


「いやそこは黙るところじゃなくない?無言は肯定と一緒だよ」


「あんたは黙ってて!」

「お兄ちゃんは黙ってて!」


 また母が襖をスパン!と開け、「うるさいのよ!そこまで騒ぐなら自分の家でやりなさい!」と怒られ本当に家を追い出されてしまった。

 その道すがら、俺たち三人は肩を寄せ合って寒さを耐え忍んだ。


「普通追い出す?こんな時間に?信じられない、私来たばっかりなのに」


 ぶつぶつと文句を言う妹に姉が同意した。


「あれが本当に自分の母親か疑うわ」


「ほんとそれ」


「何の話だっけ、誰が一緒に日和と住むかって話?」


「あ、そうそう、宮島父から依頼されてるんだよね」


「普通にお兄ちゃんでいいんじゃないの」


「そんな適当な…少なくても大学院を卒業するまではよろしくって言われてるんだよ」


「まあ、向こうに帰ってからでいいんじゃない?さすがに寒くて話し合いどころじゃないわ」


 本格的な冬は何も凍えさせるだけではないらしい、動物が洞窟の中で暖かさを得られるように、草木が地面の下で栄養を蓄えられるように、人と人の距離を近づけるようだ。

 俺たち三人はいつも以上に体を寄せ合い、最寄り駅まで向かって行った。

※次回 2023/9/2 20:00 更新予定

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