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第35話

 天気は晴れ、空には一片だけの雲が浮かび、気温も冬らしくない暖かなものだった。


「それじゃあ行きましょうか」


「はい」


 年末を迎えた新幹線のプラットフォームは帰省客や私たちみたいな旅行客で溢れ返っており、どこかむっとした空気があった。防寒用に着てきたファーコートが暑いのなんの。

 既に到着していた新幹線へ乗り込む、花見さんが先に乗り、私はその跡に続いた。

 ──ああ、どうせならこの重たい胸も駅のホームに置いていけたらいいのに。



 兄の容態を聞かされたのが一昨日、それから私は抜け殻のような日々を過ごして今日を迎えた。

 職場の子たちに「離婚した時以上だ!」と、とても心配されて一日多めに休みを取っていた(取らされた)。

 時速三〇〇キロ近い速度で走るこだまがぐんぐんと景色を溶かしていく、それらを見るともなしにぼんやりと眺め、ふうと溜め息を吐いてしまった。

 窓際の席を譲ってくれた花見さんがこちらを覗き込む、私の溜め息を聞いてかどこか心配そうにしていた。


「大丈夫ですか?」


「ええ、まあ…ちょっと色々ありまして」


「何かあったんですか?」


 (寒くないのかと思うが)お団子ヘアーにした花見さんにそう訊ねられ、後はするすると話していた。

 下手すりゃ傷害罪に問われかねない、あの夜の出来事を話している間に新幹線が次の駅に止まり、私たちはその駅に下りた。

 花見さんは意外と親身になって耳を傾けてくれた。


「傷害罪はさすがに…考え過ぎではありませんか?」


「うん…いやでも、家族がもう通報しそうなぐらいに怒っててさ…私もどうすりゃいいのか分かんなくて」


 ビルの谷底に作られたような駅のプラットフォームを歩く、視線を真っ直ぐに固定している花見さんが「お兄さんのことが好きなんですね」と言った。

 ──ああ、そういや花見さんも色々あったんだなとそこでようやく思い出し、いかに自分が自分の事しか考えていなかったのか、思い知った。


「──ごめん、きょうだいの話はちょっとナイーブ過ぎたかもしれない…」


「琢磨、何か言ってた?」


「いや、私に電話をくれた時は花見さんの事は何も──あ、すみません、知らない間にタメ語になってしまた…」


 花見さんは変わらず視線は真っ直ぐ。

 改札口へ続くエスカレーターに差しかかった。


「私は別にタメ語でもいいけど」


「いや駄目でしょ、別れた旦那のお姉さんと仲良くなり過ぎるのはさすがに抵抗ありますよ」


 エスカレーターを降りる間際になってちらっと花見さんがこちらを向き、柔らかい笑顔で「それもそうですね」と敬語で返していた。


(いよっし!──あぶねえ、あともう少しでルートに入るところだった…)


 花見さんはこの駅に来たことがあるのか、道に迷うことなく改札口を目指し、私はその跡に続いた。

 あの夜、兄に相談して自分の気持ちをスッキリさせておいたお陰だ、だからスパッと断ることができた。

 その報告を兄にしたくても今はできない、私が感情的になって相手を傷付けてしまったからだ。


(──あ〜〜〜最悪…ほんと最悪)


 新幹線の駅を出て見知らぬ土地のロータリーに立った時、津島さんに言われた言葉の意味をようやく理解できた──ような気がした。


 ──今の君に必要な事は謝罪じゃなくて反省。


 定刻通りにやって来たバスに乗り込み、不思議と混雑していなかったので一番端の席に二人並んで腰を下ろした。

 それから、ルート回避したにも関わらず花見さんはまるで気にした様子を見せず、泊まる宿やその付近の観光地の画像を私に見せてくれた。


「今日はほとんど移動で終わるんですけど、泊まる宿が凄く良い所にあるんですよ」


「へえ〜」


「山の斜面に面した所に宿があって、二四時間いつでも入浴できる壺型の浴槽が──」


 バスに揺られて目的地へ。空の隅には、出かける前に見かけたあの雲だろうか、一つだけぽつりと浮いていた。──君も誰かと喧嘩したのかい?いたく寂しそうだねえ。



 バスを乗り継ぎ最後はタクシーという、公共交通機関をフルで使ってやって来た所は、どうやらスキー客を相手にした個人旅館のようであり、薄らと積もり始めた雪に埋もれて私の目の前に建っていた。

 旅館前のちょっとした敷地には、あちこちの県名が書かれたナンバープレートがあり、その中にはレンタカーも混じっていた。


「ここ、人気があってキャンセル待ちだったんですよ」


「へえ〜…なんだか秘境って感じですね」


 雪に埋もれて滑りやすい玄関前の階段を上る、周囲は鬱蒼とした森に囲われ、街灯が照らす範囲の外は真っ暗闇だった。

 自動扉をくぐるとむっとした熱気が押し寄せ、新幹線のプラットフォームと違ってほっと安心するような暖かさがあった。

 旅館の人の案内で予約した部屋に通され、八畳ほどの質素な部屋で大きく息を吐いた。


「は〜遠かったですね〜」


「旅行って大半が移動ですからね〜」


「それは確かに」


 ファーコートを脱いでもなお暑い、体が動くうちに温泉行こうという流れになり、私たちは一つ息を吐いただけで早速移動を開始していた。


「明日はもう少しのんびりできますので」


「いえ──というか、誘ってくれてありがとうございます、私きっと腐ったままだったので良い息抜きになります」


「それは良かったです」──と、口ではそう言うが、目は「だったら私の誘いに乗ってよ」と熱く語っていた。

 

 その後、壺型の露天風呂に入り、郷土料理に舌鼓をうって非日常を堪能させてもらった。

 ──突然だが、私は悩み事を抱えるのが苦手だ。

 どうしても、ふとした拍子に考えてしまい、暗い気持ちになってしまう。

 それが嫌でなるべく深く考えないように生きてきた。

 だってしんどしい、疲れるし、楽しい事をしていても心のどこかで悩んでいて、それを自分で制御できなくて。

 だから、露天風呂に浸かりながら見る冬景色を前にしても、舌先でほろろと溶けるお肉を頬張っている時も、ずっと兄のことを考えていた。

 

「…………」


 駄目だ駄目だ、どうしても考えてしまう、今はもうベッドに入っているが、かれこれ一時間近くはずっと寝返りをうってばかりいる。

 反対側のベッドで眠る花見さんはすやすやと寝息を立てていた、今日の移動で疲れてしまったのだろう。

 私は起こさないようそろりとベッドから抜け、壊れているんじゃないかと思えるほど、熱風を出すエアコン前で乾かしていたタオルを手にして部屋からそろりと出た。

 この旅館の名物でもある壺型の露天風呂は二四時間営業、夜の帷がなかなか下りてこないので私は深夜風呂をかますことにした。

 

(私のせいで病気が再発した…ああ、なんであんな事したんだろう)


 どれだけ反省しても、この暗い気持ちを拭うことができない、せめて真冬の冷たさに触れたら少しはマシになるかと思った。

 

「──あらら?」


 さあお風呂へ、そう思ったのだが、露天風呂の入り口には「調整中」という張り紙がされていた、どうやら今は使えないらしい。


「そんな事ってあるのか──しゃーない…」


 踵を返して来た道を戻ろうと──



✳︎



「奇遇だな、妹よ」


「…………………………………」


 絶句、とはまさにこの事、背後から声をかけた妹がフリーズした。

 人って驚きが過ぎると固まるという話、どうやら本当らしい。口を「はあ?」の形にしてぴくりとも動こうとしていなかった。

 眼帯を付けているせいで遠近感がバグったままだが、妹に向かって一歩足を踏み出した。妹が一歩だけ後ろに下がった。

 そして妹がやっと口を開いてこう言った。


「──兄のお知り合いの方ですか?」


 敬語妹新鮮。


「いや、俺がその兄なんだけど…」


「何でそんな嘘を吐くんですか?兄は今入院しているはずなんですが…」


「入院?誰がそんな事言ってたの?」


「……………」


 物凄く警戒しながら妹がさらに距離を空け、俺は慌てて弁明(?)に入った。


「──いやいや!ほら、前にお前がここへ行くんだよって宿のホムペ見せてくれただろ?それで旅行友達誘って俺もここまで来たんだよ!」


「……眼帯付けているのに運転できるんですか?」


「引っかかるのそこなんですね──って違うから!友達の運転だから!俺今運転できないから!──そういう事でもないんだよ!──たまね、姉ちゃんから連絡取るなって言われてるよね?「姉の回し者──「それも違うから!」


 え、どうすればいいのこの妹、全然俺の話を聞いてくれない。

 経緯は妹に言った通り、俺も姉から「妹を甘やかすな」と言われてスマホまで奪われている始末、だから友達に頼んでこの宿まで来たのである。

 キャンセルの空きが出たのはまさに幸運と言わざるを得ない。嘘ではない、嘘だったらそもそもこんな所にいない。


「あ〜…俺がここにいるのがそんなに信じられない?」


「だって──私が殴ったせいでまた再発して入院したって聞いて…だから…」


 絶対防衛線を敷いていた妹が徐々に崩れ、不信感を募らせていた瞳が段々と濡れ始めていた。


「誰がそんなこと言ってたの?」


「つ、津島さんが…」


「今電話できない?」


 妹が秒でスマホを出して秒で電話をかけると秒で相手が出た。ここまで三秒。


「もしもーし、ちょっと早いけど来年もよろ「そういう電話じゃないんですよ、今妹と一緒なんですよ、これで意味分かりましたよね?」


 津島さんが「あー」と言ってから、


「たまねちゃんも一緒なんだよね?」


「そ、そうですけど…」


「あ、なんか事情は察したからゲロるね」


 それから、妹が「はあああ?!?!」と大絶叫を上げたのは数分後のことだった。



「え、肺気胸が再発して入院してた?俺が?」


 津島さんにキレまくって疲れ果てた妹が無言でこくこくと頷いた。


「そんなわけないでしょ。というか眼帯付けてるでしょ?」


「それ、もしかして、目?」


「違う、もう少し上、眉毛らへんって切れやすくて良く血が出るんだってさ」


「……………」無言のまま、妹がロビーのベンチに倒れてしまった。

 浴衣の裾が捲れて太腿が露わになっている、幸い周囲に人はおらず、俺は無心で裾を直してあげた。その妹が「はにゃ〜」と変な声を出してからすっと姿勢を戻した。


「私もうほんと、この数日生きた心地がしなかったんだよ…分かる?この気持ち」


「分からんでもないけど、そもそもたまねが俺を殴ったのが原因なんだからね?姉ちゃんも言ってたんだよ、あの子は絶対反省しないって」


「………そうかもね。ほんと、良い薬になったよ」


(ほんとかな〜)


「ごめん、お兄ちゃん、殴って」


「いいよ別に。でも、目に傷が入ってたらここに来なかったかもしれない、俺も人間だからさ、許せる範囲と許せない範囲ってのがあるんだよ」


「分かった」


「ほんとに?」


「これからはなるべく迷惑をかけないように努力する、もうこんな目に逢いたくないし」


 よっぽど堪えていたらしい、それはそれで津島さんがやった事は正しかったのかもしれない。

 シーリングライトに照らされたロビーからでは、太陽がいなくなった森をちゃんと見ることができない、つまりガラスの向こうは真っ暗闇だ。

 人は暗闇に安心と恐怖を覚えるものらしい、俺は『安心』の方が強い。

 そっと眼帯を外した。


「え、眼帯外して大丈夫なの?」


「瞬きした時に傷口が開くかもしれないから付けとけって言われてるだけ」


「──なんで眼帯外したの?」


「一生に一度しかしないことをするためだよ」


 この旅館へ来た時は大人しかった雪が、今はしんしんと降り続けている。その無音さが緊張感を強め、俺の手を震えさせた。

 妹の柔らかい頬を両手で挟み、向こうが何をされるのか理解した瞬間、自分の唇を重ねた。

 ──俺は実の妹とキスをした。自分から、自分の意思でたまねとキスをした。

 

「自分から誰かに、目を覚ましている相手にキスをしたのはたまねが初めて」


「…………」

 

 何かを言わなければ、たまねの何かを求める瞳が俺の口を動かせた。


「あー…つまり、キスしても良いって思えるぐらい、たまねのことが好きってことだよ。だから、この間のことは気にしないで」


 妹が、泣きそうな、嬉しそうな、恥ずかしそうな、そんな笑みを浮かべて「分かった」とだけ、一言だけそう言った。

 それから妹が突然ベンチから体立ち上がり、旅館に一つだけある自販機で飲み物を買ってきた、かと思えば一人でプルタブを空けてごくりと飲み、こう言ってきた。


「──いやにしてもマジでヤバいって、普通妹にキスする?──ないわぁ〜!」とけらけら笑い始め、遠慮なく俺の肩をバシバシ叩いてきた。


「うん、その突然の暴力が照れ隠しなのは俺でも分かる」


「する?どうせならこのまま続きでもしちゃう〜?」きゃっはー!と、テンションがおかしくなったたまねが俺に抱きついてきた。


「はいはい、元気になって何よりだよ」


「いやでもちょっとテンションがおかしい」


「自覚はあるのかよ」


「そりゃあね〜?──もうちょっとこのままでいい?そのうち収まると思うから」


「はいはい」


「あ──待って、急なクールダウン入った、今のキスってほんとにお兄ちゃんがしたくてしたんだよね?澪さんに言われたからとかじゃないよね?」


「そんなわけあるか、もうキスするしかないって思ったからキスしたの」


 また妹がきゃっはー!と騒ぎ、騒いで、騒ぎ続けた。



 騒ぎ続け、ようやくクールダウンに入った妹が姉の話題を持ち出した。


「お姉ちゃんに今日の事は言ったの?」


「言ってない。というか、スマホ取り上げられたままだし」


「はあ〜?」


「よっぽどたまねと連絡取らせたくなかったんだろうね」


「…なんでそこまでするんだろうね、お姉ちゃん」


「さあ…」


 俺たちは変わらず旅館のロビーに居座り、時間を追うごとに積もりゆく冬景色を眺めていた。

 

「津島さんもお姉ちゃんから口止めされてたって言ってたけど…何か知ってるかな」と、妹がスマホを取り出し時間帯を無視して電話をかけていた。

 また秒で繋がった。


「もしもーし。仲直りはもう済んだ?」


 妹が毒気を含んだ声で「お陰様で」と言い、姉について訪ねていた。


「何か知ってます?」


「うう〜ん…私が思うに…昔の事と関係してるんじゃない?」


「昔の事って?」


「たまねちゃんがつぐも君を突き飛ばした事、なんかあかりも気にしてるんだよね、本人は何も悪くないのに」


 ──言われてみればそうだと、俺とたまねは目を合わせた。


「たまねちゃんはその時のこと何か覚えてない?たとえば、あかりに言われてつぐも君を突き飛ばした、とか」

 

「いや…そんな事はなかったと思いますけど…」


「いやね?もしかしたら、そこら辺の事情も絡んでるからたまねちゃんとつぐも君を遠ざけていたのかなって、そう思っただけ」


 スピーカーにしている妹のスマホからキーボードを叩く音が小さく聞こえてくる、今も仕事中のようだ。

 

(何でだろう…話さなくなったのも、てっきり自分が悪いんだろうって勝手に思ってたけど…他に事情があった?何それ)


「でもまあ、仲直りできて良かったじゃん?今度からちゃんと線引きはするんだよ〜」


「肝に銘じます」


 くそ真面目に返答した妹を津島さんが軽やかに笑い、電話を切った。

 

「ちょっとお姉ちゃんに訊かないと分からないね」


「だね、答えてくれるかどうかは別だけど」


「お姉ちゃんって昔っからこういう所あったよね、私たちには内緒で一人で何かやってる的な」


「あーね、それはある」


 それで一旦姉の話題が終わり、明日からの予定の話になった。


「お兄ちゃんは明日どこ行くの?」


「山を下りて地酒が有名な所に行く」


「酒好きだね〜」


「たまねは?」


「私は──なんだっけ、確か小説の舞台にもなった有名な村に行ってくるよ」


「ああ、あそこねはいはい、近くに展望台があるからそこに行けばいいよ、人多いけど」


「そうする。──それじゃあ、おやすみ」


「うん、おやすみ」


「──キスはしないんだ?」


「一度で十分」


 妹がけたけたと笑いながら自分の部屋へ戻っていった。

※次回 2023/7/22 20:00 更新

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