第30話
実家で花嫁修行(笑)を始めてから迎える年末を前にして、母が突然終了宣言をした。
何でも仕事の方が忙しく、私の面倒を見られないんだとか。
いや最初っから何も見てへんやんけと思う。
「突然過ぎない?もう年末だよ?」
「次回予告でもしろって?無理言わないで」
「この時期に引っ越しってするもんなの?」
「だったら年明けにでもしなさい」
(何やこの母)
これ以上言っても仕方がない、私は腹を立てながら自室へ引っ込んだ。
仕事用の鞄からスマホを取り出し、兄へメッセージを送った。
たまね:( *`ω´)ノシ
たまね:( *`ω´)ノシ
たまね:( *`ω´)ノシ
たまね:引っ越し手伝って
時間は夜である、兄も仕事を終えてゆっくりしていたのかすぐに返事があった。
つぐも:何で今やねん
たまね:母に出て行け言われた
たまね:もう私に飽きたみたい
つぐも:言い方
つぐも:え、マジでこの時期に引っ越しすんの?
たまね:遅くとも年始には出て行けってさ
つぐも:可哀想過ぎる
たまね:ところで日和ちゃんとは仲良くやってる?
兄から返事が来る前に別の人からメッセージが入った。
花見さん:良ければ今度ここに行きませんか?
花見さん:[画像を送信しました]
元夫の姉、花見さんからだった。
以前、兄と私と三人で出かけてからこうしてメッセージのやり取りをすることが多くなっていた。
メッセージだけではなく時折会う、今日も向こうからお誘いがあった。
花見さんが送ってきた写真にはでかでかと「猫カフェ」なる文字が入っていた。
たまね:行きますん
花見さん:どっちですか?笑
たまね:今母に引っ越ししろと言われたばかりで…
たまね:予定が微妙なんですよね
花見さん:この時期に引っ越しするんですか?
私はスマホを持ち、持ち帰った仕事をリビングでこなしている母の元へ行った。「これを見ろ!」とスマホを印籠のように見せつけ、無言で睨まれたのですごすご部屋へ退散した。
花見さん:お暇な時でも構いませんので
たまね:分かりました、また連絡しますね
そう返事を送った後、ようやく兄から返事があった。
つぐも:してますん
たまね:真似すんな
たまね:喧嘩でもした?
つぐも:いや別に
「?」
たまね:お姉ちゃんの家ってまだあるよね?
つぐも:?
つぐも:ああ、一人暮らししてた所?
たまね:そう
たまね:私はどっちに行けばいいの?お兄ちゃんたちが住んでいる家?
つぐも:ああ…
つぐも:きょうだい会議にかけないと駄目だねこれ
たまね:いつする?今でしょ!
つぐも:いや明日にして、仕事帰りに家に来て
たまね:ところで日和ちゃんとは仲良くなった?家にお呼ばれしたら絶対呼んでねお姉ちゃんは別にいいから
つぐも:つぐもと一緒に住んでいるのはこの私よ、全部筒抜けだと思いなさい
「うげえ〜」
そして翌る日、仕事を終えた私は兄たちが住む家へ、元々は私が住んでいた家に寄った。寄ったっていうのも変だけど。
「いや久しぶりだわ〜大して思う所は無いけども」
「お帰り」
「ただいま。お姉ちゃんは?いないよね?」
姉がリビングから顔を出して「あんたはいちいち文句を言わないと気が済まないのか」と文句が下りてきた。
階段を上がってリビングに入る、あまり間取りは変わっていないようだ。けれど、リビングの中にある個室の扉はきちんと閉められていた。
「お兄ちゃんがあの部屋使ってるの?ただの独居房だよ、あれ」
「それ言わないで」
「で、先に会議する?それともご飯?」
絵に描いたようにおたまを持った姉がそう尋ね、私は「風呂!」と答えた。
姉の服は借りたくなかったので兄の部屋へ無断侵入し、秒で追い出されので仕方なく姉の部屋から服を無断拝借した。
お風呂から上がり、もう既に食事を始めていたので文句を言いながら私も席に着いた。
「ねえ〜この服胸元がキツいんだけど〜」
「あんたって子はほんともう…」
「たまね止めて、姉ちゃんの機嫌が悪くなったらどうすんのせっかく機嫌が良いのに」
「あんたも大概だわ」
「俺はスレンダーの方が好きだけどね」
(ん?)
「──そうね、私も小さい方が好きだわ、入ってる感覚があまりしないから楽でいいし「ほ、ほんとすみません…それ以上は言わないで…」
(んん?)
いつも通りの冗談のような気がするけど...さすがにその冗談は度を超してなくない?
私は遠慮なく尋ねた。
「なに、二人ってもしかしてえっちしてるの?」
「してないわよ」
「しとらんわ。お風呂に入ったことがあるから」
「ああ〜…それで」
(それにしても…何だか距離感が近いような…私が向こうに行っている間に仲良くなった…?いや、それでもないような…)
食卓に並んでいたのは麻婆豆腐である、私辛いのが苦手なのに。
今日、私が来ると知っててこの食事が用意されたのだ。姉は的確に私が嫌がることをしてくる。
──あんたが嫉妬するのは私だけってことなんでしょ?それって好きと同じ意味でしょ
(違う違う!そんなんじゃないから!)
変な事を思い出してしまった。
水を挟みながら麻婆豆腐を平らげ(しっかり辛かった!)、皆んながそれぞれ誰からともなくリビングのソファに腰を下ろした。きょうだい会議の始まりである。
会議の進行は姉が務めるようだ。
「──さて、今から誰がどの家を使うか会議をしようと思うんだけど…何であんたたちはさも当たり前のように酒瓶持ってんの?」
「別にいいじゃん、たまねの顔見たら無性に酒が呑みたくなった」
「それは酷いわ他に思い出す事あるでしょうに」
「そういうあんたも酒瓶持ってるでしょうが」
「いや〜お兄ちゃんの顔を見たら無性にお酒が呑みたくなって」
「秒でおうむ返し」
仲間外れが嫌なのか、姉も冷蔵庫から酒を持ち出してソファに戻ってきた。
「で、これからどうしようっか」
「住む家だよね。まあ簡単に言えば、誰が誰と一緒に住むかって話だよね」
「そうなるよね。私とお兄ちゃんかお姉ちゃんか」
「たまねが私の家を使うのも全然アリだけど」
「お兄ちゃんが一人で使うのもアリじゃない?」
「たまねは誰かと一緒が確定なの?」
「そりゃそうじゃん、私一人とか無理だから」
「私と一緒でも?」
「…………………………………「沈黙が長いわ」
「まあ冗談として。私とお姉ちゃんって時間があっても無駄にお喋りするような仲じゃないからさ、案外同じ家で二人っきりになっても気が楽なんじゃない?私はそう思う」
「まあ〜〜〜それはね〜〜〜言えてるかも」
「お互い不干渉というかさ──あ、マグロって意味じゃないからね?「その注釈は要るのか」お互いのプライバシーには絶対踏み入らないと思うよ」
「それと一人暮らしと何が違うの?」
「人の気配は感じたい派だから私、だから別にお姉ちゃんでもいい」
「そんなもんなの?」
「そんなもんそんなもん。お兄ちゃんはほら、アレだから…あんな部屋でもする事はしてるみたいだから…臭いが…「ああ!もう!だから入れたくなかったのに!」
姉が「アレって何?」とすっとぼけた事を尋ねてきた。
無視する私たち。
「家賃的にはどうなの?安い方がいいとかない?」
「あーそれね、確かにこっちの家賃は高い。だからと言って一人は無理だから私はこっちで確定かな」
「そう…なら、俺か姉ちゃんが向こうに戻ることになるのか」
「二人はそれでいいの?」
「俺は別に。姉ちゃんは?」
「う〜ん…私はこっちの方がいいかな、今さら向こうには戻れない感じ」
「あれ、決まった?私とお姉ちゃんが一緒になる感じ?」
「どっちが独居房使うの?」
私とお姉ちゃんが声を揃えて、
「そりゃたまねでしょ」
「そりゃお姉ちゃんでしょ」
「仲良く決めてね」
一抜けしたと言わんばかりに兄が酒を呑み始め、私と姉はそれから暫くの間言い合いが続いた。
◇
結局決まらんかったわ。
「ほんとお姉ちゃんって人に譲らないよね。その性格なんとかしたらどうなの」
「そういうあんたも私にだけはやたらと突っかかってくるの止めたら?ここは年功序列でいいでしょうが、その方が丸く収まるんだから」
久方ぶりに入った我が寝室は物の見事に家具の配置が変わっており、お気に入りのビッグベッドは壁際に寄せられていた。
今日は仕方がない、この姉と一緒に眠るしかなかった。
「寝てる間に変な事してこないでよ」
「誰がするかそこまで興味持ってないわよ」
──とまあ、お互い憎まれ口を叩いてばかりいるが、実家にいた時も似たような環境だったので慣れっこだった。
二人揃ってベッドに寝転がる。
就寝前の話題は俄然、
「ねえ、お兄ちゃんと何かあった?」
「何でそう思うの」
ちらりと横を盗み見る、ほんと口さえ開かなければ身内自慢をしたくなるほどの美人がすぐそこで仰向けになっていた。
長いまつ毛は何の化粧もせずつんと上を向き、唇も艶やかで肌も荒れている所が一つもない、羨ましい限りの美貌だった。
「う〜ん…何か二人とも意識し合ってるよね、そんな感じがした」
「そう」
時計の長針が一周回るまでたっぷりと待ち、それからがばりと上体を起こして入眠モードに入っていた姉の体を揺すった。
「いや寝かさないよ?」
「もう〜鬱陶しい──何も無いってば!」
「もしかしてキスされた?あるいはした?」
「何でうちのきょうだいってこう皆んな押しが強いのか──されてないわよ」
「あっそう…変なの「いやあんたがね「うるさいよ。──先に言っておくけどさ、私一回はキスしてもらうつもりだから」
「好きにしなさい。断られても私に泣きついてこないでよ」
姉は「されてない」と言ったが「していない」とは言っていない。言葉における微妙なニュアンスの違い、けどここに本心が表れたりもする。多分そう。
「私はお姉ちゃんと違ってしてもらうつもりだから」
「…………」
(ふふん♪)
図星を突かれた姉が閉じていた目蓋を開き、目だけで「しゃしゃるな(※生意気言うな)」と怒ってきた。
こう、姉に悔しい思いをさせると堪らなく気分が良くなってくる、これも昔からだった。
「で、いつ自分からしたの?」
もう私相手に煙に巻くのも疲れてきたのか、すらすらと答えてくれた。
「最近よ、結局未遂で終わったけど」
「何それ──ああ、同じ状況で?」
「そうよ、寝てる間にね、こっそりと。けど、何か途中で冷めちゃってね、何もせずに引き返したわ」
「あ〜それね、あるあるだよね」
「何それ」
「欲しい物って手に入れる努力をしている時が一番輝いているように見えるじゃない?射程圏内に入った途端興味を失くすのはあるあるだよ」
「…………」
「私もそれで何人も良い人逃したな〜まあ結局その程度だったって事なんだろうけどさ」
「別に私は…そんなんじゃないわ」
「誰に遠慮してるの?」
姉は今度こそ何も答えず、これ以上追求しても怒らせるだけだと塩基配列に刻みこまれているので口を閉じ、気が付いた時には眠りについていた。
✳︎
暗い室内の中を照らしているのはスマホの明かりで、俺は目が悪くなると知りつつも画面を見ていた。
日和ちゃん:年が明ける前にもう一度お会いしませんか?勉強の方でしたら問題ありません
「……………」
スマホの電源ボタンを押す、一気に部屋の中が暗くなり何も判別できなくなってしまった。
自分の心もそうであるように、今あるこの気持ちを自覚してからどうすれば良いのか分からなくなっていた。
久しぶりに呑んだお酒のせいで酔いが回っており、ふらつきながら体を起こしてベッドから立ち上がった。
トイレへ行こうとキッチンを横切ると、薄闇の中に人影を見つけて心臓が飛び出るほど驚いてしまった。
「──何やってんのもう姉ちゃん、電気ぐらい点けなよ」
キッチンテーブルに座っていたのは姉だった、テーブルの上には缶のような物が置かれている。
「ああ、起こしたらまずいと思って」
「こっちの方が心臓に悪いわ。なに、もしかして呑んでるの?」
「そ、なんか寝付けなくてね」
「珍しい」
先にトイレを済ませようとそれだけ言い、用を足してからキッチンに戻った。
姉はまだいた。
キッチンの電気だけ点ける、暗闇に慣れていた目を一度だけぎゅっとつむり、俺も冷蔵庫からお酒を取り出して席に着いた。
「なに、別に付き合わなくていいわよ鬱陶しい」
「俺も寝付けないの勘違いしないで」
姉は「あっそ」とだけ答え、スマホを触り始めた。
缶のプルタブを開け、中に詰まっていた炭酸の空気がプシュっと抜けた。
「あんた、たまねから聞いたけど日和ちゃんと上手くいっていないんだって?」
「何でそうなるの」
「答えをはぐらかされたから何かあったかもってあの子言ってわよ。で、そこんとこどうなの?」
缶を口につけると冷んやりとした感触が襲い、そして中にあった物を飲み込むと炭酸と甘い味が押し寄せてきた。
俺は姉の質問に答えるより先に、きょうだい会議の時のことを姉に質問していた。
「──俺からもいい?何でたまねと一緒に住むことを選んだの?あれだけ仲は良くないって言ってたくせに」
姉はスマホから視線を上げず、自分の缶に口を付けていた。
そして缶を持ったまま、化粧をしていなくても綺麗な眉の下にある目がこちらに向けられた。
「なに、気持ち悪いって?」
姉が缶をテーブルにそっと置いた。
「あんたが答えたら答えてあげる」
──これは『駆け引き』だと思った。
どちらが相手に惚れているか──確かにその通りかもしれない、『恋人』という関係は告白した方の『負け』、相手に自分の主導権を明け渡すことになる。
「…年末までに一度会いませんかって誘われてる、それで、その返事はまだしてない」
「どうして?」と姉は尋ねると思っていたがその通りになった。
俺が返事を返さない理由を知りたいのだろう。
「次は姉ちゃんだよ」
「──まあいいわ。そうね…将を射んと欲すれば先ずは馬を射よ、って言葉は知っているわよね」
「知ってるもなにも…」
その言葉は八世紀、唐王朝の詩人によるものとされており、言葉の意味としては『欲しい物がある場合、先ずは周りから固めよ』的な意味合いがある。
ちなみに、唐王朝は呂布たちの時代(後漢)より後の歴史である。
「そういう事だから。私は答えたわ、次はあんた」
(卑怯)
自分の気持ちをことわざで濁すだなんて...この姉、知略にも長けているらしい。
何だか腹が立ってきたので俺は姉の前で遠慮なく頭を捻り、何と答えるべきか悩んだ。
そしてこう言った。
「──夏目漱石の月が綺麗ですね、って言葉は知ってるよね」
「直接愛してますと言えないから、遠回しにそう言うべきだって事よね、確か」
「そう、英語教師をしていた時に学生がアイラブユーをそのまま日本語に訳して、夏目漱石が日本人はそんな直球で訳したりしない、月が綺麗ですねとでも訳しておきなさい、っていうのが事のあらましなの」
「で?」
「俺が思うに、きっとその学生に愛していますって言葉を言わせたくなかったんだよ、だから違う言葉を言わせた」
「なに?英語教師がその学生に恋心を抱いていたとでも言いたいの?」
「俺はそう思う、教師と学生の恋って確かに周りから応援されないものだしね。そして俺もそう、周りから応援されない気持ちに自覚を持ったから日和ちゃんに返事を返していないの」
姉がにんまりと微笑み、また缶に口を付けていた。
手にしていたスマホの電源を切ってテーブルに置き、真っ直ぐ俺のことを見てきた。
それだけで俺は舞い上がってしまった。
「次は私ね。将を射んと欲すればって言ったけど、あんたは私にどう訳してほしい?」
(うわあそうくる?ほんと卑怯だなこの姉)
「どう訳してほしいって…将が誰で馬が誰かって話だよね」
「そう、そしてこの役はあんたかたまねしかいない。そうなると、私が欲しい人は将の人になるってことよ」
「何それ〜それを俺の口から言わせるの?それ殆ど告白じゃんか」
姉が再会したばかりの時に見せたように、ケラケラと笑ってみせた。
「──で、あんたは誰が将だと思う?」
負けていられない、ここまで来たらもはや意地だった。
自分の口から『好き』とは言わない。
「──もし俺と姉ちゃんが継続してこの家に住んだとしても、きっとたまねは頻繁にやって来る、だからたまねと住むことを選んで俺を元の家へ戻した」
「それがあんたの答え?」
「そう。でもただの憶測だから、答えは姉ちゃんしか知らない」
「乱暴な切り返しね〜…それで、結局誰が将なの?」
「将は自分自身でしょ」
「はあ?」
「それで馬がたまね、そして俺は矢だよ」
精一杯の返しだったが姉はお気に召さなかったようだ。
「はあ〜白けたわ、馬鹿ばかしい「──ちょ!「はいはいこの話はもうお終い「ちょっと待ってくださいやり直しを!「駄目だめ、あんたのその言い方なら私がナルシストになってしまう、そんなの嫌よ」
姉がスマホと空き缶を持って席を立ち、白けたと言っている割にはまだ細まっている目を俺に向けてこう言った。
「でも、そうやって突っかかってくるのは好きよ。──ねえ?今夜は満月だそうじゃない、今から外に出て一緒に拝んでこようか」
「冗談じゃない、月を拝むのは将を射ってからにするよ」
夜も遅いというのに姉がぶはっと吹き出し、そして子供をあやすように俺の頭を撫でてきた。
「挑戦ならいつでも受けて立つから。お休み」
「…お休み」
忸怩たる思いで姉の温もりを享受し、止まない心臓の鼓動を引きずりながら自分の部屋へ戻った。
✳︎
師匠も走るほど忙しい、とは良く言ったもので、私が籍を置く部署も目まぐるしい仕事量に追われていた。
週を半ばも過ぎたある日のことだ、息子から珍しいメッセージが入った。
つぐも:今日時間ある?話したい事があるんだけど
社員の年末調整の確認をしていた私はパソコンの画面に表示されている数字を目で追いながら、端的に返事を返した。
茜:無い
それから私は息子のメッセージへの興味を失くし、昼休憩を迎えるまで仕事をこなし続けた。
(は〜暑い…)
このフロアは寒がりの人間が多く、空調設備の真下に席を構えている私の方へ温風が絶えず降り注ぐ、いくら暑いと言っても温度を下げてくれない。
鞄の中から弁当箱を取り出して席を立った時、声をかけられた。
「お疲れ様です、良ければお昼ご飯どうですか?」
娘の元夫の姉、花見だ。彼女は私を頼ってこの会社に入社していた。
とても良く出来た子だ。
「そうね、行きましょうか」
とても良く出来た子ではあるのだが...娘のたまねに他意をもって接している。
まあ、それは別に良い。今時同性同士もさして珍しい話ではないのも確かだ。
彼女と並んでフロアを離れ、ビル内にある社員食堂へ向かった。
「配信の方はまだ続けているのよね」
そう尋ねると、彼女は憑いていた物が抜け落ちたような、爽やかな笑顔で答えた。
「はい。退所する時は悩みましたけど、今思えば正解でした。それに、たまねさんも私の動画を褒めてくれますから」
「あんまり気を遣わせたら駄目よ、あの子ああ見えてきちんと人のことを見ているから」
「分かってます、気を遣われないよう仲良くなります」
(駄目だこりゃ)
余程たまねの事を気に入っているらしい、釘を刺してもこの返答なら後は当人たちの問題だ。
他部署の人間も昼休みを削ってまで仕事を消化しているのか、社員食堂はいつもより人が少なかった。
私は窓際へ寄り、冬らしい薄雲を頭上に掲げた街並みを見下ろせるテーブルに着いた。
案の定、花見が「寒くありませんか?」とこちらを気遣ってくれた。
「平気よ。私の席、温風が四六時中当たってるからむしろ暑いぐらい」
「ああ…」
花見も席に着いてそれぞれが食事を始めた。
今日は良く焼けた卵焼きを消化した後、息子からメッセージをもらっていた事を思い出し、私は追撃を送った。
茜:話って何?またお金貸してほしいって?
息子からの返事はすぐだった、向こうも昼休みの時間のようだ。
つぐも:ちげえわ
つぐも:日和ちゃんの事で話がある
(日和ちゃん……?嫌な感じね)
自分から追撃しておいて、返ってきたメッセージに既読だけ付けてポケットにしまった。
昨日の夕食の残りであるお好み焼きを頬張りつつ、息子の話の内容に考えを巡らせた。決して良い話ではあるまい、私の勘がそう告げている。
(相手は…やはりあかりかしらね…あの二人、雰囲気が少し怪しかったから…でもまあ、今は無理もないのかもしれない、あれだけ疎遠になっていたのに途端に仲良くなったんだから)
私の方針は決まった。関与しない。
しまったばかりのスマホを取り出してメッセージを送った。
茜:直接話しなさい、親を頼るな
つぐも:今日、日和ちゃんと会う
つぐも:その前に話がしたい
茜:忙しいから無理
そう送った後は息子からメッセージが返ってこなかった。
昼ご飯を終え、花見といくらか四方山話をした後席を立った。食堂から出て行く間際、この会社の筆頭株主でもある宮島さんが、社長に牽引されながらやって来た。
宮島さんもすぐに私に気付き、周囲にバレないよう静かに挨拶をしてくれた。私もその挨拶に返した、傍にいる花見も気付いていない。
(そういえば…うちの会社から人材を出して欲しいって泣きつかれているんだったっけ…大変そうね)
今にして思えば、良くあんな人の目に留まったなと自分でも不思議に思う。
その後、息子とのメッセージやばったり出会した宮島さんのことも忘れ仕事に没頭し、陽が暮れるまで忙殺された。
✳︎
昨夜の鼓動がまだ余韻を残している。その中でこなす接客は中々大変なもので、何度か私らしくない失敗も犯してしまった。
「大丈夫ですか帰島さん、今日は珍しいですね」
「ごめんね、私は大丈夫だから」
年の瀬を前にしてモールを訪れる客足も多い。買い物ついでに冷やかす人も多く訪れ、その対応に追われていた。
だから良かったのかもしれない、昨夜の出来事をあまり考えずにいられたのだから。
どうせ何も買わないくせしてあれやこれやと尋ねてくるマダムを相手をする、こういった人にも商品を買わせるのが私たちの務めなのだが、生憎と興が乗らなかった。
(一緒に月を拝もうか…)
私と弟は遠回しに『好きだ』と言い合った。
私はことわざを使って、向こうは文豪の有名なエピソードを使って『好きだ』と確認し合った。
きっと、いや、間違いなく私の想いは伝わったはずだ。いかんせん素直じゃないので卑怯な言い方になってしまったが。
「ありがとう」
「またのご来店お待ちしております」
やっぱり何も買わなかったマダムが去り、集中する対象がいなくなってしまったので私の頭は弟に言われた言葉で溢れ返った。
──冗談じゃない、月を拝むのは将を射ってからにするよ。
弟は『好きだ』と言った相手の誘いを断った、それが堪らなく面白く嬉しい。
他の男ならこうはいかない、皆んな嬉しそうにしながら私の跡についてくる。
けれど弟は違う、やはりあいつは私の事を良く分かっている。
(はあ〜ほんと、人を好きになればなるほど自分の汚い部分が浮き彫りになってくる)
どうして私はあいつの姉なのだろう。
どうしてあいつは私の弟なのだろう。
最愛と呼べる相手が一番近い位置にいる。もし、あいつが赤の他人なら私は既に虜になっているはずだ。
そうならないのは家族間の恋愛が世間一般的に受け入れられていない、という『常識』が私の中にあるからだ。
そうだ、澪の言う通りだ。形が無く、不確かで移ろいやすい『常識』というものは決して人を幸福にするものではない。
(好意を否定されるのが嬉しいだなんて…ほんと歪んでるわ、私)
『月を拝みに行こう』と誘い、弟は『将を射ってから』と返事を返した。
これほどの愛の言葉が他にあるだろうか?
ああ...昨日は本当に突拍子もないことをして正解だった、あんな夜はもしかしたらもう二度とやって来な──ちょっと待って。
(──ん?あいつあんな所で何してんの?)
人の五感は私と違って働き者のようであり、視界の隅に映ったその人物をきちんと脳みそまで届けてくれた。
弟だ、弟が向かいの店舗にいた。それも小さな、鞄の中にしまえるような小さな花束を一つ持っていた。
それに弟がいる店舗は女性物のブランド品を扱う所だ、来店した目的は一目瞭然だ。
(は?あれを私に?──いやいや、あいつ私がここにいること知ってるはずよね、あんなあからさまな行動は──日和ちゃん?)
そうだ、あいつは今日日和ちゃんと会ってくると言っていたはずだ。
なに?昨日はあれだけ私にラブコールしておきながら今日は別の人間にプレゼントを送るつもりなの?
──こうしちゃいられない!
「あ、店長?!どこ行くんですか?!」
「す──すぐ戻るから!トイレだから!」
慌てる社員を残して持ち場を離れ、私は弟がいる店舗へ向かった。
もしかしたら人違いかもしれない、あまりに考えてしまっていたせいで他人を見間違えたかもいやそんな事なかった!
(あいつ!)
ばっちり弟だ、弟が店員から丁寧にラッピングされた商品を受け取っている。クリスマスが近いこともあり、赤いプレゼントボックスをあしらった物だった。
弟が店舗から出る、私とあいつの間には通りを行き交う人が賑わっている。
弟が私に気付いてぎょっと目を剥き──
「あ!」
──一目散に逃げて行った。
✳︎
仕事の後に会うことになった。遅い時間にも関わらず来てくれることになった。
クリスマスも近い、去年までは月と地球ぐらいの距離が空くほど関係の無い行事だったが、今年は私もイエス・キリストの降誕を祝うことになった。
待ち合わせ場所は駅である。改札口前は沢山の人で賑わい、一足早く年末を楽しんでいるかのようだった。
(…………)
駅構内にあるお店のショーウィンドウで身嗜みを確認する。少しでも大人っぽくなればと思い、明るめのリップクリームを使ってみた。
本当は髪もいじりたかったけど時間がなく、普段通りだ。
服装も、まあ普段通り。新しい物を買いたかったけど、勉強をおろそかにするわけにもいかず、初めて会った時と同じコーデにした。
鞄の中に入れたプレゼントの重たさを確認する、喜んでくれたらとても嬉しい。
定期的に大量の人を吐き出す改札口を見やりながら、つぐもさんを探す。もうそろそろのはずだ。
もしかしたらすれ違いで駅のロータリーへ行ったのかもしれない、私は改札口から出入り口の方へ視線を向けた。
──ああ。
「──日和?日和じゃ〜ん!こんな所で何してんの?」
五十嵐さんたちだ。彼女は何処にいても目を惹く、良くも悪くも。
本当に間が悪かった。
「え〜と…待ち合わせを…」
「誰と?──ああ!前に言ってた紹介されたと人と?」
「うん、そうだよ」
「一足早くクリスマスデート〜?いいな〜実はさ〜今日光くんも誘ったんだけどさ〜断られちゃってさ〜ほんと悲しいよ〜」
「そ、そうなんだ…」
「ねえ、その人ってどんな人なの?良かったら私らと一緒に遊ぶ?」
「いやそれは…」
早く何処かへ行ってほしい、と思えば思うほどその相手は磁石のように引っ付いてなかなか離れようとしない。
五十嵐さんも私が紹介しないと知ってて揶揄っているのだ、他の人たちもいつもの事だと呑気に捉えて間に入ろうとさえしなかった。
津島さんに言われた言葉を思い出す。そう言われた時も五十嵐さんたちが傍にいたから、きっとそれでその言葉を思い出したに違いない。
──自分の為にも少しは汚くなれ。
「──紹介された人は人見知りする人だから、だからきっといきなり会わせるのはしんどいかも」
私はつぐもさんを利用して五十嵐さんを遠ざけようとした。これが今の私にできる精一杯だ。
「へえ〜社会人なのに人見知りってするんだ?私しないと思ってたよ!」
五十嵐さんの言葉に皆んながくすくすと笑う。
「良いんじゃない?子供っぽい日和にお似合いの人じゃ──「その人の事は悪く言わないで、凄い良い人なんだから」
そう言うと、周りの喧騒が少しだけ遠のいたような気がした。
いや、気がしただけではなく、それは五十嵐さんたちも同じようだった。
「べ──別にそういうつもりで言ったんじゃ…私ら行くね、それじゃ」
あれだけ引っ付いていたのに磁石が同極同士になったかのようにあっさりと離れ、すうっと改札口へ消えて行った。
他人を利用した罰が当たったのだろう、つぐもさんの悪口を言わせてしまった。
心の中で一つ溜め息、それからスマホがぶるりと震え出した。
画面を確認するとつぐもさんからだった、メッセージではなく電話だった。
「もしもし、日和です」
「つぐもです」──ああ、これも罰かな、と思った。
「本当にごめん、仕事が終わりそうになくて今日は会えそうにない。違う日でもいい?」
「そ、そんな…いいですよ、無理を言ったのは私の方ですから」
「本当にごめんね」
周りの喧騒がさらに遠のいた。電話を切っても騒々しさが戻らず、プレゼントの重たさを寂しく感じながら私もその場から離れた。
✳︎
本当に間が悪かった。
(…………聞くんじゃなかった)
決心したのに揺らいでしまった、もう日和ちゃんとは会えない。
あの人たちと一緒になって笑ってくれたらまだ気は楽だったのに。
ほらね、影では何を言っているのか分からない、日和ちゃんみたいな人でも悪口は言うんだ──と。
そう思えたらどれだけ楽だったことか。
(日和ちゃんは馬じゃない、将だった)
無策で戦場に出る兵士ほど無能なものはない。
最後の別れのつもりで買ったプレゼントは鞄にしまわず──ゴミ箱へ放った。




