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第31話

 初雪はとても小さく、手のひらに触れた途端ふわりと溶けて無くなった。

 学務課がある建物へ続く道は人通りも多く、私のように用事があるわけでもないのに歩いている人は決して多くはないだろう。

 いたらいいな、話せたらいいな、その程度だった。

 お目当ての人物はちょうど受け付けを担当しており、真顔で学生たちの手続きを済ませていた。

 あれでは話せても話せない、こっちはひどく個人的な用件なのだから。


「…………」


 すると、その人がにわかに顔を上げ、まるでスナイパーのような鋭さで私を見てきた。

 フロアには大勢の学生たちがいる、それなのにその人──津島さんはいとも簡単に私を見つけてくれた。

 念のためお辞儀をしておく、これで意味が通ずればいいし駄目ならそれでもいい。

 その程度の人に頼らざるを得ないほど私は困っていたと言えよう、寄る方なく舞い落ちる粉雪のように。



「見過ぎだから」


「え?」


「最初は狙われているのかと思ったぐらいだよ。君は自覚してないんだろうけど、目力があるから口にしなくても大体の事は伝わっていると思うよ」


「そんな事よりもですね、ご相談したい事があるんです」


「そんな事って……ああ、はいはい、つぐも君の事だよね」


 話が早くて助かる。

 昼休みの時間に津島さんはわざわざ中庭のベンチまで来てくれた、そして、私の隣に座った途端「見過ぎだから」と言ってきたのだ。

 

「良く分かりましたね」


「で?相談したい事って何かな、キューピッド役ならちょうど枠が空いているからやってあげるよ」


「ありがとうございます」と、とりまお礼を言い、先日家族で会った時からここ最近のつぐもさんについて話した。

 最後まで口を挟まず聞いてくれた津島さんが一言。


「彼のどこに惹かれたの?」


 馬鹿にしているわけではない、そもそも人の悩みを馬鹿にするような人はこんな寒い季節に外に出てまで聞いたりしないだろう。

 津島さんの顔はとても真面目だった。


「最初は子供扱いをしない所に興味を持ちました」


「それで?」


「──それでと言われましても…だから気になっている、では駄目なんですか?具体的な理論がなかっ「──ああごめんごめん、気にしないで」


 津島さんがぽそりと「そういえばこの子理系だったな」と言葉を漏らした。

 

「う〜ん…そうだね〜何から話せば良いのか…」


「いや、私は津島さんの自分語りを聞きたいわけではなくて、つぐもさんのような方とどう接すれば良いのか分からないからアドバイスをしてほしいんです」


「うん、それは分かるよ。君はどこまで考えてるの?ただ仲良くなりたいだけ?それとも自分の物にしたいの?」


「恋人的なやつですよね、それ」


「そうだよ、男女が仲良くなる上で結構重要なファクターだと思う。友達のままでいいんならこれ以上彼の事を追いかける必要はない。向こうだって年末で忙しいだろうし、そんな時に恋人でもない人に今まで通り優しくする人はそうはいないよ」


「あ〜確かにそれはそうですね…」


「恋人同士になりたいと言うのなら彼に対するアプローチの仕方が変わってくる。この違いを自分が良く理解していないと、今のように訳も分からない悩みを抱えてしまいかねない、だから僕は君に質問したんだ」


「なるほど」


「僕が聞いた限りでは──」それまでスラスラと、まるで教授のように話していた津島さんの動きが止まり、何も言わなくなってしまった。


「津島さん?」


「──僕が聞いた限りでは、つぐも君は別に君のことを嫌っているわけではないと思うよ。昨日のドタキャンだってわざわざ電話で教えてくれたんでしょ?」


(さっきのフリーズはなに?)──ええ、はい、そうですけど…」


 ふわりと冷たい風が吹き付け、思わずぶるりと体を震わせた。自分から誘っておいてあれだけど、流石に屋外は体が冷えてしまう。

 それは向こうも同じだったのか、「場所を変えよう」と提案してくれた。


「すみません、場所が悪かったです」


「いいよ。──事務所の方へ行こうか」


 津島さんが先に立ち上がり、私もその跡に続いた。

 学務課には個別で面談できる部屋がいくつかあり、その内の一部屋が空いていたので使わせてもらうことになった。


「いいんですか?」


「うん、職員も空いていたら休憩時間に使ってるから」


 誰かが消し忘れていたのか、暖房が良く効いた部屋で再開することになった。

 津島さんが「長くなるかもしれないけれど」と前置きしてから話し始めた。


「世界創世神話について話そうと思うんだけどね」


(ん?ん?世界…創世神話…?)──はあ…」


 何を言い出すのかと思えば...津島さんが私の表情を読み取ったのか、「いやこれも必要な事なんだよ」と言ってきた。


「アダムとイヴが世界で初めての人類だとされているのは知ってるよね?」


「ええ、知恵の実を食べて楽園から追放されたとか何とか…」


「そう。それでアダムとイヴが子供を授かって、一番最初に産まれたのは双子の兄弟だったんだ。それからもアダムたちは子供を産んでルルワという女の子にも恵まれた」


「…………」


 何の話?どうして私は今ここで神話の勉強をしなければいけないの?


「そして双子の兄弟のうち、アベルという弟が自分の妹にあたるルルワを妻として迎えることになった。──この手に限った話ではないけれど、神話の中であったり中世の時代では近親婚が多かったんだ」


「…………」


「君はこれについてどう思う?」



(全然ためにならなかった)


 今年初めての雪はとても小さく地面に落ちたそばから溶けていく、それでも帰宅する時間になってもまだ降り続けていた。

 

(あの人は一体何の話がしたかったんだろう…創世神話がつぐもさんと何か関係があるの?)


 ──君はこれについてどう思う?


 そう尋ねられた後のことは良く覚えていない、津島さんはとにかく兄妹間の結婚について話をしていただけだった。

 大学を出発した送迎バスが幹線道路に差しかかり、長い渋滞に巻き込まれた。

 反対車線はピカピカとライトを照らす車が何台も走っており、どこか慌てているように見えてしまった。

 鞄の中に入れてあったスマホがぷるりと震えた。


お父さん:今度茜くんの家にお邪魔させてもらうことになった。


お父さん:日和もどうだろうか。


日和:仕事は大丈夫なの?


お父さん:休みに入るまで時間が取れそうにない、だから今のうちに挨拶をしておきたいんだ。


日和:お父さんも来るの?


お父さん:当たり前だろ。


お父さん:⊂((・x・))⊃


お父さん:露骨に遠ざけようとするのはやめなさい。


お父さん:そもそもお父さんの方から誘っているんだ。


(そのスタンプのチョイスはなんなんだ)


日和:私も行くよ


日和:つぐもさんたちは?


お父さん:茜君は呼ばないと言っていた。


 停車していたバスががくんと動き出し、住宅地へ向かう信号を慌ただしく曲がった。

 分譲地として軒を連ねる家々のバルコニーや庭には、光り輝くオーナメントやクリスマスツリーが飾られ、バスを利用する通学生や通勤客の目を楽しませてくれた。


 ──彼のどこに惹かれたの?


 渡せずじまいのクリスマスプレゼントは私の部屋で寝かせてある。つぐもさんの方から「渡したい物がある」と言われた時は自分でも驚くほど胸が高鳴った。

 

(恋って、思っていたよりも現実的なんだな…)


 だから私もプレゼントを用意した。

 プレゼントを選んでいるうちに「喜んでもらえるかな?」と不安になり、「これは喜んでもらえそう!」という物を見つけた時は嬉しくなった。

 当日が楽しみになった、けれど、結局会えなくなって寂しい思いも味わった。

 誰かを『好き』になるのは劇的ではない、緩やかな道を歩んで行くようなものだ。

 ──それと、周囲の環境も関わっている。



✳︎



「……………」


「ただいま戻りました、姉上」


「見れば分かる。申し開きがあるなら手短に済ませよ」


「かくかくしかじか」


「──それは文章用語であって口にするものじゃない!!」と怒った姉が手に装備していたお玉を高々と掲げた。

 一日ぶりの帰宅である、昨夜は実家にも戻らず寝カフェで夜を明かし、そのまま職場へ向かった。

 それにだ、俺は痛恨のミスをしでかしてしまった。姉が働く目の前で日和ちゃんへのプレゼントを買ってしまったのだ。

 振り下ろされたお玉の破壊力は凄まじく、本当に星が飛んでしまった。


「──いった〜〜〜!」


「で、申し開きはあるか」


「無限ループ?」


「どうして私から逃げたの?そして当然の如く買ったプレゼントが手元にないじゃない。誰?日和ちゃん?」


「いいや駅前のゴミ箱」


「はあ?それは何の例え?」


「例えじゃないよ、プレゼントは渡さなかった、というか日和ちゃんには嘘を吐いて結局会ってないよ」


「…………」


 長い髪をポニーテールにしている姉が言葉にはせず、眉毛だけで「何言ってんのこいつ」と表現している。感情を宿した眉は今日も平常運転である。

 俺は姉の脇をすり抜けた。


「──あ!こらまだ話は終わってない!」


「もういいじゃん別に、話す事なんてないよ」


「あんたねえ──」

 

 リビングに入るとニンニク醤油の良い香りが鼻に押し寄せ、昨日からろくに食べていない胃袋が喝采を上げ始めた。

 自室の扉を開こうとした途端、後ろからぐいと肩を掴まれた。


「無視されるのはほんと腹が立つからやめて。何で日和ちゃんに渡さなかったの?」


 強い力で体の向きを変えられ、どこか拗ねたように見える姉の綺麗な瞳が目の前にあった。

 

「教える必要ある?」


「答えろっつってんの」


「姉ちゃんには関係ない──」これは言っても聞かないと判断したので危険な橋を渡ることにした。


「なに?もしかして嫉妬してんの?俺が別の人にプレゼントを渡すのがそんなに嫌?」


「嫌」


「………………」


「聞こえた?昨日のプレゼントは私に渡してほしかった、別の人間の手に渡るとか考えただけでむしゃくしゃしてくる」


「………………」


 必殺技を顔面で受けた気分だった、何も言い返せなくなってしまった。

 

「でもあんたは日和ちゃんに渡さなかったんでしょ?それは何で?私に気を遣ってそうしたの?」


「それは違う。色々あったの」


「………………」


「色々…あったんだよ…」


 独り占めしたくなる綺麗な瞳から少しだけ目線を逸らし、それっぽくなるよう湿っぽい声でそう告げ、自分の部屋へ入ろうとしたらそれでも肩を掴まれた。


「だからそれを聞いてんのよ!」


「しつけえわ!こっちだって言いたくない事の一つや二つ抱えてんの!」


「どうして日和ちゃんと会わなかったの?会いたくて会いに行ったんじゃないの?」


「何でそんなに押しが強いの?」


「お前が言うな「いや意味が分からんわ」


「──あんたもしかして…」姉はやはりエスパーだ、「関係を切るために行ったの?」


「……………」


 タイミング良く鳴るインターホン、ほんと神様ってこの世にいるんだなと無宗教だけど神に感謝した。


「──あ!俺が出てくるね!」


「あ、こら!」


 姉の前から逃げ出し階段を駆け下りる。

 来客した相手をろくに確認せず、津島さんか妹とだろうと思い込みながら扉を開けた。

 そこに立っていたのは津島さんでも妹でもなかった。


「……っ」


 立っていたのは──ひどいやつれ方をした、どこかで見たことがある男の人だった。



✳︎



「たまねと…たまねと話をさせてください」


 久しぶりにその声を耳にした。

 

(たっくん…)


 私の元旦那だ、その人が玄関先に立っていた。開け放たれた玄関から漏れ出る光りを浴び、私の足元にまで暗い影が延びていた。


「たまねって…妹に何か用ですか?」


 対応しているのは兄だ、その声音は少しだけ険を帯びている。兄も私たち夫婦が迎えた結末を知っている、だから声音が険しいのだ。


「あ、あなたは…たまねのお兄さんですか?」


「そうですが。離婚したんですよね?それがどうして妹に会いに来たんですか?」


 あと少し踏み出せば家に辿り着ける、けれど敷地の入り口から動け出せずにいた。

 手にしたビニール袋が指に食い込んでいる、寒さもあってひどく痛んだ。兄と一緒に呑もうと日本酒を買ってきたのだ。


「話したい事があるんです、会わせていただけませんか?」


 そう懇願する元旦那の背中が小さく見え、とても憐れに思った。逆光になって見え難いが、身なりもあまり整っていないように思える。

 兄を押し退け、姉も出てきた。


「失礼ですが、以前もこの近くを彷徨いていませんでしたか?」


「……っ」


(ああ、見てらんないよ…)


「私どももお二人の経緯について把握しています。これ以上関わろうとするなら然るべき所にご相談させて──」


 訪ねてきた理由も聞かずに一方的に追い返そうとするだなんて、元旦那があまりに不憫に思え、私は玄関に向かって歩き始めていた。

 先に気付いたのは姉だ、その視線を追って兄も気付き、元旦那も背後へ振り返っていた。

 離婚してから再会した元旦那は背中が物語っていたようにやつれており、以前まであった覇気がまるでなかった。

 自分から声をかけた。


「久しぶり」


 私だって元旦那に思う所はある、もう別れてはいるが一度は一生を添い遂げようとした相手だ、離婚の手続きをしたからといってそう簡単に割り切れるものでもなかった。

 私なりに笑顔を作ったつもりだ、上手く出来たかは分からないけれど。

 それなのに──


「元気に──「たまね!この間の事は謝るからお金を貸してくれないか?!」


 ──開いた口が塞がらないとは良く言うけれど、本当だった。

 一瞬だけ、元旦那が何を言っているのか理解できなかった。

 ただ、復縁を求めに来たわけではない、と理解した。

 私に構わず元旦那は「お金を貸してほしい」と言い続けている。


「家族は全く相手にしてくれなくて…頼れるのは後はたまねだけなんだ!虫が良いのは分かっているけど──」


 元旦那が頼りにしているのは『私』ではなく『お金を出してくれる人』、それは分かる。

 それでも『何とかしてあげたい』と思う私は甘いのだろうか?


(はあ〜とんでもない事になってしまった…ただ二人に会いに来ただけなのに…)


 『甘い』私を思いとどまらせてくれたのは兄だった。


「──たまね、先に家に入ってて」


「いやでも…」


 私と同じ身長で、他の人と比べて小柄な兄が間に割って入った。

 不思議と──目の前にある兄の後頭部を頼もしく思えた。


「そっちの事情は何となく聞いています。俺もお金の事で家族に迷惑をかけましたので大それた事は言えませんが、あなたはたまねよりお金を選んだんでしょう?」


「…………」


 兄が言う。


「当然の末路だと思いますよ、人よりお金を選んだ人間は総じて悲惨な目に遭います。これ以上、たまねを巻き込まないでください」


「あなたがそれを言うんですか?自分だって迷惑をかけたと言っていたではありませんか」


「ええそうですよ、だからこれ以上迷惑をかけないように気をつけているんです。あなたはどうなんですか、お金に狂ってまた迷惑をかけているではありませんか」


「──!!」


「ちょっと──」


 小柄な兄だ、まだ体格が良い元旦那に肩を掴まれいとも簡単に押し飛ばされていた。

 兄は地面に強かに倒れ、すぐに起き上がってこれなかった。


「お兄ちゃん!」


「あなた!こんな事するなら今すぐに警察を──」


 私は倒れた兄へ寄り、普段から怖い姉がなお怖くなって元旦那へ寄り、それからもつれながら走り去る足音が耳に届いた。

 兄がようやく体を起こした、「小柄な自分が憎い」と言いながら。


「こんな時まで冗談言わなくていいでしょ。それに血が出てるよ」


「いいよこれぐらい。──それより姉ちゃん、お母さんに電話して」


「分かってるわ。早く中に入って、野次馬されるとか死ぬほど腹が立つ」


 姉の言葉にはっと気付き周囲を窺うと、確かに人の気配があった。きっと良い見せものになったことだろう。

 家の中に入ってもまるで現実感がなく、階段を上がっていく自分の足さえ他人のもののように思えた。

 リビングに入ると、ついさっきまでそこにあった『日常』を感じ、料理が焦げた臭いを嗅いでようやく私は『非日常』から帰還した。

 姉が「ああ、ああしまった!」と言いながら火を消し、兄に身包みを剥がされて「お風呂にでも入ってきて」とリビングから追い出されてしまった。


「いや全く入る気がしないんだけど」


「それでも入ってきて。人間って水に濡れると気分が入れ替わるみたいだから」


「本当なのそれ」


 兄は私の質問に答えず、姉が用意していた救急箱を手にしていた。

 ──それから私は湯船に浸かり、浴室で一緒に過ごした日々を思い出してひっそりと涙を流した。

 この時になって、本当の意味で私は彼と別れたのであった。



✳︎



「──分かった、私の方から向こうへ連絡を入れるわ。たまねは?」


「まだお風呂に入っているわ、かれこれ一時間くらいかしら」


「あの子、相手を助けようとしていなかった?あれで他人には甘いから、きっと精神的なダメージが大きかったはずよ」


「でしょうね。こっちは私たちがいるから平気よ、そっちはお母さんに任せたわよ」


 母の言葉に心の臓が冷えた。


「今日くらいはたまねを構いなさいよ、つぐもばっかり構っていないで」


「…………」


「それじゃあ切るわ。たまねが話せそうになったらメッセージ送ってちょうだい」


 それを最後に通話が切れた。

 スマホの画面を見つめながら、母に言われた言葉の意味を考える。


(──気付かれて…る?私とつぐものこと…そんな素振りを見せた覚えはなかったけど…旅行の時?)


 料理は作り直しだ、失敗したし一人増えたから。

 焼き料理から煮込み料理に切り替え、余分に残していた魚の切り身とざく切りにした野菜を鍋に放り込み、後は皆んなが食べたくなるまで煮込むだけだ。

 弟もリビングにはいない、自室に引き上げている。何やら話し声が聞こえているのできっと母と電話しているのだろう、あの子が今日一番の被害者だ。


(ほんと、それどころじゃなくなったって感じ)


 弟はもしかしたら、日和ちゃんに会いに行ったのは関係を切るためなのかもしれない。それは『私』の為であり、それを確かめようと思ったのだが──。


(無理ね、この空気でそれは訊けないわ)


 今は諦めるしかない、私も妹を放って甘い蜜をすする気にはなれなかった。

 その妹がリビングに戻ってきた、髪を乾かさず頭からタオルをすっぽりと被っている。


「ちゃんと髪の毛乾かしなさいよ、子供じゃないんだから」

 

「──え?それが私にかける言葉なの?鬼の方がまだ血肉が通ってると思うよ」


 思っていたよりも平気そうだ。

 湯船に浸かっていたからか、それとも流し切った涙の跡か、目元はが赤く染まっていた。


「知らないわよ。──で、あんたは私に心配されたい?それとも自分の口から言う?」


「ほんとこの姉…ちょっと待ってまだ心の整理が付いていないから」


「なら大丈夫そうね、ちゃんと自分の事が分かっているじゃない」


「そういう所はお母さんそっくりだよね、子を崖から落とす育て方みたいな」


「そりゃそうでしょうが私も崖を這い上がってきたんだから」


「よく言うよ」


「いや何が?」


 弟も自分の部屋から出てきた、母との電話が終わったのだろう。

 キッチンテーブルの前に立って弟が一言。


「お腹空いた」


「──?!待ってお兄!それが第一声なの?!」


「たまねも平気そうじゃん。──お?お酒あるじゃん!これたまねが買って来たの?」


「嘘でしょこの兄…妹の心配より先にお酒に食い付いたよ…」


「まあまあ、下手な思いやりお酒に似たりだよ」


「そんなことわざあった?」


「ご飯にしましょうか、下手な考え休むに似たりよ」


 私たちは本当に素直ではない。誰も面と向かって『大丈夫?』と訊かないし、妹も決して『心配してくれてありがとう』と言わない。

 けど、心は通ずるもので、三人一緒にご飯を食べ、お酒を呑んで、どうでも良い話に花を咲かせていると突然妹が泣き出してしまった。

 それでも私と弟は妹を揶揄い、怒らせ、その日はお開きとなった。

 家族の付き合い方は千差万別にあると思う、私はこの家族間の距離が一番心地良いように感じられる。

 

 ──きっとこれで良かったのだろう。今日の出来事で生まれた一瞬の『隙』のようなものが私たちを決してくれた。

次回 2023/5/27 20:00 更新

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