第32話
きっと私は生まれた時から、"身の丈を知る"という言葉の本質を理解していたのだろう。
"駄目なものは駄目、だから諦める"、叶いもしない事に無駄な労力を割かなくていい、これも立派な生き方の一つだ。
だから私は大学に入るまで恋という恋をしてこなかったし、そのお陰もあって志望校へ入学を果たし、自身の夢に近付いていくことができた。
これも立派な生き方の一つだ、それを私はこの幼い容姿と共に先天的に獲得した。
"駄目なものは駄目、私では叶わない"。
芽生えかけていた恋心が吐く白い息のように消えかけていた。
そして、その吐いた白い息をさらに掻き消すように、強い風が吹き付けていた。
「正直に言うけど…まず僕、僕は今姉と一緒に暮らしている。暮らしている、というのは一時的なものではなくてこれからずっと、という意味で」
学食の端の端、周囲に座っている人はいないが食堂内の喧騒が届く席で、私は津島さんにそう言われた。
この時、前回はどうしてしつこく兄妹間の恋愛について語っていたのか、初めて合点がいった。
「お姉さんの事が…好きなんですね」
そう言うと、津島さんは照れることなく真っ直ぐに答えた。
「そう、ライクではなくラブの方ね。そして、それは僕だけじゃないんだよ」
「──ああ……」
──ああ...そういう事か...
(つぐもさんもきっと……)
テーブルの上に置かれたホットコーヒーを見つめる、茶色と白色の筋がカップの中で螺旋を描き、白い湯気を上らせていた。
「僕なりに彼を説得してみたんだけどね、駄目だったよ。まあ…そう言う僕も姉と一緒になることを選んだ身だから、説得力に欠けるんだろうけど」
津島さんが頼んでいたブラックのコーヒーを一口飲み、ゆっくりとテーブルの上に戻した。
「宮島さん、これは相談とは言わないかもしれないけど、そこまで彼に対して思いがないのであれば、潔く身を引いた方がいい。普通の恋愛と違って僕たちは思いが固いから、よっぽどの事がない限り冷めることはないと思う」
「そう…ですか…」
私も一口だけコーヒーに口を付ける、席に着いてから時間が経っているのにまだまだ熱かった。
「……正直に言っていいですか?」
「うん」
「良く、分からないんですよね、そんな風に言われても。私よりもお姉さんの事を好きなのは当たり前だと思いますし、だからと言って諦めるのは自分の気持ちに対してまだ早計のように思いますし」
「早計って?」
「私、一度も恋愛をしたことがないんです。誰か本気で好きになったことがない、だから漫画でフラれた女の子が涙を流す理由もなんとなくしか分からない」
「それで?」
「それだけです。きっと私はいつかまた諦めるんだと思います、でも、私はまだこの気持ちをはいそうですかと言って捨てたくありません」
「……そう」
津島さんはそれしか言ってくれなかった。
◇
悶々とした思いを抱えたまま家路につき、自宅の玄関扉をくぐったと同時に電話がかかってきた。
相手はたまねさんからだった。
「元気ないね〜もしかして風邪ひいた?」
「あ、いいえ、そういう事では…」
今日はお出迎えの日だ、気紛れな猫たちが足元で大合唱を繰り広げている。
その猫たちの足を踏まないよう歩き、自室を目指した。
「いや〜猫も気になるんだけど元気がない日和ちゃんも気になるんだけど〜」
「たまねさん、正直なんですね」
「何かあった?」
──私は考えていたままの事を口にしていた。つぐもさんがお姉さんを好きであること、それから私に素っ気ない態度を取っていることなど。
たまねさんは最後まで茶化さずに耳を傾けてくれた。
全部を聞き終えたたまねさんが一言、「それでだいたい合ってる」と、そう言った。
「やっぱり…」
「ショックなんだ?」
「まあ…はい」
「私もお兄ちゃんのことは好きだからね〜」
「それはトライアングルラブ的な──「違う違う。ちょっと話が長くなるんだけど…」
たまねさんから教えてもらった話は幼少期からここ最近まで仲が疎遠になっていた、というものだった。
(そんな事が…)
「それにあの二人同棲までしてるからさ、きっと離ればなれになりたくないんだと思うよ。きっとそれだけ、それだけだと思う」
「そうですか…」
ベッドの上で毛繕いをしていた子が私の膝の上に座り、また毛繕いを始めた。その子の頭を撫でながらたまねさんの話に耳を傾ける。
「引いた?」
「よく…分かりません、私は一人っ子なので兄妹というか、その人間関係がいまいちピンと来ないんです」
「う〜ん…私は日和ちゃんを応援したいんだけどな〜…お兄ちゃんにはお似合いだと思うし」
「どうせ猫が目的なんでしょ」
ついと意地悪な言葉が出てしまった、その程度の事が言えるほど仲が良くなっていた、とも言える。
「いや〜?それはどうかな〜?う〜ん…ナシよりのアリ…みたいな?いやそりゃ二人が結婚してくれたら猫触り放題とか考えたことはないと言えば嘘になるけども!」
「あるんじゃないですか」
「まあね〜」と、悪びれた様子を見せず笑い、それからこう言った。
「お兄ちゃんにムカついてますって言ったの?」
「──え?」
「日和ちゃん、お兄ちゃんの話をしている時は怒ってるからさ。ドタキャンされて怒ってるんでしょ?」
「それは…」
「言った方がいいよ、自分の気持ち。それでスッキリして忘れられるんならそれでいいし、それでも思いが続くんなら続けたらいいし」
「はい…」
たまねさんが最後にこう言って電話を切った。
「大事しなよ、自分の気持ち。恋ってほんと一瞬だから、自分が大切にしないとあっという間に消えて失くなっちゃうよ。それじゃあね」
◇
そうして迎えた週末、私は大学へ用事があったのでお昼から帰島さんのお家にお邪魔させてもらうことになった。
父は先に向かっている、何でも二人っきりで話したいことがあるんだとか。
(再婚かな〜そういう話もしていたし…)
休日の送迎バスは途端に人が減り、空席が目立つ。平日と違ってのんびりとした気持ちで大学を目指した。
(お父さんが結婚したら茜さんが私のお母さん…実感はまるでないけど)
母は私が小さかった頃に亡くなっている、だからあまり思い出がない。それでも、ほんの僅かに覚えているのは、小さかった私の全部を包み込んでくれるような大きな手のひらだった。それだけが唯一の思い出だった。
窓に頭を付け、外の景色を見るともなし見る。バスの揺れに合わせて頭がこつこつと窓ガラスに当たっていた。
大学で用事を済ませて来た道を戻る。帰りは行きと違って混んでおり、席が一つも空いていなかった。
「…宮島さん」
バスの無慈悲な揺れに耐えながら立っていると、そう声をかけられた。
私に声をかけてきたのは五十嵐さんが『光君』と呼ぶ人だった。
「…あ、どうも」
「…座る?」
そう言って彼は二人がけの席に置いていた鞄を退かし、通路側を私に譲ってきた。
あまり気乗りはしなかったが、断る理由もなかったので座らせてもらった。初めから鞄を置くなよ、とも思ったけど。
「…今日は補習か何か?」
「…いいえ、ちょっと用事で」
周囲を憚り小声で話す、彼のごわごわとした革製のジャケットが二の腕で当たっている。
「…どんな用事?」
(そこ訊くか普通)
「…院試の事で少し」
「…へ〜宮島さんは偉いね、休みの日でも勉強してて」
「…あ、どうも」
「…良かったら勉強教えてくれない?僕結構ヤバくてさ」
早く走って、早く着いて。そう念じながらひたすら会話を続けた。
「──ぶは〜〜〜」
バスから降り、冷たい風を全身に浴びながら私はそう盛大に溜め息を吐いていた。
彼はまだまだ乗るらしい、二の腕に当たっていたジャケットの感触がまだ残っていた。
(あの人も良い人なんだろうけど…何かな〜…私が捻くれているだけなのかな…)
こう...違う、会話をしていても『喋りたい!』という欲が湧いてこない。
その点あの人は違った。きっとお喋りが上手なわけではない、ただ単に私に譲っているだけ、それは分かっているが不思議と喋りたくなってしまう。
私は答えが出る気配の無い自問自答を続けながら、スマホのマップを頼りに歩みを進めた。
茜さんの家はもう近い、通りの角を曲がってその先にあるマンションだ。
「美味しい」と茜さんも言っていた珈琲店の前を曲がり、びゅうびゅう吹き付ける風に抗いながら歩き、すぐに到着した。
(ここが茜さんのお家…確か番号は…)
父から送られてきたメッセージを確認し、私はマンションのエントランスに入った。
そこには一人の男性が立っており、手には花束が握られていた。その男性はある部屋番号のポストをじっと眺めており、私にも気付いている様子が無かった。
(何だろこの人…緊張でもしてるのかな…)
そんな風に見える、肩が強張って少しだけ上がっていた。
男性が見ていたポストは茜さんの所だった。
だから私は茜さんの知人なのだと思った。
「あの…帰島さんのお知り合いの方ですか?」
だから私は声をかけた。
男性は一瞬だけ呆気に取られたようで、すぐに「はい」と答えていた。
「私も今から茜さんのお家に行くんです。一緒に行きますか?」
「あ…は、はい」
(何だろう、仕事関係の人かな…)
エントランスを抜けてそのまま古いエレベーターに二人並んで乗り込んだ、すぐに茜さんがいる階に到着し、寒い外廊下を少しだけ歩いて茜さんの家に着いた。
インターホンを鳴らす、すぐに茜さんが出てくれた。
「すぐに開けるわ」
「──あ」
何も挨拶をしなくて良いのかなと思い、私は男性にチラリと視線を送った。
カメラから見切れる絶妙な位置に立っており、何だか様子が変だなと思った矢先、玄関扉が開いて中から茜さんが現れた。
──それから私は男性が土下座をする姿を目の当たりにしてしまった。
✳︎
「で、日和ちゃんは?」
「ずっと暗い顔をしていたわ、自分のせいだと言ってね」
「いやでも…そんな偶然ってある?正直言って誰も悪くないような気がするんだけど…」
(というか元旦那…こっちの実家にまで押しかけたのか…)
私はスマホを持ち替えて、再び母との会話に集中した。
「今は?まだそっちにいるんでしょ?」
「ええ…宮島さんと話をしているわ、ちょうど家に来ていたから…」
「ええ?宮島父が元旦那と話をしているの?」
「そうなのよ全く関係が無いはずなのに、自分が引き受けるからと言って私と日和を近くのカフェに追いやって…今頃どんな話をしているのか気が気じゃないわ」
「そりゃそうでしょうね」
ショッピングモールの事務室で母と電話をしていた、事務仕事を片付けている時に折良くかかってきたのだ。
真新しい蛍光灯を眺めながら耳を傾ける。帰島家が抱えたトラブルに宮島家がはっきりとした態度で介入したのだ、それは母も気が気ではないだろう。
「──まあでも、今は待つしかないんじゃない?」
「それは分かっているけど──日和が戻ってきたわ、一旦切るわね」
「ああ、うん」
電話を切ってスマホをテーブルの上に乗せる、画面に表示にされた母の名前を見ながら数瞬の間思案した。
妹にこの事を告げるべきかどうか、答えはすぐに出た。
(きょうだい会議にかけるか…)
その日の夜、母からの電話を私たち三人は、たまねの家のリビングで固唾を飲んで待っていた。
「………」
「………」
「………」
ピンとした緊張感に耐えかねたのは、当事者でもあるたまねだった。
「──あ、無理、酒呑むわ」
「駄目に決まってるでしょ、辛抱して待ちなさい」
「俺の分も持って来て」
「人の話を聞け」
「いやこの空気マジ無理なんだけど…といあか何でお母さんは連絡して来ないの?もう夜なんだけど」
「そういうあんたはどうなの?」
母は宮島家が介入した事をいたく気にしていた、その事についてどうなんだと妹に尋ねてみたのだが、
「そんなの話し合った内容を教えてもらわないと分からないよ。ただの注意や説教で済んだらそれまでだけど、もしお金の話にまで発展していたら…」
「宮島父が元旦那の借金を建て替えた、って事?」
「そう、そうなったら私ら頭上がんなくない?」
「そうよね〜…そこ私も気にしてるんだけど…」
現実は、その通りになった。
結局三人揃ってお酒を呑んで時間を潰している時に、ようやく母から電話がかかってきたのだ。
「外国ぅ〜〜〜?」
「そう」と言う母の声はどこか沈んでいた。
「建て替える条件で、外国で一からやり直せって話になったらしいのよ。宮島さん、私の会社から人が欲しいって前々から頼まれていたみたいでね、それでそういう話になったの」
「それは本人も了承してるの?」
「本人の了承がいるの?本人の不始末なのに?借金の建て替えから職の斡旋までしてもらったのよ?本人に拒否権なんかないでしょ」
「まあそうかもしんないけど…」
(外国か〜〜〜これは体の良い厄介払い…はあ〜宮島父も策士だな〜)
母の話では、宮島さんは支社が建った外国へ派遣する人について悩んでいたらしく、そこへ折良くたまねの元旦那が傷だらけで現れた、という事だ。
私たちにとってもこれ以上のトラブルに巻き込まれる心配もない、まさに一石二鳥、帰島家にとっては願ったり叶ったりだか、母はそうもいくまい。
「お母さん、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないわよ、ここまでしてもらって返す言葉が一つもないわ」
母は遠回しに"気を遣ってしょうがない"と答えた。
アルコールでほんのりと頬を染めていたたまねが染み染みと、「こんな事ってあるんだね〜」と言った。
✳︎
もう二週間もすれば年が明ける、そんな慌ただしさと今年への名残惜しさが残る年末の最中、俺は宮島父から電話を貰っていた。
「すまない、仕事中なのに」
「いえ、今は休憩中なので大丈夫ですよ」
職場も年末へ向けて、気の早い先輩たちが掃除と片付けを行なっていた。
電話の件は間違いなく、たまねの元旦那についてだろう。
「電話したのは茜君についてなんだ」
違った、母についてだった。
「…母ですか?」
「うむ、どうやら先週末の件について気を遣わせてしまっているらしくてね、こっちとしても外国へ行かせる人が手に入ったのだから気にする必要は無いと言ったんだが…」
「まあ、母の性格を考えたら無理でしょう」
「そうなんだ、あれから他人行儀が目立ってね〜、だから何とか茜君との間を取りもってほしいんだ」
「はあ…俺に何ができるか分かりませんけど…」
「うむ、よろしく頼みます──それで、日和とはうまくいっているのかね」
先輩たちが掃除している音や、それから仕事の話をしている他の人たちの話し声がすうっと遠くなっていった。
──これは逃げられないやつだ、と、そう思った。
「──それが、あまり…」
俺は馬鹿正直に答えた。宮島父はさして気にした様子を見せず、「互いに大変な状況にあるな」と、まるで他人事のように言った。
「いくら仕事で上手くいっても女性についてはいつでも悩む、この歳になってもだ」
「そうなんですね」
いや俺のせいなんだけど、日和ちゃんを遠ざけているのはこっちだし。
けれどこれ以上は無理そうだ、環境がそれを許してくれない。
俺は母と宮島父、それから自分と日和ちゃんの仲を考え、ある事を思い付いた。
「──母に気を遣わせない方法ならあります」
「それは何かね?」
「怒らせたらいいんですよ」
「うむ?怒らせる?」
「母を仲間外れにすればいいんです」
◇
宮島父と電話をしたその日の夜、俺は自宅のソファでスマホを自分の額にあてながらひたすら祈っていた。
そこへ姉が帰ってきた、カサカサとビニール袋の音も聞こえる。
「なに、ガチャが外れたの?」
「何でそうなる」
「ああ今から引く感じ?私が引いてあげようか」
「いやだから何でそうなる」
いやまあ確かに紛らわしい格好はしていたけど、そのガチャ換算視線は一体何なのか。
「だったら何よ」と姉がビニール袋をテーブルの上に置きながら尋ねてきた。
「いや実は…」俺はこれこれこのようにと姉に説明した。
姉の眉が大きく上がって驚きの表情を作っていた、いやその口は飾りですか?
「日和ちゃんの家でホームパーティーって…こんな状況でよくそんな事が思いついたわね」
「いやでもさ、こういう状況だからこそ皆んなでパーっとはしゃいだ方が良くない?猫見たいし」
「あんたね〜それはいくらなんでも軽率に過ぎない?」
「なら姉ちゃんは来ない?」
「日和ちゃんがオッケーを出すんならね──ああなに、今から日和ちゃんに電話をかけようとしてたの?」
「見れば分かるでしょ、排出率一パーセントなんて目じゃないくらい厳しい戦いなんだよ」
「あんた大して気にしてないでしょ」
姉が傍にいたら邪魔だと思い俺は自室に引っ込み、それから数十分をかけてようやく通話ボタンをタップすることができた。
ほんと、自分でも都合が良いと思う。少し前までは遠ざけていたのに今は自分から会いたいだなんて。
でも、この方法しか思い浮かばなかった。
いつかのように、出てほしいという気持ちと出ないでほしいという気持ちが入り乱れ、下らない戦いの決着が終わる前にその時がやってきた。
日和ちゃんが電話に出てくれたのだ。
「もしもし、日和です」
「──つ、つぐもです、今大丈夫ですか?」
「はい」
声音が固いのは気のせいではないだろう、向こうもこっちの態度に気が付いている証拠だ。
「実は折り入って相談が…」
「何ですか?──というか、相談からなんですか?」
「…………ごめん、実はあの日逃げました」
電話口から小さく「なっ」という声が聞こえた。
「え、な、なんでですか…?私から…逃げたんですか…?」
「そう…あの日、本当はお別れするつもりだったんだ」
無神経な姉が「晩御飯どうするのー?」と扉の向こうから尋ねてくる。無視する。
「そう…だったんですか…」
「ねえ日和ちゃん、俺のこと買い被り過ぎじゃない?駅の改札口前で会話が聞こえちゃったんだけど」
「………事実です、嘘は吐いていません」と日和ちゃんが言い、ややあってから続きを話した。
「でも、あの時ああ言ったのは、私がつぐもさんに特別な好意を持っているから、というわけでもないんです、ただそう反論しただけで…」
「そう…日和ちゃんさ、お互いの家族がこれから先他人同士になれるほど簡単な仲じゃなくなったって、分かるよね」
「はい…私が不用意に声をかけたせいで…」
「あ、ごめん、日和ちゃんを責めてるわけじゃなくてさ、多分こっちの人間は誰も言わないと思うけど、結果的にトラブルを回避できたから良かったんだよ。でね、その事を宮島さんがすごく気にしているからいっその事もっとお近づきになれないかな、と思って」
「それはどういう…」
緊張と、穏やかさと、断られないだろうという密かな確信と共に俺は言った。
「日和ちゃんの家に俺たちを招待してくれない?──いや猫が見たいとかじゃなくてね!いや猫は見たいけど!そこで楽しく過ごして自慢すればきっと母親も気にしなくなるかなと思って!」
一瞬の沈黙の後、くすりと笑みを溢してから日和ちゃんが応えてくれた。
「──たまねさんと同じ事を言うんですね。いいですよ、ぜひうちに遊びに来てください」
◇
「もうお兄ちゃんって結構節操がないよね大丈夫なのこんな時にお邪魔して」と、地元の駅で会ってから妹はずっと小言を口にしていた。
その割にはバッチリ服装が決まっている、楽しみにしていたのが全面に表れている。
「まさかあんたがそこまで猫にご執心だったなんてね、日和ちゃんも今頃泣いているんじゃない?」と、姉も家を出てからここまでずっと日和ちゃんの話をしていた。
(何なんだこの二人文句ばっかり…)
かく言う姉も服装はバッチリだ、バッチリな姉妹がバッチリと息を合わせて俺に文句ばっかり言ってくる。
天気は晴れ、ただ日没後からは雨が降るらしく、駅にいる人の何人かはその手に傘を持っていた。
その点俺たちは誰も傘を持っていない、そろそろお迎えが来るはずである。
「お兄ちゃん、ちゃんと挨拶するんだよ、いいね「お前は一体何様なんだ」
妹が偉そうに胸をp張りながら「修行を終えた妹様です!」と言った。
などと馬鹿な話をしている俺たちの元へ一台の車がやって来た、車高が高いSUVだ、宮島父が以前自慢していた車だ。
「──来た!」
「あれでお迎えとかヤバくね、何か一気に偉くなった気分だわ」
「いや本当にね、お願いだから粗相しないでね二人」
「お兄ちゃんが言うな」
「あんたが言うな」
「誰ならいいの」
車が俺たちの前に停まり、映画に出てくるようなチョイ悪親父が運転席から下りてきた。
皆んな気合いが入っているらしい、日和ちゃんは助手席からぺこりとお辞儀をしてくれた。
その日和ちゃんでさえもお嬢様風にお洒落をしているようだ。
(皆んなかーい)
お出迎えをしてくれたチョイ悪親父(宮島父)に挨拶を済ませ、車に乗せてもらい、互いの距離感を測りつつ無難な会話を済ませ、そして宮島家に到着した。
俺たち帰島家の人間は人様の玄関先で絶唱した。
「ぎゃあああっ!!」×3
「にゃ〜う」
「にゃーにゃー」
「にゃーん」
「にゃん!」
「…………」
「…………」
俺たちの命をかけた絶唱に日和ちゃんたちは若干引き気味だけと気にしていられない。
「あ、良ければ中に…」と先へ促す日和ちゃん、だが俺たちは玄関先で一歩も動けずにいた。
だって猫がいるから!
円でビー玉のようにキラキラとした瞳を持つ猫たちがじっと俺たちを見上げている、それだけで堪らなく可愛かった。
「あ、あの皆さん…「ちょっと待って日和ちゃん!脳が追いついていないからちょっと待って!」と姉が言い、その場でゆっくりと屈んだ。
俺たちも姉に習ってその場に座り、猫たちの目線になるべく合わせた。
「にゃ〜う〜」
一匹の猫が姉の膝頭に手を添え、くっと顔を近づけている。姉はゆっくりとその猫の頭を撫で、また絶叫していた。
「ぎゃっ──可愛すぎる!!「ぐるる…にゃん!」にゃんにゃんにゃん!」
壊れた姉を目の当たりにした俺と妹は何だか許されたような気分になり、それからひとしきり猫たちを撫でて撫でて撫でまくって無意識の絶唱をしていた。
「いや〜あそこまで気に入ってもらえるだなんて…まるで禁断症状が出ている患者のようだったよ」と、やっとリビングに入った俺たちを宮島父がそう揶揄っていた。
「すみません、俺たち皆んな猫が大好きで…けど母のせいで飼うに飼えず…」
猫のお陰ですっかり緊張が解けた妹が、宮島家のリビングに舌を巻いていた。
「リビング──広っ!何でバーカウンターがあるの?!ヤバくね?!ここだけで私たちの家より大きいよね?!」
チョイ悪親父の服装から休日親父にチェンジした(単に上着を脱いだだけ)宮島父が、自然な笑みを湛えながら言った。
「私の趣味でね、この家を建てる前はカクテルを呑むのがとても好きだったんだよ」
「へえ〜〜〜!」
「たまねさん、カウンターの裏は皆んなの溜まり場になってますよ」
「マジで?!」
カウンターの裏に回った妹が「ぎゃっ!」と吠え、その鳴き声に驚いた猫たちがさっと周囲へ散っていった。
俺は日和ちゃんの猫の呼び方が気になったので、少し緊張しながらその事を尋ねた。
「日和ちゃんは猫のことを皆んなって呼ぶんだね」
日和ちゃんはちょっとムスっとした表情をしながらも、ちゃんと答えてくれた。ドタキャンしたことをまだ怒っているらしい。
「はい、小さい時からずっと一緒でしたから」
「そっか」
姉はリビングに来ても猫にご執心のようだ、片時も目を離そうとせずひたすら構っていた。
たまねと宮島父はカウンターで猫の相手をしながら話をしているようだ。
「ありがとね今日は、俺のお願い聞いてくれて」
「別に…つぐもさんの為ってわけではありせませんから…」
「えーと…何かお礼できることってない?」
ややあって日和ちゃんがこう言った。
「…ちゃん付けするの、やめてください、とりあえず、それだけでいいです」
「…分かった、そうするよ」
それから、すっかり童心に帰った姉が「三人の中で一番私が好かれている!」と足元に集まった猫たちを自慢し、「それ皆んなオスだからきっと子作りしたいんだよ」と俺が茶化したりして、そして最後に五人揃って記念写真を撮った。勿論猫たちも。
「ええ?この写真を茜君に送るって?」
「そうですよ、そうすれば母も悔しがって宮島さんに甘えてきますよ」
その年輪に見合ったニヒルな笑みを湛え、宮島父が「ならお願いしよう」と言った。
次回 2023/6/17 20:00 更新します




